第57話 見えない敵を撃て!10億の男と星詠の巫女
【視点:ミュー・アシュトン】
星々の墓標が散らばる、アステリア・リーフの深淵。
スターゲイザーは、巨大な小惑星の冷たい影に滑り込み、息を潜めていた。
狭いコクピットの中は、張り詰めた静寂と、私たち二人の早鐘を打つ心臓の音で満たされている。
すぐ隣に座るベレットの体温が伝わってくる。
汗と、機械油と、古い革の匂い。
いつもなら安心するその匂いが、今はひどく切迫した「戦場」の匂いに感じられて、私の胸を締め付ける。
「ナビィ!」
ベレットが通信機に低く、鋭く命じる。
「レクイエム号と、ララティーナ、そしてローズマリーを頼む! 何があっても、絶対に守り抜け!」
『了解いたしました、マスター。本艦の防御フィールド、最大レベルにて展開。迎撃システム、オンライン。必ずや、お守りいたします』
「ローズマリー! 聞こえるか! ララティーナのこと、頼んだぞ!」
『御意に、ベレット様。こちらも抜かりはありませんわ。それよりも、どうか、ご無事で……!』
通信の向こうの二人の声には、隠し切れない不安が滲んでいた。
ベレットは、その心配を心の奥底へ押し込むように、前方の闇を睨みつける。
……また、そうやって全部一人で背負い込む。
彼の顔は、これまで見たことがないほど険しかった。
「ミュー」
彼は、私に囁くように尋ねた。
「ヤツらの位置は、分かるか? あのクソッタレども、ステルスで気配を消してやがる」
「うん……」
私は目を閉じた。
深呼吸をする。
肺の奥まで、コクピットの空気を吸い込む。
指輪がない状態でのフォワードは、まるで灼熱の鉄で神経を直接焼かれるように痛い。
でも、弱音なんて吐いていられない。
「感じる……! 黒くて、ザラザラした、ヘドロみたいな嫌な感じ……! 数は……少なくとも10隻以上……!」
瞼の裏で、どす黒い光が明滅する。
頭蓋骨がきしむような頭痛。額から冷たい脂汗が滲む。
痛い……怖い……。
でも!
ここで私が挫けたら、ベレットが死んじゃう。
「リーダー格の、一番大きくて汚い気配は……あの牙みたいな小惑星の、ちょうど裏側……!」
「よし、よくやった、ミュー! それで十分だ!」
ベレットの力強い声が、痛みを吹き飛ばしてくれる。
彼はスロットルを回し、スターゲイザーを滑らせた。
「奴らの横っ面を、ぶん殴りに行くぞ! 有利な位置を取る!」
小惑星の影から影へ。
まるで闇に溶け込む銀色の亡霊のように。
でも、その瞬間。
『――強制通信回線、オープン!』
メインモニターに、警告表示と共に歪んだ映像が映し出された。
そこにいたのは、画面越しに悪臭が漂ってきそうな、毛むくじゃらの獣人の顔。
裂けた口元から覗く鋭い牙。
血走った眼。
……うっ。気持ち悪い……!
生理的な嫌悪感が、胃の腑からこみ上げてくる。
なんて禍々しいオーラなの。
『グハハハハッ! 久しぶりだなァ、ベレットォ! 『白銀の流星』よォ! こんな掃き溜めで、お前さんにまた会えるとはなァ!』
下品な笑い声がコクピットを満たす。
「ロデオ…!」
ベレットは、憎々しげに、その名を吐き捨てた。
「テメエ…!やっぱり、ララティーナの船を襲ったのは、テメエらの仕業か!ハイエナみてえなあ、陰湿な野郎だぜ!」
『グハハハッ!お前さんこそ、相変わらず、口だけは達者だなァ!』
「うるせえ!ハイエナ風情のウルフパックが!」
『まぁいい。ベレットォ!お前のその生意気な首には、今や、10億クレジットもの、途方もねぇ懸賞金がかけられてるんだぜェ!』
ロデオは、下品な舌なめずりをしながら言った。
『貴様に戦いを挑むのは宇宙海賊としての、最高の誉れってもんだァ!今日こそ、その首、へし折って、綺麗に磨いて、俺様の艦長室に飾ってやるからなァ!』
彼は、獣のような獰猛な笑みを浮かべた。
「10億……!?」
私は息を呑んだ。
心臓が止まるかと思った。
10億クレジット……?
ベレットが、そんな国家予算みたいな大物の賞金首!?
だとしたら……。
……ああ、そうだったの?
