第88話 星屑の海に消ゆ。散る白銀の流星
研究所の冷たい地下空間は、今や地獄の釜が開いたかのような、破壊と狂気の坩堝と化していた。
分厚い金属の壁は高熱と衝撃でひび割れ、剥き出しになった鉄骨が、まるで生きた肉を裂かれるような断末魔の悲鳴を上げてミシミシと軋んでいる。
コクピット内の空気は、焼けた金属とオゾンの嫌な匂い、そして、俺自身の血の匂いでひどく淀んでいた。
黄金の悪魔、エンペラー・オブ・コンドル。
あの狂った王子が駆る、神々しくも禍々しい機体から放たれる一撃一撃は、もはや「攻撃」という生易しい概念には収まらない。
空間そのものを根こそぎ削り取る、絶対的な「破壊」の具現だった。
「ぐっ……! 化け物じみた火力だ……!」
俺は、限界を超えて軋むコクピットとけたたましい警報の嵐の中、奥歯が砕け散るほどの力で歯を食いしばり、満身創痍のスターゲイザーを必死に操っていた。
白銀の装甲は凄まじい熱量でドロドロに歪み、至る所から致命的な火花が散っている。
操縦桿から伝わる手応えは、まるで瀕死の老犬を無理やり走らせているかのように重く、鈍かった。
メインモニター越しに、エンペラー・オブ・コンドルの巨大な主砲が再び充填を完了するのが見えた。
まるで、このちっぽけな世界を終わらせる神の儀式のように、その砲口に凄まじいエネルギーが収束していくのが、ヒリヒリと網膜に焼き付く。
「クソッ……!」
黄金の主砲から、全てを焼き尽くすかのような光の奔流が放たれた。
本能だけで操縦桿を捻り、機体を紙一重で滑らせて、その直撃を回避した。
だが、回避運動の直後。
光の奔流が通り過ぎた空間そのものが「悲鳴」を上げた。
質量を持った暴力のように空間を震わせるショックウェイブが、歪んだ次元の壁となってスターゲイザーの横っ腹を容赦なく襲う。
ドゴォンッッッ!!
耳をつんざくような爆音と共に、衝撃波がスターゲイザーを……そして内部の俺の肉体を、巨大なハンマーで殴りつけたように打ち据えた。
「がはっ……!」
喉の奥から、鉄錆の味のする赤い塊が吐き出される。
凄まじい振動が、俺の意識を根こそぎ刈り取ろうと揺さぶる。
骨の芯まで響くような、重く鈍い痛み。
全身の筋肉が無理なGで断裂し、毛細血管が破裂するような生理的な恐怖と苦痛が、脳髄を容赦なく犯していく。
「クソっ! 直撃を避けてもこれかよ……!」
スターゲイザーの白銀の装甲が無残に剥がれ落ち、内部の回路が激しく火花を散らしている。
機体が、まるで俺の代わりに泣き叫んでいるかのような甲高い悲鳴を上げているのが、防音の効いたコクピットにまで響いてきた。
クラウスとの死闘。
そして、後ろのシートで荒い息を繰り返すミューの制御不能なフォワードの暴走。
それらが、この古の機体の限界点を急速に早めていた。
動きが、重い……!
さっきまでの、俺たちを包んでいたあの温かい黄金のオーラはどこへ行った!?
