23 魔力の相性
それから、ツェツイが目を覚ましたのは夜も更けてのことであった。
ベッドの側に椅子を引き寄せ、ランプの明かりの下でイェンは足を組んで本を読んでいた。ツェツイが目を開けたのに気づき、読んでいた本から視線を上げる。
自分が側についていたことによほど驚いたのか、ツェツイは何度も目をぱちぱちとさせていた。
「悪い。起こしちまったか?」
イェンは慌ててベッドの脇に置いたランプを消そうと手を伸ばす。
「いえ、大丈夫です……」
ツェツイは窓の外へ視線を向けた。
外はすでに真っ暗であった。
「お師匠様、来てくれたんですか……気づきませんでした」
「よく寝てたからな」
まさか、お師匠様が来てくれるとは思いませんでした、とツェツイは小声で言う。
イェンは閉じた本を膝に乗せ、その上に頬杖をついてツェツイを見下ろす。
「あの、アリーセさんは? ノイとアルトもどこいったの?」
三人の姿を探すように、ツェツイは視線だけを動かし部屋を見渡す。
「三人とも家に帰した。アリーセはともかく、ノイとアルトがいたらうるさくてゆっくり眠れないだろ」
「そんなことないです。嬉しかったです」
「あいつら、朝までおまえの看病をするんだってがんばってたけどな。また明日様子を見に来るって」
ツェツイが熱を出して寝込んでしまったということを知ったのは、夜遅く家に戻り、テーブルに残されていたアリーセのメモを読んでだ。それからすぐにツェツイの家に向かった。
双子たちがツェツイの側にいてもどうせ役にもたたない。案の定、家に入ると、眠っているツェツイの側でノイとアルトも首をこくりこくりとさせていた。たとえ、起きていたとしても、どうせ、うるさくツェツイの邪魔をするだけであろう。
『俺がツェツイの看病するんだ!』
『俺だってツェツイの側にいる!』
『そう言いながら、おまえら半分寝てるだろ。まぶたが落ちかけてんぞ。帰って寝ろ』
すでに夜も遅い。
いつもなら、双子たちはとうに眠っている時間。その証拠にとろんとしたまぶたで今にも寝てしまいそうだ。いや、自分が来たときには二人ともほとんで寝ていた。
一方、三人の会話を横で聞いていたアリーセはにやにや笑っている。
『この子たちったら、ツェツイちゃんの寝間着を脱がすし、寝ているツェツイちゃんにキスしようとしたのよ』
アリーセの言葉にイェンは腕を組み半眼で弟たちを見下ろす。
兄の厳しい目に、双子たちはうっと言葉をつまらせた。
『なおさらだな。アリーセ、こいつらを連れて家に帰れ』
双子たちはぶうと唇を尖らせる。
『やあねえ。あんた、何だかんだ言いながらも、しっかりツェツイちゃんのことガードしちゃってんじゃない』
『そんなんじゃねえだろ。いいから……』
『はいはい、帰るわよ。あとはあんたに任せたからね。だけど、あんたこそ、ツェツイちゃんが弱ってるからって悪戯しちゃだめだからね。そんなことしたらあたしが許さないから。半殺しにするわよ』
声を低くしてアリーセは目を細める。
『悪戯ってなんだよ!』
しばし、そんなやりとりが交わされた。
「みんなに心配をかけてしまいました。お師匠様にも……」
「何言ってんだ。でもまあ、そう思うなら早く元気になれ」
「はい……」
「熱はどうだ?」
椅子から腰を浮かせたイェンは、ツェツイの顔をのぞきこむようにひたいに手をあてた。
イェンの顔が近づいた途端、ツェツイの頬が真っ赤になったのは熱だけのせいではないはず。
「だいぶ、さがったようだな」
「はい」
手にしたタオルでツェツイの汗に濡れたひたいを拭う。
「ついでに着替えるか」
アリーセさんに着替えさせてもらった寝間着もすでに汗でびっしょり濡れていた。
ツェツイは、はい、とうなずいて起き上がると、寝間着のボタンをはずし始めた。が、熱ですっかり体力を失われ腕を持ち上げるのもやっとのようで、その手はどこかおぼつかない。おまけに、ふらふらと身体も揺れている。
「目が回る……」
イェンは苦笑しながらツェツイの肩をつかんで背中を向けさせた。
「お師匠様?」
「見えないから安心しろ」
「あの……?」
ツェツイの背後から腕を伸ばしたイェンの手が、寝間着のぼたんにかけられた。
ぼたんをはずしていくイェンの手元を、ツェツイはおとなしく見下ろしている。
すべてのボタンを外して脱がせ、汗に濡れたツェツイの小さな背中をタオルで拭う。
寝間着を脱がせるときも、身体を拭うときも、イェンの指がツェツイの肌に直接触れることは決してなかった。
