第73話 未完成の戦乙女と再誕する白銀の流星
コスモノイド解放戦線の秘密基地。
巨大な小惑星の胎内に穿たれた、薄汚れた抵抗の砦。
作戦開始を数日後に控え、基地内には嵐の前の凪のような張り詰めた静寂と、死を恐れぬ狂気じみた熱気が奇妙に同居していた。
むせ返るような金属とオイルの匂い、そして血と汗の匂い。
……どいつもこいつも、明日の命も知れねえってのに、よくもまああんなギラついた目ができるもんだ。
俺には眩しすぎる、青臭い希望の匂いだった。
スターダスト・レクイエム号のブリッジ。
俺はキャプテンシートから、ナビィに最後の指示を飛ばしていた。
「ナビィ、スターゲイザーとクリムゾン・ローゼスの最終チェック、入念に頼む。特にフォワード共鳴時のエネルギーフローと機体負荷、ギリギリまで最適化しろ。一瞬のラグが命取りになる」
『了解いたしました、マスター。機体調整、及び情報収集、継続します』
ナビィは静かに頷く。
「それと、この基地の情報。特にカシム司令の動きも、可能な限り探っておけ。アイツらの『大義』とやらを、完全に信用したわけじゃねえからな」
『承知いたしました』
俺はキャプテンシートから立ち上がった。
ブリッジの入り口では、ミューがそわそわと俺の様子を窺っていた。
「ミュー、お前は船で待ってろ。ナビィの手伝いでもしてな」
「えー! また私だけお留守番!? なんでよ! ベレットのいじわる!」
案の定、ミューは頬をぷくっと膨らませて抗議してきた。
……ったく、危機感ってもんがねえのか、このお姫様は。
「馬鹿野郎、これは遊びじゃねえんだ」
俺はミューの頭を、少し乱暴に、だが祈るように撫でた。
「それに、コンドル貴族のお姫様が、こんな反コンドルのゲリラ基地をウロウロしてたら、双方にとって気まずいだろ? 大人しくしてろ」
「……むー。わかったわよ」
不満げに唇を尖らせながらも、ミューは小さく頷いてナビィの元へ向かった。
その銀色の髪が揺れる後ろ姿に、俺は小さくため息をつく。
一人になると、俺は情報収集も兼ねて船を降りた。
基地内の通路は、冷たい金属の感触とオイルの匂いで満たされている。
すれ違うコスモノイドの兵士たちの視線は、鋭く、敵意に満ちていた。
元コンドル軍人。
そして今は、札付きの宇宙海賊。
彼らの親や兄弟を殺した側にいた男だ。歓迎されるはずもねえ。
……憎みたきゃ憎め。
俺は俺の仕事をするだけだ。
そんなことを考えながら歩いているうちに、俺の足は自然と、あの巨大な格納庫へと向いていた。
薄暗い空間。
そこに、まるで神殿に祀られた神像のように、白銀のスペースロボットが圧倒的な存在感を放って鎮座している。
流麗にして力強いフォルム。
磨き上げられた装甲。
俺のスターゲイザーとどこか魂の根源で繋がっているかのような、奇妙なシンパシー。
俺は磁石に引き寄せられるように機体へ近づき、感嘆の息を漏らした。
「コイツは……とんでもねえ代物だな。あのガキ、ただ口が悪いだけじゃねえらしい」
思わず、その冷たく滑らかな装甲に指先で触れようとした、その瞬間。
「―――そこで、何をしているのっ!!」
氷のように冷たく、鋭い声が背後から俺の鼓膜を刺した。
振り返ると、白衣の胸元を怒りで震わせたユウキが仁王立ちになっていた。
眼鏡の奥の翠緑色の瞳が、殺意に近い敵意で燃え上がっている。
「おう、お前か」
俺は悪びれる様子もなく肩をすくめた。
「いや、コイツがあまりにもそそるっつーか、見事なもんだからよ。つい見惚れてただけだ」
「……! 触らないで!」
ユウキは神聖な領域を穢されたかのように声を荒らげた。
