第123話 白き天使の鉄槌と星を穿つ祈り
【視点:シスター・ミンクス】
旧ビックサム学園の上空。
コンドルの血のように赤い夕陽に染まるその空は、今や漆黒の女王によって完全に支配されていた。
惑星企業連合が誇る、最新鋭にして最強の大戦艦『クオン』。
その流麗で、見る者の魂を圧殺するかのような妖艶で巨大な艦影が、天を覆い尽くしている。
そこから放たれるのは、無慈悲な破壊。
無数のレーザーの光条が、まるで裁きの雨のように容赦なく降り注いだ。
「……っ! 惑星企業連合ですって!? なぜ、彼らがこのタイミングで……!」
エンジェル・オブ・アンドロメダのコクピット。
私は純白のスラスターを天使の翼のように限界まで広げ、必死に死の光の雨を回避していた。
爆炎の熱が機体を舐めるように揺らし、衝撃波が内臓を直接揺さぶるかのような不快な振動となって伝わってくる。
「まずいわね……。もはや、アルベルト王子の狂気を止めるだけでは済まされない。この銀河の全てを喰らい尽くそうとする、強欲な『悪魔』をも相手にしなければならないなんて……!」
ベレット! ユウキさん!ミューさん! どうか無事でいて!
私は手元のコンソールに、すがるように手を伸ばした。
「こちら、シスター・ミンクス! 聞こえますか!? ローズマリーさん! ナビィさん! ……ベレット!」
だが、通信機から返ってくるのは、ザザザ……という耳障りなノイズだけだった。
「……! ジャミング!?」
額から、一筋、汗が肌を伝い落ちる。
焦りが、教会の厳しい修行で鋼鉄のように鍛え上げられたはずの私の心を、じりじりと蝕んでいく。
ベレットは、今頃どうしているだろうか。
あのイカれた紅蓮の女狐は、何をやっているんだろうか。
いいえ。
他人に任せて迷っている暇はありません。
私がここでこの怪物を押し留めなければ、皆が危ない。
深く、深く息を吸い込んだ。
清浄な白檀の香りが、コクピットの空気を少しだけ浄化してくれる。
緊急事態。
もはや、教義の枠に収まった手段を選んではいられないわね……
私は全神経を、その魂の最も深い場所へと集中させた。
そして、僧衣の下、胸の谷間に忍ばせていた美しい銀細工を取り出した。
ひんやりとした銀細工に、そっと口づけをする。
そして、精神のさらに奥深くで、敬虔に、しかし罪を告白するような痛みをもってその名を呼んだ。
聖女ナナリー様……。
……!
この未熟で、罪深き僕に、どうかお許しを。
フォワードの、限定解放をここに願い出ます……!
銀細工を強く握りしめる。
ナナリー様との約束を守ることができず、本当に申し訳ございません。
この戦いが終われば、あなた様や正教会に多大なご迷惑をおかけすることになるでしょう。ですが……!
しばらく魂が炎で炙られるかのような重い沈黙が流れる。
脳裏に浮かぶのは、教会の冷たい石造りの天井ではない。
不器用に笑う赤毛の男の顔だ。
「私は……! ベレットを……! ベレットたちを、今度こそこの手で守りたいのです!」
私は祈るように、そしてどこか恋を知ったばかりの一人の少女に戻ったかのように、切実に呟いた。
正義のためじゃない。
大義のためでもない。
ただ、あの不器用で真っ直ぐな彼らを助けたいという、私自身のわがままな意志。
その時、魂の奥底で、どこまでも温かく、全てを包み込むような優しい光が、私の罪悪感をそっと抱きしめてくれたような気がした。
……!
あ、ありがとうございます。ナナリー様。
アンドロメダ聖騎士第一席の名に恥じぬ戦いを、必ずやお誓いいたします……!
そこで魂の対話は途切れた。
私は銀細工を再び胸元にしまいながら、息を、ふぅ、と漏らした。
そして、ゆっくりと瞳を閉じた。
「トローネス・システム、承認。フォワード・リミッター、限定解除。第一次セーフティ、解放。出力、5%……オープン!」
コクピット内に、眩いばかりの白銀のフォワードの光が、まるで私自身の魂が発火したかのように満ち満ちていく。
私はゆっくりと瞳を開いた。
精神を一点に集中させる。
フォワードの力が身体から奔流となって溢れ出し、エンジェル・オブ・アンドロメダの純白の機体と完全に一体化していく。
超大型実弾砲『デュナミス・ハンマー』を再び構え、漆黒の天に浮かぶ巨大な女王の艦影を捉える。
だが、私がチャージに入ったことを悟ったのか、戦艦クオンから放たれるレーザーの雨はさらに苛烈さを増し、聖なる光を纏った純白の機体にさえ容赦なく迫ってきた。
光線と爆炎。
回避行動をとれないエンジェル・オブ・アンドロメダに、全身の骨が砕けるかのような激しい衝撃が幾度となく襲いかかった。
私は唇を噛み切り、骨を直接揺さぶる衝撃に耐えながらも、神経を極限まで研ぎ澄ませた。
……くっ、まだよ。
まだ充填が足りない……!
