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第7話 「箱入り」少女のすべてと6億の代償

「ない! どこにもないの! 私の、私の指輪が!!」


ミューの絶望的な叫びが、冷たい格納庫に木霊する。


鋼鉄の壁に反響し、彼女の魂の喪失を無機質な空間に叩きつけた。


それは、ただの宝飾品を失った嘆きではない。


自らの存在証明を奪われた、悲痛な魂の慟哭(どうこく)


ラピスラズリの瞳から、止めどなく大粒の涙が溢れ落ちる。


彼女は指輪が嵌っていたはずの左手の人差し指を、震える手で何度も何度もなぞり、ただ嗚咽を漏らした。


「ベレット!」


ミューは、崩れ落ちそうな身体を俺の革ジャンの腕に預け、すがりついた。


華奢な肩が、小刻みに震えている。


「ねえ……聞いて!」


彼女は途切れ途切れに、必死に語り始めた。


「『星詠の巫女』の血、星々の囁きを聞く力……でも、それは祝福なんかじゃなかった。私にとっては、呪い……」


彼女の声は、宇宙の塵のように儚く震えていた。


「望んでもいないのに、頭の中に響き続ける無数の声。燃える街、砕ける船、死んでいく人々の顔! 私の持つ力が、怖くて、怖くて、仕方がなかったの……!」


銀色の髪が、涙に濡れた頬に張り付く。


「でも、『星詠の指輪』だけが、荒れ狂う力の奔流を鎮めてくれていた。あれがあれば、ただのミューでいられた。なのに!」


彼女は再び、指輪のない左手を見つめ、絶望に声を震わせる。


「アルベルトは! 『星の遺産』の研究のために! 私を捕らえて、指輪を、私のたった一つの拠り所を奪い取ったの!」


アルベルト。


俺の脳裏に、かつての親友の顔が、氷のように冷たい光と共に浮かんだ。


「ベレット、お願い!」


ミューは俺の革ジャンを強く、強く掴んだ。


「助けて! 指輪を取り戻してほしいの! もうベレットしか、頼れる人はいないの!」


潤んだ瞳が俺を見上げる。


その視線は、荒くれ者の宇宙海賊ではなく、遠い日のヒーローを探し求めている。


「あれから、どれくらいの時間が経ったのか……今の私には分からないけど……」


銀髪の少女は、大人になってしまった俺の顔を見つめる。


「でも、私たち、ビックサム学園で仲が良かったわよね?」


ミューは、ふと遠い目をして囁いた。


「ベレットはいつも無茶ばかりして、ガルム先生に叱られてたけど。でも、私が意地悪な上級生に泣かされていた時、いつもぶっきらぼうに助けてくれたよね。あなたは、私にとって、たった一人のヒーローだった」


その言葉は、俺の記憶の扉を静かにノックした。


泣きじゃくる銀髪の後輩。


生意気な上級生。


取るに足らない、ガキの頃の出来事。


「でも、ベレットがリリーナの騎士候補になってから、少し遠い人になって……そして、あの事件の後、離れ離れになってしまった……」


その言葉は鋭い刃となって、俺の古傷を容赦なく(えぐ)った。


リリーナ。


彼女の名前は、今でも俺の心を呪縛する。


「でもね。それでも私は、ずっと信じてたの。ベレットがあんな事件を起こすわけないって! 無実だって! ずっと信じてたから!」


ミューは、潤んだラピスラズリの瞳で、俺を射抜くように見つめた。


「ミュー」


俺の声は、まるで砂漠の砂のように乾いて冷たかった。


「お前を助けるのは、別に構わねえ。だがな、今の俺はしがない宇宙海賊だ。金にならねえ慈善事業はやらねえ主義でな。お前は俺にいくら払える? まさかとは思うが、アシュトン公爵家のお姫様ともあろうお方が、タダで助けてくれなんて虫のいいこと、言わねえよな?」


