第100話 聖騎士ミンクスの屈辱。完全分解された純白の翼と逃げ場なき交渉
【視点:ローズマリー】
スターダスト・レクイエム号のブリッジ。
わたくしたちは今、最高にスリリングで、そして最高に気詰まりなティータイムの真っ最中だった。
純白の翼『エンジェル・オブ・アンドロメダ』を我が艦の格納庫に半ば強制的に収容させ、訪問客となったシスター・ミンクス。
彼女をラウンジのソファに座らせ、わたくしとミュー、そしてナビィさんの三人で、あの忌まわしいコンドル王立研究所への潜入任務に関する報告をしていた。
艦内には、依然として、先の戦闘と、それに続く出来事が残した、息苦しいほどの緊張感が、まるで濃密な香水のように漂っていた。
特に、顔の半分を隠す仮面をつけた紅蓮の薔薇たるこのわたくしと、頭の先から爪先まで純白の衣を纏う高潔な聖騎士様。
わたくしとミンクスの間には、決して交わることのない鋭利な棘を含んだ視線が、音もなく激しく交錯していた。
「あ、あたしは、機体のメンテナンスとさっきの駆動データの再解析があるから! 格納庫に行ってるわね!」
あらあら。お子様には少々、この大人の女たちが発する毒気は刺激が強すぎたかしら。
ユウキさんは、この危険な空気に耐え切れず、そそくさとブリッジから逃げ出していった。
まあ、彼女には、格納庫でお仕事がありますから……。
ナビィさんはそんな状況を完璧に計算し、気を利かせて残ったメンバーに温かいハーブティーを出してくれた。
その滑らかなアンドロイドの手つきには、下手な人間よりもよっぽど深い気遣いと優しさが感じられる。
カップから立ち上るカモミールの穏やかな香りが、今にも火花が散りそうな張り詰めた空気を、ほんの少しだけ和らげてくれた。
「ええ、ですから」
わたくしは、優雅にティーカップを手に取り、ゆっくりと、最高のお芝居の幕を開けた。
「わたくしたちは、ナビィさんとユウキさんの素晴らしいサポートを受け、持てる力の全てを尽くして、あの鉄壁のコンドル王立研究所への潜入を奇跡的に成功させましたの。……それにも関わらず」
そこで言葉を切り、仮面の上から、最高級のレースのハンカチでそっと目元を押さえる。
「目的の『星の遺産』に関するデータは、既に跡形もなく消し去られておりました。そして、あの狂気に満ちたアルベルト王子の卑劣な罠にかかり……わたくしたちは、かけがえのない、我らがキャプテンを。愛しいベレット様を失ってしまうという、あまりにも残酷で、最悪の結末を迎えてしまったのですわ……」
声の震え、息を呑む間の取り方、悲嘆に打ちひしがれたか弱い響き。
一流の舞台女優も顔負けの完璧な演技だと、自分でも惚れ惚れする。
……ええ、データが消えていたのも、罠にかかったのも紛れもない事実。
でも、何より許せないのは、先の作戦が正教会の掌の上であったこと。
内心のドス黒い殺意と、彼に今すぐ会って強く抱きしめたいという狂おしいほどの乙女心を完璧に隠し、わたくしはハンカチの陰でそっと悲痛な息を吐いた。
「本当に、データは何も残っていなかったと?」
ミンクスは、わたくしの完璧な悲劇のヒロインぶりにも眉一つ動かさず、水色の瞳の奥に鋭い疑念の光を宿らせて問い詰めてきた。
聖職者らしい静謐さを保ちながらも、嘘を見抜こうとする鋭利な刃のような響き。
まったく、可愛げのない女ですこと。
殿方に愛されるすべを知らないのでしょうね。
「ええ、そうですわ」
わたくしはハンカチを目元から離し、仮面の下で彼女の射抜くような視線を真っ直ぐに受け止めた。
「残念ながら。アルベルト王子に完全に先を越されてしまったようですわね。彼の狡猾さは、我々の想像を遥かに超えておりました」
