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第95話 生命維持装置を振り切って。愛する人を救うため、星詠の巫女が立ち上がる

【視点:ミュー】

意識が、冷たくて重い水の底から、ゆっくりと光差す水面へと浮上していく。


最初に私の鼻腔をくすぐったのは、ツンと鼻を刺す消毒液の、どこか清潔で安心する匂いだった。


そして、耳に届いたのは、規則正しい無機質な生命維持装置の電子音。


ピ、ピ、ピ……。


鉛のように重い(まぶた)を、えいっと力を込めてこじ開ける。


ぼんやりとした視界が徐々にピントを結び、そこに映ったのは、見慣れたスターダスト・レクイエム号の医務室の白い天井だった。


……夢……じゃ、なかったんだ……。


精神の深淵で出会った、もう一人の自分。


意地悪で、少し大人びていて、でも私と同じくらいベレットのことが大好きな、鏡像の姉のような魂の導き手。


彼女から託された、膨大な星々の記憶と、あの強大な力を制御する(すべ)


それは、私の身体の奥底で、今も静かに、だけど確かな熱を持って脈打っている。


そして何よりも……!


「……ベレット……!」


愛しい彼の名前が、私のひび割れた唇から、熱い吐息と一緒にこぼれ落ちた。


生きてる。


彼は生きている。


あの冷たい鉄格子の向こうで、私を待っている。


その絶対的な確信が、私の眠っていた細胞の一つ一つを内側から激しく揺さぶり、完全に覚醒させた。


身体を起こす。


腕に繋がれた点滴や、胸に貼られた生命維持装置のケーブル。


私はそれを、何の躊躇もなく、力強く引き抜いた。


ピー! ピー! ピー! と、けたたましいアラーム音が静かな医務室に鳴り響く。


だけど、そんな無機質な警告音なんて、今の私の耳にはもはや届いていなかった。


早く!


早く彼を迎えに行かなくちゃ!


「ミューさん!? お目覚めですか!? お身体は、ご気分は!?」


アラーム音に反応し、ナビィのサブボディであるナビィ5が、珍しく慌てた足音を立てて医務室に駆け込んできた。


その完璧なアンドロイドの(かんばせ)には、安堵と驚きと、そして深い憂慮の色が人間みたいに複雑に浮かんでいる。


琥珀色の瞳が、心配そうに私の全身をスキャンしていた。


「ええ、もう大丈夫よ、ナビィ」


私は、まだ少し声が掠れていたけれど、自分でも驚くほど凛とした響きで答えた。


「それより、教えて。私、どれくらい眠っていたの?」


「7日と11時間38分22秒の間、コールドスリープに近い深いメディカルスリープ状態でした」


ナビィは、私のバイタルサインに異常がないことを確認すると、淡々と、でもどこかホッとしたような、泣き出しそうな声で情報を伝えてくれた。


「現在は、ジャンクヤード宙域に位置する、ローズマリーさんの私設ドック『バルバラ基地』に停泊中です」


「そ、そんなに……! 一週間も……!?」


私は驚きに目を見開いた。


一週間!?


「なんてこと……! ううん、ぐずぐずしてられないわ!」


私は勢いよくベッドから降りようとした。


……だけど、フォワードエネルギーを限界まで使い果たし、長い眠りについていた身体は、私の気力についてきてはくれなかった。


足元が生まれたての仔鹿のようにふらつき、床に敷かれた冷たいタイルの上へと崩れ落ちそうになる。


「ミューさん! どうかご無理はなさらないでください!」


ナビィが、倒れそうになる私の身体を慌ててしっかりと支えてくれた。


その細い腕は硬い機械のはずなのに、お姉ちゃんみたいにとても温かい。


「あなたはフォワードの枯渇と精神への過負荷により、生命維持さえ危険なほどの深刻なダメージを負っていたのです! どうか、もう少し安静にしてください!」


「でも……! でも、ベレットを助けに行かないと!」


私はナビィの制止を強い意志で振り切り、彼女の肩を掴んで必死に訴えかけた。


「ベレットは、生きているのよ! ナビィ! 私の進化したフォワードが、そう告げたの! コンドルの暗くて冷たい鉄格子の監獄の中で、たった一人で囚われているの!」


絶対の確信に満ちていた。


あの時、私の魂が触れた彼の魂の温度。


不器用で、孤独で、でも誰よりも温かいあの波動。


絶対に間違いない。


「……! マスターが……、ご生存……!?」


ナビィの琥珀色の瞳が、大きく、大きく見開かれた。


気のせいじゃない。


その瞳がまるで溶けた琥珀のように、本物の涙で潤んでいるように見えた。


いつも無表情で完璧な彼女が、こんなにも人間くさい感情を爆発させている。


ナビィ……あなたも、ずっと苦しかったのね。


「そ……それは……! それは真実……なのですか、ミューさん!?」


「本当よ!」


私は左手首の『星屑のブレスレット』を、ナビィの目の前に誇らしげに掲げて見せた。


そのシルバーの輝きが、医務室の白い照明を反射して、キラリと確かな希望の光を放つ。


「私のフォワードで、ベレットと私を繋ぐ魂の絆を通して、居場所を……ベレットのまだ燃えている魂の灯火を! 確かに見つけたの!」


「……分かりました、ミューさん。信じます」


ナビィは、深く、静かに頷いた。


その表情は、私と同じように喜びと、強い決意に満ちているように見えた。


「実は我々も、マスターを捜索し救出するための準備を、ローズマリーさんの指揮の下、着々と進めておりました。ユウキさんも不眠不休で、新型機の開発に取り組んでくださっています」


「……! そうなの!? ローズマリーも、ユウキも……!」


誰一人として、ベレットの死なんて受け入れていなかったんだ。


「じゃあ、すぐにでもベレットを助けに行けるじゃない!」


「はい。理論上はそうなのですが」


ナビィは、そこで少しだけ言い淀み、表情を曇らせた。


「ミューさんには、もう少しだけ安静にしていただく必要があります。ミューさんのフォワードは、まだ完全に安定しているとは言えませんから。……それに、もう一つ。別の、少々厄介な問題が発生しておりまして」


「厄介な問題? 一体、何があったの……?」


私はナビィの不穏な様子と、その声に含まれたわずかな困惑の色に不安を感じ、眉をひそめた。


まさか、アルベルト王子の追手!?


好奇心と不安で心臓がドキドキと早鐘を打つ。


「それは、言葉でお伝えするよりも、直接ご覧になった方がご理解いただきやすいかと……」


ナビィの表情は、どこか呆れたような、でも少しだけ嬉しそうな苦笑いを浮かべているように見えた。


「ただし、少々……いえ、かなり、賑やかすぎるかもしれませんが……」


ナビィはそう言うと、私を伴い医務室のドアを開け、バルバラ基地の巨大なドックへと案内してくれた。

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