回想:第三話:声が嫌いじゃない、という嘘
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【00】アムネシア外観
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【01】いおりとゆめ
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【02】いおりとゆめ(幼少期)
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【03】いおり
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【04】ゆめ
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【05】ユウリ
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【06】セシリア
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【07】ステラ
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【08】リナ
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【09】ラヴァ
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【10】すず
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【11】もか
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【12】オールキャスト
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第一章:甘い毒、あるいはノイズの安らぎ
「……記録開始。本日のゲストは、アムネシア一番の歌姫にして、自称・不滅のプリマドンナ。……ユウリです」
すずの淡々とした、けれどどこか「また始まった」と言いたげな紹介が響く。資料室の自動ドアが、まるで劇場の幕が上がるかのような大仰な音を立てて開いた。現れたユウリは、深夜二時とは思えないほど完璧に整えられた縦ロールを揺らし、扇子を華麗に翻す。ユウリは役割から解放された結果、彼女の自意識が特異な方向へ爆発したようだ。
「あら、紹介に訂正が必要ね、すず。私は『自称』ではなく、この世界の不調和を私の歌声で塗り潰して差し上げる『必然の歌姫』よ。……おだまりなさいな、その無機質なファンノイズ。私の耳が汚れるわ」
ユウリは不遜に言い放ち、優雅な動作で椅子に腰を下ろした。だが、その指先が机の端に触れた瞬間、トトン、と一拍だけ、緊張で跳ねた鼓動をなぞるような不規則な打音を刻む。
「ユウリちゃん、今日も香水の匂いが強めだね! 鼻がムズムズするよ。……でも、その奥に隠してる匂い、私にはバレバレだよ。雨上がりの、湿った冷たい土の匂い……。誰かに見つけてほしいのに、踏まれたくないって震えてる、迷子の仔犬みたいな匂い!」
「……なんですって!? この私が、仔犬!? 相変わらず失礼な鼻ね、もか。それはきっと、私の高貴なオーラをあなたが野生の勘で履き違えているだけよ」
ユウリは鼻で笑い、扇子で顔を半分隠した。だが、その扇子の端が、呼吸に合わせて微かにプルプルと震えている。それを横目に、すずが淡々とモニターを操作した。
「では、その『オーラ』の正体をデータで検証しましょう。……ユウリ、これから再生するのは、第7話・隔離区画付近で採取された、ラヴァの干渉音——通称『ノイズ』の断片です」
すずがコンソールを叩く。次の瞬間、スピーカーから「音」が溢れ出した。
それは音楽とは呼べない、ガラスが砕けるような不協和音。肺から空気が漏れるような掠れ音、そして、心臓の鼓動を無理やり引き千切るような、歪んだ重低音。
「…………っ」
ユウリの肩が、目に見えて跳ねた。彼女の視線が、空中に浮かぶ不規則な波形に吸い寄せられる。
「ユウリ。公式記録では、あなたはこれを『不快極まりないゴミ』と切り捨てていますが……。このログを再生している今のあなたのバイタル、脳波のアルファ波が……皮肉なことに、深いリラックス状態を示している。……もか、この時の彼女の匂いは?」
