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28 ツェツイの決意

 お師匠様は、大魔道士パンプーヤ様なのですか?


「……」


 突如流れる奇妙な沈黙。

 言葉もなく見つめ合う二人。

 それまで笑っていたイェンの眉根が厳しくひそめられた。

 怖い表情だ。

 ツェツイは聞いてはいけないことだったのかと怯え不安な顔をする。

 しかし。


「はあ?」


 イェンの顔が嫌そうに歪められた。

 はあ? と答える言葉にも濁点がついているほど。


「俺が? 何で?」


「え! 違うのですか? あたし、もしかしたらそうなのかと思って。だって、世界三大大魔道士パンプーヤ様は刻を操る魔道士ですよね」


「確かにそうだが。俺はあんな得たいのしれないくそじじいじゃねえよ! ああ、それとあのじじいに〝様〟なんか必要ねえ。くそじじい、それでじゅうぶんだ」


「くそじ……」


 ずいぶんな言いようだ。


「えっと、じゃあ、お師匠様はパンプーヤ……様とお知り合いなんですね」


「あんなふざけたじじい、知らねえよ。知り合いでも何でもねえ」


 どうやら、大魔道士パンプーヤは得たいのしれない、ふざけたじじい……らしい。


「あ! わかりました。さっき言ってた強力な後ろ盾というのが、パンプーヤ様なんですね。納得です」


 人前にも姿を現さず、生きているかどうかも謎な大魔道士に権力があるかどうかは不明だが、それでもすごい後ろ盾であることには違いない。


「違う! 全然違う! おい、勝手に納得すんな」


「じゃあ……」


 イェンは苛立たしそうに髪をかきむしり、そのままそっぽを向いてしまった。これ以上、大魔道士パンプーヤの話題を口にしたくないという態度であった。


「お師匠様」


 突然、ツェツイが大きく振り仰ぎイェンを見上げた。


「あたし、決めました」


 何を? とイェンはツェツイに視線を戻す。


「ディナガウスに行きます。あたし、お師匠様のような立派な魔道士になりたいです」


 つい先日までここに残りたい、お師匠様の側から離れたくない、だから、ディナガウスには絶対に行かないと頑なに言い続けていたのが嘘のような表情であった。

 すべての迷いを振り切った、堅い決意に満ちた顔。

 イェンはふっと笑った。


「俺は立派でも何でもねえけど、おまえならやれる」


「あたし、今回のことで自分はまだまだ未熟なんだなってあらためて思い知らされました。それに、お師匠様のあんなすごい魔術を見てしまったら、いてもたってもいられない気持ちになって」


 ツェツイはううん、と首を振る。


「でも、それだけじゃないんです。あたし、もう一つ決めたんです。ディナガウスは医術の国。どこまでやれるかわからないけど、あたし医術も学びます」


 イェンは驚いたように眉を上げた。

 医術も学ぶ。

 それは、まったく予想もしなかったツェツイの決意であった。


「お師匠様のように魔術で傷を癒やせない人のためにも、猛勉強して医者になります」


「確かに、魔道士で医者の資格を持っている奴も〝灯〟にはいるけど。だけど……」


 俺みたいな特殊なのはまずいねえと思うけどな、とイェンは呟く。

 不意に、ツェツイの指先がイェンの袖口を握りしめた。


「それに、この先お師匠様に何かあったときは、あたしがお師匠様のお役にたてるようになりたいです……」


「頼りにしてるよ」


 イェンはくしゃりとツェツイの頭をなでた。

 ツェツイは嬉しそうに笑みをこぼす。


「よかったです。こんなことを言ったら、笑われるんじゃないかと少し不安だったから」


「笑うわけねえだろ」


「お師匠様」


「ん?」


「炎の中でひとりではどうすることもできなくて、あたし、本当にもうだめかと思ったんです。だから、お師匠様に助けていただいたこの命を大切にします。そして、あたしも誰かの命を救えるような仕事につきたいです。お師匠様、助けにきてくれてありがとうございました」