今の機体は、まるで底なしの泥沼に足を取られているようだ。
心に、焦りと、そして己の無力さに対するドス黒い憎悪が渦を巻く。
その感情の嵐が、これまで俺を生かしてきた野生の獣のような鋭敏な感覚さえも曇らせ、冷静な判断力を確実に奪っていく。
『マスター! 限界です! 機体内部のエネルギー循環、完全にオーバーフロー! フォワード共鳴による負荷が臨界点を突破しました! このままではジェネレーターが自己崩壊を始めます! 今すぐ戦闘を中断し、撤退を!』
ナビィの、悲痛なまでの警告が、ノイズ混じりの通信回線から鼓膜を打った。
その声には、冷徹なAIらしからぬ、明確な絶望と懇願の色が滲んでいる。
コイツにこんな情けない声を出させるなんて、俺も本当にどうしようもない三流キャプテンだ。
「撤退だと!?」
俺はバイザーに飛び散った己の血を拭いもせず、怒鳴り返した。
「この状況で! あのイカレた王子を目の前にして、尻尾を巻いて背中を向けるわけにはいかねえだろうがあ!」
怒りが、ついに臨界点を超えた。
アルベルトへの、骨の髄まで染み込んだ因縁。
どれだけ酒で誤魔化しても、どれだけ死線をくぐり抜けても、決して消えることのないリリーナへの想いと、彼女を救えなかったという呪いのような罪悪感。
そして……今、俺の後ろで苦しみに顔を歪めているミューを、他の仲間たちを、絶対に守らなければならないという強烈な焦燥感。
それら全てが入り混じり、俺とミューのフォワードを、制御不能な破滅的な嵐へと変貌させていく。
『ハハハハハ! どうした、ベレットォ! その程度か!? まるで、あの忌々しい日の貴様を見ているようだ!』
アルベルトのサディスティックで甲高い哄笑が、スピーカーを通して俺の魂の古傷を直接嬲る。
雨の日。
血に染まったリリーナ。
俺の無力。
『そうさ、貴様はリリーナ姉さんからも、私からも、コンドルからも、全てから逃げ出したただの臆病な負け犬なのだ! さあ、もっと逃げろ! もっと足掻き、みっともなく無様に喘げ! その醜態を、私のこの脳髄に永遠に刻み込んでやる! ハハハハハ!』
「ふ、ふざけやがって……!」
血管が、怒りで千切れそうになる。
そうだ、俺は負け犬だ。
逃げて、逃げて、泥水を啜って生きてきた薄汚ねえ宇宙海賊だ。
だがな。
もう二度と、大切なものを背中にして逃げるような真似だけはしねえって、そう決めたんだ!
「アルベルトォォォォォォッ!!」
絶叫と呼応するように、スターゲイザーから黄金のオーラが、制御不能なまでに激しく噴き出した。
だが、それはミューと心が通じ合った時の、あの温かくて力強い輝きじゃない。
機体が内側から崩壊へと向かう、致死の毒を孕んだ断末魔の光だった。
有り余るエネルギーが装甲の亀裂から血のように漏れ出し、赤い火花となって無残に散っていく。
ガクン、ガクン、ガクン!
制御不能な激しい振動がコクピットを襲い、機体が悲鳴を上げながらよろめく。
後ろのシートで、ミューが苦痛に顔を歪めて「ああっ……!」と短い悲鳴を上げた。
『ほう? ようやく観念したか、ベレット』
アルベルトは、その光景をまるで至高の芸術作品でも鑑賞するかのような、恍惚とした声で言った。
『哀れで、愚かな男よ。だが、その壊れゆく無様な姿こそ、今の貴様に最も相応しい』
アルベルトはそう言うと、エンペラー・オブ・コンドルの黄金の腕から、死の香りを纏った白熱するレーザーレイピアを、ひどく優雅な動作で引き抜いた。
その切っ先が、闇の中でまるで死神の瞳のように、冷たく、妖しく煌めく。
『フッ、これもかつての友誼だ。一思いに、その苦しみから解放してやろう』
「や、やられる……かよ……!」
俺は最後の力を振り絞り、血と汗で滑る手で操縦桿を力任せに握りしめた。
「う、動けっ! 動けよ、スターゲイザー! このポンコツが! クソッ! なんで動かねえんだよおおお!!」
必死にコンソールを叩き、システム復旧のコマンドを叩き込む。
頼む、あと一歩。
あと一振りだけでいい。
俺にアイツを殴らせてくれ!