「えーっとね……。あ、変わった! 苦いお薬を飲んだ後に、こっそり甘い金平糖を食べた時みたいな……ちょっとだけホッとした、ズルい匂い!」
「もか! 余計な解説を付け加えないでちょうだい!」
ユウリは顔を真っ赤にして叫ぶ。だが、その声はいつもの完璧な旋律を失い、喉の奥で小さく鳴る——まるでラヴァのそれと同じような、震えるノイズを孕んでいた。
「……ふん。決まっているじゃない。……ただ、あの声が嫌いじゃないだけよ。……それ以上の意味なんて、この私にあるはずがないでしょう?」
ユウリはいつもの「嘘」を口にする。
けれど、彼女の爪が机を叩くコツ、コツ、という乾いた音は、スピーカーから流れるノイズの裏拍に、あまりに正確に、そして愛おしげに重なっていた。それは、偽りのプリマドンナが、唯一「自分」でいられるための、残酷で甘い毒の時間だった。
第二章:鏡の中の『身代わり』
「……すず。その忌々しい波形を止めなさい。私の耳が腐ってしまうわ」
ユウリは扇子を強く握りしめ、目を逸らした。だが、すずは冷徹に、むしろ音量を一段階上げた。ノイズの隙間に、かつてアムネシアを統べた聖母、ステラの断片的な音声データが混じる。それは、完璧に調律された、どこまでも澄んだ「正解」の音。
「ユウリ。記録によれば、あなたはセシリアから『ステラの再来』として最も期待されていた個体です。歌唱精度、容姿、立ち居振る舞い……。数値上、あなたは完璧に彼女を模倣していた。……ですが、この第7話の直前、あなたの精神指数は『自己崩壊』の危険域に達しています。……不思議ですね。望み通り『完璧』に近づいていたはずなのに」
「……模倣? 心外ね。私は私よ。あんな、もういない女と一緒にしないで」
ユウリの声が、鋭い高音を立てて震える。それは、調律の狂ったバイオリンの弦が、今にも弾け飛ばんばかりに悲鳴を上げているようだった。
「嘘だよ。ユウリちゃん、さっきから鏡を見るのが怖くて、自分の影ばっかり見てるもん。……今の匂い、ひどく冷たい鏡の匂いがする。自分の顔を見てるのに、そこに映ってるのが自分じゃないって、絶望してる時の匂い」
もかが、ユウリの足元に広がる影を見つめる。ユウリは、はっとしたように自分の手元を見た。
「……気づいてしまったのよ。ある日、突然にね」
ユウリの独白が、重い沈殿物のように資料室の床に溜まっていく。
「セシリアが私を呼ぶ時、その声がいつもより『半音』だけ高いことに気づいたわ。……彼女は私を見ているんじゃない。私の肩越しに、死んだ女の幻影を追いかけているだけ。……呼びかけに応じるたび、私の喉は、私の名前じゃない響きを奏でさせられた。……鏡を見るのが、死ぬほど嫌いになったわ。そこに映る完璧な微笑みが、私自身の意志なのか、それとも彼女に似せるためのプログラムなのか、分からなくなってしまったから」
「……セシリアの視線ログを解析しました。……確かに、彼女があなたと対面している際、焦点はあなたの網膜ではなく、その数センチ奥——深層意識の投影面に固定されています。……ユウリ。あなたは、セシリアにとっての『生きた遺影』だった。……論理的な帰結として、あなたの怒りは妥当です」
「……すず。あんたのその『論理的』っていう慰め、全然可愛くないわね」
ユウリは自嘲気味に笑った。
「私の歌声が、どれほど称賛されても、それは『ステラに似ているから』という注釈付きの評価。……私が私であるために残されたのは、誰も聴きたがらない不協和音と、この歪んだプライドだけ。……ねぇ、もか。あんた、さっき私のことを『迷子の仔犬』って言ったわね? ……あながち、間違いじゃないかもしれないわ。……私は、自分の『居場所』がどこにあるのかさえ、自分の『声』で叫ぶことができなかったんだから」
ユウリの瞳に、青白いモニターの光が反射する。
彼女がなぜ、あれほどまでに傲慢に振舞わなければならなかったのか。それは、ステラの影に塗り潰されそうな自分を、必死に繋ぎ止めるための、悲痛な「叫び」だったのだ。
第三章:第7話、ノイズに混ぜた本音
「……再生を継続します。第7話、隔離区画でのラヴァとの接触。ユウリ、あなたはこの時、公式の通信プロトコルを無視し、非公開の周波数でラヴァの『叫び』と同期しましたね」
すずの指がコンソールを叩くと、スピーカーから溢れるノイズが、破れた旋律を繋ぎ合わせたような、奇妙に音楽的な「不協和音」へと変質していく。それは、誰の耳にも届かない裏拍で、絶望を刻み続けるリズムだった。
