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34 お師匠様の罪

 師匠であるイェンの魔術を引き継がせてもらえる。それはツェツイにとって喜ばしいことである。けれど、驚かせてしまうものがあると言われて戸惑ってしまうところもあった。 それがいったい何なのか、まったく想像がつかなかったから。


「驚かせてしまうもの? 何ですかそれは……」


「のぞけばすぐにわかる」


「いいえ、それよりも待ってください。引き出すなんてあたし、そんなことできるかどうか自信がないです。やったことがないです」


「互いの魔力の相性がいいなら、できないことはない。おまえなら簡単なはずだ」


「でも、もしうっかりお師匠様の記憶をのぞいてしまったりでもしたら」


「かまわねえよ。むしろ、引き継がせる以上、俺が何をしてしまったか、おまえも知るべきだ」


「その驚かせてしまうものというのは、お師匠様が言っていた罪をおかしたことと関係があるのですか?」


「そうだ」


 ツェツイは言葉が継げずまたしても黙り込んでしまう。


「怖いか?」


 声が出せなかった。

 イェンが過去にどんな罪をおかしたのか。

 知りたくないといえば嘘になる。と、同時に知ってしまうのが怖いと思うのも事実であった。


「正直……」


 ふっとイェンの瞳が揺らいだ。


「俺は怖い。あの時、俺の魔術をくれてやると言ったことを後悔もした。もし、これをおまえが間違ったことに使ったりでもしたら、俺は一生、自分を許せないだろう」


「それでも、お師匠様はあたしに?」


「おまえなら、大丈夫だと俺は信じている」


「あたしを信じて……」


 イェンはうなずいた。

 その顔にためらいも揺らぎもない。


「やめるのならそれでもいい。無理強いをするつもりはない」


 手首から離れかけたイェンの手を、ツェツイは咄嗟にもう片方の手で押さえる。


「いいえ!」


 ツェツイの顔つきが変わった。

 この手が離れてしまったら、きっと、もう二度とこんな機会はないと思ったから。


「お師匠様の魔術をあたしに引き継がせてください。あたしにください!」


 そして、あたしにお師匠様のことを教えてください。


「なら、持っていけ」


 ツェツイは大きく深呼吸をして目を閉じた。

 全神経をイェンの胸に当ててている手に集中させる。


「お師匠様の心臓の音」


 とくとくと手のひらに伝わる鼓動。

 その音と自分の呼吸を合わせる。

 イェンの心の奥深くに封じられてしまった魔術が、ツェツイの中に流れこんでくる。


 すごい……。

 あたしの知らない魔術がたくさん。

 どれも、いつか覚えたいと思っていたものばかり。

 それに。

 お師匠様の魔術、温かくて優しい。

 でも、わかる気がする。

 だって、お師匠様優しいもの。


 ふと、ツェツイの指先がぴくりと動いた。

 一つの映像がツェツイの閉じたまぶたのうらに映る。


 降りしきる雨の中、ひび割れた大地に横たわる一人の幼い少年。

 その少年を腕に抱え、地に膝をついて泣き叫ぶイェンの姿。

 今よりもずいぶん若い。

 たぶんまだ十代半ば。

 イェンは何度も何度も地面にこぶしを叩きつけ叫んでいた。

 何を叫んでいるのかまではわからない。

 激しく降る雨が幼い少年とイェンを濡らす。


 その子は誰?

 どうしてお師匠様は泣いてるの?

 何故、呼びかけてもその子は目を開けないの?