「その汚れた手で! あたしの……! あたしの『ヴァルキリー』に、気安く触れないで!」
その声は、この機体への母親のような深い愛情と、俺という存在への明確な嫌悪で震えていた。
「なんだあ、その言い草は」
俺の腹の底で、重い怒りが燻り始めた。
「言ったはずよ!」
ユウキも一歩も引かない。
「あんたのようなコンドルの犬! 金のためなら平気で仲間さえ裏切るような、汚れた宇宙海賊が! この神聖な作戦に関わること自体、あたしは虫唾が走るほど嫌なの! ましてや、あたしの魂そのものであるこのヴァルキリー・ストライカーに、その穢れた指で触れるなんて……万死に値するわ!」
……ガキの分際で、言うじゃねえか。
俺の額に青筋が浮かぶ。
「クソガキが、偉そうにほざきやがって……!」
俺は一歩踏み出し、ユウキを見下ろした。
「俺がどこの誰だろうが、どんな過去を持っていようが、今回のビジネスには関係ねえはずだ。それに、俺の腕は少しでも役に立つぜ? テメエみてえな、頭でっかちで口先だけの、世間知らずのクソガキよりはな!」
「……っ! あんたなんかに……! あんたなんかに、あたしの何が分かるのよ!」
ユウキの翠緑色の瞳から、堰を切ったように大粒の涙が溢れ出した。
彼女は顔を歪め、震える声で心の奥底に封じ込めていた絶叫を吐き出した。
「あたしの父さんは……! コンドル軍に利用されて、用済みになったら家畜のように殺されたのよ! 『星の遺産』……あの呪われた古代の力に手を出したがために! 父さんは危険性に気づいて研究に反対した! だから……口封じのために、あの冷酷な連中に……!」
悲痛な絶叫が、巨大な格納庫に痛々しく響き渡る。
……そうか。
親父さんの復讐ってわけか。
「気の毒だとは、思うぜ」
俺はあえて、突き放すような冷たい声で言った。
「だがな、それでもコンドルってだけで、俺までその憎しみの捌け口にされる筋合いはねえぞ。俺はコンドルを抜けた裏切り者だ。それにだ」
俺は目の前の白銀の機体を、そしてユウキを見据えた。
「いくら怨もうとも、いくら過去を悔やもうとも……テメエの親父が帰ってくるわけじゃねえんだぜ」
「……!」
ユウキの瞳に、憎悪の炎が再び激しく燃え上がった。
「やっぱり、あんたは血も涙もない最低のクズよ! 人間の心を持ってないんだわ!」
彼女は理性を失い、俺の胸倉に掴みかかってきた。
小さな身体に、ありったけの憎しみを込めて小さな拳が胸を叩く。
俺は抵抗しなかった。
憎しみに囚われ、がむしゃらに牙を剥く彼女の姿が……かつて、何も信じられず世界を呪っていた、俺自身の姿と重なって見えたからだ。
「……離せよ、クソガキが」
俺は低く、静かに言った。
だが、その見透かしたような態度が、ユウキの最後の理性のタガを外した。
「……! あんたなんて……大っ嫌いよ!!」
ユウキが俺を力いっぱい突き飛ばそうとした、まさにその瞬間だった。
―――ウウウウウゥゥゥゥゥゥン!!! 警報! 警報!―――
基地全体が、耳をつんざくような警報音と激しい振動に包まれた。
赤い非常灯が狂ったように明滅する。
『! 緊急警報! 緊急警報! コンドル軍所属機、複数、急速接近中! 第3ドッキングベイ付近にミサイル攻撃を確認! 繰り返す!……』
「……! コンドル軍!? なぜ、この基地の場所が!?」
「威力偵察か!? チッ、最悪のタイミングだぜ!」
俺は忌々しげに舌打ちした。
次の瞬間、格納庫の分厚い隔壁がまるで紙細工のように吹き飛び、数発のミサイルが轟音と共に俺たちのすぐ近くに着弾した。
―――ドゴォォォォォン!!!―――
凄まじい爆音と閃光。
内臓を揺さぶる衝撃波。
熱風が肌を焼き、天井が轟音と共に崩れ落ちてくる。
