第80話 死線への船出と、散りゆく反逆の華
作戦開始、数時間前。
コスモノイド解放戦線の秘密基地。
その無骨な鋼鉄の胎内に抱かれたスターダスト・レクイエム号のブリッジには、出撃前の最後の儀式のような、張り詰めた静寂と抑えきれない熱気が奇妙に同居していた。
空気中には、ナビィが淹れた濃いコーヒーの苦い香りと、電子機器が発する微かなオゾンの匂い。
そして、これから死地へと赴く俺たちの魂そのものが発するような、鉄錆と硝煙の匂いが混じり合っている。
「……いいか、お前ら」
俺はキャプテンシートに深く腰掛けたまま、手に持ったグラスの中で琥珀色の液体を揺らした。
氷がカラン、と乾いた音を立てる。
いつになく真剣な眼差しで、一人一人の顔をゆっくりと見渡した。
ミューの、不安を必死に隠そうとしているが、それでも真っ直ぐに俺を信じ切っている無防備な瞳。
ローズマリーの、どんな地獄でも涼しい顔でステップを踏んでみせそうな、静かに燃える仮面。
ナビィの、無機質な外殻の奥で確かに明滅している、忠実で温かいセンサー光。
そして、ユウキの、親父の復讐という重すぎる荷物を背負って強張った横顔。
……どいつもこいつも、俺みたいな薄汚れた賞金稼ぎには勿体ないくらいの上等なクルーだ。
かつての俺なら、戦いの前に「生きて帰る」なんて甘っちょろい約束を交わす奴らを鼻で笑っていただろう。
そんなものは、生存確率を1パーセントも上げやしない。
ただの気休めだ。
むしろ、死神を呼び寄せるフラグにすらなり得る。
だが今は、違う。
その「気休め」という名の鎖がなけりゃ、恐怖で足がすくんでしまいそうだった。
「もう間もなく、作戦は開始だ。おそらく、これは俺が今まで経験してきたどんな修羅場よりも……困難で、危険なヤマになる」
俺の声は低く、静かだったが、その言葉の重みがブリッジの空気を圧迫するのを感じた。
「だから、誓え」
俺は空いた方の手で拳を作り、自分の胸に、ドン、と叩きつけた。
「何があっても、必ず生きてこの船に帰ってくると。この俺に誓え。それが、今回の作戦に参加する唯一にして絶対の条件だ」
これはキャプテンとしての命令なんかじゃない。
魂からの懇願だ。
もう二度と、この手の中から大切なものを零れ落としたくない。雨の日に冷たくなっていく命を見送るのは、もう御免だ。
そんな俺の、あまりにも不器用で、身勝手で、泥臭い祈りだった。
「……うんっ!」
最初にその重い沈黙を破ったのは、ミューだった。
彼女は潤んだラピスラズリの瞳で、力強く頷いた。
「誓うわ! 私、絶対にあなたを、そしてみんなを守ってみせる! 私の、このフォワードで!」
彼女の左手首にはめられた星屑のブレスレットが、ブリッジの照明を反射してキラリと決意の光を放った。
その無防備なほどの純粋な輝きは、俺の傷だらけの心に、熱く、そして心地よい烙印のように深く刻み込まれた。
……ああ、そうか。
この光を守るために、俺は戦うんだな。
「ベレット様」
ローズマリーもまた、仮面の下で静かに紅蓮の決意を固めていた。
彼女は俺の空になったグラスに、年代物の甘美な香りを放つ蒸留酒を注ぎながら、艶やかな唇で囁いた。
「このローズマリーも誓いますわ。いかなる困難が待ち受けようとも、皆さんの道を必ずや切り開いてみせると。ですからあなた様は、どうぞただ前だけを見て、ご自身の信じる道をお進みくださいまし」
その声は蜜のように甘く、そして鋼のようにどこまでも強靭だった。
背中を任せるには、この銀河でこれ以上ないほど頼もしい女だ。
「マスター。私も誓います」
ナビィの声には、普段のAIらしい無機質さとは違う、強い「感情」のような意志が込められていた。
「マスターのいないスターダスト・レクイエム号など、もはやただの冷たい鉄の棺です。どうか必ず、ご無事でお戻りください。そして皆さんも、どうかご無事で」
「あ、あたしも!」
ユウキもまた、少しどもりながらも翠緑色の瞳に決意の光を宿して言った。
「誓うわ! ヴァルキリーとあたしの技術で、みんなをサポートする! あんたたちを、死なせたりなんかしないんだから!」
それぞれの誓い。それぞれの想い。
言葉に出すことで、俺たちの間に目に見えない太いワイヤーが通った気がした。
それは言葉を超えた魂の共鳴となって、ブリッジの中に力強い熱となって満ちていった。
腹の底から、闘志がマグマのように湧き上がってくる。
「……上等だ。行くぞ、野郎ども、いや、お嬢様方」
俺はグラスの酒を一気に煽り、喉が焼ける感覚を味わいながら、操縦桿を強く握り締めた。
◇
―――出撃。
薄暗い抵抗の砦のドッキングベイから、数十隻の艦艇が漆黒の深淵へと飛び立った。
先頭を行くのは俺のスターダスト・レクイエム号。
それに続くのは、自由への純粋な渇望を古びた船体に乗せた、解放戦線の数少ない陽動部隊。
俺たちが目指す場所はただ一つ。
コンドル王国の頭脳にして、禁断の知識が眠る悪魔の心臓――『コンドル王立研究所』。
小惑星が星々の墓標のように無数に散らばるデブリベルト。
艦隊は、敵レーダーの冷たい網膜をすり抜けるように、息を潜めて航行していた。
静かだ。
宇宙の静寂が、鼓膜を圧迫するほどに不気味だった。
だが、俺たちの闇への船出を嘲笑うかのように、最悪のタイミングで悪意の牙は剥かれた。
『……! 警報! 後方より多数の高熱源体、急速接近! コンドル王国軍、スタイラス艦隊です!』
ナビィの悲鳴に近い鋭い警告がブリッジを切り裂く。
メインモニターには、無数の血のように赤い光点が、飢えた獣の群れのようにこちらへ猛スピードで迫ってくるのが映し出されていた。
「チッ! やっぱりお出ましか! どこまでもしつこい犬どもめ!」
俺は忌々しげに舌打ちし、スロットルを力任せに押し込んだ。
……罠の匂いは嗅ぎ取っていたが、まさかここまでの規模で網を張ってやがったとはな!
