25 ツェツイの危機
「無理言って悪かったな」
以前、ツェツイと町を歩いた時にのぞいた、アクセサリーを売る露店にイェンは訪れていた。
「まあいいって。それよりも同じものが手に入ってよかったな。彼女への贈りもんかい?」
店の主人はにっと笑って品物を包み始めた。
「違うよ」
「はは、だろうね。彼女に贈るにしちゃあ、この髪留め、ちょっと子どもっぽい気がしたんだよね。彼女じゃなければ妹さんかい?」
イェンは、まあそんなところだというように肩をすくめた。
「直感だ。直感でこれが欲しいと思った時に手に入れなきゃ、二度と手に入るとは限らない」
「はは、そうだな」
「やっと手に入ったんだ。早く妹さんに渡して喜ばせてやんな。それを手に入れるのにどんだけ苦労したかも話せば、喜びも倍増さ」
イェンは主人から品物を受け取り代金を支払った。
店をあとにしたイェンは、それからどこへ行くともなく町を歩いた。
手のひらを広げ、たった今手に入れたそれに視線を落とす。
〝灯〟の所属試験に合格したら贈ると約束したものであったが、もうあれからずいぶんと経ってしまった。
今さらだな。
約束したのだから渡すべきであろう。
きっと、ツェツイは喜んでくれる。だが、心のどこかにためらいがあった。ツェツイに好きだと告げられることがなかったら、素直に渡すことができたかもしれない。
これまでと同じく、普通に接すればいいのだと思いながらも、真剣に思いを打ち明けてきたツェツイのことを思うと、正直この先どうすればいいのかわからなかった。
手にしていた包みをポケットに押し込んだその時。
『何やっとんじゃ、おまえ』
突然話しかけられ、イェンは顔を上げ、辺りを見渡し声の主を探す。しかし、探したところで相手は側にいない。それどころか姿さえないことに気づく。
何故なら、その声は頭に直接話しかけているからだ。
途端、あからさまにイェンの顔が不機嫌なものとなる。
どうやら、その声の主のことを知っているようであった。
「何だよじじい。まだ生きていたのか」
『い、生きていたとは相変わらず失礼な奴じゃ! こうして久しぶりに会いに来てやったというのに嬉しそうな顔ひとつせんのか! かれこれ五年? いやいや、それ以上だったかのう?」
「知らねえよ。そもそも俺、おまえのことなんかすっかり忘れてたし」
『つれない奴じゃのう……』
ぐすん、と鼻をすする音が聞こえ、イェンは嫌そうに顔を歪める。そして、じじいの相手などしてられるかといわんばかりに再び歩き出す。
『待て待て! 待たんかい!』
しかし、イェンは無視だ。
『待てと言うとるのがわからんのか! 冷たいやつじゃのう! せっかくおまえさんに大事なことを伝えにきてやったというのに』
「どうせ、たいしたことじゃねえだろ。さっさと消えちまえ」
『まったく、おまえさんは要領がいいというわりには、肝心な時に役に立たん男じゃな』
イェンの苛立ちが頂点に達しかける。
『おまえの可愛い可愛いお弟子ちゃんの危機だぞい』
イェンは立ち止まった。
ツェツイの危機?
『かわいそうに。おまえさんの名前を呼びながら泣いておるぞい。それどころか、早く駆けつけて助けてやらんと、あの子死んじゃうぞい』
死んでしまうとはずいぶんと穏やかではない発言だ。
「そ……」
それはどういうことだ、と言いかけようとしたイェンと、側を通りすがったひとりの男の声が重なった。
「おい、何だあの煙は!」
その男の叫び声に視線を上げた。
男が指差した方角。
西の方向から、黒い煙が空へと立ち昇っていく。
ツェツイの家があるあたりだ。
「ありゃ火事じゃね?」
「ああ、火事だ!」
「見に行ってみようぜ!」
火事だとざわめく回りの声に、イェンはまさか、と胸騒ぎをおぼえ身をひるがえした。
◇
嫌な胸騒ぎは的中してしまった。
ツェツイの家が燃えていた。
イェンは眉をひそめる。
燃え上がる炎に、魔力の断片を感じ取ったからだ。
ツェツイが火の始末を怠って誤っておこした火事ではない。
これは誰かが故意にやったこと。
いったい誰がやったというのか。
群がる見物人を押しのけ、イェンは炎に飲み込まれた家へと一直線に突き進む。
「危ない! 近寄っちゃだめだ!」
その場にいた何人かに肩をつかまれ引き止められる。
離せと、その手を振り払った視線の先に、呆然と立ちつくすマルセルとルッツの姿を見つけた。
押さえつけている手を強引に振りほどき、彼らの元に走った。
迷うことなくマルセルの胸ぐらをつかむ。
「おまえ!」
何をした、と聞くまでもない。マルセルの身体から炎の術の余韻を感じとる。
怒りに任せ握ったこぶしを振り上げた。
「僕は……っ!」
咄嗟にマルセルは首をすくめ悲鳴をあげた。
ルッツは驚いて腰を抜かしその場に尻もちをつく。
「女の子がさっき家の中に入っていったぞ!」
「なんだって!」
「まだ出て来ない! 早く助けないと!」
耳に飛び込んだその声にイェンはぎりっと奥歯を噛む。今はこんなことをしている場合ではなかった。
ごめんなさい、と怯えて泣きながら頭をたれるマルセルを地面に突き飛ばし、再び人集りをかきわけツェツイの家へと走る。
助けなければと言いながらも、誰も炎で燃え上がる家に入ってツェツイを救い出そうとする者はいない。
「女の子って誰だ?」
「ツェツイーリアちゃんだよ! この家の子だ」
「ツェツイーリアちゃんだって!」
「とにかく水だ……あそこに井戸がある。水を運んで消すんだ! みんな手伝え!」
集まった人たちが消火活動に動き出す。それでも、炎は容赦なく勢いを広げ、おさまる気配はまったくない。
そんなちまちま水をかけたって無駄だ!
早くしないとあいつが……。
「邪魔だ、どけっ!」
凄まじい形相で向かってくるイェンに、見物人たちは止めるどころか反射的に身を引いてしまう。
「無理だ! あんたも巻き込まれる!」
「この炎じゃ中に入るのは危険だ!」
「焼け死んじまうぞ!」
「それでも助けんだよ! いいから、どけ!」
ツェツイ! 必ず助けてやる!
「ツェツイ!」
最後の人の壁を抜けツェツイの家へと走る。
足で扉を蹴り飛ばし、ためらうことなく、燃えさかる炎の中へと飛び込んだ。