「危ねえ!」
俺は反射的に、呆然としているユウキの身体を強く抱き寄せ、地面へと覆いかぶさった。
直後、爆風で巻き上げられた巨大なコンクリートの塊が、俺の背中に鈍い音を立てて激しく叩きつけられる。
「ぐっ……!」
背骨を貫くような激痛。
だが、俺は腕の中の温かく柔らかな存在を、決して離さなかった。
「……! な……なんで……?」
腕の中で、ユウキが震える掠れた声で尋ねた。
翠緑色の瞳が、驚きと困惑を湛えて俺を見上げている。
「あたしを、庇ったの……? あんたは、コンドルの、憎むべき敵、なのに……?」
「さあな」
俺は背中の激痛を奥歯を噛み締めて堪えながら、ニヤリと笑ってみせた。
「身体が、勝手に動いただけだ」
ユウキは何も言い返せなかった。
「ここにいちゃ瓦礫の下だ! 行くぞ!」
俺はユウキを抱きかかえたまま素早く立ち上がり、崩れ落ちる瓦礫を避けて壁際まで移動する。
そして、俺の視線はすぐそばに立つ白銀の翼――ヴァルキリー・ストライカーへと向けられた。
「待って! あんた、まさか……!?」
ユウキが俺の意図を察し、止めようと叫ぶ。
「俺のスターゲイザーは、ナビィがバラシの最中だ! 仕方ねえだろうが!」
俺は有無を言わせぬ口調で言い放った。
「あのうるせえハエどもをさっさと追い払ってやらねえと、俺の大事な仲間たちも危ねえんだよ!」
俺はユウキの制止を振り切り、ヴァルキリー・ストライカーのコクピットハッチを半ば強引にこじ開け、その中に滑り込んだ。
「ダメッ! ヴァルキリーはまだ最終調整が済んでないのよ! それに、あんたなんかに扱えるはずが……!」
「へっ、試してみる価値はあるだろう?」
俺は不敵な笑みを浮かべ、ハッチを閉じた。
目の前に広がる複雑なコンソール。
未知のインターフェース。
だが、俺の指はまるで長年連れ添った恋人に触れるように、滑らかにコンソールの上を舞い踊り、ヴァルキリーを力強く起動させていく。
……! なんだ、この感覚! 間違いねえ!
コイツの設計思想……アイツと同じ!? いや、それ以上に極限まで研ぎ澄まされてやがる!
機体から伝わってくる圧倒的なパワー。
そして、恐ろしいほどに「馴染む」感覚。
俺はコックピットの中で、獰猛な笑みを浮かべた。
「少しの間、この翼、借りるぜ!」
俺の指先が操縦桿に吸い付く。
背面に搭載されたスラスターが、青白い粒子のオーラを激しく放ち始める。
俺は格納庫の破壊された隔壁から、戦火の宇宙へと咆哮を上げて飛び出した。
「来たな……! テメエらのつまらねえお遊びは、ここで終わりだ!」
俺は常識を嘲笑うかのようにスロットルを全開にした。
ヴァルキリーは鎖を解かれた猛獣のように獰猛な唸りを上げ、驚異的なスピードで敵編隊の懐へ飛び込む。
右へ、左へ、上へ、下へ。
宇宙空間という広大なキャンバスに、幾何学模様の極致を描き出すような予測不能な機動。
敵機の放つレーザーやミサイルは、その紙一重の距離をかすめ、虚しく後方の闇へと消えていく。
『ちくしょう! なんだあの動きは! ロックオンが追いつかねえ!』
『2番機、背後を取られるぞ!』
『パルチザン風情が! ぐあああ!』
コンドル軍のパイロットたちの悲鳴が通信帯域を飛び交う。
俺の動きは高速かつ精密。一瞬のラグも許さない、死を運ぶ舞踏だ。
ヴァルキリーから放たれるレーザーライフルが、夜空を切り裂き閃光となって敵機を貫く。
ドゴオオオンンン!
一撃必殺。
宇宙空間に美しくも残酷な爆炎の花が咲く。
俺は敵の集中砲火をものともせず、冷徹な判断と圧倒的な機体性能を融合させ、さらに深く敵編隊へと食い込んでいった。




