第59話 赤薔薇の誓いと硝子の鍵
【視点:ローズマリー】
スターダスト・レクイエム号の医務室。
船体の微かな振動だけが、この空間が今も宇宙を航行している事実を伝えてくる。
けれど、壁のモニターが告げるのは、平穏な航海でない。
時折走る光の明滅。
ノイズ混じりの断続的な爆発音。
外では今、命を懸けた死闘が繰り広げられている。
「ひっ……!」
その度に、白いシーツの上に横たわるララティーナの華奢な身体が、びくりと小さく跳ねる。
耳を塞ぎ、震えるその姿は、まるで嵐に怯える雛鳥のよう。
サファイヤブルーの瞳からは止めどなく涙が溢れ、プラチナブロンドの髪を濡らしていた。
「ローズマリー、怖い……! また、あの黒い海賊たちが来たのですか……?」
ララティーナは、ベッドの傍らに付き添うわたくしの腕に、しがみついた。
その小さな手の震えが、わたくしの心臓に鋭い棘のように突き刺さる。
……可哀想に。
どれほど恐ろしい思いをしたのか。
かつて、ルビントン邸の庭園で無邪気に笑っていた少女の面影は、今は恐怖という厚い雲に覆われている。
それを招いたのは、他ならぬわたくしが捨て去った「過去」の因果。
「もう、大丈夫ですわよ、ララティーナ様」
母が子をあやすように、優しく背中をさすった。
「悪い宇宙海賊は、ベレット様が今頃、宇宙の塵にしてくださっていますわ。あの御方は、口は悪く、お金にはがめつくて、女心にも鈍感な、どうしようもない方ではございますけれど……」
ふふ、と自然と笑みがこぼれる。
あの方の不器用な優しさと、野獣のような強さを思い出しながら。
「でも、その強さは、この宇宙の誰にも負けないのですから。わたくしが保証いたします」
その言葉に嘘はない。
あの方は必ず帰ってくる。
勝利と共に。
「でも……」
ララティーナは、濡れた顔を上げた。
「お姉様は……ルーナお姉様は、どうしてあんな風に変わってしまったのですか? 昔はあんなに優しかったのに! いつも私の頭を撫でて、優しく笑ってくれていたのに! 私が……私が何か悪いことをしたから? だから、お姉様は私のことを嫌いになってしまったの?」
悲痛な叫び。
わたくしは胸が張り裂けそうになった。
自分を責めるその純粋さが、あまりにも痛々しい。
「いいえ、ララティーナ様」
わたくしは、頬を伝う涙を指先で拭った。
「あなたは、何も、何も悪くはありませんわ。決して。きっと、今のルーナ様も、何か、我々には計り知れない、深くて、重い事情を、その細い肩に、たった一人で、背負っていらっしゃるのです。そうでなければ、あんな、氷の仮面のような、悲しい色を帯びた瞳をなさるはずがありませんもの…」
言葉でララティーナを慰めながらも、心の奥底では、ルーナの真意を、未だ測りかねていた。
一体、なにをしているのかしら?
答えのない問いを繰り返す。
「でも、私、これからどうすればいいのか、もう分からない……」
ララティーナは、深い絶望の淵を覗き込んだように呟いた。
「あの冷たいお屋敷に帰っても、誰も私の言うことなんて信じてくれないのです。お父様も、使用人たちも、みんなルーナお姉様の言いなりなんですもの……」
帰る場所を失った硝子の少女。
誰にも信じてもらえず、孤独に震える魂。
……ああ、なんて残酷な運命。
ですが、同時にわたくしの内なる冷徹な計算機が、静かに告げる。
『今こそが好機だ』と。
この子を守るため、そして未来ためには、この子の「力」が必要なのだと。
「ララティーナ様」
わたくしは、その小さな両手を、強く、優しく握りしめた。
温もりを伝え、安心させ、そして……覚悟を決めさせるために。
「一人で全てを背負う必要は、もうありませんわ。わたくしがここにおります。かつてのように、あなたのそばに」
仮面の下の瞳で、真っ直ぐに見つめる。
「そして、ベレット様も、ミューも、ナビィさんも。皆、あなたの味方ですわ。どうか、わたくしたちを信じてくださいまし」
「ローズマリー……」
ララティーナのサファイヤブルーの瞳に、微かな光が戻り始めた。
今ですわ。
わたくしは、悪魔に魂を売ってでも、この子を導かなければならない。
「ですから、ララティーナ様。わたくしたちに、あなたの力を貸していただけませんか?」
「え……?」
「あなたのお姉様……ルーナ様の、その氷の仮面の下に隠された、真実を、共に突き止めるために。そして、惑星企業連合という、この宇宙を覆い尽くす巨大な組織が企む、恐ろしい陰謀を、阻止するために。ルビントン家の令嬢である、あなたにしか、到達できない真実、あなたにしか、開けない扉が、きっと、あるはずですわ」
これは賭け。
そして、か弱い少女を再び戦いの渦中に巻き込む、残酷な提案でもある。
わたくしは、守ると言いながら、この子を「鍵」として利用しようとしている。
ララティーナは、しばらくの間、戸惑いと迷いの間で揺れていた。
しかし、やがて顔を上げた。
その青い瞳には、もう怯えの色はない。
あるのは、宇宙の星々のように強く、澄んだ決意の光。
「分かりましたわ!」
ララティーナは、涙を拭い、凛と言い放った。
「私、協力します! お姉様の本当の笑顔を、もう一度見たいから! ローズマリーの力になりたいから!」
「ありがとうございます、ララティーナ様!」
わたくしは、心からの安堵と共に、深く頭を下げた。
あなたのその勇気、決して無駄にはいたしませんわ。
「では、早速ですが、まずは、惑星企業連合の内部情報について、可能な限りお聞かせいただけますでしょうか?特に、最近のルーナ様に関して、何か、お気づきの点はございませんでしたか?」
わたくしはすぐに「仕事」の顔に戻った。
ララティーナは小さく頷き、知っている限りの情報を語り始めた。
その声を聴きながら、わたくしは仮面の下で唇を噛み締める。
胸の奥で、罪悪感が疼く。
ごめんなさい、ララティーナ……。
あなたを守るためとはいえ、わたくしはあなたを修羅の道へ引きずり込んでしまった。
でも、これも、あなたを守るため。
どうか、許してちょうだい。
すべては、契約のため。
この罪は、いつか必ず償うわ。
たとえ地獄の業火に焼かれようとも、あなたという希望の光だけは、この命に代えても守り抜いてみせますわ。