 あたりまえのことをしたつもりなのに、あらためてそう言われると、照れくさい気がした。


 イェンはふと、ポケットの中に忍ばせていた小さな包みを取り出し、ツェツイに

手渡した。ツェツイは手の中の包みとイェンを交互に見る。


「これは?」


「遅くなっちまったけど〝灯〟所属試験の合格祝いだ」


「合格祝い……開けてもいいですか?」


 ああ、とイェンはうなずく。

 ツェツイは包みを開き、わあ、と声を上げ目を輝かせた。


「桜の花の髪留め……あの時の。覚えていてくださったんですか!」


 以前、二人で町を歩いた時に露店で見かけた髪留めであった。


「桜の季節はとっくに過ぎちまったけどな」


「過ぎてしまったって全然かまいません。あたし、いただけると思っていなかったから……すごく、すごく嬉しいです」


 今にも泣きそうな顔でツェツイは瞳を潤ませた。

 まさか、ここまで喜んでもらえるとは思わなくて、イェンの胸がきゅっと痛む。もっと早くツェツイに渡すことができたらと悔やんだ。


「でも、どうして今なんですか?」


 確かに、ツェツイが〝灯〟の所属試験に合格したのは春。それからもうずいぶんと月日が経ってしまっている。

 ツェツイが首を傾げるのも無理はない。

 それこそ、今さらだ。

 けれど、こんなに遅くなってしまったのも、ちょっとした事情があったからであって、決して約束を忘れたわけではなかった。

 ツェツイはイェンを見上げ、どうして? と目で問いかけてくる。


「いろいろとあってだな」


「いろいろって、何ですか?」


 イェンは困惑顔でツェツイから視線をそらした。


「おまえの合格と同時にあの店に行ったが、その髪留め、すでに売れてしまっていた」


「売れて? でもこの髪留め、あのとき見たものとまったく同じものです」


「だから、店の親父に頼み込んで」


「まさか! これを買った人を聞き出して、探して無理矢理、譲ってもらったとか」


「そんなことするかよ。っていうか、無理矢理って何だよ、無理矢理って」


「お師匠様、少し強引なところがあるから」


「まあ、それは否定しないが、だからって、人のものまで奪うか」


「そうですよね」


 ツェツイはくすりと笑った。


「じゃあ、この髪留めは?」


「店の親父からそれの制作者を聞き出して、そいつのとこに行って同じものを作ってくれって頼み込んだ。で、出来上がったのがちょうど今日だった」


 だから、渡すのが遅くなってしまったと。


「そんな、あたしのためにそこまで……嬉しすぎます……」


 ツェツイは手の中の髪留めをぎゅっと握りしめる。


「大切にします」


「ほら貸せ、つけてやる」


 そう言って、イェンはツェツイの手から髪留めをとると、ツェツイの髪を軽く指先ですき、耳の脇にぱちりと止めた。

 イェンの指先が耳元に触れた瞬間、ツェツイはくすぐったそうに肩をすくめた。

 耳元に手をあて、ツェツイは頬を赤く染める。


「似合ってますか?」


「似合ってるよ」


 ツェツイは恥ずかしそうに視線を落とし、口許に笑みを浮かべる。


「ありがとうございます」


 ふと、家の外からざわざわと大勢の人の声が聞こえてくるのを耳にする。

 イェンはツェツイの手をとり、窓際へとみちびくと窓を大きく開け放った。

 外には、火事の騒ぎを聞きつけ集まってきた見物人たちの姿。


「あんなにたくさんの人が……お師匠様、どうしよう……」


 イェンの刻を戻す魔術で火事が起こったことはどうやら記憶として消えてしまってはいるが、それでも、何故自分たちがここに集まった来たのか理由がわからないという様子で、みなそれぞれ首を傾げていた。