我ながら感情の欠片も含まれていない、ビジネスライクな響き。


今の俺には、純粋な救いの手なんて差し出せねえ。


俺の手は、もうとっくに薄汚れてるんだ。


「ベレット……?」


ミューの瞳から光が消えた。


ラピスラズリの輝きが、一瞬にしてくすんだ石へと変わる。


絶句。 だが、それでも彼女は諦めなかった。


「わ、分かったわ。ベレット。それでいい。でも、それでもあなたを信じる。どうか、信じさせて、お願い……」


ミューはそう言うと、震える手で首元を探った。


白い肌に輝く、「星影の涙」のペンダント。


大粒のラピスラズリが、薄暗い照明の中でも妖しく光る。


アシュトン家に伝わるもう一つの家宝であり、彼女の力の源。


「もうこれしか持っていないけど。だから、せめてこれだけでも、あなたに受け取ってほしいの」


ミューは大粒の涙を零しながら、震える声でペンダントを差し出した。


冷たく、強い力を秘めた石が俺の指先に触れる。


その冷たさが、俺の心を試すように突き刺さった。


「これと、それから」


ミューは意を決したように顔を上げた。


「もし、ベレットが望むなら、私のこの身体だって! あなたに、全部、あげるから……!」


「……ッ!」


少女のあまりにも痛々しい、魂の叫び。


それは貴族の令嬢としてではなく、ただ生き延びようとする一人の人間としての、究極の差し出しだった。


そこまで言わせてしまったことに、言葉にならない罪悪感が襲う。


まるで、俺自身が彼女からすべてを奪う悪党になったかのような。


だが、俺が何かを言い返そうとした瞬間。


――警告! 警告! 艦外より複数のエネルギー反応接近! コンドル王国軍所属艦隊と識別! 攻撃パターン確認! 衝撃に備えよ!――


けたたましい警報音とナビィの緊迫した声が響き渡る。


同時に船体が激しい衝撃と共に大きく揺れた。


ドゴォォン!


金属が軋む轟音。


「……! 何だ!?」


「マスター! コンドル宇宙艦隊より攻撃を受けています! 至近弾多数! 右舷被弾!」


             ◇


ドゴォォン! 腹の底に響く衝撃音が、鋼鉄の艦艇を揺るがす。


船体がミシリと軋み、非常灯の赤い光が明滅する。


「クソッ! ガルムのクソ野郎! 面倒事に巻き込みやがって!」


俺はメインコンソールに駆け寄り、白くなるほど拳を握りしめた。


モニターには無数の赤い光点。


獲物を取り囲む肉食獣のように、コンドル艦隊が迫っている。


その数は、もはや数えきれない。


「ちくしょう、洒落にならねえぞ!」


俺は苦々しく舌打ちした。


「ナビィ! ヤツらに伝えろ! こっちには『星詠の巫女』が乗ってる! 攻撃をやめさせろ! ってなあ!」


「了解! 緊急通信発信! 『当艦にはアシュトン公爵家令嬢がご乗船されている! 直ちに攻撃を中止されたし!』」


ナビィの悲鳴に近い合成音声が全方位へ発信される。


だが、応答はない。


レーザーはさらに激しさを増し、俺たちの船を削り取っていく。


「ヤツら! 巫女ごと俺たちを沈めるつもりか!? 正気じゃねえ! どうなってやがるんだ、コンドルは!」


混乱しながらも、生存本能が身体を突き動かす。


「右舷被弾! エンジン出力低下! マスター、このままでは持ちません!」


「……! ナビィ! 迎撃用意! ありったけの弾幕を張れ! それから、スターゲイザーを起動させろ!」


俺は、呆然と立ち尽くしていた銀髪の少女のもとへ駆け寄った。


「ミュー! シェルターへ行くぞ!」


迷うことなく小さな手を掴み、問答無用で連れて行こうとする。


「嫌っ!」


ミューはその手を力強く振り払った。


ペンダントを握りしめ、涙に濡れた瞳で俺を見据える。


「私も戦う! ベレットと一緒に! 今度こそ、私があなたを守る!」


「馬鹿野郎! お前は『星詠の巫女』だぞ!? 指輪がなくて力が暴走するかもしれねえ! 戦場に出たらどうなるか分かってるのか!? 危険すぎる! 俺の足を引っ張るだけだ!」


「そんなことない……!」


ミューは断固として首を横に振る。


「ベレットと一緒なら、きっと大丈夫! それに、私の力はあなたと繋がっている。そう感じるの! お願い! 私をそばに置いて! もう、あなたと離れたくないの!」


彼女はそう言うと、僅かに背伸びをし、その柔らかく震える唇を俺の頬に強く押し当てた。


――チュッ。


一瞬、時間が止まる。


頬に残る体温と微かな震えが、現実を深く抉る。


「ミュー、お前……」


俺の声が情けなく震えた。


しかし、次の瞬間、俺はすべてを振り切った。


「いいか、俺の言うことを聞け! これはキャプテン命令だ!」


俺はミューを無理やり抱え込み、後部区画の緊急シェルターへと押し込んだ。


「いいか、絶対にここから出るなよ!」


背後でミューのすすり泣く声が聞こえた気がしたが、俺は振り返らなかった。


踵を返し、一目散に格納庫へと走る。


視線の先には、白銀の機体スターゲイザー。


そして、血と硝煙に塗れた絶望的な宇宙戦場だけがあった。

お読みいただき、誠にありがとうございます。


もしよろしければ、下の「ブックマーク」や「評価」をいただけると、今後の執筆の大きな励みになります。


引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。

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