21 お師匠様に告白
「お師匠様もディナガウスの〝灯〟に?」
イェンの口から思わず笑いがもれた。
「はは、そりゃどう頑張っても無理だな。俺みたいな役にもたたない初級魔道士がディナガウスの〝灯〟に受けいれてもらえるるわけがないだろ。追い返されるっていうか、そもそも、ディナガウスの〝灯〟への移転許可がおりねえから」
「じゃあ……」
「〝灯〟を抜ける」
それはつまり。
「魔道士はやめる」
「そんな……」
何でもないことのようにあっさりと言うイェンに、ツェツイは悲痛な表情を浮かべる。
「そんなふうに言われてしまったら……」
「気にすんな。おまえは呆れるかもしれねえが、俺は好きで魔道士になったわけでもねえし、おまえみたいに将来の目的があるわけでもない。それでおまえが決意してくれるならどうってことねえよ」
「それでもお師匠様は……とてつもない力を持った魔道士じゃないですか。どうしてそんなことを言うのかわからないです。お師匠様の力なら、ディナガウスの〝灯〟にだって入れます!」
「ツェツイ」
イェンは軽く息をつき、真剣な顔でツェツイの目をのぞきこむ。思わずツェツイは表情を引き締めた。
「俺は……昔、魔道士として絶対にやっちゃいけないことをやってしまった。何をやったかは言えない。だから、頼むからそれ以上のことは聞かないでくれ。だが、そのせいで俺は魔術の一部を封じられた」
「魔術を封じられ……」
魔道士が魔術を封じられることがどういうことか、今のツェツイになら理解できるだろう。
「〝灯〟によってな。今思えば、俺のやったことはよかったのか、悪かったのか。いや……人の道に外れたことをやってしまったんだ。悪いことだったんだろうな。それでも、俺は罪の意識はあっても、後悔はしていない」
身じろぎもせず、黙ってイェンの話を聞いていたツェツイの顔は今にも泣きそうであった。
「ツェツイ、〝灯〟のもっとも重い処罰は何だと思うか?」
ツェツイは首を傾げた。
「〝灯〟からの追放ではないのですか?」
「死罪だよ」
思いもよらないことを聞かされ、ツェツイは言葉をつまらせ大きく目を見開いた。
「あたりまえだ。掟を破った危険な魔道士を、みすみす世間に野放しにしておくわけにはいかない。俺は処刑されるところだったが、まあ、いろいろあって運良く免れることができた。だが〝灯〟からみれば、俺は今でも掟を破った罪人にはかわりない。そんな人間を余所の〝灯〟へと行かせることができると思うか」
「お師匠様……」
「そんな顔をするな。昔の話だ。今はこうして何不自由なく生活してるからな」
「お師匠様にまさかそんな過去があったなんて……」
「悪かったな。こんな話を聞かせてしまって。というよりも、師匠がこれでがっかりしただろ」
「いいえ!」
そんなことはないです、とツェツイは首を振る。
「ツェツイ、このことは〝灯〟の上層部のそれも一部の者しか知らない。もちろん、アリーセもノイもアルトもだ。いや、アリーセは気づいているかもだな。わからねえが……だから」
内緒にしてくれるか? と目で問うイェンに、ツェツイはしっかりとうなずく。
「だから、そんなつらそうな顔するな。そもそも、この俺がそう簡単に処刑されると思うか? あの時は、どうやって逃げだしてやろうかとあれこれ考えてたな。ついでに、逃げるからには回りが驚くような方法がいいだろうって。まあ、俺、要領はいいし、ついでに運もいい。だいいち、この俺をどうこうしようなんて、たとえ上層部でも〝灯〟の長といえども甘い甘い」
あはは、と重たい話をした直後とは思えない明るい笑いをこぼすイェンに、ツェツイが再び抱きついてきた。
「あたし!」
背中に回った手が力いっぱいしがみついてくる。