点と線が繋がる。
どうして彼が、あんなに頑なに私を遠ざけようとしたのか。
どうして、「お前は船で待ってろ」なんて冷たいことを言ったのか。
私が足手まといだからじゃない。
自分が抱えている「死」のリスクが大きすぎるから、私を巻き込みたくなかったんだ。
ベレット……。
胸が締め付けられるように痛む。
こんな巨大な悪意を、たった一人で背負って、涼しい顔をして……。
馬鹿みたい。
私、自分が子供扱いされたって怒ってばかりで、彼の本当の想いに気づいてなかった。
「10億、ねえ」
ベレットは鼻で笑った。
強がりなんかじゃない、本物の不敵な笑み。
「そんな大金、俺の首に、それほどの価値があるとは思えねえがな。だが、まあ、いい。どっちにしろ、テメエらみてえな、汚ねえ犬どもに、くれてやる首は、持ち合わせちゃいねえ!さっさと、その醜悪いツラ、引っ込めて、失せろ!」
『グゥハハハハハ……威勢がいいことよ! 」
ロデオの喉が、低く唸った。
『だが、ここは俺様の縄張り。今の貴様に、何ができるというのだァ!?見せてやろう!このウルフパック艦隊の真の牙!我らが誇る、不可視の狩猟術をな!野郎ども、かかれぇ!不可視の牙で、あの白銀の獲物を、八つ裂きにしてしまえェェェェェ!!』
ロデオの咆哮と共に、闇の中から無数の「殺意」が放たれた。
レーダーには映らない。
音もなく忍び寄る、不可視の死の群れ。
「クソッ!」
ベレットが操縦桿を叩く。
どんなに操縦が上手くても、見えない敵の攻撃なんて避けられるわけがない!
ドガァァァン!
「きゃっ!」
「ぐっ!」
機体が激しく揺さぶられる。
衝撃で身体が浮き上がる。
目隠しをされたまま、毒針の雨の中を歩かされているみたい。
ダメ……このままじゃ、やられる!
私が……私がベレットの「目」にならなきゃ!
守られるだけの私じゃなくて、共に戦うパートナーになるんだって、さっき誓ったばかりじゃない!
私は歯を食いしばり、脳が焼き切れる覚悟でフォワードの感覚を全開にした。
魂の網膜に、不可視の軌跡を焼き付ける。
「ベレット! 左! もっと低く! 今度は、右斜め上から、三つ……!」
「サンキュー、ミュー! 助かる!」
私の声を頼りに、ベレットが神業的な機動を見せる。
私の言葉が、彼の手足になって動いている。
スターゲイザーは、見えない死の隙間を縫うように、狂ったダンスを踊り始めた。
「左舷! 後方! 四隻がステルスを解除して……! 高出力プラズマ弾、来るわ!」
映像が見えた。
攻撃の瞬間、ステルスが解ける一瞬の隙!
私の脳裏に浮かんだ映像が、そのままベレットに伝わっていく感覚。
「このビジョンが本物なら……そこを狙う!」
「魚雷攻撃が来る! 右前方! 距離3000!」
「もらった!」
ベレットは迷わず、何もない空間に向けてトリガーを引いた。
青白いレーザーの奔流が闇を切り裂く。
ズバババババッ! ドゴォン!
「やった! 撃沈よ!」
黒い影が爆発し、宇宙の塵となる。
……繋がってる!
言葉なんていらない。
私の感覚と、ベレットの反射神経が完全に一つになってる。
これが……二人で戦うってこと!
「攻略法が分かったぜ、ロデオ!」
ベレットの剃刀色の瞳が、ギラリと光る。
その顔が、涙が出るほど頼もしくて、どうしようもなく好きだと思った。
『グハハハハ!見事だ!さすがは、我が終生の好敵手よォ!だがなァ!いつまで、その攻撃を、続けられるかなァ!?』
ロデオの嘲笑が響く。
『このアステリア・リーフの小惑星は、俺様の味方よ!野郎ども!全艦、全弾、撃ち尽くせェ!不可視の牙を、飽和攻撃で、叩き込めェェェェェ!!』
「嘘……」
私は絶句した。
フォワードで感じる殺意の数が、桁違いに増えた。
周囲の闇すべてが、敵になったみたい。
数百発の不可視のミサイルと魚雷が、雨あられのように私たち目掛けて降り注いでくる。
逃げ場なんて、どこにもない。
ベレット……!
私は胸元の「星影の涙」のペンダントを強く掴んだ。
怖い。
死ぬのは怖い。
でも、不思議と後悔はなかった。
だって、最期の瞬間まで、私は大好きな人の隣にいられるんだから。
絶対に離さない。
私たちが砕け散るその時まで、私はあなたの目であり続ける!