 映像の中、不意にイェンがゆらりと立ち上がった。

 思いつめていたその顔に決意をにじませて。


 次の瞬間、ツェツイは目を見開いた。

 そこで、映像は途切れた。


「これは!」


 胸から離れかけたツェツイの手首を、イェンはぐっと握りしめる。


「こんなの信じられません! こんな魔術があるなんて……あり得ないです! あってはいけない……」


 いやいやをするように激しく頭を振るツェツイの頬に、イェンの手がそっと添えられた。


「ツェツイ……」


 信じられない。

 あり得ない。

 けれど、それはイェンの心に残っていて、そして、ツェツイの中に確実に刻まれ継がれていく。

 ツェツイの手が小刻みに震えた。

 まだ、ツェツイがイェンの弟子となる前のあの嵐の日。

 母親を亡くしたばかりのあの時〝灯〟の裏庭の木から落ちて動かなくなった小鳥のヒナを手のひらにのせ、泣きながらツェツイは言った。


『あたしに魔術が使えたら、この子をよみがえらせることが。お母さんだって生き返らせ……っ!』


 そして、イェンはツェツイに言い聞かせるように返した。


『そんなこと考えちゃ……たとえ、もし出来たとしても……それは絶対にやってはいけないんだ。わかるよな』


 たとえ、もし出来たとしても──


 その時は特に気にもとめなかった。

 何故なら、死んでしまったものを蘇らせることなどできるわけがないと、そんなことはわかっていたから。

 さらに、火事の時、ツェツイが火の海の中で倒れた時もイェンは……。


『おまえに万が一のことがあってしまったとしても、俺には、もう……どうすることもできないんだよ!』


 あの時のイェンの言葉の意味を、そして、イェンがおかした罪をツェツイは知ってしまう。


「蘇りの術……」


 言うまでもない。

 それは、死した人の魂を呼び戻す禁断の魔術。


「お師匠様はこの魔術を使って……」


 ツェツイを見下ろすイェンの顔に苦渋の色が広がる。

 イェンはとつとつと語り始めた。


「七年前、この国に大干ばつが起きた。おまえはまだ小さかったから知らないと思うが」


「当時の話はお母さんから聞きました。その時、一人の魔道士が龍神を喚んで雨を降らせ、この国の、危機を……」


 ツェツイは声をつまらせる。


「その魔道士って、まさか、お師匠様のことだったんですか」


 イェンは笑っただけであった。


「水は涸れ作物もろくに育たず、多くの人たちが為す術もなくなく倒れていった。ツェツイ、人が神を喚び天の摂理をねじ曲げてしまうこと、これもまた〝灯〟の掟に違反することだ。だけど、俺はただ黙って見ていることなんてできなかった。〝灯〟の掟がなんだという。何が世界に平和と希望の(ともしび)をだ。そんな掟に縛られ、苦しんで倒れていく人々を救えずして何が魔道士だ。普通の人にはない力を持った時点で、その力は誰かのために役立てるんじゃないのか。そう思った俺は龍神を喚んだ。いや、決断したのは目の前で大切な奴が死にかけようとしたから……雨は降った。だが結局、俺はそいつを救うことができなかった。遅かった。間に合わなかったんだ」


 イェンはわずかにまぶたを伏せ、視線を斜めに落とす。

 ツェツイはただ黙ってイェンの告白に耳を傾けていた。


「俺の腕の中でそいつは息をひきとってしまった。何度呼びかけても、そいつが目を開けることはなかった。何故、俺はもっと早く行動を起こさなかったのか。〝灯〟の掟と大切な者の命、どちらが重要かなど悩むまでもなかった。そして、どうしてもそいつを失いたくないと思った俺は……」


 蘇りの術など使ったことはない。

 だが、知識として自分の中に存在する。

 成功させる自信はあった。

 たとえ、禁忌にふれたとしても、そのせいで罰を受けることになったとしても、ただそいつを救いたいと願う気持ちがイェンを突き動かした。

 まさに衝動だった。


「そう、俺は蘇りの術でそいつの魂を呼び戻してしまった。その後、俺は罪をおかした魔道士として捕らえられ〝灯〟の地下深くの牢に閉じ込められた。長である親父から受けた言葉は死刑の宣告だ。当然だ。死んでしまった人間を蘇らせる。そんなとんでもないことをやらかした危険な魔道士を生かしておくわけにはいかない」


