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4 差し出されたその手をとる

 それから五日が過ぎようとしたが、ツェツイが姿を見せることはなかった。

 しつこくつきまとわれるだろうと思っていただけに、正直、拍子抜けだ。

 アリーセもあれ以来、特に何も言わない。けれど、無言で責められているようで、何とも居心地が悪かった。

 そして、六日目。

 その日は朝から風の強い日だった。

 双子たちは窓にへばりついて外を見る。


「ひゃーすげー風。家が揺れてるぞ」


「屋根、吹き飛ぶんじゃないのか?」


 風が砂埃を上げて吹き荒れ、大きく木々を揺らす。

 どこかの家の植木鉢が音をたてて家の前を転がっていった。その植木鉢を双子たちは揃って目で追っていく。


「ツェツイ、大丈夫かな。あれから家に来ないよな」


「俺、この間〝灯〟の裏庭で見かけたぞ」


「俺も見た」


「ぼんやり木の上を見てた。また遊びに来いって誘ったんだけど」


「俺も誘ったぞ。りんごのタルト食べに家に来いって。いくらでも焼いてやるぞって。焼くのは母ちゃんだけどな」


「なあ、こんな日に一人で心細そくないのかな」


「そりゃ……」


 ノイとアルトはソファーにふんぞり返って本を読んでいる兄を振り返り、じっと目を細めて見つめる。

 あきらかに、何かを訴える目つきだ。


「何だよ?」


「別に……」


 二人揃ってそう答えるが、どうみても、別にという目ではない。

 イェンは再び手元の本に視線を戻したが、弟たちがまだこちらを見ているのがいやでも視界に入る。

 ち、と舌打ちを鳴らして弟たちに背を向ける。それでも、背中に突き刺さる弟たちの視線。

 とうとう、くそっ、と吐き捨て、読んでいた本を乱暴にソファーに叩きつけイェンは立ち上がった。


「ツェツイの家は町の西の外れだぞ!」


「兄ちゃん、ちゃんと連れて来いよ!」


 扉に向かって歩くイェンの背に、弟たちの嬉しそうな声が投げかけられた。


「これで母ちゃんの機嫌も直るぞ!」


 と、声を揃えて言う弟たちの声がイェンの耳に入ったかどうか……。



 ◇



 街の中心部から外れたそこは、ところどころに家が点在するだけの田畑が広がるのどかな、悪く言えば閑散とした寂しい場所だった。

 どの家だよ、とイェンは立ち止まり辺りを見渡す。

 強風で砂埃が舞い見通しが悪い。

 誰かに尋ねたくても人影が見あたらないのだ。あきらめて一軒一軒あたってみるかと歩き出したところへ、遠くに鍬をかついで歩いている農夫を見かけた。

 逃してたまるかと、すかさず男の元へと駆けより肩をつかんで呼び止める。


「ツェツイっていう女の子が住んでいる家はどこだ?」


 いきなり呼び止め、人にものを尋ねる態度ではないとわかってはいるが、こっちも焦っている。思っていた以上に外は風が強い。確かに、こんな日に小さな女の子がひとりぼっちで家にいるのは心細いはず。

