第69話 星屑のブレスレット、魂の共鳴と決意の炎
アンドロメダ正教会の地下基地を後にした俺の足取りは、鉛のように重かった。
ポート・リバティの喧騒が遠く感じる。
ミンクスから託された依頼。
銀河の運命を左右するという、あまりにも重すぎる現実。
6億クレジットの依頼。
そんな大層なモンより、俺の魂を蝕むのは――過去の亡霊だ。
……リリーナ。
脳裏に蘇る、陽光のような眩しい笑顔。
そして、それを無慈悲に塗りつぶす冷たい雨と、鉄錆の臭い。
あの柔らかな感触、甘い香り、囁き。
あの日、守ると誓ったはずの存在を、守れなかった無力感。
仲間だと信じていた者たちからの、裏切りという名の冷たい刃。
そして、何もできずに、ただ絶望の淵に立ち尽くすしかなかった、自分自身への消えることのない怒り。
それらが、消えない烙印となって、心の奥底に深く刻み込まれている。
だからこそ、金に執着した。
金という、冷たく裏切らない、絶対的な力に。
金さえあれば、何も失わずに済む。
金だけが、孤独を埋め、痛みを麻痺させる、唯一の麻薬だった。
そう嘯いて、孤独という鎧で身を固めて生きてきたはずだった。
だが今は……違う。
ミュー。ローズマリー。ナビィ。
いつの間にか、金じゃ買えない「仲間」が増えちまった。
彼女たちの屈託のない笑顔。
他愛ない会話。
そこに流れる、不器用だが、確かに存在する温かい空気。
この依頼を受ければ、俺はあいつらを地獄の最前線へ連れて行くことになる。
この温もりは、いつかまた、俺の手からこぼれ落ちる砂なんじゃないか?
俺は……また、繰り返すのか?
◇
スターダスト・レクイエム号に戻った頃には、空は茜色に染まっていた。
ハッチをくぐると、ラウンジから銀鈴のような笑い声が聞こえてくる。
その明るさが、今は眩しすぎて、直視できない。
「おかえりなさい、ベレット! もう、遅かったじゃない! どこほっつき歩いてたのよ!」
ラウンジに入ると、新しい淡いブルーのワンピースに身を包んだミューが駆け寄ってきた。
真珠色の髪が揺れ、甘い香りが鼻腔をくすぐる。
その瞳は一点の曇りもなく、俺を映していた。
……クソッ。そんな目で見んなよ。
「ああ、わりぃ。ちょっと野暮用でな」
「ふーん? まあいいわ。それよりね、ベレット。これ見て! あなたにプレゼント!」
ミューは背中から小さな箱を取り出し、少し照れくさそうに差し出した。
中には、星屑の細工が施されたシルバーのブレスレット。
「見て! これ!」
彼女は自分の左手首を掲げて見せた。
そこには、同じブレスレットが輝いている。
「ね? お揃いなの! ポート・リバティの素敵なお店でで見つけたのよ。お互いにこれをつけていれば、たとえ遠く離れていても、私たちの心はいつでも繋がっていられる気がして……」
頬を赤らめ、上目遣いで俺を見る。
その純粋な想いが、俺の胸を熱くし――同時に、残酷な現実を突きつける。
この「絆」こそが、俺を縛り、俺を弱くする最大の鎖だ。
だが、その鎖はあまりにも心地よくて、振りほどくことができない。
「……ああ。まあ、悪くねえんじゃねえか…?」
「えーーーーっ!?なに、その心のこもってない反応は!?」
ミューが不満そうに唇を尖らせる。
「私が、ベレットのこと考えて、一生懸命、選んできたのに!もっと、こう、他に言うことないの!?」
だが次の瞬間、彼女の表情が凍りついた。
ラピスラズリの瞳が、翳りを帯びた。
フォワードの感応力か。
隠し事はできねえな。
「ベレット……? どうしたの? 何かあったのね?」
「……」
ローズマリーとナビィも、会話を止めて俺を見つめている。
俺は観念して、深く息を吐いた。
ミンクスから受けた依頼を、一言一言、噛み締めるように、打ち明けた。
