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16 お師匠様の膝の上

 いつもの裏庭の、いつもの場所の木に寄りかかり、イェンは本を広げていた。その隣では、ツェツイが膝を抱えて座り空を見上げている。

 以前は気が向いた時にしか〝灯〟にやってこなかったイェンだが、あの事件があって以来、毎日〝灯〟に顔を出してはツェツイを呼びつけ側に置いた。

 相変わらず、あることないこと言ってツェツイに意地悪を言うやからも絶えなかったが、イェンが側にいると知ると、今までのように、あからさまな行動をしかけてくる者はいなくなった。

 それどころかしまいには……。


「あの二人、できてんのか?」


 と、おかしなことを言い出す者も。


 あほか。

 こいつといったい、いくつ年が離れてると思ってんだ。

 さらに。


「遊び人のイェンが、実は小っちゃい子どもが趣味だったとはな」


「守備範囲を広げたんじゃないか?」


「はは。遊びすぎて、あらかた町の女に手を出しつくしたからとか?」


「そういえば、あいつの母親も昔はすごかったらしいって噂だぜ」


「へえー、すごいって?」


「さあ……とにかくいろいろ、すごかったんだってさっ!」


「ふーん。でもさ、あいつの母親、まじで超美人だよなあ……スタイル抜群だし」


「……」


「……まあ何にせよ! 最低だな、あいつ」


 くだらねえ。

 そういうことを言ってるおまえらの方が最低だってことに気づけ。

 っていうか、勝手に言ってろ、とイェンは気にもとめていないが。

 あれから、一ヶ月ほどが経とうとしている。そして、今日はツェツイの試験の日だ。

 時間がきたらツェツイを試験場まで送っていくつもりであった。


「思ってたより、落ち着いてるみたいだな」


 本から視線を上げ、ツェツイの顔をのぞく。

 緊張で強ばった顔をしているかと心配したが、その顔は思ったよりも明るく、真っ青な空を見上げているツェツイの口許には笑みさえ浮かんでいた。


「はい。いえ……ほんとはすごく緊張してます。実は、ここへ来るまで足が震えて。でも、こうしてお師匠様が側にいてくれるから、今は気持ちが穏やかです」


「そうか」


「お師匠様」


 ツェツイは遠慮がちにこつんとイェンの腕に頭を寄り添えてきた。


「少しだけ、こうしていてもいいですか? 少しだけ」


「何だったら寝てろ」


 ほら、と腕をツェツイの頭に回し、しっかり寄り添ってこいというように引き寄せる。


「どうせ、昨日は眠れなかったんだろ。時間になったら起こしてやる」


 ツェツイのことだ。今日の試験のために毎日寝る間も惜しんで頑張ってきたのだろう。 疲れた顔は見せてはいないが、それはまだ気持ちが緊張しているせいもあるはず。


「寝ません。でも、こうしていると安心しちゃって……目を閉じると、やっぱり、眠たくなってくるかな。お師匠様、あたし……寄りかかっていて重くないですか……」


 重くねえよ、と答えるよりも早く、ツェツイは静かな寝息をたて始めた。


 何だよ。

 やっぱり疲れてんじゃねえか。


 こくりこくりと身体を揺らすツェツイをそっと支えながら、イェンは自分の膝に寝かしつけ〝灯〟の時計台を見上げる。

 時刻は十時を少し過ぎたばかり。

 試験の開始時間は十一時だ。三十分ほどは休むことができる。

 立てた膝に頬杖をつき、眠るツェツイを見下ろして笑う。


 試験が終わったら少し休ませてやらねえとだな。


 上を目指せ。自分の思うとおりにやってみろ、とは言ったが、無理をしろとまでは言っていない。もっとも、ツェツイ自身が自分で無理をしていると思っていない、いや、気づいてないのだろう。

