第97話 過去へのケジメと星見の丘の幻影
コンドル王立監獄コロニー、その最深部。
光も音も、生命の気配さえも完全に拒絶されたかのような、絶対的な闇と静寂が支配する独房。
冷たく湿った金属の床に、俺は打ち捨てられたガラクタのように横たわっていた。
いや、ガラクタの方がまだマシかもしれない。
少なくともガラクタは、こんな骨の髄まで軋むような痛みや、胸を抉るような後悔を感じることはないからな。
アルベルトが背を向けて去った後、残されたのは、ヤツの狂気に満ちた言葉の残響と、全身を容赦なく苛む鈍い痛み。
そして、この宇宙にたった一人で放り出されたような、深い孤独感だけだった。
……リリーナを、蘇らせる……だと……?
アルベルトの、あの貌に浮かんだ恍惚とした狂気の笑みが、暗闇の中で瞼の裏に焼き付いて離れない。
ヤツのあの言葉は、俺の心を、重く錆び付いた錨のように、暗く冷たい絶望の海の底へと引きずり込んでいく。
俺は一体、どうすればよかったんだ……?
あの日、俺が逃げ出さずにアルベルトの隣にい続けることができていれば、何か、少しでも違っていたのか……?
いや……!
俺は、身動き一つとれない身体の中で、答えの出ない自問自答を苦しげに繰り返した。
リリーナを失った、あの日の魂が引き裂かれるような悲しみ。
泣き叫ぶアルベルトに対して、何もできなかった自分の無力感。
そして……現実から目を背け、金と酒という名の虚しい鎧の中に逃げ込み続けていた、自分自身の拭いきれない弱さ。
宇宙海賊に身をやつし、その日暮らしの泥水を啜るような生活。
そうやって自分を痛めつけることで、過去の罪から逃れようとしていた薄汚い男。
それが俺だ。
後悔という名の冷たい波が寄せては返し、心を容赦なく打ち据える。
「……リリーナ……」
乾いた唇から、愛しい名前が掠れた吐息のように漏れた。
目を閉じれば、そこには鮮やかに彼女の記憶が蘇る。
太陽のように輝く笑顔。
春風のように優しい声。
全てを包み込むような、温かい眼差し。
初めて指先に触れた、あの柔らかな肌の感触。
彼女から漂っていた、陽だまりのような甘い香り。
それは、俺が永遠に失い、そして二度と手に入れることのできない、かけがえのない光だった。
俺は、お前を守れなかった。
ただ、弱かったんだ。
血が滲むほど強く拳を握りしめた。
臆病な俺を、許してくれとは言わねえ。
……だが!
失われた過去は、もう取り戻すことはできない。
砕け散ったアルベルトとの友情の欠片を、拾い集めることもできないだろう。
だが、未来はどうだ?
未来は、まだこの血まみれの手の中にあるはずだ。
いや、這いつくばってでも掴み取らなければならない。
アルベルトを、止めなきゃならねえ。
あの銀河を巻き込んで終わらせちまうようなヤツの狂気を、この手で止める。
それが……リリーナへの、そしてかつての親友への、俺なりのケジメだ。
魂の奥底で、戦うという新たな決意の炎が静かに燃え上がる。
必ず、アイツらとの未来を勝ち取る……!
俺の剃刀色の瞳の奥に、再び闘志の火花が散った。
それが、俺がこのクソったれな宇宙で生きる意味なのかもしれねえな。
脳裏に、かけがえのない仲間たちの顔が次々と浮かび上がる。
ミュー。
あの、危うげで、いつも俺の背中に隠れていたくせに、誰よりも真っ直ぐな瞳で俺を信じてくれた銀髪の巫女。
アイツが俺に向ける、あの純粋すぎる好意。
俺みたいな薄汚れた男には眩しすぎて、どう応えていいか分からず、いつも子ども扱いして逃げてばかりだった。
だが、あんな泣き出しそうな顔で「守る」なんて言われたら、放っておけるわけがねえだろう。
ローズマリー。
妖艶な仮面の下に、深い覚悟と、俺にはもったいないくらいの意外な優しさを秘めた紅蓮の薔薇。
女海賊なんて物騒な肩書きを持ってるくせに、俺が弱っている時はいつも、絶妙な距離感で背中を預けてくれる。
あんな大人の女に本気で向き合われたら、俺の安いプライドなんか簡単に吹き飛んじまう。
ナビィ。
誰よりも俺の無茶を心配し、呆れながらも完璧にサポートしてくれる最高の相棒。
アイツがいないと、どうにも調子が狂っちまう。
そして、ユウキ。
生意気で不器用で、父親の面影に縛られながらも、確かな才能と情熱を秘めた翠眼の少女。
……今の俺には、アイツらがいる!
最高に手のかかるバカどもが!
こんな肥溜めみてえな場所で、みすみすくたばってたまるかよ!!