新しい寝間着に着替えさせ、イェンは再びツェツイをベッドに横たえる。
「ありがとうございます。お師匠様」
肩からすべり落ちたイェンの長い髪がツェツイの目の前で揺れる。ふと、ツェツイの手がイェンの髪に触れた。
「お師匠様の髪の毛さらさら。いいな」
そう言って、ツェツイはイェンの毛先を指にくるくると絡め遊び始めた。イェンは笑って髪に触れているツェツイの手をとると、布団の中に押し込んだ。
「何か欲しいものあるか? 食べたいものとか」
「食べたいもの? いちごが食べたいです」
「よし、買ってきてやる」
「こんな夜遅くにですか? もう、どこのお店も閉まってます」
「おまえが少しでも元気になるなら、店の主人叩き起こしてでも買ってきてやる」
「叩き起こす……お師匠様ならほんとにやりそうです」
「やりそうじゃなくて、やるんだよ。待ってろ」
しかし、ツェツイは立ち上がったイェンの衣服の裾をつかんで、いいえ、と首を振る。
「ごめんなさい。ほんとは何も欲しくないです。ちょっと甘えちゃいました。お師匠様が側にいてくれたら何もいらない……だから、もう少しだけ、側にいてくれたら嬉しいです」
裾を握りしめているツェツイの手をイェンはとった。さらに、もう片方の手の指先でツェツイの汗でひたいにはりついた髪の毛をそっとなでる。
「おまえの熱が下がるまで側にいてやる。安心して寝てろ」
まだ薬が効いているのか、半分眠たそうな目でツェツイがうなずく。そして、握りかえされた手にツェツイが頬を寄せてきた。
「今日のお師匠様の手、冷たくて気持ちいい。それに、お師匠様に触れているとやっぱり安心します。いつもそうでした。お師匠様の隣で眠った時も、試験の直前の時も、すごく落ち着いて気持ちが穏やかになって……朝には熱も下がって元気になれるかも。学校も行けるかな」
「相性だ」
相性? とツェツイは繰り返す。
「魔力だよ。性格と同じように、それぞれが持つ魔力にも相性がある。俺の魔力はおまえにとって、よほど心地いいんだろうな」
そういう俺も、ツェツイに触れていると優しい気持ちになれる。
「相性かあ。そうなんだ……そのせいかな。何だか少し身体が楽になったような気がします。やっぱり、朝には治るかも」
しかし、ツェツイにとってイェンに触れていて心地よいと思うのは、魔力の相性だけではなかった。
「お師匠様。あたし、今ならわかるんです。お師匠様は師匠として何もしてないって言ったけど、修行中、あたしの側にいる間ずっと、お師匠様はあたしが魔力が発動しやすいように導いてくれていたんですね。感じていましたお師匠様の放つ魔力を」
ツェツイが初めて修行を開始した部屋でノイが、この部屋ぴりぴりするな、と言ったのはツェツイが緊張していたわけではなく、部屋に満ちていたイェンの魔力のせいだったのだ。
双子たちには少々居心地の悪さを感じても、ツェツイにとってはそうではなかった。
「お師匠様」
「何だ?」
「あたし、決めました。ディナガウスには……」
ツェツイはそっと、イェンから視線をそらした。
目をそらしてしまったのは、これまで〝灯〟の魔道士となることに協力してくれたイェンに対し心のどこかに後ろめたさを感じてか、あるいは、咎められることを恐れてか。
「行きません」
けれど、きっぱりと言い切ったツェツイの口調に迷いはない。迷いはないが、揺らぐ瞳に不安の影がちらついていた。
イェンはそうか、と呟くだけで、それ以上のことは何も口にすることはなかった。
上層部からどんなふうにディナガウス行きの話を持ち込まれたのかはわからない。が、この機会をふいにしてしまったら、おそらく二度とツェツイにとって好機ともいえる話が持ち込まれることはないかもしれないだろう。ツェツイもそれはわかっているはずだ。しかし、これはツェツイ自身が決めたこと。
だが……。
イェンはそっとまぶたを伏せた。
俺の存在がツェツイの将来の妨げとなってはいないか。
できることなら、ツェツイには大きく羽ばたいて欲しい。
それが、イェンの本心であった。
「それでも、お師匠様はずっと、あたしのお師匠様でいてくれますか?」
不安そうな声で訊ねてくるツェツイに、イェンはそんなこと、あたりまえだろうと笑って答える。
ツェツイはかすかに口許に微笑みを浮かべた。
欲しかった言葉を聞くことができたのか、ツェツイは安心しきったように再び深い眠りへと落ちていった。