10 ノイとアルトの告白
夕飯ができあがるまでの間、ツェツイと双子たちは居間でカードゲームに夢中になっていた。ツェツイは魔術の修行の息抜きである。
「なあ、ツェツイ」
ツェツイのカードを引きながら、双子の片方がおもむろに口を開いた。
「ツェツイは俺たちの見分けがつくか? 俺はどっちだと思う?」
「え!」
予想もしなかった突然の問いかけに、ツェツイはカードを持ったまま固まってしまう。
あの……と、しどろもどろに言葉を濁し、ツェツイはぺこりと頭を下げた。
「ごめんなさい! 正直、どっちがノイで、どっちがアルトかいまだにわからないの。一緒にいて、もうずいぶんたつのにわからないなんて失礼だよね。ごめんね。怒るよね」
そろりと双子たちの様子をうかがうように顔を上げるツェツイに、ノイとアルトは顔を見合わせぷっ、と笑った。
「怒ってなんかないよ」
「怒るわけないだろ?」
「でも、ツェツイはほんと正直だな。そういうところが好きだけど」
「たいていの奴は見分けなんかつかないくせに適当に答えるんだぜ」
「その方が失礼だと思うだろ?」
「ていうか、困らせてごめんな」
「ううん。でも、ノイもアルトもほんとにそっくりだから」
「たぶん、兄ちゃんだって見分けがついてないかもな」
「それは言えてるな。それこそ、どっちでもいいとか」
などと笑ってはいるが、いくらなんでもそれはないだろう。
「なあ、ツェツイ」
なあに? とツェツイは再び首を傾げる。
「ツェツイは俺のこと好きか? あ、ちなみに俺はノイな」
「もちろん、ノイもアルトも大好き」
「だったら、大きくなったら俺と結婚しないか?」
「結婚! えっと、結婚って結婚?」
カードを引きながら、何でもない表情でさらりと言うノイに、ツェツイはおろおろとうろたえる。
「そう、結婚だ。俺、超エリート魔道士になって、たくさん稼いでツェツイを幸せにする」
そこへ、アルトも負けじと身を乗り出してきた。
「俺もだ! 俺もツェツイがお嫁さんだったらいいなって思ってたんだ。俺は〝灯〟の頂点、長になる。ツェツイ、長のお嫁さんはどうだ?」
「はは、バカだなアルト。〝灯〟の長なんかになってみろ。毎日毎日仕事やら雑務やらに追われて家に帰ってくることもできなくなるんだぜ。父ちゃんがいい例じゃないか」
アルトがうっ、と声をつまらせた。
「父ちゃん、たまにしか家に帰ってこなくて、母ちゃんいつも寂しそうにしてるだろ?」
「だったら! 俺は大魔道士になる。そうすれば〝灯〟の厳しい規則だの何だのに縛られることなく自由気まままだ。それに、ツェツイと毎日一緒にいられるぞ。すっごい魔術だってツェツイに教えてやれる」
「自由気ままといえば、それこそまるで兄ちゃんみたいだな」
「兄ちゃんこそ〝灯〟の規則に縛られない自由人はいないな」
「そういう意味ではかっこいいと思うんだけどな」
「これで、魔道士として有能なら文句はないよな」
「大魔道士かあ」
と、ツェツイはぽつりとこぼす。
何だか話がすごいことになってきた……ような気がする。
「ツェツイは知ってるか? この世界にいる三大大魔道士のこと」
「もちろん知ってる! そのうちのひとりがこの国の出身なんだよね」
「そう! 刻を自由自在に操る、大魔道士パンプーヤだ。すげーよな」
「大魔道士パンプーヤは過去や未来にだって行くこともできるんだぜ」
「ノイもアルトも大魔道士様に会ったことある?」
あるわけないじゃん、と双子たちは声を揃えて言う。
「大魔道士パンプーヤは、人前には滅多に姿を見せないっていうしな」
「百歳は超えてるから、生きているかどうかも怪しいって噂もあるぞ」
三人が結婚の話から、大魔道士パンプーヤの話題で盛り上がっていたその時。
「やだ! ポテトサラダ作ろうと思ったのに、肝心のじゃがいもがないじゃないのさ!」
奥の台所から響くアリーセの声に、三人はびっくりして手持ちのカードを落とした。
「あ、アルトがジョーカー持ってたんだ」
ノイがにっ、と笑って床に散らばったカードを指差した。
「ああ!」
アルトは慌ててカードを拾い、ちぇっと唇を尖らせる。そこへ、深いため息とともにエプロン姿のアリーセが台所から現れた。
「いもがなきゃ、どうしようもないな」
「かわりにかぼちゃサラダでもいいぞ」
「今日はどうしてもポテトサラダが食べたい気分なの。ねえ、あのバカはどこ?」
「兄ちゃんなら、いないぞ」
「そういや、見かけないな」
おそらくイェンに買い物を頼もうと思っていたのだろう。けれど、その相手が家にいないことを知り、アリーセはまたもやため息をつく。
ツェツイもそういえばと、辺りをきょろきょろと見渡した。
夕方まで一緒に部屋で魔術の修行につき合ってくれたお師匠様だが、もうすぐ夕飯だからいったん休憩、と言った直後に姿を消してしまった。その後、双子たちとカードゲームに夢中になって特に気にもとめなかったのだが……。
どこへ行ってしまったのだろう。
「まったく、こういう時くらい役にたって欲しいもんだよ」
「兄ちゃんが家にいないのはいつものことじゃないか」
「女のとこだよ。俺の予想じゃ今夜は帰ってこないな」
「それもいつものことだな」
「兄ちゃんの夕飯はなしだ」
肩を揺らしていひひ、と笑う双子たちを、ツェツイはえ? という表情で見返す。
