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第90話 涙を拭って前を向け。託された父の遺志と彼を連れ戻す「最強の翼」

【視点:ユウキ・ニシボリ】

スターダスト・レクイエム号の医務室。


そこは、光の届かない宇宙の深淵よりもなお深く、息が詰まるほど重たい沈黙に支配されていた。


ピ、ピ、ピ……。


か細く響く生命維持装置の電子音だけが、無機質に時間の経過を告げている。


つい先ほどまであたしたちを包んでいた、あの焼け付くような硝煙の匂いと、鼓膜を破るような激闘の熱狂。


それはまるで、遠い別の星の出来事みたいに消え去ってしまった。


後に残されたのは、胸の奥を鋭利なナイフでぐえぐえと抉り取られるような、残酷で、冷たくて、拭いきれない喪失感だけ。


白いシーツの上で、ミューはまるで壊れたビスク・ドールみたいに、静かに眠り続けている。


回収された射出シートから運び出された彼女の身体。


ボロボロに破れた巫女のスーツの下、あんなに白くて綺麗だった肌には痛々しい傷跡がいくつも刻まれていて、あの戦いの激しさを無言で物語っていた。


幸い、命に別状はないらしい。


だけど、彼女の魂はまだ、深く、暗い意識の海の底を、たった独りで彷徨っているみたいだった。


その寝顔はあまりにも儚くて、少しでも強く触れたら、灰になって崩れてしまいそうな危うい美しさを湛えている。


その傍らで、ナビィさんは黙々と、どこか覚束ない手つきでミューの治療を続けていた。


「マスター……」


ベレット・クレイが、戻らなかった。


帰るって、約束したのに。


あまりにも残酷すぎる現実。


それは、ナビィさんの完璧な論理回路に、致命的なエラーノイズを発生させていた。


いつも冷静沈着で、お人形みたいに整ったアンドロイドの(かんばせ)


でも、その琥珀色の瞳は、今は人間みたいに深く、悲しみの色に潤んでいる。


治療器具を操作する、白磁のように滑らかな指先が微かに震えていた。


「……マスター……」


彼女の唇から、吐息みたいに漏れた、消え入りそうな呟き。


それを聞くたびに、あたしの胸も張り裂けそうになる。


医務室のコンソールの前で、あたしもまた言葉を失い、ただ呆然と、先の戦闘記録のリプレイ映像を虚ろな翠緑色の瞳で見つめていた。


モニターに映し出される、白銀の翼を駆って鬼神の如く戦う、あの男の姿。


憎まれ口ばっかり叩く、粗野で、デリカシーなんてゼロの、元コンドルの裏切り者の宇宙海賊。


でも……。


あたしを命がけで庇ってくれた、あの広い胸の中の温かさ。


あたしの最高傑作ヴァルキリーを、初めて心の底から褒めてくれた、あのぶっきらぼうだけど優しい声。


幼い頃の記憶の中のお兄ちゃんみたいに、時折見せてくれた、あの不敵で安心する笑顔。


それらが、まだあたしの網膜に、脳髄に、こびりついて離れない。


胸の奥が、ぎゅうっと、雑巾を力いっぱい絞るみたいに締め付けられて、息ができないくらい痛い。


なんで……?