しかし、俺の強い意志とは裏腹に、アルベルトから受けたダメージとこれまでの激しい消耗は、俺の肉体を限界の淵へと追い詰めていた。
気力だけで、かろうじて意識を保っているような状態。
身体の奥底から最後の力を振り絞り、フォワードのエネルギーを燃え上がらせようとするが、それはまるで嵐の中の消えかかった蝋燭の灯火のように、あまりにもか細く頼りなかった。
クソッ! まだだ……!
俺は、まだ終われねえんだよ……!
何としても生き延びる。仲間たちの元へ帰る。
その魂からの生存への渇望が、俺の内に眠るフォワードのさらに奥深くにある、根源的な力……生命そのものの輝きを、一瞬だけ激しく揺さぶった。
その瞬間。
俺の意識は、ふっと現実の肉体の軛から解き放たれ、強烈な光の中へと吸い込まれるように飛翔した。
……ここは……?
気がつくと、俺は見覚えのある、ひどく懐かしい場所に立っていた。
青々とした緑の芝生が広がり、心地よい風が吹き抜ける小高い丘。
頭上には、手を伸ばせば届きそうなほど近くに、満天の星々がダイヤモンドのように輝いている。
ビックサム学園の『星見の丘』。
俺が、リリーナと、アルベルトと……三人で馬鹿みたいに笑って、青春の時を過ごした、一番大切な思い出の場所。
そして。
そこに、彼女はいた。
「……リリーナ……!」
月光を浴びて、柔らかな光のオーラを纏い、昔と寸分違わぬ姿で、彼女はそこに立っていた。
風に揺れる、美しいプラチナブロンドの髪。
全てを包み込むような、慈愛に満ちた優しい微笑み。
サファイヤブルーの瞳は、星々の光を映して、深く、静かに輝いていた。
「ベレット?」
彼女が、俺の名を呼ぶ。
その声は、春の陽光のように暖かく、俺の傷つき、凍てついていた魂を、ゆっくりと優しく溶かしていく。
「リリーナ……! ああ、リリーナ! 会いたかった……! ずっと……!」
俺は衝動のままに、彼女へと駆け寄ろうとした。
だが、俺の足はまるで、見えない重い鎖に繋がれているかのように、一歩も前に動かない。
「ベレット」
リリーナは、どこまでも優しく微笑んだ。
「あなたは、もう過去に囚われている必要はないのよ。辛かったでしょうね。ずっと独りで、重い荷物を背負って」
「……! 違う! 俺は……! 俺は、お前を守れなかった……! 臆病で、弱かった、俺のせいで……!」
俺は、言葉にならない後悔と、謝罪の念を魂で叫んだ。この重荷を下ろす資格なんて、俺にはない。
「ありがとう、ベレット」
リリーナは、静かに首を横に振った。
「あなたのその気持ちだけで、わたしはもう十分よ。だから、わたしのことは、もういいの。わたしは、もう大丈夫だから」
彼女は、そっと、光を帯びた手を俺へと差し伸べた。
「あなたは、あなたの未来を生きて。希望を、愛を、そして信じることを、決して諦めないで。あなたの、かけがえのない、大切な仲間たちと共に。……それが、わたしの心からの、たった一つの願い」
リリーナの言葉が、聖なる響きをもって、俺の魂の最も深い場所へと、静かに、しかし深く響き渡った。
「リリーナ……」
瞳から、熱い涙が止めどなく溢れ出した。
それはもはや、悲しみや後悔の涙ではなかった。
ただの薄汚れた宇宙海賊を許してくれた彼女への感謝と、呪縛からの解放、そして未来への確かな決意が込められた、浄化の涙だった。
俺は震える手で、リリーナのその光り輝く手を握ろうとした。
彼女の温もりに、もう一度だけ触れたかった。
……ミューたちを護るための、強さを貰いたかった。
だが、その指先が触れるか触れないかの刹那。
リリーナの姿が、ふわりと淡い金色の光の粒子となって、夜空の星々へと溶けていくように消え始めた。
「……! リリーナ……! 待ってくれ……! 行かないでくれ……!」
俺は必死に叫び、手を伸ばす。
だが、その声はもはや彼女には届かない。
彼女の慈愛に満ちた微笑みと、指先に残る幻のような温もりだけが、俺の心に永遠に刻まれた。
……リリーナ、ありがとう。
ああ、そうだな……。
俺は、もう大丈夫だ。
何としても生き抜き、必ず仲間たちの元へ帰る。
そして、アルベルトを……あの狂気に堕ちたかつての親友を、この手で止める。
決意は、鋼のように固まっていた。
だが、しかし。
その強い意志とは裏腹に、現実の肉体は、既に取り返しのつかない限界点を超えていた。
アルベルトから受けたダメージ。
スターゲイザーとの無理な共鳴。
そして、フォワードエネルギーの完全な枯渇。
身体が急速にその熱を失い、死のように冷たくなっていくのを感じた。
そして、俺の意識は、穏やかな、深い、深い闇の中へと、ゆっくりと静かに沈んでいった。