次の瞬間。
宇宙空間は、まるで超新星爆発でも起こったかのように、純粋な灼熱の白色に染め上げられた。
コンドル艦隊からの容赦ない、広域飽和攻撃。
数千ものプラズマ魚雷と高出力レーザーの光条が、一斉に解き放たれた「死の津波」だった。
赤い光の雨が解放戦線の護衛艦隊の防御スクリーンを瞬時に貫通する。
エネルギーシールドは高熱に焼かれて蒸発し、分厚い装甲板はまるで熱したナイフで切られたバターのように溶け崩れた。
「うおぉぉっ!?」
数隻の旧式護衛艦は、通信機越しに悲鳴を上げる間もなく艦体内部の反応炉が誘爆し、凄惨な赤い華となって暗黒の宇宙に咲いては、塵となって消滅していく。
ドゴォォォォォン!!
「くそっ! 捕まれ!」
俺の船もまた至近弾の凄まじい衝撃波に煽られ、まるで嵐の中の木の葉のように激しく揺さぶられた。
金属の甲高い軋む音が、鋼鉄の断末魔のように艦内に痛々しく響き渡る。
内臓がシェイクされるような振動。
ミューの短い悲鳴が聞こえた。
『ベレット君! 聞こえるか!?』
モニターに、ノイズ混じりでカシム司令の顔が割り込んできた。
その背後では、コンソールから火花が散り、オペレーターたちの怒号と悲鳴が上がっている。
『君たちは先に行け! ここは我々が、この命に代えても食い止める!』
「無茶だ! あんたたちだけじゃ、あのバケモノ艦隊の相手は……!」
俺はモニターに向かって吠えた。
自己犠牲。
俺がこの世で一番嫌いな言葉だ。
だが、カシム司令の目は、死を覚悟した男の、恐ろしいほど澄み切ったそれだった。
『時間がないのだ! ここで我々が足止めされている間に、アルベルト王子の計画が完成してしまっては、これまでの同志たちの犠牲が全て無に帰す!』
カシム司令の声に、一国の未来を背負うリーダーとしての、重すぎる決意が滲む。
『頼む! 君たちのその『翼』に、我々の……いや、コスモノイド全ての未来を託す! 必ずや、作戦を成功させてくれ!』
通信が一方的に切断される。
モニターの向こう。
彼の乗る旗艦『リベリオン』が、その満身創痍の巨体を翻し、追撃してくるスタイラス艦隊の前に、まるで俺たちを守る盾となるかのように、絶望的な壁となって立ちはだかるのが見えた。
「……! クソッたれが……!!」
俺は奥歯が砕けるかと思うほど強く噛み締め、コンソールを拳で殴りつけた。
背負わされた命の重みに、見送るだけの己の無力さに、操縦桿を握る手が怒りで震える。
「……分かったよ。おっさんのその命、一番高く売ってやる」
俺は血の滲む唇を歪め、低く唸った。
「ナビィ! 座標固定! ぶち抜け!」
「了解しました、マスター!ワープシーケンス、起動!」
内臓がひっくり返るような強烈なGが、俺たちの身体をシートへと激しく押し付ける。
窓の外の星々が光の奔流となって歪み、船は亜空間という次元の回廊へとその身を投じた。
空間が歪む、その最後の瞬間。
俺の剃刀色の瞳に焼き付いたのは、カシムの旗艦が最期の抵抗として放った主砲の細い閃光と――それに呼応するかのように夜空に圧倒的な暴力で咲き乱れる、無数の残酷な赤い華だった。
……この借りは、必ず仕事を成し遂げて返してやる。
アルベルトの狂った計画ごと、俺が粉々にぶち壊してやる!
心の中で血を吐くように誓い、光のトンネルの先にある地獄の底へと突き進んでいった。