「ツェツイ」


「はい?」


「窓から顔だして、外の奴らに手を振ってみろ」


「手? 手を振るんですか?」


 そうだ、とイェンはうなずく。

 言われた通り、ツェツイは外にいるみんなに、わけもわからず、怖々と手を振ってみせた。


「ああ! ツェツイーリアちゃん、ディナガウスの〝灯〟に行くんだってね。聞いたよ」


「何でも選ばれた魔道士しか行けないすごいとこだっていうじゃないか。さすがツェツイーリアちゃんだ!」


「寂しくなるけど、頑張ってこいよ!」


「引っ越し先が決まったら教えろよ。野菜や米、送ってやるから」


「応援してるからね!」


 近所の人たちが手を振り返し声援を送ってくれた。


「みんな……」


 じわりと目に浮かぶ涙をツェツイは手の甲でごしごしと拭う。


「みんな、ありがとうございます!」


 ツェツイは答えるようにさらに大きく手を振った。


「旅立つ時は言ってくれよ」


「見送りするからね」


「はい!」


 この場に集まっていた人たちが徐々に引いていく。

 腕を組んで窓辺に寄りかかり、ツェツイと町の人たちのやりとりを眺めていたイェンは、ふと、マルセルとルッツの姿をとらえる。

 その場に残ったマルセルとルッツはぽつんと立ちつくしていた。それも何が何だかわからないと呆けた顔で。

 彼らのしたことは犯罪だ。

 魔術で罪を犯したとなれば彼らには厳しい処罰が待っている。それこそ最悪、魔道士の資格を剥奪され〝灯〟から追放されることも。


「あれ? マルセルとルッツがあんなところに。どうしてあたしの家の前に?」


 わけがわからないのはツェツイも同じであった。そもそも、今回の火事をおこしたのがマルセルたちだということを、ツェツイはまったく知らない。


「さて、あいつらどうするか」


「え?」


「ツェツイ、もし、あいつらがおまえに嫌がらせをしにここへやって来たんだとしたらどうする?」


 いやがらせ、ですか? とツェツイは首を傾げる。


「そ、悪質ないやがらせ。場合によっては、俺も本格的に動かなければいけなくなる」


「はあ……」


 やはり、ツェツイはわけがわからないと首を傾げるだけであった。そんな、ツェツイにイェンはもう一度どうする? と問う。


「そんなの気にしません。相手にもしません。この間はお師匠様のことを悪く言われてあたしも頭に血がのぼってしまったけど……もうお師匠様に迷惑かけたくないから。でも、それがどうしたのですか?」


