2章:25話「レオンの戦いⅠ【誇り高き戦士】」
――夢を、見ていた。
“蒼い鎧“に身を包んだ少女に覆い被さる、“大男“の姿。
それを倒れた状態で見ているしかない。そんな夢を。
「――かひゅっ!」
口内に溢れる錆びた鉄の味と、鼻の奥にこびりつく濃密な血の匂い。
肺が潰れているのか、呼吸する度に混じる血の塊。
耳鳴りの向こう側で、獣のような下品な笑い声が微かに届く。
(⋯⋯行かなきゃ⋯⋯! 助けるんだ⋯⋯!!)
“僕“はその状態で、彼女を助けようと右手を伸ばし、這いずるように進む。同じように、左手も彼女の元へと伸ばしていく。
――だが、視界には何も映らない。伸ばしたはずの左手が、いつまで経っても前に来ない。
確かに左腕を伸ばした筈。それなのに、感覚すらなかったのだ。
“僕“はおそるおそる、その左腕がある場所へ視線を移すと。
――左肩。その下にあるはずの“左腕“が、綺麗さっぱりと消えていた。
代わりにあるのは、夥しい量の赫い血溜まり。その状況を認識した瞬間に訪れる、焼けるような熱さと激しい痛み。
「――がっ! あぁああああ!!」
“僕“は、その痛みに耐えることが出来ず、情けなく叫ぶ事しか出来なかったのだ。
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「――頼んだよ、カル」
夢から醒めたレオンは、自身の無事とこれからの作戦、そして自身の想いを雪の精霊へと語り終えると、その精霊を労うように優しく撫でて眠らせた。
――シルフが顕現させた精霊。少年の“魔眼“はその精霊すらも鮮明に捉え、対話すら可能にさせていたのだ。
レオンは彼女たちを追うように遥か高くにある“空“を見上げる。少年が落ちたその場所は円形に広がっており、さながら“コロッセオ“のような印象である。
「――話は、済んだか?」
空を見上げ続ける少年――その背後から、威厳すら感じる重厚な声が洞窟の中に響き渡った。
「⋯⋯どうして、僕を助けたりしたんですか?」
レオンは、目の前にいる灰色の肌の“オーク“に向けて言葉を放つ。そんな少年に向けて、そのオークは肩を竦めながら返した。
「妙な事を聞くな、童。うぬが死んだら、我は誰と戦えばよい」
レオンはそのオークの言葉を静かに聞きながら、先ほど彼を襲った恐ろしい感覚を思い出す。
――穴に落ちた瞬間。レオンは目の前にいるオークの巨大な手に掴まれたのだ。
少しでも力を加えられれば、少年の華奢な体など簡単にへし折ることが出来る。そんな掌に。
だが、そんな事は起こらなかった。彼は落ちる直前、岩壁に空いた手を伸ばし、減速するようにこの場所へ降り立ったという。
レオンはその衝撃で気絶してしまっていた。そんな少年が不明瞭な“夢“から覚めるまで、このオークは律儀に待っていたのだ。
――それどころか、地上にいる少女たちに向けて話す時間まで許した。
圧倒的な“強者“の余裕か、矜持か。それとも、ここで死ぬのだから、最期に愛する者と話す時間くらい許したのか。確かな事は、全てこのオークから提案して、それを律儀に待っていた事であった。
さて、と溢しながら立ち上がるオークは、その体躯と同じ程度には巨大な剣を引き抜き、口を開く。
「――これで、もう何も憂う事はないか? なら、そろそろ始めるとしよう」
「⋯⋯待っていた理由は、こうして“正々堂々“と戦う為ですか?」
オークが立ち上がると、その上背は五メルに届かんとするほどの巨躯である。――あまりにも圧倒的で重厚で威厳のある姿からか、少年には実際よりも大きく見えたのかもしれないが。
怪訝な表情を浮かべながら口を開いたレオンに対して、そのオークは牙の生えた口元をにやりと崩しながら返す。
「無論、その通りだ。折角の戦い。楽しまなくてはな」
「⋯⋯よく言う。女性や子供たちをさらっておいて」
堂々と語るオークに対して、少年は自身にすら届かないほどの小さな声で零すと、レオンはそのまま続けた。
「⋯⋯正々、堂々と。⋯⋯お言葉に甘えて、僕も戦う準備を整えても良いですか?」
「ほう。面白い。我がそれを待たなくてはならない理由は?」
レオンの言葉に、オークは笑みを浮かべながら答える。そんな彼に、小さな少年は同様に笑みを浮かべながら返した。
「――貴方が、楽しめるように、ですよ。⋯⋯この戦いが貴方の指先一本で決着がついたら、面白くないでしょう?」
「⋯⋯なるほど。いいだろう。その代わり、楽しませてくれるのであろうな?」
「努力は、しましょう」
レオンは、彼なりに軽口を叩いているつもりであった。――どんな時でも余裕を崩さない、憧れの“東洋の男“を思い浮かべながら。
そしてそれは表面上だけで、彼の全身の毛は逆立ち、身体中が汗でびっしょりである。
(⋯⋯恐い。脚がすくむ。シンも、いつもこういう気持ちなのかな? でも――)
――戦いは避けられない。逃げることは出来ない。神話の中から出てきたようなこの“オーク“を、彼は倒さなければならない。何より、先ほど見たあの不明瞭な“夢“。
(――こいつを放っておいたら、誰かが、やられてしまう⋯⋯!!)
