29 大魔道士パンプーヤ
いつの間にそこに立っていたというのか、振り返ったそこにツェツイと背丈がほとんどかわらない、こじんまりとした老人が右手を挨拶代わりにあげ立っていた。
それにしても……。
老人の身なりはすごかった。
身にまとっているのは、すり切れほつれた麻袋のような生地。
足下も履きつぶして、くたびれたサンダルを引っかけていた。そして、左手には杖。けれど、身なりは小汚いが、白く染まった長髪と胸の辺りまで伸ばしたあごひげは、光の加減によってはつややかな銀色に輝き風格が感じられた。
「な、何なんだよ! いきなり人の後ろに立ちやがって、驚くじゃねえか!」
「何じゃ! こうしておまえさんの顔を見に来てやったというのにその言いぐさは。相変わらずかわいげの欠片もない奴じゃのう」
「あんたにかわいげがどうのって言われてもな。別に俺はあんたの顔なんか見たくもねえし。で、何しに来やがった」
イェンは不愉快そうに顔をしかめる。
「何しに来やがったとは、まったく、年寄りを気遣うという労りの気持ちがおまえさんにはないのか」
「気遣う? それを言うならあんたこそもう少し自分の身なりを気遣え。相変わらずどうでもいい服装しやがって恥ずかしくねえのか?」
「わしが何を着ようと勝手じゃ、おまえさんには関係ない」
「確かに関係ねえな」
「えっと、あの……おじいさんはどなたですか?」
突然言い争いを始めた二人を交互に見つめ、ツェツイはおろおろとうろたえる。
おそらく知り合いなのだろう。
それは見ればわかるのだが……。
「わしか?」
よくぞ聞いてくれました、といわんばかりにその老人は垂れ下がった細い目尻をさらに細くさせ、にんまりと笑う。
「わしは大魔道士パンプーヤ。こやつの師匠じゃ」
こやつと言って、パンプーヤは持っていた杖でイェンの脇腹をつんつんと突っつく。
イェンは目の前に突き出されたその杖をうっとうしいとばかりに手で払いのける。
「し……師匠っ! 大魔道士様がお師匠様のお師匠様!」
「そうじゃ。こやつには、いずれ二代目パンプーヤを継がせてやろうと思ってるんじゃ。まあ、いずれじゃがのう。いずれ」
「お師匠様が未来の大魔道士様……すごいです……」
パンプーヤは満足そうにうむうむとうなずく。
噂でしか聞いたことのない伝説にも近い大魔道士が目の前にいる。それだけでも信じられないことなのに、その大魔道士がお師匠様の師匠で、そして、お師匠様がいずれ大魔道士になると聞いたツェツイは驚きに半分口を開けてしまっている。
「継がねえよ! これっぽちも継ぐ気ねえから。だいいち何がパンプーヤだ。ふざけた名前しやがって」
「おまえさんはわかっておらんのう。大魔道士ともなれば……」
パンプーヤは真剣な目でイェンを見上げる。
「女性にもて放題だぞい」
「あほか。それとその口調はやめろ。何かいらっとすんだよ」
驚くツェツイとは対照的に、イェンはさらに眉根を険しくさせ不機嫌となる。
そこでツェツイはパンプーヤが手にしている杖を見て、あ、と声を上げた。
イェンの先ほどの杖が誰に譲れらたものか、本人は押しつけられたと言っていたが……すぐに理解する。
パンプーヤの持っている杖は、先ほど見たイェンの杖と形状も飾りもほぼ同じ派手な杖であったから。ただし、イェンが持っていたものよりも一回りほど小ぶりだが。
「そもそも、誰がいつあんたの弟子になった。あんたが突然俺の前に現れて、勝手に師匠を名乗ってんだろ。だいいち、あんたに師匠らしいことなんか一度もしてもらった覚えねえし、いい迷惑だ」
