第104話 純白の天使が下す、規格外の聖なる鉄槌
【視点:シスター・ミンクス】
監獄コロニー外周宙域。
星々の光さえも吸い込むかのような、絶対零度の漆黒の舞台。
私は愛機『エンジェル・オブ・アンドロメダ』のコクピットの中で、下唇をギュッと、血が滲むほどに噛み締めていた。
純白の装甲に包まれたこの機体は、罪人を裁くために舞い降りた天使のように、孤高かつ圧倒的な存在感を放って漆黒の宇宙に浮かんでいる。
……まさか、私が。
誇り高きアンドロメダ正教会の聖騎士であるこの私が、あの忌々しい仮面の女の言いなりになるなんて……!
ローズマリー。
あの紅蓮の女狐に愛機を人質に取られ、私は単騎で敵艦隊の足止めという、捨て石のような任務を強いられている。
先ほどのブリッジでの屈辱を思い出すだけで、腸が煮えくり返りそうでした。
目を閉じると、脳裏にフラッシュバックのように過去の記憶が蘇ります。
アンドロメダ正教会に入信し、聖女ナナリー様にお仕えするため、聖騎士見習いとして想像を絶する過酷な修行に明け暮れた修道院での日々。
中でも、悪魔のような先代親衛隊長から受けた、心を砕くような非人道的な嫌がらせと、精神的な拷問の数々。
泥水を啜り、幾度となく死の淵を覗き込み、涙も枯れ果てたあの地獄の日々。
……ええ。あれがあったからこそ、私は強くなった。
二度と誰にも虐げられない、絶対的な力を手に入れた。
今の親衛隊長としての私がある。
どんな理不尽にも耐え抜いた。
聖女ナナリー様への揺るぎない絶対的な忠誠と、アンドロメダの聖騎士としての鋼鉄の誇り。
それが、ミンクスという人間の全てだったはず。
大義のためなら、私情など挟まない。
それが私の生き方……。
でも、今は……。
晴天の空を映したかのような水色の瞳の奥に、どうしても抑えきれない複雑な光が揺らめく。
私の脳裏に、もう一つの顔が浮かんでは消え、また浮かび上がってきた。
燃えるような赤い髪。剃刀のように鋭く、人を寄せ付けないくせに、どこか寂しげな瞳。
ベレット・クレイ。
かつての同級生であり、共に汗を流した戦友。
……そして、私が密かに、ずっと心の片隅で、誰にも言えず淡い想いを寄せ続けていた、ただ一人の男。
彼がただの薄汚れた賞金稼ぎに成り下がった時、私は彼を軽蔑することで、自分の気持ちに蓋をした。
そうしなければ、聖職者としての自分が保てなかったから。
でも、彼があの絶望の監獄に囚われていると知った時、私の心は教義を忘れて激しく乱れた。
「……フン。あのふてぶてしい仮面女には、ある意味、感謝しないといけませんわね」
自嘲するように、コクピットの中で低く呟く。
そう……私は、ただ脅されたからここにいるわけじゃない。
聖女様のオーダーに背き、彼を助けに行くための……もっともらしい『言い訳』が欲しかっただけ。
あの女狐の脅迫は、私にとって都合のいい免罪符なのだから。
私はコンソールの上で、ピアノを奏でるように滑らかに指先を走らせた。
その瞬間、純白の機体『エンジェル・オブ・アンドロメダ』の、リミッターで厳重に封印されていた全ての武装システムが一斉にアンロックされる。
機体内部でエネルギーが脈動し、駆動系の唸りが一段と高く、獰猛に響き始めた。
そして、純白の機体の背部から、重々しく、しかし滑らかに、規格外の超大型実弾砲『デュナミス・ハンマー』が展開される。
それはまるで、神話に登場する巨人族が振るう巨大な槌のように、圧倒的な質量と威容を誇っていた。
砲身がゆっくりと動き、眼前に広がるコンドル軍護衛艦隊へと、その沈黙の砲口を定める。
漆黒の宇宙空間は無限の深淵そのものであり、そこに浮かぶ艦隊は、無数の光点となって瞬いていた。
コンドル軍監獄コロニー護衛艦隊。総数二十隻以上。
銀河系の辺境宙域を支配下に置く、強大な権力の象徴。
最新鋭の装甲と兵器で武装された艦艇が、一斉に私の一機に向けられ、殺気立った光を反射していた。
おそらく今頃、敵の旗艦の巨大な艦橋では、冷徹な司令官が私を「愚かな羽虫」と嘲笑っていることでしょう。
単騎で全艦隊を相手取ろうとする、無謀な純白の機体を。
オープンチャンネルで、敵司令官の警告が響き渡る。
『全砲門、目標へ照準。降伏せよ、所属不明機。さもなくば、宇宙の塵と化すぞ』
その声には、一切の油断や迷いは感じられません。確実な死の宣告。
しかし。
その圧倒的な質量と数の暴力的な威容を前にしても、私の表情は微動だにしなかった。
二十隻?