なんで、こんな……ことになっちゃったのよ……。


お兄ちゃん……っ。


コンソールに突っ伏して、声を上げて泣き叫んでしまいたかった。


絶望と喪失感が支配する、凍てついたような艦内の空気。


――だが、そこに。


凛とした、鋼のような硬質さを帯びた声が、空気を鋭く切り裂いた。


「二人とも、しっかりなさい!」


声の主は、ローズマリーさんだった。


新調した深紅の戦闘服に身を包み、仮面をつけた彼女は、いつの間にか医務室の入り口に静かに立っていた。


その立ち姿には、一片の揺らぎもない。


「ナビィさん」


彼女は、有無を言わせぬ響きで矢継ぎ早に指示を出す。


「スターダスト・レクイエム号の航路を、ジャンクヤードに設定してくださいまし。座標は今、転送します。ここから直ちに離脱しますわ」


「……っ! ちょっと、待ちなさいよ! ローズマリーさん!」


あたしは弾かれたように顔を上げ、涙声のまま反論した。


「ベレットを……! 見捨てるつもり!?」


「いいえ」


ローズマリーさんは、ピシャリと首を横に振った。


「見捨てるのではありません。後で、必ず捜索に戻ります。今はまず、我々自身が体勢を立て直すことが最優先ですわ。ここは敵地。あの狂気のアルベルト王子が、いつ再び牙を剥いてくるか分からないのですのよ? コスモノイド解放戦線の陽動部隊の安否も不明。これ以上ここに留まるのは、全員での自殺行為に等しいですわ」


その言葉は、氷みたいに冷たくて、でも、技術者であるあたしの頭でも否定しがたい、残酷なまでの正論だった。

「それは、そうだけど! でも……!」


頭では理解できても、心がいやだと叫んでいる。


あたしの中で芽生え始めたばかりの、まだちゃんと名前のついていない、甘くて痛い感情。


それが、冷徹な論理を受け入れることを頑なに拒んでいた。


置いていきたくない。


絶対に嫌だ。


「大丈夫ですわ、ユウキさん」


ローズマリーさんは、そんなあたしの葛藤をすべて見透かすように歩み寄り、努めて優しい声で言った。


「ベレット様は、しぶといお方。あの程度のことで簡単にくたばるような、ヤワな殿方ではありませんわ。それに、わたくしが最後に見た時、スターゲイザーの座席は、確かに機体の爆発の直前に射出されておりました。であるならば、直撃は免れているはず。きっとどこかで、必ず生き延びていらっしゃるわ」


その時、あたしは気づいた。


彼女の、仮面の横から覗く白い素肌に、一筋の涙の跡が光っているのを。


そして、彼女の手が、微かに、でも必死に震えを抑えているのを。


ああ……そっか。


ローズマリーさんだって、平気なわけないじゃない……。


大人の女として、宇宙海賊として、自らの心を仮面の下で鬼にして、打ちひしがれるあたしたちを鼓舞してくれているんだ。


その希望の響きを含んだ言葉は、まるで乾いた大地に染み込む一滴の雨みたいに、あたしの凍てついていた心に僅かな光を灯した。


「……! そ、そうね……!」


あたしは、ぐっと涙を堪え、顔を上げた。


子どもみたいに泣いてる場合じゃない。


「モルモットが、あんなバカが、こんなところで簡単に終わるはずがないわ! だったら、ぐずぐずしてられない! 捜索救助するための作戦を、一秒でも早く立てないと!」


「ええ。その意気ですわ」


ローズマリーさんは、静かに頷いた。


「ですが、そのためにはまず、わたくしたち自身が、今よりももっと強くならなければなりません。敵はあまりにも強大で、そして狡猾ですから」


彼女はそう言うと、ナビィさんに向き直った。


「ナビィさん。まずは、アンドロメダ正教会のシスター・ミンクスさんに報告を。依頼された『星の遺産』のデータは、残念ながら既にアルベルト王子に持ち去られた後であったこと。彼の計画は最終段階にあり、研究所はもぬけの殻だったと」


「承知いたしました、ローズマリーさん。……では、依頼任務は失敗、ということですか?」


「いいえ」


ローズマリーさんは、きっぱりと否定した。


「データ奪取こそ失敗しましたが、依頼の本来の目的は『アルベルト王子の計画阻止』。その任務は継続中ですわ。ですからナビィさん。今回の我々の『多大なる犠牲と働き』に見合う正当な報酬は、あの胡散臭いシスターから1クレジットたりともまけずに、きっちりと請求なさってくださいな。その莫大な資金で――」


