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第105話 心肺停止のキャプテン。絶望の独房で交わした、命を繋ぐ黄金の口づけ

【視点:ミュー】

監獄コロニーの最深部。


そこは、光さえも凍りつくかのような、絶対零度の絶望が支配する場所だった。


鉄とコンクリートが吐き出す、冷たく湿った空気。錆と消毒液、そしてここで息絶え、忘れ去られていった者たちの怨嗟がこびりついているかのような、重苦しい匂いが鼻をつく。


……怖い。でも、行かなくちゃ!


私たちは、私のフォワードが紡ぐか細い光の糸を必死に手繰り寄せ、ついにその場所に辿り着いた。


ベレットが囚われている、独房ブロック。


「ここね! 感じる! ベレットの、消えそうな、魂の灯火……!」


私のラピスラズリの瞳が、悲痛な光を湛えて一つの分厚い鉄扉を捉えた。


ペンダントを握る手が、ガタガタと震えている。


「ベレット!!」


私の絶叫とシンクロするように、白銀の巨人――スターゲイザー改が、その手に握るレーザーサーベルを怒りの一閃と共に振り下ろした。


特殊合金製の分厚い鉄格子が、まるで熱したナイフがバターを切るように、いとも容易く溶断される。


ドガァァァァン!!


轟音と共に、破片が飛び散る。


勢い余って、隣の空き部屋の独房までその灼熱の刃が貫通してしまったけれど、今はそんなこと気にする余裕なんて1ミリもなかった。


スターゲイザー改を瓦礫の上に強引に着陸させ、私は純白の巫女服の戦闘スーツの裾を翻して、コクピットから飛び出した。


「ベレット!」


薄暗い独房の奥。


冷たい金属の床に、力なく横たわる赤い髪の男。


私をいつも守ってくれた、ただ一人の不器用なヒーロー。


「ベレット! ベレット! しっかりして! お願い! 助けに来たのよ!」


私は弾かれたように駆け寄り、彼の傍らに崩れるように膝をついた。


その氷のように冷たくなった身体を、必死に揺さぶる。 だけど、反応はない。


いつもは剃刀のように鋭くて、でも本当は誰よりも優しい彼の瞳は、虚ろに天井を見つめたまま、完全に光を失っていた。


呼吸も、感じられない。


大きな胸に耳を当てても、あの安心する力強い心臓の鼓動が、全く聞こえない。


「……! 嘘! 反応がない! どうしよう! ねえ、ベレット! 起きてよ! お願いだから! 私を、また一人にしないで!」


瞳から大粒の熱い涙が止めどなく溢れ落ち、彼の冷たい頬をポロポロと濡らした。


絶望という名の冷たい刃が、私の心を深く、深く切り裂いていく。


そこへ、クリムゾン・ローゼス改が滑るように着陸した。


コクピットから飛び出してきたローズマリーは、その惨状を仮面の下で一瞬にして理解したようだった。


「ユウキさん!」


彼女は通信機に鋭く指示を飛ばす。


『ヴァルキリー改で、この区画全域の警戒、及び脱出ルートの確保を最優先! 追っ手が来る前にここを離脱しますわよ! わたくしはこれより、キャプテンの救護に入ります!』