「迷惑とはずいぶんなことを言うのう。これまでおまえさんの不始末やら好き勝手やら、うっかりやら何やらを、わしがどれだけ後始末してきたり、面倒みてきてやったというのか」
「頼んでねえよ」
「ほうほう、そういう生意気な口をきくか。そう、七年前のあの時も……」
「それ以上、口にしたら……」
イェンにじろりと睨みつけられ、パンプーヤはしょんぼりとうなだれる。
「とにかくとっとと帰れ、俺たちはこれから町に出かけんだ。ああ待て、いい機会だ。あんたが押しつけていったあの趣味の悪い杖返すから。売っても捨てても必ず俺の元に戻ってきやがって、薄気味悪いんだよ」
「わしがせっかくくれてやったあの杖を売ったのか! 捨てたのか! 何と……嘆かわしい。わしが取り戻してきてやろう。で、杖はどこに売ったんじゃ? どの辺りに捨てた?」
「だから、売っても捨てても俺の元に戻ってくるって、たった今話したばかりだろ! ちゃんと人の話を聞け」
「ところで、ツェツイーリアちゃんだったかのう?」
パンプーヤはにっこりと人のよい笑みをツェツイに向ける。
「聞けよ!」
イェンは苛立たしげに髪をかきむしる。
イェンもマイペースだが、そのイェンの師匠であるパンプーヤも、さらにその上をいく性格のようだ。
むしろ、イェンの方が振り回されているといってもいいかもしれない。
こんなお師匠様は滅多にみられないと思ったのか、ツェツイはこっそりと笑う。
「うむうむ、可愛らしい娘っこじゃのう~。将来は美人さんになること間違いなしじゃ。うーむ。わしがもうちょい若ければおつき合いを申し込んだのじゃがのう。おしいのう。こんな奴なんかやめてわしの元に来んか? おいしいものお腹いっぱい食べさせてやるぞい」
「おいしいもの、おなかいっぱい……」
「そうじゃ! わしはこれから美女たちと南国の島に遊びにいくんじゃ。ツェツイーリアちゃんも来るとよいぞ! 珍しいフルーツ食べ放題じゃ。ご馳走してやるぞい」
「フルーツ食べ放題……」
ふらりとパンプーヤの元に足を踏み出したツェツイを、咄嗟にイェンは腕をつかんで引き戻す。
「おい」
イェンは目を細めてパンプーヤを見据える。
「いやらしい目でこいつを見るな。誘うな。あんたが言うと冗談に聞こえない。おまえも食いもんにつられるな」
「ツェツイーリアちゃん聞いたか! こやつ俺の女を横取りするな! と言っておるぞい!」
「はい……お師匠様にそう言ってもらえて嬉しいです」
ツェツイはぽっと顔を赤らめた。
「じじい、いい加減にしろ。っていうか、さっさと消えろ」
しかし、やっぱりパンプーヤは聞いていなかった。
「ツェツイーリアちゃんは、ディナガウスに行く決心をしたようじゃな」
ツェツイはまたしても驚いたように目を丸くする。
まさか、そんなことまで知っているのかと。
何だか驚かされることばかりだ。
「はい。どこまでやれるかわからないですけど、一生懸命頑張るつもりです」
「そのほうがええ、そのほうがええ。ツェツイーリアちゃん自身のためにも、ディナガウスには行くべきじゃ。それに! ツェツイーリアちゃんの未来はとっても明るいぞい」
パンプーヤは趣味の悪い、否、豪華で高価そうな杖をえいっ、と前に突きだした。
そして、杖の先端を見つめ目を細める。
「ディナガウスで暮らすツェツイーリアちゃんの姿がわしには見えるぞい」
つられてツェツイもパンプーヤの手にしている杖の先端を見る。
「ほんとうですか! でも、あたしには何も見えませんが……」
