第20話 仮面の淑女の「待ち人」、漆黒の密室にて ローズマリー
※【視点:ローズマリー】
わたくしが用意した「お迎え」に、ベレット様は目を丸くしていらっしゃいました。
ふふ、その表情が見たかったのですわ。
ジャンクヤードの薄汚れた風景には似つかわしくない、流線型の漆黒の高速艇。
わたくしが呼び寄せた、とっておきの「翼」。
スターダスト・レクイエム号に並ぶその姿は、まるで深淵に潜む優雅な捕食者のよう。
「おいおい、こんなモン、どこで手に入れやがったんだよ」
ベレット様の呆れたような、けれど隠しきれない感嘆を含んだ声。
「ふふ、それは、淑女の秘密ですわ」
わたくしはベレット様の射るような視線を涼しい顔で受け流し、真紅のブーツを高らかに鳴らしてタラップを登った。
さあ、参りましょうか。 わたくしたちだけの、愛の逃避行へ。
◇
高速艇のラウンジ。
ここはわたくしが、ベレット様をおもてなしするために設えた、特等席。
深紅の絨毯は足音を吸い込み、壁には抽象画。
ほのかに香るシトラスのアロマと、銀河の広がりを感じさせるアンビエント・ミュージック。
すべては、戦いに疲れた彼の心を癒やすための演出。
けれど、当のベレット様ときたら。
過剰なまでの快適さに居心地が悪そうに、ソファの端で身を固くしていらっしゃいます。
その不器用さが、たまらなく愛おしいのですけれど。
対角には、あのアンドロイドのナビィさんが、完璧なポーカーフェイスで座っている。
まあ、お目付け役といったところかしら。 でも、今はあのやかましいチビ助さんはいません。
このチャンス、逃す手はありませんわね。
「ベレット様」
わたくしは猫が甘えるように、しなやかに体勢を変え、彼の逞しい腕に自分の腕を絡ませた。
ああ、なんて硬くて、温かい腕……。
戦闘服越しにも伝わるその熱に、わたくしの心臓は早鐘を打ってしまいそうです。
「お気分はいかがですか?」
耳元で囁き、豊満な身体をこれみよがしに押し付ける。
ふふ、ベレット様の身体がビクリと跳ねましたわ。
この反応、ゾクゾクします。
「おい、鬱陶しい、ひっつくんじゃねえ」
口ではそう仰いながらも、完全に拒絶なさらないお優しさ。
「ふふふ。良いではありませんか。あの、やかましいチビ助さんは、いないのですから」
「そういう問題じゃねえ」
「くすくす。ささやかな船旅を楽しみましょう」
わたくしは悠然と微笑み、一度その温もりから離れた。
次は、とっておきのサプライズですわ。
バーカウンターへ向かい、キャビネットを開ける。
ベレット様の視線が、わたくしの背中、ヒップラインに注がれているのを感じた。
もっと見て。もっと、わたくしに溺れてくださいまし。
取り出したのは、繊細なクリスタルグラスと、厳重に保管された一本のボトル。
「ワインでもいかが? 最高級のものですわよ」
「ああ、もらうぜ」
諦めたようにグラスを受け取るベレット様。
わたくしは、血のように濃いルビー色の液体を注いだ。
芳醇な香りがラウンジに広がる。
ベレット様が、ふとボトルのエッチングに目を留めた。
さあ、驚いてくださるかしら?
「おい、このワイン……」
「ええ、1000年銀河ワインですわ」
「おい! 何で、そんなシロモノが、こんなとこにあるんだ!?」
予想通りのナイスリアクション!
ボトル一本で中型船が買える、伝説のワイン。
貧乏性なベレット様には、刺激が強すぎたかしら?