「お師匠様って、よく家を空けるの?」
「まあ、そんなんしょっちゅうだよ」
「今ならどっかの酒場にいるかもな」
ふーん、と表情を翳らせるツェツイにアリーセはちらりと視線を走らせる。
仕方ねえな、とノイが立ち上がった。
代わりに買い物に行ってくるつもりらしい。
「あの……あたし行ってきます」
「いいって、俺ひとっ走りしてくるからさ」
「なら俺も行く。ツェツイは家で待ってろ」
「いいんです。少しお散歩してこようかなって思っていたとこだし、お師匠様もそういう気分転換が必要だって言ってたから、あたしが行ってきます」
それに、お師匠様がどこに行ったのか気になるし。
そう広くない町だ。どこかの酒場をのぞけばお師匠様を見つけることができるかもしれないと思ったから。
「だけど、そのお師匠様がこれじゃな」
「ほんとだな、困ったお師匠様だよな」
双子たちは肩を震わせ忍び笑った。
「じゃあ、三人で行こうぜ」
「だめです!」
「え? だめ?」
「どうしてだ?」
「それは……」
だって、ノイとアルトと一緒じゃお師匠様のこと探せない。
「それじゃあ、ツェツイにお願いしちゃおうかな。買ってきてくれる?」
「はい!」
じゃがいも代を渡されたと同時に、アリーセが耳元に唇を寄せてきた。
「帰ってくるの少し遅くなってもいいからね」
それはお師匠様を探してきてもいいという意味だ。
「あのバカ見つけたら必ず連れ戻してきてちょうだい。戻ってこなかったら殴り殺すわよってあたしが言ってたと伝えて」
ツェツイはくすりと笑い、大きくうなずいた。
「ツェツイ、母ちゃんに何言われたんだ?」
「何だよ、何こそこそ二人で話してんだ?」
「何でもないです! いってきまーす」
「ツェツイ、気をつけてね。頼んだわよ」
手を振るアリーセに任せてください、と元気よく答え、ツェツイは家を飛び出していった。
とはいったものの……。
町で買い物をすませたツェツイは、大きな袋を抱えてふうと、息をつく。
小さいのにお家のお手伝いとは偉いね、と店の主人がじゃがいもをたくさんおまけしてくれたのだ。
「嬉しいけど、ちょっと重いかも……」
夕暮れ時。遊んでいた子どもたちは家へと帰り、女たちは夕飯の支度で忙しいのか、町の通りは思いのほか人通りも少なく、どこか緩慢とした雰囲気が漂っていた。
ツェツイは何気なく路地裏に視線を向け立ち止まる。
キ、キスしてる!
薄暗い路地で壁に背中をあずけた女が長身の男の首に両腕を回している。
男は女の腰を抱いて身をかがめ、二人は顔を傾け唇を重ね合っていた。
見ちゃいけないと思いつつもツェツイはその場に釘づけとなった。
長い口づけの後、ようやく顔を上げた男の顔を見てツェツイは息を飲む。
持っていた紙袋がどさりと足下に落ちた。
その音に気づいた男が、ゆっくりと視線を上げこちらを向いた。
あ……。
目が合ってしまった。
ツェツイは顔を引きつらせ、散らばったじゃがいもを急いで拾い袋の中に入れた。
袋に入りきらなかったものはポケットに無理矢理押し込む。
立ち上がり袋をぎゅっと握りしめた。そして、振り切るようにツェツイはその場から立ち去る。
胸がずきりと痛んだ。
息が苦しくて呼吸がうまくできない。
お師匠様が女の人と。
あんなお師匠様、初めて見た……。
◇
その日の夕食。
ツェツイの様子はあきらかにおかしかった。
ノイとアルトが話しかけてきても曖昧に受け答え、目の前の料理をつつき、何となく口に運ぶ。
そんな状態であった。
「ツェツイ、大丈夫?」
かけられたアリーセの声に、ツェツイははじかれたように顔を上げた。
アリーセが心配な目で、ノイとアルトは首を傾げてこちらを見ている。
「何でもないです……」
笑顔を作りそう答えるものの、その笑みは見るからにぎこちない。
「お師匠様……帰ってこないですね……」
元気のない声を落とし、ツェツイは窓の外を見やる。つられてノイとアルトも窓に視線を向けた。
すでに外は真っ暗だ。
「兄ちゃん、この様子じゃ帰って来ないな」
「違うよ。女が兄ちゃんを離さないんだよ」
「帰りたくても、帰れないってやつだな?」
「そのうち、女に監禁されるんじゃないか」
「あんたたち、いつまでくだらないこと……」
いさめるアリーセの声と、椅子を後ろに押しのけツェツイが立ち上がったのは同時であった。
食卓に奇妙な沈黙が落ちる。
「……ごめんなさい。今日はもう休みます」
「どうしたんだよ。ツェツイ!」
「ツェツイ、腹でも痛いのか?」
「ほんとうに、ごめんなさい!」
小走りで二階へと駆け上がっていくツェツイの後ろ姿を、双子たちは首を傾げて見送った。
「あんたたちも、ほんとバカだねえ……」
腰に手をあて、アリーセは深いため息を落とす。
ノイがぽんと手を叩いた。
「わかった! もしかしてあの日か?」
「ああ! なるほどあの日だったのか」
アルトがうんうんと納得して何度もうなずく。
アリーセは心底呆れたように首を横に振った。
「だって母ちゃん、あの日は身体がだるくて何にもやる気しないってよく言うじゃんか」
「はいはい。もう、くだらないこと言ってないで早く食べちゃいなさい」
アリーセに頭を小突かれた双子たちは、はーい、と返事をしすぐに顔を見合わせる。
「でもあの日って」
「……何の日だ?」