「わしには見えるんじゃ。わしは刻を操る大魔道士。過去も未来も自由に行き来することはもちろん。覗くことだってできる。大魔道士じゃからのう。ほうれ、ツェツイーリアちゃんがたくさんのお友達や仲間に囲まれていつもにこにこ笑っている姿がわしには見えるぞい」
「あたし、笑ってますか?」
「うむ。とっても楽しそうに笑っておるぞ。羨ましいのう。わしも仲間に入れて欲しいのう」
「じじい、てきとう言ってないか」
目を細め、腕を組みながらイェンはうさんくさそうにパンプーヤを見下ろす。
「てきとうだと! おまえはいったいわしを誰だと思ってるんじゃ!」
イェンはやれやれと肩をすくめた。
パンプーヤが本当にツェツイの未来をみているかどうかは実は怪しいものだ。
他人のそれを軽々しく覗くのはあまり感心できる行為ではない。
もちろん〝灯〟の掟でも禁止されている。
それでも、ディナガウスに行くと決心したツェツイの不安が少しでもとりのぞくことができるのなら。
ツェツイが笑ってくれるのなら。
まあ、よしとするかと、イェンは苦笑いを浮かべつつツェツイに視線をやる。
目を輝かせ、ツェツイはパンプーヤと一緒に並んで杖の先っぽを見つめ笑っている。
端から見ればおかしな光景だ。
「ああ、それはそうと、安心せえ」
「何がだよ」
「今回の件」
パンプーヤの言う今回の件とは、刻を戻してしまったことだ。
「おまえのやったことが〝灯〟に知られたら間違いなくお咎めを食らうじゃろうな。じゃが、このわしがやったということにしてやってもいいぞい。それならば何も問題はなかろう。わしは〝灯〟とは無関係じゃし、何たって大魔道士様じゃし、誰もわしのやることに文句は言えんからのう」
どうだ? わしは弟子思いのよい師匠じゃろう? と得意げな顔をするパンプーヤにイェンは肩をすくめて不敵な笑いを浮かべる。
「必要ねえよ。それこそ俺を誰だと思ってる? 俺がバレるようなそんなつまらないへまをやらかすと……」
「ありがたく思うがよいぞ。わしの可愛い弟子よ……」
「お師匠様、パンプーヤ様、消えてしまいました」
「……」
イェンはちっと舌打ちをしてため息をつく。
何が可愛い弟子だ。
たいした話をするわけでもなく、言いたいことだけ言ってさっさと姿を消してしまった。
いつもこんな調子だ。
まあ、別にこれ以上話すこともないからかまわないのだが。
それにしても、一気に疲れが出てきたような気がする。
どうも、つかみ所のないあのふざけた性格が苦手だった。もっとも、どうせこちらをからかって遊んでいるだけなのだろう。
お師匠様? と首を傾げるツェツイにイェンは何でもねえよ、と首を振る。
こんなことをツェツイに話せば、お師匠様にも苦手なものがあるのですねと笑われそうだ。
ふと、窓の外を見ればいつの間にか日も落ちかけようとしていた。
差し込む夕陽の眩しさにイェンは目をすがめる。
さて、早く町に行かなければ日が暮れてしまう。
こうなったら、何がなんでも焼き芋をするつもりだ。ツェツイもやったことがないと言っていたし、喜ばせてやりたい。
ふと、隣に立つツェツイが食い入るような目でこちらを見ているのに気づく。
「何だ?」
「あの……もうひとつだけ、合格のお祝いのおねだりをしてもいいですか……?」
いったん言葉を切り、ツェツイはそっと視線を落とす。
よほど口にしづらいお願いなのか、しばし、ためらうように下を向いたまま床に映し出された自分の黒い影を見つめている。
「おまえがそんなことを言うなんて珍しいな。どうした? 言ってみろ。何でもしてやるぞ」
何でもしてやる、というイェンの言葉に決意を固めたのか、ツェツイは顔を上げた。
「キス……してください」