「口が裂けても今のことは絶対に誰にも言いません。お師匠様がそれ以上聞くなというなら、何があったのかも聞いたりしません。もう二度とこのことに触れたりしません。忘れろというなら、今聞いたことはすべて忘れます。いいえ、もう忘れました。お師匠様が過去に何をしたとしても、たとえ、どんな悪事をはたらいたとしても」
「悪事か……まあ……悪事っちゃ悪事か」
「きっと、お師匠様にはちゃんとした理由があってのことだとあたしは思っています」
「理由というより、衝動だな」
「それでも、あたし……お師匠様のことが……」
ツェツイが顔を上げた。
「ほんとは、ディナガウスにひとりで行くのが寂しいとか、不安とかそんなんじゃなくて、ただ、あたしはお師匠様のことが……」
ツェツイの真剣な目がまっすぐにイェンを射貫く。
「好きなんです」
突然思いを告げられ言葉を失う。
まさかこの流れでの不意打ちだった。
お兄さんのように慕って好きとかそんな気持ちでないことは、ツェツイの真摯な目を見れば瞭然だった。
いや、薄々ツェツイの気持ちに気づいていないわけでもなかった。
女性にそういう気持ちを打ち明けられるのはもちろん初めてではない。気の合いそうもない相手なら当たり障りなく適当にかわし、気に入った女がいれば……。
それは本気だったり、互いに合意のうえでの遊びであったり。
女の扱いには慣れていると思っていた。
なのに……。
そんな自分があきらかに動揺している。
それも、たった十歳の子ども相手に。
短いようで長い沈黙。
その静寂を破ったのはツェツイだった。
「あたし、本気です。本気でお師匠様のことが好きです……あの時、町で路地裏でお師匠様が女の人とキスしていたのを見た時、すごくいやな気持ちになりました。胸が苦しくて痛くて泣きたくなって」
「ツェツイ、おまえの好きは……」
「違います。お師匠様に優しくされたから勘違いしているわけじゃないです。初めて会った時からお師匠様にひかれてました。だから、お師匠様の側を離れたくありません。それが、ディナガウスに行きたくない理由です!」
さらに気持ちをたたみかけてくるツェツイにイェンは戸惑いを覚える。
駆け引きのない、幼さ故の正直な思いがイェンの胸に突き刺さる。
イェンは胸にしがみつくツェツイの肩に手をかけた。
「気持ちは嬉しいけど」
情けないことに、それだけを言うのがやっとだった。
ツェツイのことは可愛いと思う。大切にしたい、この先の成長を見守っていきたい、ツェツイの望みをすべてかなえてあげたい。そのためなら、自分にできることなら何でも、どんなことでもしたいと思っている。
弟子なのだから。
それだけだ。
ツェツイに対してそれ以上の特別な感情を抱くことは考えられない。
いや、あり得ない
さりげなくツェツイを引き離そうとするが、いやいやをして、なおきつくしがみついてくる。
「あたしがまだ子どもだから? でも、あたしだって後数年もすれば!」
ようやく心に冷静さを取り戻す。
そう、年が違いすぎるのだ。
十二歳という年の差は大きすぎる。
どんなに好きだという感情をぶつけてきても無理なのだ。
ツェツイがもう少し大人になって、年頃になれば気持ちだって変わるに決まっている。
そう、彼女に見合った。
「お願いです。もう少しだけ待ってください。あたし、すぐに大人になるから。お師匠様とつりあう、ふさわしい女性になるように努力しますから!」
「ツェツイ」
「お師匠様、好きです」
「おまえには、もっと相応しい男が現れるよ。俺なんかよりもずっといい男がな」
またしても、ありきたりな言葉しか口にすることができなかった。
ツェツイを納得させるには不十分だったであろう。
胸にしがみつくツェツイの手が自然と解かれる。
「お師匠様……」
イェンは静かに視線を斜めにそらした。
ツェツイの思いを受け入れることはできないと──