第52.5話 鮮血のルージュを引き、再び仮面を。ブラッディ・ローズの覚悟
【視点:ローズマリー】
ミューが部屋を出ていき、重厚な扉がカチャリと閉まると、再び静寂が戻ってきた。
けれど、先ほどまでこの部屋を支配していた、凍り付くような冷たさはもうない。
あの子が置いていった不器用な優しさと体温が、冷え切ったわたくしの心に、小さな、けれど温かな灯火を点してくれた気がした。
……ふふ。あのような小さな身体で、大人のわたくしを励まそうなどと。
生意気なチビ助さん。
けれど、その無垢な瞳に見つめられた時、わたくしは仮面の下で呼吸を忘れるほど動揺してしまった。
それはまるで、汚れた鏡を磨かれたような、気恥ずかしさと救い。
わたくしは震える手で留め具を外し、ゆっくりと仮面を取った。
解放された肌に、艦内の空気が冷たく触れる。
窓の外に広がるのは、無限の星屑と、どこまでも続く深淵の闇。
クリスタルガラスに映る自分の素顔は、情けないほどに涙で濡れていた。
指先で濡れた頬をなぞりながら、わたくしの意識は、遠い過去の記憶へと引き戻されていく。
ララティーナ……。
――『ローズマリー、行かないで! 待って、ローズマリー!』
耳の奥で、あの子の泣き叫ぶ声がリフレインする。
あの日、雨の降るルビントン邸の庭園。
泥だらけになりながら、わたくしのメイド服の裾を掴んだ、小さな手。
わたくしはその手を……愛しい手を、この手で振りほどいてしまった。
『ごめんなさい。わたくしには、行かなければならない場所があるのです』
振り返らずに去った背中に、あの子の絶望が突き刺さるのを背中で感じながら。
あなたは、わたくしを恨んでいるでしょうか。
それとも、軽蔑しているでしょうか。
記憶の中のあなたは、花壇の前で、「ローズマリーのためにお花冠を作ったの!」と、太陽のような笑顔を向けてくれてた。
あの笑顔を曇らせたのは、他ならぬわたくし自身。
だから……今度会う時も、どうか笑顔でいてほしいなんて、そんな都合の良い願いは口が裂けても言えない。
罵られてもいい。
叩かれてもいい。
たとえ、「裏切り者」と呼ばれたとしても。
ただ、生きていてさえくれれば。
わたくしはそっと、窓に映る自分の顔に触れた。
星々が瞬く瞳。
指先は氷のように冷たく、まだ微かに震えていた。
だが、この震えはもう、喪失への恐怖ではない。
これは、戦いへの武者震い。
どうか、無事でいて!
誰が何と言おうと、銀河の理に背いてでも、必ずあなたを救ってみせますわ!
わたくしは、ドレッサーから口紅を取り出し、薄くなった唇に鮮血のような赤を引いた。
そして、涙を拭い、決意と共に再び仮面を装着する。
カチャン。
硬質な音が、迷いを断ち切るように響いた。
鏡の中に、もう泣き虫はいない。
アステリア・リーフへの到着は、もう間もなく。
泣いている暇などありませんわ。
わたくしは「ブラッディ・ローズ」。
気高く、残酷に咲き誇る、血塗られた薔薇。
たとえ地獄の底からであろうと、この手で必ず、大切な人を連れ戻してみせますわ。




