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第13話 危険な美女と不機嫌な巫女

ジャンクヤードの闇市。


そこは都市の光が届かぬ深淵、欲望と諦念が渦巻く場所だ。


錆びついた金属の匂い、油と埃が混じり合った独特の悪臭が鼻を突き、機械仕掛けの獣たちの低い唸り声が響いてくる。


俺は、まず行動の糧となる物資の確保と、スターゲイザーの蘇生に取り掛かった。


「ナビィ、悪いが、ガルムの爺の前金に手をつけるぞ。スターゲイザーの修理パーツ、最優先でリストアップしろ。エネルギーパックもだ。それと、レクイエム号の燃料と修理パーツもな。ただし、足がつかねえように、闇ルートで、巧妙にやれ」


『了解いたしました、マスター。ジャンクヤード内のブラックマーケット・ネットワークへ匿名アクセス。追跡不可能な調達ルートを算出します』


ナビィが電子の糸を紡ぎ始める。


彼女がリストアップしたのは、損傷したジェネレーターコア、摩耗したアームユニットの補強材、そして旧式機体に対応する希少な高出力エネルギーパック。


俺は、重い足取りでジャンクヤードの迷宮へと足を踏み入れた。


足元は不安定な金属片と埃。


頭上の廃材から漏れる薄暗い光。


ブーツが廃材を踏みしめる度に、ギィ、ギィと甲高い音が響く。


むせ返るようなオイルの匂い。


怒号と呼び込みの声。


そして、あちこちから突き刺さる、値踏みするような視線。


ここは、弱肉強食の掟だけが支配する、コンクリートと鉄屑のジャングルだ。


「おい、親父。このジェネレーターコア、見た目は綺麗だが、エネルギー効率にムラがあるな? もう少し、色つけろや」


「へっ、兄ちゃん、お目が高いねぇ。だが、こいつはデブリベルトの奥で見つけた、とっておきの掘り出し物だぜ? これ以上は、勘弁してくれよ」


「チッ、足元見やがって。まあいい、それで手を打ってやる。だが、輸送費用はサービスしろよ」


金のためなら悪魔に魂を売ると(うそぶ)く俺だが、無駄な出費は流儀に反する。


神経をすり減らしながら、混沌の市場を渡り歩いた。


その道中、ふと、闇市の一角の露店に目が止まった。


地面の布の上に、星屑のように輝くガラス細工たち。


「お兄さん。買っていくかい? これは、アンドロメダ正教会公認のアクセサリーだよ」


怪しげな露店の婆やが話しかけてきた。


「ジョークもいいとこだぜ、婆さん。こんな掃き溜めで、正教会のアイテムがあるかよ」


「ホンモノさ。出所はいろいろだがねぇ。くっくっくっ」


婆やは悪だくみをするように笑う。


「そうかよ」


俺は自然と、星の光を閉じ込めたようなガラス細工たちに目を奪われた。


「プレゼントかい? 色男だねぇ」


「うるせえな。仮に、プレゼントするにしても、相手はまだガキだ」


「そうなのかい? なら、この髪飾りなんてどうだい?」


婆やが指差したのは、青い星雲のような模様が閉じ込められた、小さなガラスの髪飾り。


デブリベルトの奥底で、数百年もの時を超えてきたかのような、深い青色。


「髪飾りか……。まあ、色も悪くねえが」


指先で軽く弾く。


硬質なガラスの奥で、光が複雑に反射した。


……ミューの瞳の色か。


「そうだろう。婚姻前の子供に渡すには、ちょうどいいさ」


「いや、土産程度に、考えてたんだがなあ」


「なら、55パーセント引きにしてあげようじゃないか。お兄さん」


「………」


                  ◇



数時間後。


俺はスターダスト・レクイエム号の格納庫へと戻った。


そこでは既に、ナビィと彼女のサブボディたちが、スターゲイザーの修復作業を開始していた。


銀色の光の粒子となって機体を覆うナノマシン。


唸りを上げる工作機械。


工具の火花と、ナビィのしなやかな指の動きが、暗い格納庫の中で神聖な儀式のように映った。


「マスター、おかえりなさいませ。物資の調達、感謝いたします。これより、本格的な修復シーケンスに移行します。予測修復完了時刻は、3時間15分後となります」


