2章:24-2話「拠点防衛戦Ⅵ【黒の軍勢(フェケテ・シェレグ)】」
ルナ、ノエル、エリザ。その三人は戦場で夥しい数の“腕“に覆われていた。
腕だけとなった男たちの体。それらは男たちの下衆な意思が宿り続けているように美しい少女たちの四肢や服を乱暴に掴んでいく。
エリザに群がるその腕たちは、彼女の細く伸びた脚や両手を拘束し、鎧の隙間へと潜り込み、服を破きながらその肢体を弄り続けていた。
「――いやあぁああ!! はなして! たすけて! レオン! レオン!!」
エリザの叫びが戦場に響き渡る。――だが、それは誰にも届く事なく無常にも空へ溶けていった。
それを聞いていた二人の少女――ノエルとルナも、エリザと同じように四肢を掴まれ、拘束されていたからだ。
「――やだぁっ! 離してよぉ!! レオン以外にさわられるの、やだぁっ!!」
ノエルも、生まれて初めて生理的嫌悪を感じるように、涙を落として叫びながら、自身の身体中に蠢く腕たちを振り払おうともがいていた。
だが、その抵抗も虚しく体を無様に捩らせるだけとなる。次々と襲いかかるそれらは彼女の身に付けていた皮の胸当てを引き千切り、空色のチュニックやスカートを乱雑に破いていく。
「――くっ! 下衆が! はなせ!! レオン以外が、ルナにさわるなぁ!!」
そして、ルナも同様であった。普段から表情変化に乏しく、どんな状況であっても眉一つ動かさない彼女が、その眉間をよせ、無機質な貌を悲痛に歪めていた。
羞恥、恥辱、嫌悪――そして、愛する少年のみに許したはずの貞操を奪われようとしている恐怖。それは少女の全身の隅々へと巡り、震えてしまう程その豊かな肢体を強張らせている。
「――はなしてよおぉおお!!!!」
――エリザ、ノエル、ルナの叫びが、空へと消えていく。
圧倒的な強さを誇る少女たち。だが、その強さはあくまで“生きた人間“のみに対してのものだった。斬れば死ぬ筈である人間が、斬れば切るほどにその数を増やし、際限なく増え続ける。そんな群がる“怪異たち“には文字通り手も足も出なかったのだ。
――今まさに衣服を剥かれ、恥辱に塗れた姿を隠すことも出来ず叫び続けるしかない三人の少女たちを、リリィとライサは戦いながら見ている事しかできなかった。
「――っ! ライサ! あの子たちを助けなきゃ!」
「この状況では無理です! 残念ですが、腕だけなのが救いとして下さい!!」
声を荒げて叫ぶリリィに対して、焦った様子で、しかし冷静に言葉を返すライサ。
黒翼の彼女は、未だ“人の形“を保っていた死霊兵を優先的に狙っていた。
「腕だけであれば、まだ衣服を剥かれるだけで済むでしょう! 人の形を保ったものに貞操を奪われるより、遥かにマシなはずです!!」
「〜〜もう! 仕方がない!! さっさと細切れにしてやる!!」
苦虫を噛み潰すような表情で、自身の最悪な提案を告げるライサ。身が裂ける思いで口に出したそんな少女の想いをリリィは汲み取り、未だ“五体満足“な敵に向けて殺意を向ける。
――そして、上空からリリィは見ていた。混沌とした戦場へと真っ直ぐに向かってくる“黒い鎧に身を包んだ騎士たちの姿“を。
「――こんな時に! 敵の増援じゃないよね!?」
「それを祈りましょう! とにかく彼女たちを傷物にしたら、彼に合わせる顔がありません!! 急ぎますよ!!」
「おっけ〜、ライサ!!」
二人の翼人は、会話を終えると直ぐに目的の敵の元へと急降下していった。
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「――おりゃあぁああ!!」
カルは、休むことなく大地に剣を叩きつけ、足場を崩して時間を稼いでいた。
――否、それしか出来なかったのだ。人を斬る覚悟が、まだこのドワーフの少年には出来ていない。
戦場に響く少女たちの悲鳴を聞いた。カルは焦燥に駆られながらも、叫び続けて大地を割っていく。
敵の数は大分少なくなってきたように感じる。問題なのは、細切れにされても敵が動き続けることに他ならない。
「――くそっ!!」
――戦おう。
カルは、何度もそう決意していた。その度に剣を握る手に力を入れ、そして震えてしまうのだ。
――人を殺してはいけない。そんな当たり前の事実。道徳的で、それを外れて咎を受けることはあっても、守って咎を受けることはまずあり得ない。当たり前の感覚。
だが、それでも人は人を殺す。なぜなら、やらなければ、やられるからだ。
(レオンは、それをわかってたのか。エリザも、あのおっかないねーちゃんたちも⋯⋯!)
(カニスも、シンも。親父も、シャル団長も。みんな、みんなわかってたんだ⋯⋯!)
