第67話 ネオンと追憶のドライブ、悪魔の囁き
疾風のビギンが去った後の廃墟には、奇妙な静寂だけが残されていた。
硝煙の匂いを振り払うように、ミンクスが強引に俺の手を引く。
「さあ、さあ、行きましょうベレット」
「おい、引っ張るなよ。子供じゃあるまいし」
彼女に連れられて廃墟の外へ出ると、そこには目を疑うような代物が鎮座していた。
流線型のボディ、闇夜に濡れたような漆黒の塗装。
最新鋭の高級スポーツビークルだ。
「……ったく。派手なオモチャじゃねえか」
俺は助手席の高級レザーシートに身を沈めながら、呆れて吐き捨てた。
……聖職者の清貧さはどこへ行ったんだ?
これじゃあマフィアのボスの愛車だぜ。
「お前、シスターのくせにこんな成金趣味のモン乗り回してんのかよ。どこかに祈りの言葉でも刻んであるのか?」
「あら、これは借り物よ。私の趣味じゃないわ」
運転席に滑り込んだミンクスが、可笑しそうに笑う。
ウィンプルから覗く横顔は、昔と変わらず無邪気だ。
だが、その瞳の奥には、俺の知らない「大人の女」の色気が漂っている。
「それに今は、教会の威信にかけても成し遂げねばならない緊急事態。手段を選んでいられないのよ」
彼女がコンソールを操作すると、静かな駆動音と共に車体が浮き上がった。
ハイウェイへ合流すると、窓の外をネオンサインの光の洪水が流れていく。
華やかで、空虚な、ポート・リバティの夜の顔。
俺たちのような「影」の住人には、眩しすぎる光だ。
「で? 何の用だ、ミンクス」
俺はシートに深くもたれかかり、煙草を揉み消すような手つきで本題を切り出した。
「わざわざこんな所まで俺に会いに来るなんてな」
「ええ、そうね」
ミンクスの声が、少しだけ真剣な響きを帯びる。
「あなたを探していたのよ、ベレット。聖女ナナリー様からの、直々のオーダーで」
「聖女ナナリー? あのアンドロメダ正教会の象徴がか?」
俺は眉をひそめた。
……聖女様からの指名かよ。
ロクな予感がしねえ。
「なんでそんな大物が、俺みてえなしがない流れ者を?」
「それは後で話すわ。……それよりもベレット」
ミンクスは意味深な笑みを浮かべ、俺を横目で見た。
その視線に、かつて俺を散々振り回した悪友の光が宿る。
「あなた、最近このポート・リバティで随分と派手に動き回っているようね?」
「ああ? 何のことだ? 俺は地味に暮らしてるつもりだがな」
「あら、ご謙遜を。本当はもう少し早くあなたに接触しようと思っていたのよ」
彼女はニヤリと口角を上げた。
「でも、あまりにもお楽しみの最中だったから、私のような野暮なシスターが邪魔しちゃ悪いと思って」
「……邪魔?」
「ええ。だってあなたが、それはそれは美しい栗毛の女性と熱烈な『デート』の真っ最中だったから」
「……!」
その言葉に含まれた棘と、生温かい響き。
俺の心臓が、戦闘中とは違う意味で早鐘を打った。
……見られてたのかよ!
「ど、どこまで知ってやがるんだ……?」
「そうねぇ、たとえば……」
ミンクスは楽しそうに、窓の外にそびえるエリュシオン・タワーを指差した。
「あの最上階のラウンジで、美女と熱い時を過ごしていたところ、とか?」
「嘘だろう!?」
俺は思わず叫んだ。
顔が熱くなるのが分かる。
なんで俺のプライベートが筒抜けなんだよ!
「フフフッ、そんなに慌てないで」
ミンクスは鈴を転がすように笑った。
「別に誰かに言いふらしたりはしないわよ。でも、罪な男ね、あなたは。昔からだけど」
「勘弁してくれ……」
「それだけじゃないわ。あなたのことを、可愛らしい少女2人が必死に尾行していたことも、ちゃーんと見ていたわよ」
「……!!」
俺は今度こそ絶句した。
背筋に冷たいものが走る。
「お前、一体どこまで見てやがるんだ……」
「無垢で純粋な少女を誑かすなんて。ねえベレット、あなたの守備範囲、広すぎない?」
「ちげえよ! あれは、なりゆきだ!」
俺は頭を抱えた。
……クソッ。
よりにもよって、コイツに見られていたとは。
「……じゃあ、アイツらに会ったのか?」
「ええ」
ミンクスはあっさりと頷いた。
「エリュシオン・タワーのラウンジで、一緒にお茶をしたわ。可愛らしい方たちね。あなたのことをとても心配していたわよ」
彼女はそこで、悪戯っぽく付け加えた。
「ああ、そうだ。あの時、彼女たちが無事にホテルに入れたのは、私が少しだけ手助けしたからよ」
「……! そういうことか! だからアイツら、あんな場違いな場所にいやがったのか!」
全ての謎が解けた。
あのお子様たちが、最高級ホテルのセキュリティを突破できた理由。
全部コイツの差し金か!
「お前のせいか……!!」
「あらあら人聞きの悪い。私はただ、困っている可愛らしい子羊たちを助けただけよ」
ミンクスはしれっと答えた。
「それにしても、とても有意義なお茶会だったわよ。ミューさんとのお喋り。あなたとの甘酸っぱい思い出とか、色々と、ね」
彼女は意味ありげに、そしてこの上なく楽しそうに微笑んだ。
その笑顔は、聖職者というより小悪魔のそれだ。
「……! な、何を、どこまで話したんだ!?」
俺の背筋に冷たい汗が滝のように流れる。
ミューの奴、あることないこと喋りまくったんじゃねえだろうな?
「さあ? それは乙女同士の秘密よ」
ミンクスはそう言って片目をつぶってみせると、アクセルを踏み込んだ。
漆黒のビークルが、光の海を切り裂いて加速する。
俺の心には、拭いきれない羞恥心と、ミンクスという女への深い不信感。
そしてこれから聞かされるであろう「重要な依頼」への重い不安が渦巻いていた。
……最悪だ。
俺は夜景を見つめながら、深く、深くため息をついた。