『……! りょ、了解! 必ず道は切り開く! だから、あんたたちも早く!』


ユウキの焦りと決意が入り混じった声が返ってきた。


ローズマリーは、機体から降ろした最新鋭の救命キットを床に置き、素早くベレットの元へ駆け寄った。


その手つきは冷静沈着。


でも、いつもは余裕たっぷりの彼女の奥底に、隠しきれない強い焦りと祈りが込められているのが、フォワードを通して痛いほど伝わってくる。


「ローズマリー! ベレットが! 息をしてないの! 心臓も、動いてないみたい……!」


私は、すがるような悲鳴に近い声でローズマリーを見上げた。


「……! 落ち着いて、ミュー! まだ諦めるには早いですわ!」


ローズマリーは自らを叱咤するように言い、その細く白い指でベレットの首筋の頸動脈に触れ、瞳孔を確認し、迅速に診断を下した。


「重度の低体温! 呼吸、心拍、共に完全停止状態! まずいですわね!」


彼女は救命キットからエネルギー回復剤と特殊な蘇生血清のアンプルを取り出し、ベレットの腕に立て続けに注入する。


そして、体温を急速に回復させるための銀色のヒーターシートで彼の身体を包み込み、小型のメディカルモニターの電極を胸部に素早く貼り付けた。


――ピーーーーーーーーーー。


だが、その瞬間。


モニターに表示されたバイタルサインは、無情にもフラットライン。


完全な心停止を示していた。


「……! そんな……!」


ローズマリーの仮面の下の表情が、絶望に凍りついたのが分かった。


でも、彼女は諦めなかった。


「……! ミュー! 少し離れていなさい!」


彼女は叫ぶと同時に、携帯用除細動器のパドルをベレットの胸に強く押し当て、高圧電流を流した。

ドン! という鈍い衝撃音と共に、ベレットの身体が大きく跳ね上がる。

……だが、心拍は戻らない。

「くっ……!」

ローズマリーは躊躇なく、心臓マッサージを開始した。


彼女の手が規則的に、力強く、彼の厚い胸を圧迫する。


そして、意を決したように彼の冷たい唇に自らの唇を重ね、必死に人工呼吸で空気を吹き込んだ。


彼女の額から流れ落ちた汗が、ベレットの血の気を失った顔を濡らす。


ローズマリーが、なりふり構わず必死になっているのに、ベレットは目を覚まさない。


私は何もできない。


ただ見ていることしかできない。


嫌! ベレット! 死なないで……!


私を、置いていかないで……!


魂が、限界を超えて悲鳴を上げた。


その瞬間。


私の意識は、再びあの光と粒子が舞う、精神の深淵へと祈るように深く深く潜っていった。


お願い……! 教えて! 今度は、私に何ができるの!?


どうすれば、ベレットを救えるの!?


――意識が反転する。


                   ◇


静寂に包まれた魂のサンクチュアリ。


「もう、本当に仕方のない子ね」


わたしは、目の前で泣きじゃくる『もう一人のわたし』――ミューを見つめ、優しく、そしてどこか呆れたようにため息をついた。


彼女の魂から伝わってくる、あの不器用で乱暴な赤い髪の男への、狂おしいほどの愛と絶望。


ええ、痛いほど分かるわ。


「少しだけ、あなたの身体を借りるわ。それでも構わない?」


わたしがそう問いかけると、ミューは涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げ、迷いなく力強く頷いた。


「……! それで、ベレットが助かるのなら! 何だってする! お願い!」


「ふふ、覚悟は決まったようね。わたしも、彼をここで死なせたくはないから」


声に、深い愛情の色が混じる。


「今の彼のフォワードは完全に枯渇し、魂が『肉体』という名の器から離れかけている。ローズマリーのやっている物理的な蘇生措置は正しいけれど、魂が戻らなければ手遅れになるわ。彼をこの世界に繋ぎ止めるには、星詠の巫女の力で彼に生命の息吹を……純粋なフォワードを直接分け与える必要があるの」


そう言うと、自身の唇にそっと人差し指を這わせた。


ミューは一瞬キョトンとした顔をしたけれど、すぐに真剣な瞳で懇願してきた。


「お願い! 私の全部を使って、ベレットを救いたいの!」


「分かったわ。任せなさい」


わたしは、女神のような絶対的な自信に満ちた笑みを浮かべた。


「でも、後で絶対に怒ったり、恥ずかしがって泣いたりしないでよね? 本当は、あなた自身がこの力をちゃんと制御してできるようになって欲しかったのだけれど……まあ、緊急事態だし。今回も特別サービスよ♪」