 ツェツイが泣いているような気がしたからだ。

 ん? と農夫が振り返る。イェンの態度に気分を害した素振りも見せず、ああ、と笑みを崩してうなずく。いかにも人の良さそうな中年男だった。


「ツェツイーリアちゃんかい? だったら、あの家だよ」


「どこ!」


「あそこだよあそこ」


「見えねえよ!」


「だから、あそこの家」


 イェンは目をすがめる。

 砂塵に煙る向こう、農夫が指差した先に一軒の小さな家があった。


 あれがあいつの家。


「あの子は本当に明るく優しいいい子でね。かわいそうに、早くに父親を事故で亡くしてしまってね。それでも笑顔ひとつたやさず」


 こんな寂しいところでたったひとりで。


「病気がちだった母親の手伝いをよくやっていたよ。その母親も気の毒なことに……」


 まだ、あんなに小さい子どもなのに。


「身を寄せる親戚もいないらしくて……」


「ありがとよ、おっさん」


 放っておけばいつまでも語っていそうな農夫の肩をぽんと叩き、イェンは教えてもらったツェツイの家へと走った。


「おい、いるか!」


 扉も叩かず開け放ち、家に飛び込む。

 返事はなく、しんとした室内にイェンの声が響くだけ。

 どうやら留守のようだ。

 さらに家の中に足を踏み入れ見渡す。

 お世辞にも広い家とはいえなかった。

 家財道具も必要最低限のものしか置かれていない、殺風景な部屋。

 狭い居間の中央に小さなテーブル。その上に学校の教材が開いたまま置いてあった。学校には行けなくても勉強は続けていたらしい。

 強風で窓がかたかたと音をたて、立て付けの悪い板戸がきいと軋む。

 春先とはいえ、日が落ちると空気は冷たく、暗い室内は底冷えした。


 誰に頼るわけでもなく。


 イェンは手をぐっと握りしめた。


 それにしても、あいつどこ行きやがった。


『俺、この間〝灯〟の裏庭で見かけたぞ』


『ぼんやり木の上を見てた』


 ふと、弟たちの言葉が脳裏をかすめ、イェンは身をひるがえし家を飛び出した。

 予想は的中した。

 初めてツェツイに声をかけられた〝灯〟の裏庭、桜の木の下で、ツェツイは背中を丸めて地面にうずくまっていた。

 怪我でもしたのかと血相をかえてイェンは走り寄り片膝をつく。


「おい! 大丈夫か?」


 小さな肩をつかんでこちらを振り向かせ、息を飲む。

 その目には涙が浮かんでいた。

 視線をツェツイの手元に移し、涙の理由を知る。

 ツェツイの小さな両手の中に、一羽のヒナが力なく横たわっていた。

 イェンは頭上の巣を見上げる。この強風で運悪く巣から落ちてしまったのであろう。


「ずっとこうやって手で暖めているのに動かないの。まだこんなに暖かいのに……」


 動かないのは当たり前だ。

 手の中のヒナはすでに死んでいるのだから。


「この子を生き返らせてあげることはできないの?」


 声を震わせるツェツイに、イェンは無言で首を振る。


「だって、お師匠様は魔道士でしょう! 生き返らせることなんて簡単にできるはずですよね!」


 声を張り上げた瞬間、うねるような風がツェツイの足元から渦を巻いて空へと昇っていく。

 イェンは身体を震わせた。

 ツェツイの身体から放たれた〝気〟に鳥肌がたったのだ。


「あたしに魔術が使えたら、この子をよみがえらせることが。お母さんだって生き返らせ……っ!」


 イェンは眉をひそめ、ぺちりとツェツイの頬を叩く。

 闇に捕らわれかけたツェツイの心を引き戻すように、両肩に手をかけ、かけた指に力を込める。肩に食い込んだ指の痛みに、ツェツイは口許をひき結ぶ。


「そんなこと考えちゃ……たとえ、もし出来たとしても……それは絶対にやってはいけないことなんだ。わかるよな。魔術を教えて欲しいって言ったのは、そんなことのためじゃないだろ?」


