表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

61/96

第56話 少女の願い、襲撃の予感と巫女の決意

医務室の静寂。


微かに漂う消毒液の匂い。


ベッドの上で、ララティーナ・ルビントンは真っ直ぐな瞳で俺を見上げていた。


その青白い顔には、怯えとは違う、


か細いが確かな決意の光が宿り始めていた。


「ベレットさん」


「……」


ララティーナは震える手で、俺の掌に何かを押し付けた。


ひんやりとした、滑らかな金属の感触。


「これは、ルビントン家特製の量子暗号通信機です。最高レベルの秘匿性を持っています。これがあれば、いつでも私と直接連絡を取ることができます」


彼女は潤んだ瞳で、祈るように俺を見つめる。


「もう、私には頼れる人はあなたたちしかいないのです。ですから、どうかお願い! 私の本当の優しいお姉様を……ルーナお姉様を見つけ出してほしいのです……! この悪夢のような現実から、救い出してほしい……!」


魂からの叫び。


その重みが、小さな通信機を通じて俺の掌に食い込んでくる。


ルビントン家という巨大な権力の闇。


そこに繋がる「直通回線」。


これを受け取ることは、泥沼に片足を突っ込むことと同義だ。


……ったく。重たい依頼だぜ。


だが、俺はそれを突き返すことができなかった。


目の前の少女が、あまりにも必死で、あまりにも無力だったからだ。


「ああ、分かった」


俺は通信機を握りしめ、低く答えた。


柄じゃねえと思いながらも、覚悟を決める。


「できる限りのことはしてやるさ。ただし!」


俺は悪戯っぽく、ニヤリと笑ってみせた。


「報酬は、たんまりともらうからな!」


「……、はい!」


ララティーナの顔に、安堵の色が浮かぶ。


……その顔が見られりゃ、まあ悪くねえか。


「ローズマリー。ララティーナのこと、しっかり守ってやれ」


「御意に、ベレット様。この命に代えましても」


ローズマリーの言葉には、奇妙なまでの覚悟が滲んでいた。


その仮面の下にある「本気」を感じ取り、俺は小さく頷いて医務室を後にした。


          ◇


ブリッジへ戻りながら、俺は大きく息を吐いた。


厄介なことに首を突っ込んだもんだ。


だが、後悔はねえ。


「ナビィ、スターゲイザーの出撃準備だ。補給は終わったんだろう?」


『はい、マスター。戦闘行動は可能です。ですが、出撃なさるのですか?』


ナビィの声に疑問が混じる。


「偵察だけだ」


俺は、アステリア・リーフで見た惨状を思い出していた。


あの執拗な破壊痕。


そして、生存者をあえて一人だけ残すやり方。


何かが喉に引っかかる。


この違和感はなんだ?


……そうだ。


獲物を追い詰め、いたぶり、最後に「絶望」を味あわせるような手口。


「どうにも引っかかる。あの手際……俺が知るクソッタレな連中のやり口に似すぎてるんだよ」


背筋がゾクリとする感覚。


これは「虫の知らせ」なんて生易しいもんじゃねえ。


戦場で培った、死神の足音を聞き分ける「嗅覚」だ。


獣の気配。


ステルスで忍び寄り、喉笛を食いちぎるハイエナどもの記憶。


「こういう嫌な予感ってやつは、大抵当たるもんだ。ララティーナを襲った連中が、まだこの宙域に狼みてえに潜んでいるかもしれねえ」


俺は決然と格納庫へ向かった。


もし俺の予想が正しければ、俺たちは既に「包囲網」の中だ。


だが、そこで予想外の壁が立ち塞がった。


「ベレット! 待って!」


ミューだ。


彼女は俺の行く手を阻むように立ちはだかった。


そのラピスラズリの瞳には、不安と、強い決意の色が揺らめいている。


「私も行くわ! あなた一人でそんな危険な場所に行かせるわけにはいかない!」


「ダメだ、ミュー」


俺は冷たく突き放した。


これから行くのは「死地」だ。


お前のような子供が来ていい場所じゃねえ。


「お前は船で待ってろ。これは俺自身の問題だ。それに、相手が本当に『ヤツら』だとしたら、筋金入りの殺し屋だぞ。力が不安定なお前が行っても、足手まといになるだけだ」


わざと厳しい言葉を選んだ。


憎まれてもいい。


ここで遠ざけることが、お前を守る唯一の方法だ。


「……! また! またそうやって、私を子供扱いして遠ざけるのね!?」


ミューの瞳から涙が溢れた。


その涙が、俺の胸をチクリと刺す。


「私が未熟な『星詠の巫女』だから!? 足手まといだとでも言うの!? 違う! 私はそんな大層なものじゃない! 私はただのミューよ! あなたのそばにいて、あなたを守りたい、ただそれだけなのよ!」