その絶望的な状況が、返って少年を冷静にさせていた。
(⋯⋯あまりやった事はないけど⋯⋯。やるしかない⋯⋯!)
レオンは、手に持った魔剣にさらに力を込めながら、顔の辺りまで抱え上げた。――そして、ゆっくりと言葉を紡ぐように、その小さな口を開いていく。
「――“灰より這い出よ、来たりませ。昏き地底よりただ独り、怒りを抱えた白化の焔。その足擦りで大地を融かし、忘却の根から這い上がれ“――」
少年の口から淀みなく紡がれる、“魔神“へと向けられた“詩“。言葉を一つ落とす度に、レオンの瞳と魔剣の文字が激しく輝いていく。
レオンは、ミーナの“神聖魔法“を見て閃いたのだ。
――魔法陣を描けないのなら、描かなければ良い、と。
少年はその頭の中で描いた魔法陣を、次々と言葉へ落とし込んでいく。正しい形なのかもわからず、詠唱すら合っているのか少年にはわからない。
それでも。レオンは脳裏に流れる鮮明な“想像“と、その視界に映る魔力の流れを元に、魔神を賛美するように“詩“を唄う。
「――“さりとてその巨躯過ぎたりし。怨嗟の燻り喰い破り、熾火の臓腑を曝け出せ“――」
レオンの華奢な体を包み込むように、白化の炎が駆け巡っていく。迸る激しい魔力。少年の魔導管に走る堪え難い激痛。ヒビの入った“右眼“から漏れ出る激しい光。その全てがレオンの周りを奔り、溶け合い、混ざり合う。
少年は唄い終えた。そして、存在を確定するための“名前“を、この世界へと生み落とす。
「――『熾火の魔神』!!」
レオンの背後で燃え盛る激しい焔。――だが、それだけでは終わらなかった。
「――『魔神の心臓』!!」
背後で燃え上がっていた焔は、迸る魔力を内包したままその大きさを徐々に縮めていく。
小さくなるにつれて白い輝きを増していくそれは、やがてレオンの体躯と同じ程度に圧縮される。
――その様は、まるで“燃え盛る心臓“。その言葉通り、心臓はゆっくりと脈動を始める。
「――『魔神の人形』」
レオンのその言葉の後。“燃える心臓“から何本もの“炎の糸“が飛び出し、少年の四肢や体へと巻きついていく。
燃える心臓から繋がる炎の糸は、さながら血管のように心臓から炎を走らせ、脈動していた。
運動能力、身体能力共に低いレオンは、その体を自分の“想像“通りに動かすことが出来ない。
そこで閃き、ヒルダの“糸“から着想を経たレオンなりの彼女の魔法。
――たとえ動けなくても。動かないなら、“動かして貰えばいい“。少年の魔法への探求は、常に常軌を逸している。
(体が、“思い通り“に動く⋯⋯! これなら、ルナやノエル、それにイングリッドさんのような剣技も⋯⋯!)
レオンは、そのまま魔剣を構えた。目の前のオークへと向けて。
「――ほう! これは“面白い“!! これではどちらが“魔族“か、わからんな!!」
燃え盛る心臓を背後に、そこから繋がる多数の“炎の糸“。どちらが“神話の怪物“かわからない様相に、灰色の肌をしたオークは満足そうに大きく笑ったのだ。
「童、名は?」
「⋯⋯レオハルト。レオハルト・フォン・リヒトホーフェン」
「なるほど。レオハルトか。よく覚えておこう」
「⋯⋯名前」
「ん?」
「貴方の、お名前は?」
レオンは、オークに向けて静かに問う。
一瞬、呆けたように止まるオークであったが、少年の言葉の意味を理解すると、気がついたかのように声を上げた。
「グハハ! これは失敬!! 我が名乗っておらんかったな!!」
オークは、その大剣を高々と掲げ上げ、地を揺らすほどの大きな声で名乗りを上げた。
「――我が名は“ベオウルフ“!! 誇り高き“オーク“の戦士が一人、“豪剣のベオウルフ“なり!! レオハルトよ! いざ尋常に勝負!!」
――ベオウルフと名乗った歴戦の戦士と見習い騎士レオンは、
互いに剣を構え、大地を強く蹴り出した――