だが。
無情にも、全ての計器の光がフッと音もなく消え、メインモニターは漆黒の闇へと変わった。
スターゲイザーは、完全に沈黙した。
魂の抜けた、ただの冷たい鉄の塊と化したのだ。
『ハハハハハ! 見苦しいぞ、ベレット! 潔く諦めろ! 貴様の存在そのものが罪なのだ! フハハハハハ!』
アルベルトの狂気に満ちた勝利の絶叫が、暗転したコクピットに虚しく響く。
『私の、この輝かしい伝説の礎となるがいい! さらばだ、裏切り者!!』
黄金のレイピアが、スターゲイザーの砕け散ったコクピットへと、まるで深淵へと誘うかのように、音もなく吸い込まれるように迫ってくる。
死。
絶対的な、抗いようのない冷たい死の感触が、鼻先まで迫っていた。
その瞬間。
俺の意識の中で、時間がまるで永遠のように、ゆっくりと引き伸ばされていくのを感じた。
全ての音が遠ざかり、ただ、迫りくる黄金の光だけが網膜に焼き付いている。
走馬灯のように、脳裏をよぎるのは守りたかった者たちの顔だ。
どこまでも無防備な信頼を向けてくれた、ミューの涙に濡れたラピスラズリの瞳。
いつも涼しい顔で、誰よりも熱くて強い眼差しで俺の背中を支えてくれた、ローズマリーの仮面の下の表情。
感情なんてないはずなのに、俺の無茶に誰よりも心を痛めてくれたナビィの、静かで深い憂慮の光。
そして、生意気な口に不器用な感謝を隠していた、ユウキの強張った横顔。
……悪かったな。お前ら。
生きて帰るって誓ったのに、どうやら俺は、とんだ嘘つきになっちまうらしい。
諦めかけた俺の脳裏に、もう一つの声が響いた。
『ミューの、その魂の全てを、この俺に、貸してくれ……!』
そう懇願したのは、他でもない俺自身だ。
そうだ……俺が巻き込んだんだ。
俺の命はここで終わってもいい。
だが、コイツだけは、絶対に地獄の底へ連れて行くわけにはいかねえ!
俺は、砕けかけた全身の骨と筋肉に、気合いという名の最後の火花を散らした。
血塗れの震える指を伸ばし、コクピットの隅にある、アナログの手動強制開放レバーを力任せに引いた。
ガコンッ!
鈍い音と共に、熱で歪み、破壊されかけていたハッチが辛うじて開く。
俺は振り返った。
後ろのシートで、限界を超えたフォワードの酷使により、ぐったりと意識を失いかけているミューの、青白い顔が見える。
……ミュー。
俺は最後の力で、彼女の座席の下にある緊急射出シートのレバーを、拳で叩きつけた。
「ミュー!! 頼む! 生きて……くれ……っ!!」
絶叫を置き去りにして、轟音と閃光が弾けた。
ミューを乗せた座席が、爆発的な推進力と共に、まるで黄金の光の中へと昇っていく天使の羽のように射出される。
それを見届けた瞬間、俺の肩から、憑き物が落ちたようにふっと力が抜けた。
その直後。
俺は座席射出による強烈な反動の衝撃と熱波に包まれ、破壊されたコクピットから、たった一人、冷たい星屑の海へと放り出された。
戦闘服が悲鳴を上げて裂ける。
剥き出しの肌が真空に晒され、肉が急速に焼ける匂い。
骨が軋み、肺の空気が強制的に奪われる。
ひび割れたヘルメットのバイザー越しに、ゆっくりと迫ってくる黄金の、美しい死の光が見えた。
エンペラー・オブ・コンドルのレイピアが、スターゲイザーを貫き、爆炎が上がる。
それはまるで、彼岸へと誘う、残酷なほどに美しい迎えの光のようにも思えた。
不思議と、恐怖はなかった。
あるのは、ただ静かな安堵だけ。
……リリーナ。
やっと、お前のところに……行けるのか……?