 そこへ、数人の子どもたちがはしゃいだ声を上げこちらへと走ってきた。

 〝灯〟の魔道士ではない。敷地内に遊びにやって来た町の子どもだ。ふと、その子どもたちは立ち止まり、首を傾げてこちらを見る。


「ねえ、お兄さんそこで何してるの?」


「〝灯〟の魔道士さん?」


「まあな」


「へえ! 魔道士さんなんだ。すごいなあ。かっこいいなあ」


「僕も魔道士目指してんだぜ! 絶対〝灯〟の魔道士になるんだ!」


 尊敬の眼差しで目を輝かせる子どもたちに、イェンは笑って唇に人差し指をたてる。

 イェンの膝でツェツイが眠っていることに気づいた子どもたちは、はっとなって口許を手で押さえた。


「その人寝てる」


「みんな静かにしてあげようぜ」


 子どもたちはイェンを真似てしーっと人差し指を口許にあてた。

 それは優しい魔法。

 ツェツイの眠りを妨げない静かに見守るための。


「ねえ、その人お兄さんの彼女さん?」


 子どもの一人が声をひそめて問いかけてくる。


「そう見えるか?」


 子どもたちは互いに顔を見合わせうーん、と首を傾げた。

 イェンはふっと笑ってわずかに眼差しを落とし、膝の上のツェツイを見下ろす。


「俺の大切な……弟子だ」


「お弟子さんかあ。可愛いお弟子さんだね」


「それに、その人すごく安心しきった顔で寝てる」


「あんまり邪魔したら悪いから行こうぜ」


「そうだね」


 子どもたちは足音を忍ばせじゃあね、と手を振り去って行った。

 緩やかな風が吹き、ツェツイの髪がふわりと揺れる。

 すやすやと気持ちよさそうに寝息をたてて眠るツェツイを起こさないよう、イェンは再び手元の本に視線を落とした。


「あたしっ!」


 突然、ツェツイがぱちりと目を覚ました。

 身体を起こし、何でここで寝ていたのだろうという様子で辺りを見渡したツェツイだが、イェンの姿に気づいてほっと息をもらす。


「あたし、お師匠様の膝の上で寝ちゃってたんですね」


「少しはすっきりしたか?」


 きっかり三十分、イェンの膝の上でツェツイは深く眠り続けていた。


「はい。お師匠様、ありがとうございます。それから、お膝も」


「いよいよだな。まだ少し早えが行くか?」


 頑張れとは言わない。

 ただ、これまでやってきたことのすべてを出し切ればいい。

 それだけだ。

 しかし、ツェツイはえっと、と顔を赤らめもじもじとする。


「やっぱり、ちょっと緊張してきたかな。あの、あたしちょっと……すぐ戻ってきますから! すみません、少しだけ待っててください!」


 と言って立ち上がると、ぱたぱたと駆け足で行ってしまった。

 遠ざかるツェツイの姿が見えなくなるまで見つめ、イェンはその場に寝っ転がると、遠い目で青空を見上げていた。

 〝灯〟に入って数ヶ月。たったそれだけの間にツェツイはイェンの想像のつかない、はるか上へと昇りつめていってしまった。

 今ではツェツイの方が階級が上だ。なのに、お師匠様と呼ばれるのもおかしな話である。

 当然、回りからも失笑を受けた。

 弟子に追い越された無能魔道士と。

 もちろん、誰が何を言おうと気になどしてないが。

 イェンは右手をかざした。

 指の隙間からこぼれ落ちる陽の光に目をすがめる。

 自分の胸までしかない小さなツェツイをよくなでてやったなと、ふと思う。

 子ども扱いしないでと手を振り払われたこともあった。


 そうだよな、今では〝灯〟の立派な魔道士だ。


 ついこの間まで、ただの子どもだと思っていたのに時折、大人びた表情を見せるようになった。

 こちらがどきりとするくらいに。

 マルセルとのつかみあいの喧嘩をしたあの日、さらに上を目指したい、自分の力を試してみたい、と言ったツェツイの強い光を宿した目に思わず息を飲んでしまったほど。

 しばし、ぼんやりとそんなことを考えていたイェンの耳に、突然、弟たちの声が飛び込んできた。


「いたいた。兄ちゃん!」


「兄ちゃん、大変だよ!」


 イェンは上半身を起こし、声のした方向を見やる。遠くからノイとアルトが血相を変えてこちらへと走ってくる。

 側にやって来た彼らは息つく間もなく喋り出した。


「何だよ慌てて」


「もうすぐ試験が始まる時間だってのに!」


「ツェツイがどこにも見あたらないんだ!」


「あいつなら、さっきまでここにいたけど」


「さっきまで? じゃあ、今はどこだよ?」


「ツェツイがどこ行ったか知らないのか?」


 ノイとアルトが眉間にしわを寄せついっと、つめ寄ってくる。


「どこって、まあ……」


「まあって、何だよ!」


「そうだよ、何だよ!」


 二人にしては珍しく語気が荒い。よほど興奮しているのか顔が真っ赤だ。

 イェンは困ったように頭に手をあてる。


「だから、緊張して用でもたしに行ってんだろ」


「どうして一緒についていかなかったんだよ!」


「どうしてって、ついていけるわけねえだろ!」


 双子たちが声を揃えて兄ちゃんのばかっ! と言う。


「とにかく、落ち着け」


「落ち着いてなんかいられるかよ」


「試験の開始時間は十一時だよ!」


 双子たちが足を踏みならして同時に〝灯〟の時計台を指差す。

 ちょっと……と言ってツェツイがこの場を去ってから十分近く経っている。そして、時刻は試験開始時間の十分前。


 確かに……。

 戻ってくるのが遅すぎる。

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