その時だった。
一つの漆黒の影が、純白の機体の前に音もなく立ちはだかった。
ブラックナイト・カスタム。ゼノの機体。
彼はその手に持つレーザーボウを神業的な精度で次々と放ち、クオンから放たれる無慈悲なレーザーの雨を光の矢で弾き飛ばし、相殺していく。
『勘違いするな、アンドロメダの天使よ』
ゼノの感情を押し殺した声が響いた。
『これは、ただコンドル王国の聖なる大地を、これ以上惑星企業連合の汚れた砲火で穢させないための防衛行動に過ぎん』
あまりにも無機質な言葉。
だが、共に机を並べた私には痛いほど分かっていた。
その裏に、彼なりの不器用な矜持と、かつての学友を見捨てられない情けが確かに滲んでいることを。
「ゼノ……! 感謝、します……!」
静かにこの宇宙全体に響き渡るかのような声で、祈りの言葉を紡いだ。
私自身のフォワードを弾丸に乗せるための、聖なる起動儀式。
フォワードの波動が共鳴となって周囲の空間を、微かに震わせていく。
「……『正しき者の道は、邪悪なフォワードによって行く手を阻まれる。暗闇の谷に迷う弱き者を、愛と正義によって導く者に幸いあれ』……!」
ただの教典の暗唱ではない。
私の魂そのものを乗せた、絶対的な言霊。
「……『なぜなら、その者は仲間の守り人であり、人類の守り人であり、この銀河を救う者なり。そして我は、星の遺産を奪い破滅をもたらす汝らを、大いなる愛と義の心をもって打ち倒すであろう』……!」
照準が完全にロックされる。
砲身に充填されたエネルギーが、臨界点を超える。
「……『事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、フォワードを恐れ、その御力を守れ。これは、すべての人の本分である』……!!」
瞳を、ゆっくりと見開き、デュナミス・ハンマーの冷たく重い引き金を引いた。
―――――閃光。轟音。そして、絶対的なる神罰のエネルギー。―――――
放たれたのは、もはや「弾丸」という物理的な概念を完全に超越した、純粋な聖なる怒りのエネルギーそのもの。
光の形をした絶対的な「質量」。
隕石の如き凄まじいまでの破壊エネルギーが、エンジェル・オブ・アンドロメダの砲身から神罰の如く撃ち出された。
刹那、コンドルの血のように赤い夕焼けに染まる空が、完全に白く、白く染め上げられた。
音が消えた。
時間が止まったかのような絶対的な静寂。
そして、次の瞬間。
ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォン!!!
まるでこの星系に新たな太陽が生まれたかのような、凄まじい大爆発。
巨大な衝撃波がブラックホールのように、周囲の空間そのものをぐにゃりと歪ませた。
戦艦クオンは、あまりにも規格外のエネルギーの奔流を前に、咄嗟に艦全体を覆う最大出力のエネルギーシールドを展開する。
だが、その鉄壁であるはずの守りさえも、聖なる鉄槌の前ではまるで薄いガラス細工のようにミシミシと悲鳴のような音を立てて軋み……そして、呆気なく砕け散った。
巨大な女王の身体を持つ戦艦が、物理法則を完全に無視したかのようになす術もなく上空へと無様に押し上げられた。
そしてそのままコンドルの赤い大気圏を突き抜け、遥か宇宙の闇の中へと強引に打ち上げられた。
空を支配していた絶対的な漆黒の女王は、純白の大天使が放ったたった一撃の鉄槌によって、その姿を空から消し去ったのだ。
「……沈めきれは、しませんでしたか」
荒い息を吐き、遥か宇宙の闇の彼方を見据えながら呟いた。
次の瞬間、全身を強烈な疲労感と激痛が襲った。
「くっ……ああっ!」
コクピット内には、先ほどからけたたましい警告音が鳴り響いている。
オーバーフロー。
機体が、そして私自身の肉体が、あまりにも強大すぎるフォワードの許容量を完全に超えてしまったのだ。
血の気が引き、視界が明滅する。
「私も……まだまだ未熟ですわね……。たった5%の限定解除程度で、この様とは……」
エンジェル・オブ・アンドロメダは強制的な自己防衛のためのクーリング・シークエンスに入り、機体は力なく地上へと膝をついた。
そして、完全に沈黙した。
そこへ、ブラックナイト・カスタムが音もなく近づいてきた。
漆黒の機体の手には、まだレーザーボウが握られている。
その切っ先は、動かぬ私を的確に捉えていた。
私は覚悟を決めた。
銀細工を再び胸元で握りしめ、静かに目を閉じて祈りを捧げた。
後悔はない。
私の役目は、ここまでね。……ベレット、ごめんなさい。最後まで、お供できなくて。
だが、ブラックナイト・カスタムは突如、その手に持つ武装を解除した。
『アンドロメダの、忌まわしき天使よ』
ゼノの声が響いた。
『機体の機能が回復し次第、このコンドルの地から退去せよ』
「……! ゼノ!?」
私は予想外の言葉に、目を見開いて驚きを隠せなかった。
トドメを刺さないというの?
『我は本来の任務……星の遺産の最終防衛の任務へと戻る』
ゼノは機体をゆっくりと反転させながら続けた。
『そして忘れるな、ミンクス。この宇宙は、お前が思う以上に欲深く、そして嘘つきだ』
彼はその言葉に、さらに重く、苦渋に満ちた語気を強めた。
『それは、貴様がその身を捧げ信じている、アンドロメダ正教会とて同じことだ。せいぜい背後から不意に刺されることのないよう、身内からも用心するが良い!』
ブラックナイト・カスタムはそれだけを言い残すと、スラスターを全開にし、その場を音もなく去っていった。
後に残されたのは、破壊され赤熱する思い出の学び舎の残骸と、そこにただ一人膝をつき、身動き一つ取れない純白の天使だけだった。
正教会に潜む闇。
そのことには、私自身も薄々感づいていた。
だからこそ、私は教義ではなく自分の意志を選んだのだ。
「ベレット……」
どうか、無事でいて。
私の複雑で切ない想いだけが、薄暗く狭いコクピットの中に、静かな祈りの残響となって漂っていた。