 厳しく言い聞かせるイェンの言葉に、我に返ったツェツイは唇を震わせる。


「あたし……」


 大粒の涙をためたツェツイを胸に引き寄せ抱え込む。

 すっぽりとイェンの腕におさまったツェツイは肩を震わせた。

 最初は声を押し殺して泣いていたツェツイだが、とうとうこらえきれず声を振り絞り大声で泣いた。

 今までたまっていたものを一気に吐き出すように。

 泣きじゃくるツェツイの頭をイェンは優しくなでる。


 気が済むまで泣けばいい。

 泣いて少しでも気持ちが楽になれるのなら、いつまででもこの胸をかしてやる。


 どのくらいそうしていたのだろうか。やがて落ち着きを取り戻したツェツイは、ゆっくりと顔を上げ涙に濡れた目でイェンを見上げる。


「ごめ……ごめんなさい……」


 イェンはツェツイの頭をくしゃりとなで、目の縁にたまっていた涙を人差し指の背でそっと拭った。


「そいつの墓、作ってやろうぜ」


 そいつと言って、イェンはツェツイの手の中のヒナに視線を落とす。


「はい」


 ツェツイは目を閉じ、ヒナのお腹のふわふわの毛にそっと頬を押しあてた。そして、手近にあった石と木の棒で桜の木の根元に穴を掘り、ヒナを土に埋める。

 イェンは花壇に咲いている花を手折り、ツェツイの手に握らせた。

 仰ぎ見るように顔を上げたツェツイの目から、ぽろりと涙がこぼれ落ちる。

 花を添え手をあわせた後、ツェツイは木の上に視線を上げた。

 親鳥が巣のわきの枝にとまって鳴いていた。


「ツェツイ」


「はい……」


「本当に魔道士になりたいと思っているのか?」


「なりたいです!」


 ツェツイの真剣な答えに、しかし、イェンはまなじりを鋭く細める。不意に様子の変わったイェンに、ツェツイは不安そうな表情を浮かべた。


「もし、母親の命を蘇らせたいという邪な思いを抱いているなら、俺はおまえを魔道士にさせるわけにはいかない。全力で阻止する」


「あたし……」


 ツェツイは慌てて違うと激しく頭を振る。

 わかっている。

 魔術が使えたら、死んでしまった鳥のヒナをよみがえらせることも、そして母親の命も……と言ったツェツイの言葉が本心からではないことを。


「あるいは、もしかして、母親の病を魔術で治すことができたんじゃないか、だから、同じように病で苦しむ人たちを救えたら、と考えているなら、それはおまえの大きな思い違いだ。魔術はそこまで万能じゃない」


 ツェツイはうつむいてしまった。

 どうやらこれは少なからずあたりのようだ。

 ふっと笑って肩をすくめ、イェンはうつむいてしまったツェツイのあごに手をかけ顔を上向かせた。


「おまえ、本当に〝灯〟に入る覚悟はあるのか? 誰もが憧れるほど、魔道士なんて実はあまりいいもんじゃねえんだぞ。と言っても、俺や俺の弟たちを見てもあまりぴんとこねえだろうがな」


 ツェツイはこくりとうなずいた。


「魔道士になって、誰かのために力を使いたい。人の役に立ちたいと言ったのは嘘じゃないです」


 イェンは笑って左手を伸ばし、くしゃりとツェツイの頭をなでた。その手首に〝灯〟の魔道士である証の銀色の腕輪。それは、魔道士である以上、一生〝灯〟に拘束され続けるという意味でもある。


「行くぞ」


 立ち上がりイェンはツェツイに向かって手を伸ばした。目の前に出された大きなその手を見つめ、ツェツイはきょとんと小首をかしげる。


「修行だ」


 ツェツイは大きく目を見開いた。


「修行? 魔術、教えてくれるのですか? ほんとうに?」


「そのつもりだったんだろ?」


「そうですけど……でも、こんなにすぐ弟子にしてくれるとは……お師匠様を口説き落とすのは長期戦になるかと思っていたから」


「何だよ。あきらめないとか言っておきながら、そのくせちっとも姿見せなかったくせに」


「それは、その……お仕事とかいろいろ忙しく……て」


 と、言いかけたツェツイはえ? と顔を上げた。


「もしかしてお師匠様、あたしのこと気にかけてくれてたのですか?」


 ツェツイの口許が嬉しそうにほころんだ。

 イェンは肩をすくめただけであった。


「その仕事だが、辞めろ」


「え……?」


 さすがにツェツイは顔を強ばらせた。

 仕事を辞めてしまったら、生活ができなくなってしまうからだ。


「〝灯〟に所属すれば、下っ端でもいくらかの給金は出る。さらに上の階級に進めば、当然、その給金も上がる。上級の魔道士ともなれば、まあ一生、生きていくには困ることはねえ。さらに上層部に登りつめれば」


「登りつめ、れば……?」


「はは、毎日忙しくて遊ぶ暇もなくなるな」


「でも、それは」


 と、言いかけツェツイは口をつぐむ。


 それは〝灯〟の所属試験に合格すれば、の話だ。


「仕事の合間に魔術を会得しようなんて、そんな生やさしいもんじゃねえよ」


 魔術を扱える素質を内に秘めていたとしても、成果を表すことができなければ意味がない。


「生半可な気持ちと覚悟でいるなら、後悔することになる」


「……」


「自信ないか?」


「い、いいえ!」


「言っておくが、おまえが子どもだからといって俺は甘やかすつもりはない」


「望むところです!」


「才能がないとわかれば、そこでやめだ」


「あたし、がんばります!」


「だけど、だらだらやっても意味がねえ。期限をつけようぜ」


 期限? とツェツイは繰り返す。


「一ヶ月だ。その間に結果がでなければ」


「一ヶ月……」


 イェンは目を細めてツェツイを見据えた。


「あきらめな」


 ツェツイはごくりと唾を飲み込んだ。

 素質がないとわかれば、あきらめなければならない。だが、その時には仕事も失っている。生半可な気持ちと覚悟でいるなら、後悔することになる。

 つまり、そういうことだ。


「それでも本気で魔道士になりたいと思うなら、この手をとれ」


 ツェツイは大きくうなずいて、差し出されたイェンの手に手を伸ばした。

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