ローズマリーさんは、あたしの顔を真っ直ぐに見つめた。


「我々は、新たな、最強の『翼』を創りますわ」


「……! それって、まさか……!?」


あたしは驚きと、そして隠しきれない技術者としての好奇心と期待に、目を見開いた。


「ええ。あなたにしかできないことですわ」


ローズマリーさんは確信を持って頷き、懐から一枚の、冷たく輝くデータチップを取り出して、あたしに差し出した。


「……! こ、これは! 父さんの、データ……!?」


あたしは震える手で、そのチップを受け取った。


すぐさまコンソールに接続する。


モニターに高速で展開されていくのは、既存の物理法則や機体制御の常識を嘲笑うかのような、でも完璧な整合性と圧倒的な美しさを持った、スペースロボットの設計思想。


ジェネレーターの直結レイアウト、駆動系の異常なまでのレスポンス理論、そして、搭乗者のフォワードと機体を極限まで同調させる、画期的なフレーム構造。


その瞬間、あたしの瞳から、堪えていた涙が止めどなく溢れ出した。


父さん……。


これ、父さんがずっと一人で研究してた、本当の理想の機体……!


それは、亡き父との時を超えた再会であり、未来へと託された、重く、しかし最高に温かいバトンだった。


「そのお父様の遺されたデータと、あなたの類まれなる技術。そして、ベレット様が残した極限状態での戦闘データ。それら全てを融合させ、この銀河で最強にして最速の機体を、あなたのその手で創り上げるのですわ。そして、その翼で……必ず、わたくしたちのキャプテンを、あの闇の中から連れ戻しに行きましょう!」


ローズマリーさんは、あたしたちに、どこか挑戦的な笑みを浮かべて語りかけた。


「……ふん、しょうがないわね!」


あたしは照れ隠しのように眼鏡を取り、白衣の袖で涙を乱暴に拭った。


胸の奥で燃え上がるのは、もう悲しみじゃない。


天才技術者としての熱い情熱と、彼を絶対に取り戻すという乙女の意地だ。


「こんな無茶でクレイジーな要求に応えられる天才エンジニアなんて、この銀河広しといえど、あたしくらいしかいないんだから! 見てなさい! 父さんの夢と、あたしの持てる技術の全てを注ぎ込んだ最高の傑作を、必ず創り上げてみせるわ!」


「私の持つ全ての演算能力を結集し、ユウキさんの開発を全力でサポートいたします。そして……必ず、マスターを見つけ出します」


ナビィさんの声にも、もはや迷いやバグはなかった。


いつもの、頼れる「ナビゲーター」の声だ。


「では、決まりですわね」


ローズマリーさんは満足げに頷いた。


「では、ジャンクヤードへ参りましょうか。わたくしの『秘密のドック』が用意してあります。そこならば、人目を気にせず、新型機の製造に集中できますわ」


「はあ!? ちょ、ちょっと待って! なんで、スペースロボットの製造ドックなんて大層なもんを持ってるのよ!?」


「あらあら。それは淑女としての、ほんのささやかな嗜みというものですわ。ふふふっ」


「どんな淑女よっ!!」


思わずツッコミを入れると、この重苦しかった医務室の空気が、ふっと少しだけ軽くなった気がした。


ローズマリーさんは、ふと、ベッドで眠る少女へと優しい視線を向けた。


そこには、まだ深い眠りの中にある、銀髪の巫女がいる。


ミュー、早く目覚めなさいなよ。


心の中で、彼女に語りかけた。


あんたが目覚めるまでに、あたしがとびっきりの機体を作っておいてあげる。


あのバカなモルモットを助けに行ける、最強の翼を。


だから……それまで待っててよね、お兄ちゃん。


あたしたちが、絶対に迎えに行くから!


悲しんでいる暇なんてない。


あたしたちの、彼を取り戻すための戦いは、ここから始まるんだ。

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