 自分の父親から死刑の宣告。


「たぶん、逃げようと思えば逃げることはできた。だが、俺は罪を償うつもりで処刑の日を待つつもりでいた。だけど、そいつが地下牢に現れ必死になって俺を救おうと親父を説得したんだ。俺を殺すなら、自分も死ぬんだと言ってな。さすがの親父もその時は慌てた顔をしてたよ。何しろ相手が相手だっただけに。だけど、おかげで俺は処刑だけは免れた。禁術とはいえ、雨を降らせてこの国を救ったというのも恩赦のひとつだが」


 〝灯〟の掟、そして、長がくだした決断さえ覆してしまう、それほどの力を持つ相手とはいったい誰なのか。


 ツェツイはおそるおそる問いかける。


「その人は?」


「生きてるよ。いつもぼんやりして、もしかしたら俺の魔術が不完全で、心まで取り戻すことはできなかったのかと時々不安になるけどな」


 その人物のことを思い出しているのか、イェンの表情がふっと和らぐ。

 よほど大切な人なのだろう、こんな顔をするお師匠様を見るのは初めてだと、ツェツイは思った。


「まあ、元々おっとりした奴だったが」


「今は?」


「王宮にいる」


「王宮……」


 何も不思議ではない。

 腕のいい魔道士は王族に仕え、その身を守護する任につくことだってある。

 落ちこぼれだとか無能魔道士だとか言われていたイェンだが、誰も知らないだけで実はかなりの魔術の使い手だ。


「この国の王子だ」


「王子様……お師匠様が言っていた強力な後ろ盾って」


 イェンははは、と肩を揺らして笑う。


「まあ、そいつのことだな」


「あの……この間もそうだったけど、強力な後ろ盾と言いながら、どうしてそこで笑うんですか?」


「後ろ盾っていっても、そいつ、まだおまえと年のかわらない十二、三のがきだから。王族のことなんて俺にはさっぱりだが、いろいろ事情があって小さな頃からうちで暮らしてんだよ。今は何かの行事があるらしくて王宮に戻ってしまったけどな。そのうちひょっこり帰ってくんじゃねえ。ああ、それと、別に俺はそいつに仕えているわけでも何でもねえよ。まあ、弟みてえなもんだ」


 肩を揺らしてひとしきり笑うイェンの顔からすっと笑みが消えた。


「ツェツイ、いいかよく聞け。この術は知識として持つだけだ。絶対に使っちゃいけねえことは、わかるな」


 ツェツイはうなずく。


「もし、おまえが〝灯〟の掟を破れば」


 イェンは胸に添えられていたツェツイの細い手首をきつく握りしめた。

 締め上げてくる手の力にツェツイは不安そうな顔をする。


「俺がおまえを捕らえて、この手に枷をかけなければいけなくなる。そんなこと俺にさせるな」


 枷といっても普通のそれとは違う。罪を犯した魔道士が魔術を使えないよう封じてしまうものだ。


「他人に知られるのは実はかなりまずいが、掟を破り罪をおかした魔道士を捕らえる。それが〝灯〟での俺の仕事だ」


 イェンの手がツェツイの手首から離れる。

 ツェツイは赤くなった手首をもう片方の手で押さえさすった。


「なんて、その掟を破りまくりの俺が言ってもあれだけどな。それに、掟を破る魔道士がごろごろいても困るし、他人に何だかんだ言われても、俺が暇そうにしているのが一番平和なんだよ。はは」


「あたし! お師匠様のいいつけはちゃんと守ります。絶対に破ったりしません。それに、お師匠様にそんなつらいことなんかさせたくないから。悲しませたくないから……だから、絶対に」


 イェンはくしゃりとツェツイの頭をなでた。

 ツェツイはまだ残る手首の痛みを決して忘れない、戒めとして胸に刻んだ。

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