ナビィは作業の手を止めずに報告する。


「3時間か。思ったより早いじゃねえか。流石は、俺様の優秀で、美人な相棒だぜ」


俺は労うように、ナビィの滑らかな黒髪にそっと手を伸ばし、軽く撫でた。 指先に触れた髪は驚くほど柔らかく、微かに宇宙(そら)の香りがした。


「マスター」


ナビィは一瞬動きを止め、琥珀色の瞳を微かに揺らした。


「私は、AIです。感情というノイズは持ち合わせておりませんが……。その、お言葉、記録(レコード)させていただきます」


白い頬がほんのりと桜色に染まったように見えたのは、照明のせいだろうか。


「さてと、俺は少し、時間でも潰してくるか」


「了解いたしました。マスターも、どうか、お気をつけください」


俺はナビィに後を任せ、再びジャンクヤードの喧騒へと繰り出した。


             ◇


情報収集も兼ねて、バーで一杯やるつもりだった。


向かったのは、ジャンクヤードの中でも比較的「マシ」な部類の、古びたバー。


鉄錆と埃、安い酒の匂いが混ざり合った空気が纏わりつく。


カウンターの隅で、強い蒸留酒を注文する。


グラスの中で琥珀色の液体が黄金のように揺れた。


「ふぅ。やっと、一息つけるぜ」


重い息を吐き出し、グラスを口に運ぼうとした、その時。


目が、カウンターの奥に座る一人の女に、磁石のように引き寄せられた。


長く艶やかな栗色の髪は、蝶の装飾を施した赤いリボンで結い上げられ、露わになったうなじは官能的な曲線を描いていた。


身体の曲線美を強調する、タイトな黒いドレス。


闇夜のように深く、滑らかな質感。


大きなサングラスが表情を隠しているが、覗く鼻筋の高さ、豊潤な唇の美しさは、この掃き溜めに咲いた一輪の毒花のようだった。


彼女は、血のように赤いカクテルグラスを、白い指で緩慢に弄んでいる。


その仕草一つ一つが洗練され、どこか獲物を狙う獣のような危険な香りを漂わせていた。


なんだ……? あの女。


こんな肥溜めみてえな場所に、不釣り合いな。


まるで、迷い込んだ蝶か、それとも、獲物を待つ蜘蛛か……。


俺はその女が放つ抗いがたい魅力に引き寄せられ、彼女の隣のスツールへと音もなく腰を下ろした。


微かに、薔薇と甘く危険な匂いがした。


「よう、お嬢さん。一人かい?」


俺はいつもの軽薄で、どこか探るような口調で話しかけた。


「こんな吹き溜まりで、あんたみてえな極上の女が一人酒とは、危ねえぜ? 悪い虫が、寄ってこねえとも限らねえ」


美女はゆっくりと俺の方を向き、サングラスの奥の瞳で俺を射抜いた。


そして、唇の端を猫のように吊り上げて微笑んだ。


「まあ、ご親切にどうもありがとう。でも、ご心配ありませんわ。自分の身は、自分で守れましてよ。それに、悪い虫は、わたくしが、美味しくいただいてしまうかもしれませんし」


艶やかで、滑らかで、男心を蕩かすような甘い響き。


「それよりも、あなた。とても堅気には見えませんわね。こんなバーで、何を?」


「俺か? 俺は、見ての通り、しがない運び屋さ」


俺は肩をすくめてみせる。


「運び屋ですって?」


くすくす。美女は赤いカクテルを一口含み、唇を艶めかしく舐めた。


「ただの運び屋にしては、ずいぶんと素敵な面立ちでいらっしゃること。その瞳。何かとても大きなものを失ったような、深い喪失の影。それでいて、何かを喉が渇くほどに渇望しているような。そんな、飢えた獣の目をしていらっしゃいますわね」


彼女の言葉は鋭く、俺の心の柔らかな部分を的確に抉ってきた。


「へっ、買い被りすぎだぜ、お嬢さん」


俺は動揺を隠し、自嘲気味に笑った。


「俺は、ただの金儲けさ。金のためなら、魂だって悪魔に売り渡す、しがない守銭奴だよ」


「あら、そうですの」


美女は指でグラスの縁をなぞりながら、吐息混じりに言った。


「確かに、この星屑の宇宙(うみ)では、クレジットがなければ呼吸さえできませんわ。ですが、ベレット・クレイ。お金だけが、全てかしら? お金では決して買えない、もっと、熱くて、甘美で、壊れやすいものが、あると、思いませんこと?」