「そう言うと思ったよ」


「そういうと思った? あの……」


 ますますわからないです、と首を傾げるツェツイに、イェンは苦笑いを浮かべる。

 なら、彼らがしたことをツェツイに話すこともないだろう。

 話してあの二人をどうするかと聞いても、ツェツイのことだ、返ってくる答えは予想がついていた。

 というか、予想通りであった。

 ならば、これ以上、ツェツイやマルセルたちの関係をわざわざこじらせるようなことをするのはかえって話がややこしくなるだけ。

 それにしても。

 あの二人には少々怖い思いをさせたばかりだというのに、どうやらまだ懲りていないのか。


「おい! おまえらそこで何してんだよ」


 いきなり声をかけられたマルセルとルッツは、びくりと肩を跳ねた。

 何でツェツイの家にイェンがいるのだと驚いた様子だ。

 刻を戻したことにより、彼らも記憶が混乱しているらしい。


「その手は何だよ」


 炎の術を使おうとして持ち上げていた手だ。

 その手とイェンに言われ、マルセルは目の前に上げていた右手に視線を向け慌てておろして背中に隠す。

 そこで、イェンは何か思いついたというように、にやりと笑った。


「おまえら、ちょっとこっちに来い」


 腕を組んだ姿勢のまま、イェンはあごで二人にこちらへ来るよう命じる。


「何だよ、何で僕がおまえごときに命令されなきゃ……」


「いいから、俺が来いって言ってんだから来るんだよ。さっさとしろ」


 マルセルはうっ、と声をつまらせた。


「な、何であいつあんなに偉そうなんだよ。僕たちに対して命令口調だし! 僕の方があいつよりも格上だぞ。っていうか、あいつ、あんな性格だったか?」


「知らないよ……何かすごく怒ってるみたいだよ。マルセル、またあいつに何かしたの?」


「してないよ! するわけないだろ!」


 ツェツイの試験を妨害したあの日、そのことをイェンに知られ怖い目にあわされた。あれ以来、イェンとはかかわらないようにしてきたのだ。


「マルセルどうする?」


「くそ!」


 結局、イェンの圧力に負け、マルセルとツェツイはそろそろと近寄っていく。

 窓辺に歩み寄った二人の肩を、両手でがしりとつかんでイェンは自分の側に引き寄せる。


「ひっ!」


 二人の耳元に口許を寄せ、イェンは小声でツェツイには聞こえないようにささやく。


「なあ、おまえら旅したくないか?」


 旅? とマルセルとルッツは突然何を言い出すんだと訝しむ。


「誰も行ったことがない。いや、違うな。滅多にいくことができない、静かなとこだ。どうだ?」


 マルセルとルッツはごくりと唾を飲み込む。

 それはもう、嫌な予感しかしないという不安な表情をにじませて。


「一瞬で連れてってやるぞ」


「そ、それはどこ……」


 思わず問いかけるマルセルに、イェンは薄い笑いを刻む。


「時空の狭間だ。そこに飛ばして置き去りにしてやる」


「……っ!」


 声にならない悲鳴を上げ、咄嗟に二人は肩に回されていたイェンの手を振り払う。このまま、その時空の狭間とやらに連れていかれるのではないかと恐れたからだ。


「何しにここへ来たんだが知らねえが、いいか、これ以上こいつに何かしたら……まあ、これ以上は言わなくてもわかるよな。言っておくが」


 イェンはすっと目を細めた。


「俺は本気だからな」


 凄みを増したイェンの低い声音にマルセルは顔色を失い、ルッツはぶるっと身を震わせた。


「マルセル、こいつやばいよ。やばすぎるよ。目が本気だよ」


 ルッツは怯えた顔で後ずさる。


「お、おまえ! 頭おかしいんじゃないのか!」


 ツェツイの家に火をつけようとしたマルセルに、頭がおかしいと言われるのは心外だ。


「ちくしょう! そもそも、僕は何しにここへ来たんだ? 僕の家、反対方向なのにっ! もうわけわかんないよ!」


「おい」


「何だよ! まだ何かあんのかよ」


「この間の、こいつの試験についての謝罪はねえのか?」


「う、うるさい!」


 と、吐き捨てマルセルは逃げるように背を向け走り去ってしまった。


「マルセル……待ってよ! ちゃんと謝ったほうがいいって……ねえ、マルセル、マルセルってばー!」


 去って行くマルセルとイェンを交互に見ておろおろするルッツだが、彼もマルセルの後を追いかけるようにこの場から立ち去ってしまった。


「うるさいって、何だよありゃ。態度わりいな」


 遠ざかって行く二人の後ろ姿を見ながら、イェンはやれやれと肩をすくめる。

 どこまで、ひねくれたがきなんだと。

 イェンの背後で今のやりとりを見ていたツェツイは、何があったの? ときょとんとして首を傾げている。


「お師匠様、マルセルたちと何を話していたんですか? 旅とか言っていたように聞こえましたが」


「何でもねえよ。たいしたことじゃない。それより、芋買いに町に行くか」


「え! 本当に買いにいくのですか? てっきり冗談かと思ってました」


「俺が冗談、言ったことあったか」


 ツェツイはうーん、と考えて。


「ない、です……」


 と、答える。


「なら、行くぞ」


「はい!」


 と、振り返った二人は揃ってぎょっとした顔をする。

 何故なら、背後に一人の老人が立っていたからであった。

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