第52話 心配する巫女、語られる仮面の淑女の過去
【視点:ミュー・アシュトン】
スターダスト・レクイエム号は、虹色の光が流れる時間の回廊――ワープ空間を滑るように進んでいた。
窓の外を流れる光の帯は綺麗なのに、今の私にはそれが、これから向かう「何か」へのカウントダウンみたいに見えて、胸がキュッとなる。
目指すは、難破船が眠る宇宙の墓場――アステリア・リーフ。
艦内には、いつもとは違う、重く張り詰めた空気が満ちていた。
……怖い。
何かが起こりそうな、嫌な予感。
私の「フォワード」が、ビリビリと肌を刺すような、冷たい緊張感を感じ取っている。
ベレットはブリッジで難しい顔をしているし、ナビィも計算に没頭している。
でも、一番の「震源地」は……間違いなく、あの部屋だ。
私は勇気を出して、ローズマリーの私室の前に立った。
扉の向こうから、鋭い感情の棘みたいなフォワードが伝わってくる。
悲しみ?
焦り?
それとも……恐怖?
あんなに強気で、いつも私をからかってくる「仮面女」が、怯えている?
……放っておけないよ。
好奇心じゃない。
これは、もっと切実な「痛み」の共鳴。
私は深呼吸をして、震える手でノックをした。
コンコン。
「ローズマリー? 入っても、いい……?」
「……!」
部屋の中から、何かが弾かれたような、張り詰めた気配がした。
一瞬の沈黙。
……居留守、使われるかな?
そう思ったけれど、すぐに努めて平静を装った声が返ってきた。
「ええ、大丈夫ですわ」
許可を得て、そっと扉を開ける。
部屋に入った瞬間、私は思わず眉をひそめた。
いつもなら、むせ返るような甘い薔薇の香水が漂っているはずなのに。
今のこの部屋は、まるで野戦病院みたい。
冷たい金属と、消毒液の匂いが鼻をつく。
テーブルの上には、医療キットやサバイバル装備、武器なんかが所狭しと並べられていた。
彼女はそれを、まるで祈りを捧げるような手つきで、何度も何度も点検していたみたい。
その背中は、いつもの優雅な戦闘服姿なのに、なんだかすごく小さく見えた。
「ミュー。何か、御用かしら?」
その声は、いつもの艶やかさがなく、半音くらい高くて、少しだけ震えているように聞こえた。
「ううん、別に用事ってわけじゃないんだけど……」
私は胸元の「星影の涙」のペンダントを、無意識にぎゅっと握りしめた。
この石が、私の不安を吸い取ってくれることを祈りながら。
「なんだか、様子がいつもとすごく違うから。その、心配で……」
正直な気持ちを伝えた。
駆け引きなんてできない。
今の彼女に、嘘は通用しない気がしたから。
「心配ですって?」
ローズマリーは、仮面の下で目を丸くしたような気配がした。
「わたくしのような得体の知れない宇宙海賊の女を、あなたが?」
「だって……」
私は少しむっとして、唇を尖らせた。
「今は一応、『仲間』なんでしょ? それに、さっきからフォワードを通して、すごく苦しそうな色が伝わってくるの。心臓がぎゅーってなるくらい。……見ていられなかったから」
「ミュー……」
ローズマリーは、私の真っ直ぐな視線から逃れるように、顔を伏せた。
そして、深い、本当に深いため息をつくと、ソファに力なく腰を下ろした。
その姿は、いつもの「女海賊」なんかじゃなくて、ただの傷ついた一人の女性に見えた。
「少し、昔のことを思い出していただけですわ。感傷的になるなんて、わたくしらしくもないのですけれど」
彼女は白い手袋に包まれた手で、そっと胸元を押さえた。
そして、ぽつりぽつりと語り始めた。
「わたくしが、まだ宇宙海賊になる前のこと……」
それは、彼女がまだ「メイド」として、ルビントン家に仕えていた頃の話だった。
ララティーナ・ルビントン。
今回の依頼のターゲットである、行方不明の令嬢。
ローズマリーの話の中に出てくるその子は、まるで天使みたいに純粋で、彼女のことを本当の姉のように慕っていたらしい。
「あの方の髪を梳かすのが、わたくしの日課でしたの。朝の光の中で、あどけない笑顔を向けてくれて……」
その光景を思い浮かべているローズマリーの声は、蕩けるように甘くて、優しくて、そして泣きたくなるほど切なかった。
……そっか。
ローズマリーにも、そんな温かい時間があったんだ。
意地悪で、計算高くて、ベレットに色目を使う嫌な女だと思ってた。
でも、今の彼女からは「愛」しか感じない。
「でも……」
突然、彼女の声が陰る。
まるで雲が太陽を覆い隠すように。
「あのお家には、わたくしには計り知れない深い闇がございました。わたくしは、その渦に巻き込まれ……ララティーナ様の前から、何も告げずに姿を消さなければならなくなったのです」
仮面の下の唇が、悔しそうに歪むのが分かった。
握りしめられた拳が、震えている。
「あの子を、たった一人、あの家に残して……」
「……」
私は何も言えず、ただ彼女の悲しみの波を全身で受け止めていた。
置いてきてしまった後悔。
守れなかった自責の念。
それは、私がベレットを一人ぼっちにしてしまった時の気持ちと、どこか似ている気がした。
私たち、似た者同士だったんだ……。
「ですから、今回のお名前を聞いて少し動揺してしまいましたの。お見苦しいところをお見せしましたわね」
ローズマリーは、顔を上げて、無理やり作ったような明るい笑顔を向けた。
「でも、もう大丈夫。どうか心配なさらないで」
「……嘘つき」
私は小さな声で呟いた。
私のフォワードは誤魔化せない。
彼女の心の中で、冷たい雨が降っているのが分かるもの。
「あのね、ローズマリー」
私は一歩、彼女に近づいた。
いつもの私なら、こんなこと言わない。
でも、ベレットならきっとこうする。
困っている仲間を、放っておかないはずだから。
「私に何かできることがあったら、言ってね。私、ただのお荷物はもう嫌なの! 私のこの力だって、役に立てるかもしれないから! 探し物なら、私のフォワードが得意だし!」
私は精一杯、背伸びをして言った。
あなたの力になりたい。
ベレットだけじゃなくて、あなたのことも助けたいの。
「ふふっ」
ローズマリーが、初めて自然に、柔らかく笑った。
その笑い声は、薔薇の香りのように優しく私の耳に届いた。
「ありがとう、ミュー。ですが、あなたのような可愛らしいチビ助さんに、そんな大層なことができるとは到底思えませんけれど?」
「なっ……! も、もう! 誰がチビ助よっ! せっかく心配してあげたのに!」
私は顔を真っ赤にしてぷいっと顔を背けた。
もうっ! どうしてローズマリーは、いつも一言多いの!?
でも、その憎まれ口すら、今は少しだけ温かく感じる。
彼女がいつもの調子を取り戻してくれたなら、それでいい。
私がチビ助扱いされた甲斐もあったってものよ。
「もう、知らないっ! ベレットに言いつけてやるんだから!」
私は照れ隠しに、足早に部屋を出た。
でも、扉を閉める直前、背中に小さな、とても優しい声が聞こえた気がした。
『ありがとう』と。