コンドル王立研究所への自殺行為にも等しい潜入。
銀河の禁忌、『星の遺産』に関するデータの奪取。
アルベルトの狂気に満ちた野望。
そして、それが、この銀河全体を、取り返しのつかない破滅へと導くかもしれないという、絶望的な危機。
「…というわけだ」
すべてを話した上で、俺は告げた。
これが、俺ができる精一杯の「守り方」だと信じて。
「この仕事はあまりにも危険すぎる。成功率はゼロに近い」
俺はあえて冷たく突き放した。
「だから――これは俺一人で片をつける。お前らはここで待ってろ。足手まといだ」
その瞬間。
「ふざけないでっ!!ベレット!!」
ミューの叫びがラウンジを切り裂いた。
その瞳に涙を溜めながら、彼女は俺を睨みつけた。
恐怖を怒りでねじ伏せた、戦士の目だ。
守られるだけのか弱い少女は、もうそこにはいなかった。
「一人で行くなんて、そんなこと、絶対に、絶対に許さないわ!アルベルトは、私から、大切な指輪を奪った、許せない相手よ!コンドルの連中に、このまま好き勝手させるわけにはいかない!私も、戦う!あなたを、絶対に、一人になんてさせないんだから!」
「ミューの言う通りですわ、ベレット様」
ローズマリーも一歩前に出る。
「わたくしも、あなた様だけを死地に送り出すことなどできません。たとえ地獄であろうと、どこまでもお供いたしますわ」
「マスター。私も、この船のナビゲーターとして全力でサポートいたします」
三人とも、引く気配は微塵もなかった。
俺の「命令」なんて、コイツらには端から通用しねえってことか。
「……お前ら、本気で言ってんのか? どんな仕事よりも、桁違いに危険なんだ!死ぬかもしれねえんだぞ!?」
「覚悟の上よ! 私たちはもう、ただ守られているだけの存在じゃない! 今度は私たちがベレットを守る番なの!絶対に、守ってみせるんだから!」
ミューの言葉が、俺の胸に突き刺さる。
……参ったな。
いつの間にか、こんなにも強くなりやがって……。
「ええ、ベレット様」
ローズマリーは、静かに俺の手を取った。
「わたくしたちを、信じてくださいまし。我々は、あなた様の、クルーなのですから」
俺は、本当に、コイツらの想いを、受け取る資格はあるのか?
ゆっくりと目を閉じた。
自問自答の重みが、全身を覆い尽くす。
リリーナの死。
その全てが生々しい赤い血の色と、全てを洗い流すかのような冷たい雨の音に塗り替えられた、あの絶望の日。
トラウマが消えたわけじゃない。
だが、この温かい場所を、俺自身の手で遠ざけることこそが、一番の間違いなのかもしれない。
「………しょうがねぇな」
俺は頭をガシガシと掻き、息を吐いた。
腹を括るしかねえ。
「だが、約束しろ。絶対に、無茶はするな。そして、俺の指示には、必ず従え。それが、この依頼を受ける条件だ」
「……! うんっ! 約束する!絶対に、あなたを守ってみせるわ!」
ミューが満面の笑みで頷く。
「御意に。このローズマリー、必ずや、ご期待に応えてみせますわ」
「マスター。私も、このスターダスト・レクイエム号の、そして、皆さんのナビゲーターとして、この身の持つ全ての機能を行使し、全力で、サポートいたします」
ローズマリーも、ナビィも頷いた。
その笑顔を守るためなら、俺は何度だって修羅になれる。
俺は左手首のブレスレットを握りしめた。
冷たい金属の感触。
だが、そこには確かな熱がある。
もう、逃げねえ。
今度こそ……。
俺は心の中で誓った。
亡きリリーナと、目の前の仲間たちに。
この手にある「星屑」たちは、何があっても守り抜く。
たとえ、この銀河のすべてを敵に回したとしてもだ。
俺は、「白銀の流星」ベレット・クレイ。
その名に懸けて、必ず生きて帰ってやる。