「ふふふお口に合いませんでしたか? では、エリクサーシャンパンはいかが? こちらは、もう少し、甘美な味わいですわよ」
「お前、どうなってやがるんだ!? ったくよ」
ベレット様はこめかみを抑え、深いため息をついた。
ご自分の全財産よりも高いワインを前に、プライドが刺激されたようですわね。
でも、いいのです。
あなた様には、銀河で一番のものを味わっていただきたいのですから。
「まあまあ、ゆっくりと飲みましょう。時間はあるのですから」
再び隣に座り、身体を預ける。
グラスの中で揺れる深紅の液体。
沈黙の中、ベレット様がふと、真剣な眼差しをわたくしに向けた。
「なんであん時、ジャンクヤードのあのバーに居やがったんだ?」
核心を突く問い。
あの運命の出会いについて。
「たまには、バーで、飲みたくなる時もあるでしょう?」
わたくしはグラスの縁を指でなぞり、はぐらかしました。
「こんな上物の酒を、持ってるくせにか? 男でも漁ってたのかよ?」
まあ、なんて口の利き方!
海賊らしい軽口ですけれど、淑女に対して失礼ですわ。
わたくしは彼の胸板に指を這わせ……チクリ、とつねって差し上げました。
「いてえな! 何しやがる!」
「わたくしは、その日暮らしをするような、下賤な尻軽女ではなくってよ! ベレット様は、わたくしをなんだと、お思いになっていらっしゃるのかしら!?」
少しムキになってしまいました。
あなた様以外の男性なんて、石ころと同じですのに。
「泣く子も黙る、女海賊ブラッディ・ローズだろ」
「偏見ですわね」
わたくしは吐息を、彼の首筋に吹きかけた。
「偏見もクソも、事実だろうが。それに、戦いの手癖もひどかったしよ」
「仕事とプライベートを混同しないでくださいませ。わたくしは、どこぞの愚かな女海賊のエルフとは違います。訂正してくださいまし」
あんな野蛮な女と一緒にしないでいただきたいですわ。
「フン、女海賊なんて、どうせろくなもん、いやがらねえからな」
「その風評は、エルフの女海賊のせいですわ! わたくしのせいではありませんことよ」
「似たようなもんだろ」
「違います! わたくしは、ただの淑女ですわよ」
わたくしは抗議の意味を込めて、ぎゅっと腕に抱きついた。
「じゃあ、お前みたいな上玉な淑女が、あんな場末のバーにいやがるんだよ?」
剃刀色の瞳が、わたくしの心の奥底を見透かそうとする。
ああ、その目……。
わたくしが、幼い頃からずっと夢見てきた、孤独で、強くて、寂しがり屋な獣の瞳。
わたくしは観念して、祈るように両手を胸に当てた。
嘘偽りのない、真実の言葉を紡ぐ。
「あのバーにいたのは、待ち人に、会える気がしたからですわ」
「待ち人って?」
わたくしは遠い星空を見つめた。
「わたくしが、まだ、何も知らない幼い少女だった頃から、ずっと、焦がれ続け、そして、かけがえのない、大切な人……」
あの日の約束。
あの日の背中。
あなたは覚えていらっしゃらないかもしれないけれど。 わたくしはずっと………。
ラウンジに静寂が満ちた。
ベレット様は、気まずそうに頭をかいた。
「……邪魔したようで、悪かったな」
ふふ、鈍感なお方。
わたくしは彼の肩に頭を預け、濡れた瞳で見上げた。
「ふふふ、本当に、悪いお人ですこと」
今はまだ………。
この関係を、もう少しだけ楽しみたいのです。
「ナビィ。ローズマリーのアジトまでの航路、問題ねえか?」
ベレット様が照れ隠しのように話題を変えます。
「航路、再計算完了。特に問題ありません」
ナビィさんが淡々と答える。
「到着予定時刻まで、お二人は、どうぞ、ごゆっくりお過ごしください」
その琥珀色の瞳が、わたくしの心の内を見透かしているようで、少しだけドキリとした。
でも、構いませんわ。
今は、この温もりを独り占めできるのですから。
ねえ、ベレット様。 わたくしの棘も、毒も、愛も。 すべて飲み干してくださいますわよね?