わたしは、ミューの意識を優しく眠らせ、彼女の身体の主導権を完全に掌握した。


意識の表層へ浮上する。


冷たく湿った空気。血と埃の匂い。


目を開けると、現実世界では、ローズマリーが汗だくになって懸命な蘇生措置を続けているところだった。


ふふ。本当に、この男は愛されているわね。


わたしは、音もなく静かに立ち上がり、彼女の背後へと近づいた。


「少し、代わってくれるかしら? ローズマリー」


「……!?」


ローズマリーは、わたしに驚き、息を呑んだ。


直感的に、今目の前にいるのが『ただのミュー』ではないと悟ったのだろう。


彼女は無言で、ベレットの傍らからスッと場所を譲った。


賢くて、いい女。


わたしは静かにベレットの傍らに膝をつくと、その冷たく血の気を失った頬に、慈しむようにそっと手を触れた。


「……こんなに冷たくなるまで、無茶をして。本当に、バカな男ね」


そして、ゆっくりと、一切のためらいもなく自身の顔を近づけ―― ベレットの冷え切った唇に、自身の柔らかく熱い唇を、深く、深く重ね合わせた。


彼の奥底に眠る、消えかけの魂の欠片を直接繋ぎ止めるために。


「んっ……」


魂と魂が直接触れ合い、溶け合っていく。


生命の根源たる『星詠の巫女』の純粋で強大なフォワードエネルギーが、黄金色の温かい奔流となって、わたしの身体からベレットの枯渇しきった魂へと、惜しみなく注ぎ込まれていく。


それは、神聖にして……同時に、これ以上なく官能的な『生命の譲渡の儀式』。


さあ、目覚めなさい。


あなたにはまだ、この子たちと一緒に成し遂げなければならない未来があるのだから。


二人の身体が、眩いばかりの温かく柔らかな黄金の光のオーラに包まれる。


やがて。


――ドクン。


ベレットの止まっていたはずの心臓が、再び力強く鼓動を打ち始めた。


その(かんばせ)に、急速に生気が戻り始める。


そして、閉じた瞼の奥に、微かな意識の光が灯り始めたのを、わたしのフォワードが確かに捉えた。


わたしはゆっくりと、名残惜しそうに唇を離す。


そして、自身の濡れた唇を、満足げに赤い舌でぺろりと舐め上げた。


「ふぅ。まあ、こんなところかしらね?」


妖艶に、どこか達成感に満ちた美しい嬌笑を浮かべる。


……少し、やりすぎちゃったかしら?


ふふ、怒るかしらね。


まあいいわ、あとは任せたわよ。


その瞬間、わたしの役割は終わり、意識は再び深い海の底へと沈んでいった。


                   ◇


「……へ? ………え? ………わ、私………今………な、何を……!?」


意識を取り戻した私は、自分が今どんな体勢で、ベレットの顔の真上に覆い被さっているのかに気づいた。


そして、唇と舌に残る、信じられないほど生々しくて、熱くて、濃厚な感触。


う、うそ!? あんなに深く……!?


しかも、べ、ベレットの口の中に、私の……!?


その衝撃的な事実に気づき、私は一瞬で全身を茹でダコのように真っ赤に染め上げた。


頭が、ボンッ! と音を立てて沸騰しそうだった。


「……! ベレット様の心拍、呼吸、回復を確認! 安定していますわ!」


ローズマリーは、驚きと安堵に声を震わせながらも、すぐに本来の冷静さを取り戻した。


「とにかく、今はここから一刻も早く撤退を! ミュー! いつまでも呆けていないで、しっかりなさい!」


「は、ははは、はいっ!」


私はようやく事態を飲み込み、ショックと羞恥心と、甘酸っぱい戸惑いで頭を抱えて、その場にしゃがみ込んだ。


わ、私の……! 私の、大事なファーストキスがぁぁぁぁっ!!


しかも、あんな大人のやり方でぇぇ!!


ローズマリーは、そんな私に「やれやれ」と肩をすくめながらも、素早くベレットの拘束具を携帯用のピッキングツールで解除した。


そして、まだ朦朧としているベレットの大きな身体を愛おしそうに慎重に抱え上げ、クリムゾン・ローゼス改のコクピットへと急いで運んでいく。


『追っ手が来るわよ! 急いで!』


「ええ、分かっていますわ!」


通信機からのユウキの声に急かされ、一行は迫りくる追手の気配を感じながら、破壊された独房から急いで脱出を開始した。


私はスターゲイザー改のコクピットに乗り込み、ベレットの無事に心の底から安堵していた。


涙が出るくらい、本当に嬉しかった。


……嬉しかったのだけれど。


あんなの……あんなの、ベレットが目覚めたら、どう顔を合わせればいいのよぉ……!


先ほどの、あまりにも濃厚で衝撃的だった「口づけ」の感触と、もう一人の自分の大胆すぎる行動が頭の中からどうしても離れない。


唇に触れると、まだ彼の温度が残っている気がした。


私は一人、コクピットの中で顔を真っ赤にして、幸せなような、恥ずかしいような……爆発しそうなほどの悶々とした気持ちを抱えながら、宇宙(そら)へと飛び立つのだった。

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