「ミュー、落ち着け。お前の気持ちは痛いほど分かる。だがな……」


俺は視線を逸らした。


コイツを危険に晒したくない。


ただそれだけなんだが、言葉にするのは難しい。


「お前はアシュトン公爵家の令嬢なんだぞ。家族だって、きっとお前の身を案じているはずだ。自分の命を、もっと大切にしろ!」


「家族……!?」


ミューは嘲るように、悲痛な響きで笑った。


その表情を見て、俺は失言だったと悟った。


「私を研究対象として、道具としか見ていなかったあの人たちが!? いいえ! もうあの人たちは私の家族なんかじゃない! 私の居場所はここだけなの! ベレット、あなたのそばだけなのよ!」


彼女は俺の胸倉を掴み、涙ながらに訴えた。


その手は震えていたが、俺を離そうとはしない。


「ララティーナとローズマリーを見て分かったの! 身分なんて、血の繋がりなんて関係ないんだって! 心が、魂が通じ合っていれば、それが本当の『家族』なんだって! 私は……! 私はあなたと、そんな風になりたいのよ!」


「……!」


言葉が詰まる。


家族、か。


そんな温かいもん、とっくに捨てたと思ってたが……コイツは本気で俺を。


「ミュー。俺は……」


その言葉に胸を打たれ、何かを言いかけた瞬間だった。


『――警告! 警告! 緊急事態発生!』


けたたましい警報音が艦内に響き渡る。


ナビィの絶叫に近い声が、最悪の現実を告げる。


『艦外より複数の高エネルギー反応、急速接近中! ステルス機能の使用を確認! フォワードエネルギー照合完了! ……宇宙海賊……『ウルフパック』です!!』


「……! ウルフパック!? やはり、ヤツらか!」


最悪の予想が的中した。


獣人ロデオ率いる、残忍にして狡猾な狼の群れ。


因縁の宿敵であり、血に飢えた殺戮者たち。


「ミュー! 早くシェルターへ行け!」


俺は反射的にミューを突き飛ばすように促した。


今は議論している暇はねえ。


だが、彼女は怯むどころか、俺の制止を振り切って走り出した。


目指す先は――スターゲイザーのコクピット。


「嫌! 私も戦う!」


彼女はシートに飛び乗り、強い意志を宿した瞳で俺を見つめ返した。


「もう、ベレットに守られてばかりいるのは終わりにする! 今度こそ! 私がベレットを守るんだから!」


その瞳には、もはや一片の迷いもなかった。


恐怖よりも、俺と共に在りたいという渇望。


……なんて顔をしやがる。


守られるだけのお姫様は、もうどこにもいねえ。


そこにいるのは、一人の戦士だ。


「ミュー、お前……」


俺は息を呑んだ。


ここで無理やり引きずり降ろすこともできる。


だが、それはコイツの魂を殺すことになる。


俺は……コイツの覚悟を背負うしかないのか。


「……はあ。分かったよ、好きにしやがれ」


俺は観念して、ミューの後を追ってコクピットへ滑り込んだ。


隣に座る小さな相棒の体温を感じながら、俺は覚悟を決める。


「だがな、絶対に無茶はするな! そして俺の指示には必ず従え! いいな!?」


「うん、ベレット!」


ハッチが閉まり、静寂が訪れる。 だが、外には牙を剥いた狼たちが待っている。


「行くぞ、ミュー! 狼退治だ!」


二つの魂を乗せた、白銀の流星。


スターゲイザーは、因縁の獣の群れが待ち受ける漆黒の宇宙へと、今、その翼を広げた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