「綺麗事だな。金がなけりゃ、愛する女一人守れやしねえ。それが、このクソったれな現実だ」


俺は過去の苦い記憶、リリーナの面影を振り払うように吐き捨てた。


「そうかしら?」


美女は静かに反論する。


「本当に大切なもの。心を満たす温もりや魂の繋がりは、どんな大金を持っていても手に入れられないこともあるのではなくて?」


二人の間に見えない火花が散る。


奇妙な緊張感。


だが同時に、互いの魂が引き合うような危険な引力も流れ始めていた。


「面白いこと言うな。名前は?」


俺は抗いがたい好奇心に駆られ、尋ねた。


「そうですわね」


美女は少し考え、悪魔のような魅力的な笑みを浮かべた。


「『ローズ』。そう呼んでくださいまし」


「ローズ、か。いい名前だ。その棘に、刺されてみてえ気もするがな」


俺の視線は、彼女の白い首筋から胸の谷間へ一瞬だけ滑り落ちた。


「俺は、ベレットだ。まあ、知ってるようだが」


「ベレット。ええ、そのお名前、この胸に、深く、熱く、刻んでおりますわ」


ローズはグラスに残った赤い液体を飲み干した。


細く白い喉元が艶めかしく動く様に、俺は息を飲んだ。


俺たちはその後も、互いの魂を弄び合うような危険な会話を続けた。


彼女のミステリアスで毒のように甘い魅力に、理性の鎖を少しずつ噛み砕かれていった。


「もうこんな時間か。行かねえと」


俺はふと我に返り、スツールから立ち上がった。


ナビィが待っている。


「あらあら、もう行ってしまわれるの? 夜はまだ始まったばかりですのに」


「まあな。野暮用が残ってるんでな。それも、お前よりタチの悪い、な」


俺は彼女の蠱惑的な視線から逃れるように言った。


「だが、また会えるさ。この掃き溜めで、棘を持つ美しい花がまた俺を呼ぶ限りはな」


そう言い残し、バーの扉を押し開けてネオンの喧騒へ消えていった。


俺の心には、ローズの甘く危険な香りと熱を帯びた声が焼き付いていた。


             ◇


スターダスト・レクイエム号の格納庫に戻ると、ナビィが最終調整を終えようとしていた。


白銀の機体は、再び力強い生命力を放ち始めている。


「マスター、おかえりなさいませ。スターゲイザーの修復、及び機能強化、ほぼ完了いたしました」


「そうか。ご苦労だったな、ナビィ。流石は俺の……」


俺が言葉を継ごうとした、その刹那。


「ベレット!!」


格納庫の入り口が勢いよく開け放たれ、ミューが猛烈な突風のように駆け込んできた。


銀色の髪が閃光のように尾を引く。


「どこに行ってたのよ! 遅いじゃない! それに、その匂い! やっぱり、他の女と会ってたんでしょう!?」


ミューは一気に距離を詰め、俺の革ジャンに鼻先を近づけた。


「……! ち、ちげえよ! 仕事の情報収集だって、言っただろ!」


「嘘! 嘘つき! 私には分かるんだから! ベレットが、他の女と親しげにいちゃいちゃ話していたことくらい!」


ミューの胸元で「星影の涙」のペンダントが、不気味な青白い光を放ち始めた。


「おいおい、落ち着けって、ミュー!」


「うるさい! うるさい! どうせベレットは、私のことなんてどうでもいいんでしょ! あの女の方がいいんでしょ!」


完全に感情の奔流に呑まれたミューは、理性を失い、俺に殴りかかろうとした。


瞳には狂気に近い炎が宿っている。


「……! ミュー、やめろ! 危ねえ! 分かった! 俺が悪かった! お前を一人にして、悪かったから! だから、落ち着け!」


俺はミューの細い腕を強く掴み、必死に制止した。


彼女の身体は、壊れやすい鳥のように小刻みに震えていた。


「離して! 離してよ! ベレットのバカ! 大っ嫌い!!」


ミューは涙で顔を濡らしながら、俺の胸板を何度も叩き続けた。


ドン、ドン、というか細く悲しい音が響く。


「分かった、分かったから。本当に悪かったって。な? 心配させたな。ほら、これ、やるからさ。機嫌、直せよ、なあ」


俺は半ば降参したように、ジャンクヤードの露店で買ったガラス細工の髪飾りを差し出した。


「……!」


ミューは動きを止め、涙で潤んだ瞳を髪飾りに向けた。


星屑を閉じ込めたかのように輝くガラス。


「お前の、その銀色の髪によ。似合うんじゃねえかと思ってな。まあ、安物だけどよ」


俺は照れくさそうに視線を逸らし、後頭部を掻いた。


「ベレット……」


ミューは掠れた声で呟くと、震える指先で髪飾りを受け取った。


そして静かに銀色の髪に飾る。


ガラスの星屑は、彼女の涙を映して美しく輝いた。


彼女は静かに俺の腕の中に顔を埋め、懇願するように呟いた。


「ありがとう。すごく嬉しい。でも、もう、あの女の人と会わないで。お願い……」


「ああ、分かったよ」


俺は深い溜息を吐き出しながらも、その小さな約束に頷くしかなかった。


ミューはようやく安堵し、俺の腕の中で静かに瞳を閉じた。


その顔は無垢な天使のように静かだった。


俺は眠るミューを優しくあやしながらも、数時間前の、あの刹那を忘れられずにいた。


バーの暗がりで出会った、謎めいた美女「ローズ」。


彼女の放つ甘く危険な芳香と魅惑的な視線が、俺の心から消えることはなかった。


ミューを抱く腕の中で、俺は新たな嵐の予感を感じていた。

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