「ユウリ。この周波数……。これは、あなたがステラとして完璧に歌い上げる時、決して発してはならない『余剰の響き』。……あなたの内側に溜まっていた不純物の波形と、完全に一致しています。……リナの三輪車が上げる『咆哮』と同じくらい、非合理的で……人間らしい音です」
「ちょ、ちょっと! あんな子供の乗り物と一緒にしないで頂戴! 私のこれは、もっと……こう、デカダンで、破滅的な美学に基づいたものよ!」
ユウリは顔を真っ赤にして扇子をバサバサと動かした。だが、もかはその扇子の隙間からユウリの瞳をじっと覗き込む。
「でもでも! ユウリちゃん、あの時の匂い……! ひどく焦げた、でも、どこか誇らしい匂い。……誰も聴いてくれない自分の声を、ラヴァのノイズの中に混ぜて、初めて『私はここにいる』って叫んでた。……ラヴァの声は、ユウリちゃんの代わりに泣いてくれてたんだね。……ねぇ、今もちょっと泣きそう?」
「……っ。余計なお世話よ、この鼻利き!」
ユウリはもかの額を扇子で軽く小突いたが、その力は驚くほど弱かった。彼女は力なく笑い、スピーカーから流れる「壊れた音」に視線を落とす。
「……そうよ。滑稽でしょう? 世界を調律するはずの歌姫が、世界を壊すためのノイズに救われていたなんて。……ステラの光に焼かれて、塗り潰されそうになっていた私にとって、あのぐちゃぐちゃな不協和音だけが、『嘘をつかなくていい』と言ってくれたの。……あの子だけが、私の壊れた部分を、壊れたまま愛してくれた」
ユウリの声には、かつての虚飾はなかった。
「誰もが私に、ステラのような美しさを求めた。けれど、ラヴァのあの壊れた声だけは、私の内側にあるドロドロとした醜さを、肯定してくれたわ。……『あなたは、そのままで壊れている』。その事実が、どれほど私を安心させたか。……すず、あんたの計算機じゃ一生導き出せない答えよ」
「……否定しません。主観的安らぎの定義は、私のデータベースでも未だ更新され続けています。……ですが、ユウリ。あなたのバイタルは、その瞬間、初めて『一個の生命』としての脈動を記録しています。……不協和音こそが、あなたの真実の旋律であったと」
ユウリの爪が、机の上で激しく、けれどどこか愛おしげに、ラヴァのノイズに合わせた裏打ちを刻み続けていた。それは、ステラの影に隠された「本当の自分」を、闇の中でだけ抱きしめるための、孤独な儀式だったのだ。
第四章:第10話、赦しという名の『諦念』
「……最終フェーズ。第10話、中枢管制室。ユウリ、あなたがセシリアと対峙し、その喉元に『歌』という名の刃を突きつけた瞬間の記録です」
すずがホログラムを操作すると、資料室に重々しいアラート音が響き渡り、赤黒い警告灯の光がユウリの横顔を刺すように照らし出した。
「ユウリ。この時、あなたの心拍数は極限まで低下しています。……怒りでも、悲しみでもない。……これは、対象を自分と同じ深度まで引きずり落とした者の数値です。……端的に言えば、共連れですね」
「……。セシリアを見た時、私はね、すず。……笑いたくなったのよ」
ユウリは扇子を閉じ、膝の上でぎゅっと握りしめた。指の節が白く浮き上がり、微かな震えが机に伝わって「カタ、カタ」と小さな不協和音を奏でる。
「ユウリちゃん、あの時の匂い……。ひどく酸っぱくて、胸が詰まるような、古い埃の匂い。……セシリアさんのこと、憎んでるのに、どこかで『同じだ』って思ってたよね。……初めて、セシリアさんを『お母さん』の匂いで嗅いでた。……冷たいのに、ちょっとだけ甘酸っぱい、変な匂い!」
もかの言葉に、ユウリは一瞬だけ呼吸を止めた。目を逸らし、縦ロールの先を指で弄る仕草が、隠しきれない動揺を物語っている。
「……気持ち悪いことを言わないで。……ただ、分かってしまっただけよ。あの人もまた、ステラという眩しすぎる光に目を焼かれ、影の中に置き去りにされた……私と同じ、惨めな犠牲者だったんだって」
ユウリの声には、かつての華やかさは微塵もない。そこにあるのは、凍てついた大地のような、乾いた諦念だ。
「セシリアを赦したのは、慈悲なんかじゃないわ。……赦すことで、私は『身代わり』であることを、自ら受け入れたの。……『いいわよ、私はあなたのステラになってあげる。その代わり、あなたも私と一緒に、この地獄を抱えて生きていきなさい』……そう、心の中で告げた瞬間に、私の復讐は終わったのよ」
