第63話 さらば、ララティーナ。令嬢の決意と「白銀の流星」への果たし状
ワープアウトの微かな振動と共に、スターダスト・レクイエム号は実空間へ復帰した。
目の前に広がるのは、混沌と欲望が渦巻く自由貿易コロニー「ポート・リバティ」。
数日前に出航した時とは、艦内の空気がまるで違っていた。
共有された食事の温もり、共に乗り越えた死線の記憶。
そして、まだ形にならない絆の匂いが、オイルの臭いに混じって漂っている。
……ったく。
俺の船も、ずいぶんと「家庭的」になっちまったもんだ。
ゴウン…… 重い着床音と共に、船体がドッキングベイに固定された。
エアロックが開くと、ポート・リバティ特有の喧騒と熱気が流れ込んでくる。
様々な言語が飛び交う雑踏。
スパイスと排気ガスの匂い。
ポート・リバティの日常だ。
だが、今日は少しだけ、その空気が冷たく感じる。
その桟橋の隣には、すでに一隻の白い船が停泊していた。
ローズマリーが手配した、最新鋭の小型ステルス船。
主を待つ忠実な猟犬のように、静かに佇んでいる。
別れの時だ。
「ララティーナ」
俺は隣に立つ、かつての迷子の令嬢に声をかけた。
「本当に一人で大丈夫なんだな? 無理するんじゃねえぞ」
「ええ、大丈夫です!」
ララティーナは、数日前の怯えを完全に振り払ったかのように、強く澄んだ瞳で俺を見つめ返した。
そのサファイアブルーの瞳に、もう涙の跡はない。
……いい顔になりやがって。
「ローズマリーが、信頼できる護衛の方も、安全な船も、全て手配してくれました。それに、私……もう逃げているだけではいられません。お姉様の真実に、全力で向き合っていきます」
彼女はきゅっと唇を引き結んだ。
「そして約束通り、惑星企業連合の内部情報をあなたたちに送ります。それが、今の私にできる精一杯のことですから」
ただドレスを纏った令嬢ではない。
一人の戦士としての覚悟が、その華奢な背中に宿っていた。
その覚悟の重さを、俺は誰よりも知っているつもりだ。
「そうか。分かった。俺たちもできる限りのことはする。だからお前も、絶対に無事でいろよ」
「はいっ! ありがとうございます! ベレットさん!」
ララティーナは太陽のような笑顔を浮かべ、一枚の白金製のチップを差し出した。
「それと、これ。約束のお礼です。ほんの微々たるものですが」
「……ありがたく貰っておくぜ」
俺はわざと乱暴に、その高価なチップをポケットにねじ込んだ。
湿っぽいのは柄じゃねえ。
「ローズマリー、ミューさん、ナビィさん」
ララティーナは仲間たち一人一人に向き直り、深々と礼をした。
「短い間でしたけど、本当に、本当にありがとうございました。皆さんのこと、決して忘れません。また必ず、お会いしましょう……!」
涙を堪えた笑顔を残し、彼女はタラップを駆け上がった。
白い船は音もなく出航し、ポート・リバティの巨大なエアロックへと、音もなく、まるで泡のように溶けて消えていった。
「行ってしまったわね……」
ミューが寂しそうに呟く。
俺もまた、ぼんやりと霞む空を見つめていた。
あいつもこれから茨の道だ。
だが、俺たちも感傷に浸ってる暇はねえ。
俺はパンと手を叩き、空気を変えた。
「さてと! 俺たちは俺たちのやるべきことをやるぞ!」
「はい!」
「ナビィ! スターゲイザーの修理と弾薬補充を急げ! 強化パーツも買えるだけ買っておけ! ローズマリー、ミュー! お前たちは食料と生活物資の買い出しだ! ここを出たら、次にいつ、こんな文明的な場所に寄れるか、分からねえからな!」
「了解いたしました、マスター」
「承知いたしましたわ」
「はーい! 何かお土産買ってきてあげる!」
三人がそれぞれの準備のために散っていく。
その背中を見送りながら、俺はナビィだけを呼び止めた。
「ナビィ。俺は少し、野暮用を片付けてくる」
俺の声色が、自然と低くなる。
「……ポート・リバティの裏ネットワーク経由で、匿名の依頼データを受け取ってる。どうやら俺宛の『果たし状』らしい」
「……! マスター! それは危険すぎます!」
ナビィの琥珀色の瞳が揺れた。
相棒の優秀な計算回路が、警報を鳴らしているのだろう。
「その依頼は、明らかに罠である可能性が極めて高いです! 相手の素性は特定できているのですか!?」
「ああ、分かってるさ。十中八九、罠だろうな」
俺は自嘲気味に笑い、革ジャンの襟を立てた。
罠だと分かっていても、踏み込まなきゃならねえ時がある。
「だがな、ナビィ。これは俺自身のケジメなんだよ。『白銀の流星』としてのな」
「しかし……!」
「今回のロデオとの一件、もう裏社会じゃ噂になってるはずだ。俺の首には10億の値がついた……」
俺は賑やかな街並みに目を細めた。
守るべきものができた。
それは強さであり、同時に致命的な「弱点」にもなる。
敵は俺を狙うために、平気でこいつらを標的にするだろう。
「だからこそ、これ以上俺の過去の因縁に、お前たちを巻き込むわけにはいかねえ。俺自身の力で、連中に思い知らせてやる必要がある。舐められたままじゃいられねえんだよ、宇宙海賊はな」
先手を打つ。
俺に手を出せばどうなるか、連中に骨の髄まで分からせてやる。
それが、今の俺にできる唯一の「仕事」だ。
俺はナビィの制止を待たずに踵を返した。
背中で「マスター!」と呼ぶ声が聞こえるが、振り返らない。
振り返れば、決意が鈍る。
俺は一人、光と影が交錯する迷宮へと足を踏み入れた。
目指すは港湾地区の最深部、法も秩序も届かない「旧市街」。
果たし状の主が誰なのか、おおよその見当はついている。
避けては通れない戦いだ。
仲間を守るために。
そして、血塗られた自分自身の過去にケジメをつけるために。
ポート・リバティの湿った風が、鉄錆と硝煙の匂いを運んでくる。
ああ、懐かしい匂いだ。
これが俺の住む世界だ。
あいつらには、陽の当たる場所が似合う。
汚れ仕事は、俺一人で十分だ。
「……さて、鬼が出るか蛇が出るか」
俺はホルスターの愛銃を確かめ、闇の中へと消えていった。