きっぱりと、諦念を滲ませて答えると、ブリッジに重く息苦しい沈黙が再び落ちた。
「……そうですか」
シスターは静かに深く息を吐いた。
「我々が支援した、コスモノイド解放戦線の陽動部隊も、コンドル軍の予想以上の反撃に遭い、多大な損害を出し、研究所への到達は叶いませんでした。残存部隊は現在、別の秘密基地へと撤退中とのこと。この作戦で、彼らも、そして我々アンドロメダ正教会も、あまりにも大きな痛手を負ってしまいました」
ミンクスは、作戦の失敗という苦い現実を苦々しげに伝えてきた。
「まあ、お可哀想に」
わざとらしく口元に手を当て、同情するフリをして冷ややかに切り返した。
「コスモノイド解放戦線の方々は、アンドロメダ正教会という名の美しい羊飼いに導かれた、哀れな『生贄の子羊』たち、というわけですわね?」
「……! 結果だけを見れば、そう捉えられても仕方がないのかもしれません」
痛いところを突かれたミンクスは、ムッとしたように語気を強めて反論してきた。
「ですが、我々とて最善を尽くしたつもりです!」
「あら、そうですの?」
肩をすくめ、心底呆れたようにため息をついた。
「ご自分の組織の不手際を、わたくしたち末端の実行犯に責任転嫁しているようにしか聞こえないのだけれど? ……それとも」
わたくしは、とっておきの猛毒を塗った棘を、言葉の裏に込めた。
「あなた方が最善を尽くされたのは、銀河の平和のためなどではなく、正教会の醜い派閥争いのため、ということかしら? 例えば、そう……あのお方、大司教ザカリー様とか?」
わたくしが探るような冷たい視線を向けると、ミンクスの完璧なポーカーフェイスが、一瞬だけピシリと音を立てて崩れた。
「……! そ、そんなはずはありません!」
明らかに動揺していますわね。
「アンドロメダ正教会は常に、銀河の平和と秩序を願い、維持のためだけに存在しているのです! そのためにフォワードの聖なる御力に、日々祈りを捧げているのです! 内輪の醜い争いのために、その聖なる力を使うなど……断じて、断じてありえません!」
彼女は感情的に反論するが、その言葉にはもはや絶対的な確信の響きはなかった。
「あら、そうですの? 随分と、お花畑のようなお考えですこと」
「だからこそ!」
ミンクスは、余裕を失った声を張り上げた。
「この危機に瀕した銀河を守るために、あなたたちのような特別な力を持つ方々に、ご協力をお願いしているのです!」
「結構ですわ」
ミンクスの白々しい理想論を、絶対零度の声で一刀両断にした。
「そんな大層なもののために、わたくしたちがこれ以上、血を流す義理はありませんことよ。わたくしたちには、そんな漠然とした『銀河の平和』などよりも、遥かに大切で、この命に代えても守らなければならないものが、ございますから。……ねえ、ミュー?」
わたくしは、ミンクスを冷たくあしらうように、ミューへと同意を求めた。
「うん!」
ミューは、ラウンジのソファから力強く立ち上がった。
ラピスラズリの瞳には、もう以前の怯えていた少女の迷いはない。
曇りのない強い意志の光を宿し、ミンクスを真っ直ぐに見据えている。
「私たちはこれから、ベレットを助けに行くの! ベレットが囚われている、監獄コロニーへ!」
「……! ミューさん!?」
ミンクスは、ミューのあまりにも個人的で真っ直ぐな決意に戸惑いを隠せていない。
「ですが、銀河の危機が今そこまで迫っているのですよ!? アルベルト王子の計画を止めなければ……!」
「それも、感じるわ」
ミューはきっぱりと言い切った。