たったそれだけの数で、私の行く手を阻むおつもり?
深い呼吸と共に、ゆっくりと瞼を閉じた。
外部からの情報を遮断し、精神を己の内に秘めた力の一点に集中させる。
……ベレット。
あの時からずっと、あなたは私の心を乱してばかり……!
私の身体の奥底から、フォワードが溢れ出し、純白の機体と完全に、そして不可分に一体化していく。
コックピット内の計器類は私の生命反応に合わせて連動し、その数値は通常ではありえないレベルにまで上昇を始めていた。
純白の装甲は、まるで内側から発光しているかのように、淡く、神々しいまでの聖なる光のオーラを纏い始める。
コクピットを満たす清浄な白檀の香りが、より一層濃密になる。
そして私は、静かに、宇宙全体に響き渡るかのような厳かな声で、祈りの言葉を紡ぐ。
「……『正しき者の道は、邪悪なフォワードによって行く手を阻まれる。暗闇の谷に迷う弱き者を、愛と正義によって導く者に幸いあれ』……」
言葉一つ一つが、デュナミス・ハンマーのエネルギーコアに共鳴し、極限まで圧縮されていく。
「『なぜなら、その者は仲間の守り人であり、迷える子たちを救う者なり。そして我は、仲間を奪い、破滅をもたらす汝らを、大いなる愛と義の心をもって打ち倒すであろう』……」
私の中に渦巻く、ローズマリーへの苛立ち、教義への背信の罪悪感、そして……ベレットを失うかもしれないという恐怖。
そのすべてを、この一撃に込める。
「『事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、フォワードを恐れ、その御力を守れ。これは、すべての人の本分である』……!」
瞳をカッと見開き、デュナミス・ハンマーの冷たく、重い引き金を、一切の迷いなく引く。
―――閃光。轟音。そして、絶対的な破壊。
放たれたのは、もはや「弾丸」という物理的な概念を超越した、純粋なエネルギーの塊。
光の形をした「質量」。
隕石の如き凄まじいまでの破壊エネルギーが、エンジェル・オブ・アンドロメダの砲身から神罰の如く撃ち出される。
一瞬で宇宙空間を切り裂き、コンドル軍護衛艦隊の密集した陣形の中央へと、吸い込まれるように着弾します。
刹那、宇宙が真っ白に染まる。
音が消え、時間が止まったかのような絶対的な静寂。
そして、次の瞬間。
ドゴォォォォォォォォン!!!
隕石がすぐそこで爆発したかのような、凄まじい大爆発。
巨大な衝撃波が津波のように周囲の空間を歪ませ、近くに浮かんでいた小惑星をまるで砂糖菓子のように粉々に砕け散らせた。
光が収まった後、モニターに映し出されたのは、地獄絵図。
艦隊の半数近くが、たった一撃で推進力を失い、制御不能に陥った。
着弾地点の付近にいた艦は内部から誘爆を起こし、無残な鉄屑となって宇宙の藻屑と化していた。
後に残されたのは、美しく、あまりにも残酷な破壊の残骸と漂うデブリだけ。
これこそが、聖騎士の怒り。
フォワードの鉄槌。
アンドロメダ正教会の、恐るべき力の証明。
オープンチャンネルから、敵軍のパニックに陥った悲鳴が飛び込んできた。
『な、なんだ……!? 今の光は……!? ば、馬鹿な!』
『た、たった一撃で、我が艦隊の半数が壊滅だと……!? ま、まさか! あの機体は……! 先日、我が国の輸送艦隊を襲撃したという、あの「鬼」か!?』
恐怖と混乱で震える声。
艦隊の指揮系統は完全に崩壊していた。
『し、司令! 損害甚大! 残存艦も多くが中破、あるいは大破! 戦闘継続は不可能です!』
『こ、このままでは我々までやられる……! 退け! ぜ、全艦、最大船速で後退だ! 後退しろ! 至急、本星に救援要請を! 我々は、化け物に遭遇したと!!』
残された艦艇は、蜘蛛の子を散らすように醜態を晒しながら、その場から逃げ惑うように撤退を開始した。
追撃する気はない。
あの程度の羽虫の相手など、今の私の眼中にはない。
後に残されたのは、破壊された艦艇の残骸が漂う静かな宇宙空間と、そこにただ一機、凛として佇む純白のエンジェル・オブ・アンドロメダだけ。
私は小さく息を吐き、緊張と怒りで強張っていた肩の力を抜く。
コクピットの中で、私は一人、先ほどまでの冷徹な声とは違う、震えるような小さな声でそっと呟いた。
「……道は作ったわよ、ベレット。……どうか、生きて」




