第22話 女帝の幕引きと戦士の旅立ち
数時間の、甘く危険な高速航行。
俺たちを乗せた漆黒の高速艇は、デブリベルトの奥深く、地図から抹消された宙域へと滑り込んだ。
眼前に現れたのは、ただの巨大な岩塊。
表面には宇宙塵と氷が張り付き、誰の目にも単なる浮遊物にしか見えない。
だが、その偽装された外皮の裏側には、驚くべき光景が広がっていた。
輝く金属の床、整然と並ぶ補給ユニット、昼間のように明るい照明。
無法地帯ジャンクヤードの薄汚れたイメージとはかけ離れた、小国の軍事要塞。
「ようこそ、ベレット様。わたくしの、ささやかな城、『バロネス基地』へ」
高速艇から降り立ったローズマリーは、まるで迷子を導く聖母のように、俺の手を引いた。
その瞬間。
どこからともなく現れた歴戦の猛者たちが、一糸乱れぬ動きで整列し、彼女の前に深く頭を垂れた。
その動きには、軍隊以上の規律と、絶対的な畏怖が宿っている。
「「「ボス! おかえりなさいませ!!」」」
地鳴りのような咆哮が、巨大なドックを揺らす。
「ご苦労。皆、顔を上げなさい」
ローズマリーの声が変わった。
俺に見せる甘い猫なで声ではない。
冷徹で、威厳に満ちた、絶対的な支配者の響き。
瞬時にして切り替わる、甘美な美女から冷酷な女帝への変貌。
おいおい、マジかよ……。とんだ古狸じゃねえか
俺は舌を巻きつつ、彼女の背中を見つめた。
ローズマリーは俺に向き直ると、ふわりと甘えるような下僕の貌に戻る。
「さあ、さあ、ベレット様。わたくしの城を、ご案内いたしますわ」
◇
案内された格納庫には、予備機と思われる新品同様のクリムゾン・ローゼスが数機。
さらに、惑星企業連合製の最新鋭戦闘機が牙を研いで並んでいる。
壁一面の武器庫には、エネルギーライフル、プラズマソード、対艦ミサイル。
どれもこれも、海賊風情が持っていていい代物じゃねえ。
そして、奥の貯蔵庫。
重厚な扉が開かれた瞬間、俺の思考は真っ白に染まった。
「……!」
眩いばかりの金塊。
希少な宝石。
そして、山のように積まれたクレジットチップ。
照明を反射し、部屋全体が金色と虹色の狂気で満たされている。
俺の剃刀色の瞳が、獲物を見つけた猛禽類のように見開かれた。
かね、カネ、金……!
この輝きは、俺の汚れた魂さえも浄化しちまいそうだ。
「これだけのモンを、お前が?」
「ふふ、これらは、わたくしが『ブラッディ・ローズ』として星々を駆け巡り、ほんの少しだけ蓄えさせていただいたものですわ」
「ブラッディ・ローズは伊達じゃねえってことか。こんだけの輝き、一生見てられるぜ」
俺の顔には、隠しきれない純粋な強欲と、それを実現したこの女への歪んだ敬意が浮かんでいたはずだ。
「ええ。ベレット様に喜んでいただけて、何よりですわ」
ローズマリーはこともなげに言った。
だがその声には、彼女が背負ってきた血塗られた歴史の重みが、微かに滲んでいた。
◇
必要な物資と予備機を積み込むと、ローズマリーはドックに集まった部下たちに向き直った。
その表情は再び、冷徹な女帝のもの。
「皆、聞いてちょうだい」
静まり返ったドックに、凛とした声が響く。
「今日この日をもって、『ブラッディ・ローズ』という海賊は星々に帰ります。これからわたくしは、『白銀の流星』、ベレット・クレイ様という新たなる主に仕える、一人の戦士として生きることを決意いたしました」
部下たちの間に動揺が走る。
悲しみ、戸惑い、そして裏切られたかのような怒り。
彼らにとって、彼女は絶対的な世界そのものだったのだ。
「皆には、これまでの忠誠と働きに心から感謝いたします。この基地と、ここに残された全てのものは、好きに使ってくれて構いませんわ。皆、達者で暮らしてくださいまし」
揺るぎない決意。
誰もが黙って、その言葉を受け入れるしかなかった。
数人の女海賊がその場に崩れ落ち、静かに涙を流している。
彼女は一度だけ深く頭を下げ、二度と振り返ることなく、紅蓮のブーツを響かせて高速艇へと歩き出した。
その背中は、過去を断ち切る覚悟を雄弁に物語っていた。
高速艇に乗り込む直前、ナビィが静かに彼女に問いかけた。
「これで、本当によろしかったのですか? ローズマリーさん」
「ええ」
ローズマリーは高速艇を見つめながら答えた。
「こう見えて、わたくしは惑星企業連合の名門、ルビントン家のメイドとして生きていた時期もございますのよ。海賊としての生き様に、そこまでの執着はございませんわ。それに……」
彼女は俺の方を見つめてきた。
仮面の下で、唇が微かに熱を帯びた微笑みを浮かべる。
「今のわたくしの、帰るべき場所は、ベレット様のおそばだけ、なのですから」
俺は肩をすくめ、黙ってタラップを上がった。
重すぎる宣言だが、まあ、悪くはない。
それに、この莫大な持参金があるなら、多少のワガママは聞いてやるさ。
◇
――その時。
俺たちの背後、アジトに残された部下の一人が、物陰で通信機を取り出していたことになど、気づく由もなかった。
「……こちら、バロネス基地。緊急事態発生! ボスが……。ええ、男と……。至急、『本部』へ連絡を……!」