「私のフォワードが、何かとても大きくて、暗くて、悪いことがこの宇宙で起ころうとしているって、絶えず囁き続けている。……でも!」
彼女は胸に手を当て、その瞳に恋する乙女特有の、全てを焼き尽くすような燃える光を宿らせた。
「それでも、私にとって、ベレットが一番大切なの! たとえ銀河を懸けても構わない! 必ず、ベレットをこの手で助け出す! それが、今の私のたった一つの願いだから!」
「ふふ、さすがはミューですわ」
わたくしは、そんなミューの姿を心底満足そうに見つめ、微笑んだ。
ええ、その通りですわ。
「そんな……」
ミンクスは言葉を失っていた。
ミューの純粋で、狂おしいまでのベレット様への強い想いに、大義名分でしか動けない彼女は、ただただ圧倒されるしかなかった。
「そういうことですわ、シスター・ミンクスさん」
完全に場を支配した余裕を漂わせながら、ミンクスに死刑宣告を下すように告げた。
「ですから、もうあなた方の『聖戦』にお付き合いするつもりは毛頭ございませんの。わたくしたちは、かけがえのないキャプテンをお迎えに行かなければなりませんから」
この上なく魅力的に、そして残酷に微笑んだ。
「ああ、でも。せっかくここまでご足労いただいたのですから。あなたにもお手伝いいただきましょうか? どうせ、あなたもお暇でしょうし?」
「なっ!? 何を勝手なことを……!」
ミンクスは必死に反論する。
「私は聖女ナナリー様からのオーダーを帯びているのですよ! アルベルト王子の計画を阻止するという、銀河の未来に関わる重要な聖務が……!」
「あらあら」
わたくしは、骨の髄まで凍りつくような絶対的な殺気とプレッシャーを声に込めて囁く。
「あなたに、まだ『選択肢』がおありだとでもお思いになって?」
「なんですって……?」
彼女が息を呑んだのを確認し、わたくしは勝ち誇ったように、格納庫にいるユウキさんへと映像通信を繋ぎました。
「ユウキさん? 作業の進捗は、いかがかしら?」
『ああ、ローズマリーさん!』
モニターの向こうで、ユウキさんが目を輝かせ、興奮した様子で答えた。
『ちょうど、あのエンジェル・オブ・アンドロメダの【完全分解】が終わったところよ! いやー、すごいわね、この機体! さすがはアンドロメダ正教会の最高技術! 各部のコアユニットに、古代文明の『聖遺物』が惜しげもなく組み込まれているわ! これは解析しがいがありそう! まあ、それでもあたしのスターゲイザー改やヴァルキリー改の方が、総合的な戦闘性能では上だと思うけどね!』
ユウキさんは技術者としての好奇心を満たされ、悪気なく無邪気にそう語る。
モニターには、その言葉を裏付けるように……見るも無残にパーツ単位まで分解され、床に無造作に並べられた、エンジェル・オブ・アンドロメダの哀れな姿が映し出されていた。
「……!!!」
ミンクスは、そのあまりにも衝撃的な光景を見て完全に絶句した。
言葉を失い、ただわなわなと肩を震わせるしかなかった。
聖騎士の誇りである純白の愛機を、身ぐるみを剥がされるようにバラバラにされたのですから。
わたくしは、そんなミンクスの絶望的な表情を心から楽しんで眺めながら、サディスティックな笑みを浮かべ、最後通告を突きつけた。
「さあ、どうなさいます? シスター・ミンクスさん。純白の美しい翼を元通りにしてほしければ……わたくしたちに、大人しく協力なさることね」
わたくしの甘く、残酷な笑い声が、ブリッジにいつまでも響き渡った。
それぞれの覚悟と、交錯する思惑。
それら全てを古びた船体に満載して、スターダスト・レクイエム号はついに最終目的地……わたくしの愛する殿方が囚われている、絶望の監獄コロニーへと、最後のワープを開始した。