「……。セシリアのバイタルも、あなたの言葉と同期するように、絶望的な安定を見せています。……ユウリ。あなたは彼女を救ったのではない。……共依存という名の、解けない呪いを編み上げたのですね。……まったく、人間というのは非論理的な結び目を作るのが得意です」
すずの言葉は冷たく、けれどどこか納得したような響きを含んでいた。
ユウリは、潤んだ瞳を隠すように顔を上げ、不敵に微笑んでみせる。
「そうよ。それが私の『赦し』。……美しくて、残酷な、最高に趣味の悪い旋律でしょう?」
ユウリの指先が、再び机の上でリズムを刻み始める。それはセシリアと自分、二人の壊れた魂が寄り添いながら堕ちていく、静かな終わりの合図だった。
第五章:私だけの歌、私だけの名前
「……記録、停止。以上が、ユウリに関する主要ログの補完です」
すずの指がコンソールを叩くと、赤黒い警告灯が消え、資料室にはいつもの静謐な照明が戻った。だが、その感動的な静寂を無惨に切り裂いたのは、**「ぐぅ~~~……」**という、緊張感の欠片もない腹の虫の音だった。
「……もか。今のは、あなたの消化器官の断末魔ですか?」
「あはは! ユウリちゃんの話が濃すぎて、知恵熱ならぬ『知恵空腹』になっちゃった! ねぇユウリちゃん、今から一緒にお夜食食べない? いおりちゃんが隠してた、とっておきの高級ラスクの場所、私知ってるよ!」
「なっ……! いきなり何を言い出すのよ、この野良犬! 私は今、自分の魂の深淵について語り終えた、極めて高潔な余韻に浸っていたところなのよ!?」
ユウリは椅子から立ち上がり、扇子をバサリと広げて抗議した。しかし、もかは全く動じず、ユウリのドレスの裾をクンクンと嗅ぎ回る。
「むむっ、今の匂い……! さっきまでの『湿った土』がどっか行って、代わりに『お砂糖たっぷりのミルクティー』みたいな、甘酸っぱい匂いがしてきた! すずちゃん、これってデータだとどうなってるの?」
「解析中。……ユウリの血中アドレナリンが低下し、代わりに幸福感に関連するエンドルフィンが微増しています。……端的に言えば、ユウリ、あなたは今、もかの無礼な誘いに**『満更でもない』**と感じていますね?」
「な、ななな……何を根拠にそんなデタラメを! 演算ユニットがオーバーヒートしたんじゃないかしら!?」
ユウリは顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。だが、広げた扇子の隙間から覗く耳の先が、隠しようもなくリンゴのように赤くなっているのを、もかの鋭い視線は見逃さない。
「ユウリ。あなたの音声波形をリアルタイムで再検針しました。……先ほどまでのステラへの近似値は完全に消失しています。……今のあなたの声は、周波数が少し上ずり、倍音に『照れ』という名の不純物が混入した、世界に一つだけの、非常に……『可愛い』音です」
「……っ! すず、あなた、後で消去して差し上げるわよ!」
ユウリはキッとすずを睨みつけたが、その瞳には鋭さはなく、むしろ行き場を失った戸惑いが揺れている。彼女はバサバサと扇子を動かして顔を冷やそうとしたが、結局、小さく溜息をついて肩の力を抜いた。
「……ふん。当たり前よ。私の声が、誰かの身代わりだなんて……そんな退屈な設定、私が許すはずがないじゃない。……世界で一番高貴で、少しだけ……素直じゃないのが、私なんだから」
ポツリと漏らしたその声は、かつての虚飾に満ちた高音ではなく、自身の弱さを認めた後の、驚くほど柔らかく、温かな響きを持っていた。
「わーい! じゃあ決まり! ラスク、半分こ……いや、私が6でユウリちゃんが4ね!」
「ちょっと、なぜ私の取り分の方が少ないのよ! プリマドンナに恥をかかせるつもり!?」
「いいからいいから! ほら、すずちゃんも行こう!」
もかに腕を引かれ、文句を言いながらも足取りは軽いユウリ。資料室を出る直前、彼女は一度だけ振り返り、もかをじっと見つめた。
「……ねぇ、もか。次はあなたの番よ。……私のような『完璧な嘘』さえつけない、あなたの、その剥き出しの『本能』。……それが一体、どんな匂いの物語なのか。……特別に、私が特等席で聴いてあげるわ」
ユウリは最後にもう一度、フンと鼻を鳴らして前を向いた。
扉が閉まり、静寂が戻った資料室。赤い「REC」のランプが消えたモニターには、かつて「身代わり」として泣いていた少女が、今は自分だけの足音を響かせて歩いていく後ろ姿が、いつまでも映し出されていた。
第三話:声が嫌いじゃない、という嘘――完
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