前衛にいた三人は、今は動くことが出来ない。動けるのは、カル一人。
つまり、後衛を守れるのは、カル一人しかいないという事だった。
崩れた足場で、確実に迫ってくる人の形をした“敵“。
(――悩んでいる時間は無い! 俺が! 俺が、やらなきゃなんだ⋯⋯!!)
カルは、再び大剣を握る手に力を込める。震えを無視して、さらに力強く。
「――俺が! 俺がやらなきゃ! 守れないんだ!!」
死霊兵の手が、カルに迫る。
――カルは、震えた両手で、大剣を振りかぶった。
「――おあぁああああ!!!!」
両手の震えをかき消すように、カルは叫び、大剣を振り下ろす。
――同時に、手の中で柄が滑る。手から離れることはなかったが、刃がずれ、代わりに刀身の腹が男を襲った。
ぐじゃ、と。
頭蓋の砕ける感触が、大剣を通して柄へと走り、彼の指先から手の平を通して脳天へと駆け巡る。
――取り返しのつかない致命傷。大剣はなおも男の頭を砕き続け、首から背骨に続き、鎖骨、肋骨を砕く衝撃と肉が千切れる感触。内臓が潰れていく感覚を長い時間をかけてカルに伝えていった。
勢いよく振り下ろされた大剣も、男の腰に届く前でようやく止まった。彼の時間が、再び動き出す。
カルの目の前には、上半身を押し潰された凄惨な遺体。そこから大剣を動かすこともせず、カルは零れるように呟いた。
「⋯⋯やった。やって、しまった。⋯⋯俺が⋯⋯、“殺した“⋯⋯!!」
――瞬間、カルの胃液が逆流し、その口から胃に入った全てを吐き出してしまう。
地面に膝を付き、大剣が音を立てて落ちる。敵はまだまだ近づいているのに、全身の震えが収まらない。
「⋯⋯おえっ、⋯⋯かはっ! あ、ああ⋯⋯!!」
鼻腔に残る吐瀉物の感触。そんな状態のカルは涙目になった瞳を正面へと向け、敵が自分に迫るのをよく見ていた。
(⋯⋯くそっ! 人を殺した⋯⋯! 敵が来てる! 酷い感触⋯⋯! 戦わ、ないと!!)
彼の思考は滅茶滅茶になる。自責、安堵、後悔、危機――そして、僅かな“達成感“。
支離滅裂な感情が巡る、膝をついた少年の元に訪れたのは――
――騎馬に跨る、黒い騎士の姿であった。
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「――第一陣、突撃せよ!!」
戦場に響き渡る、芯の通った澄んだ声。
――その号令と同時に、けたたましく地を叩く大量の蹄。
少女たちが守る拠点から見て右翼側の奥から現れた騎馬隊は、そこから死霊兵の軍勢後方を掠めるようにして左翼側へと駆け抜ける。
左側に槍を構えたその騎馬兵たちは、その槍で死霊兵を切り刻みながら後方へと下がっていった。
「第二陣、突撃!! 第三陣、突撃準備!!」
列を成した騎馬兵全員が一撃離脱を行い、第一陣が終えるよりも早く第二陣が同じように突撃していく。
離脱した騎馬兵は上空からみれば円を描くように元の位置に戻り、再び攻撃準備を整え、再度突撃する。
まるで刃が回転するように、止まることなく敵陣を削ぎ落とすように攻撃を繰り返していったのだ。
――車懸かりの陣。
騎馬の機動力を最大限に生かしたその攻撃は、騎馬が主力であるグレーネラント特有の戦法である。
草原が主な戦場である彼らにとっては、カルやエリザが砕き続けた荒れた大地では不利な筈であったが、それを見越した黒い騎士たちは荒れていない大地を中心にルートを定め、荒れた地面に捕らわれた死霊兵に的確に攻撃を加えていた。
「――クラリス副団長! 敵の様子が⋯⋯!!」
そんな中、黒い騎士団の一人が号令を行っていた副団長と呼ばれた女性に声をかける。
彼女は騎馬の上から、倒したはずの賊が未だ蠢き続けているのを見ていたが、僅かに微笑みながら団員へと言葉を返した。
「――ふふふ。怪異だわぁ。あんなになっても動き続けるなんて、まるで虫みたいね」
「笑っている場合ですか、副団長! どうしますか?」
「どうするもないわよぉ。倒しても動き続けるなら、足を狙いなさいな。動きが鈍くなったところを、死ぬまで突いてやれば、いつかは死んでくれるでしょう?」
「⋯⋯はっ! 了解いたしました!」
「さて、準備はいいかしら? ――第一陣、再突撃せよ! 我ら黒の軍勢“の実力、見せておやりなさい!!」
――黒の軍勢の副団長にして、団長アランの懐刀であるクラリスの的確な指示の元、最大の効率を持って男たちを殲滅していく。その手腕は見事なもので、彼女が指示を出す度に敵の数はみるみると減っていった。
「――あそこに、三人。捕まっている女の子たちがいるわ。急いで救出しなさい。柔肌に一つでも傷をつけたら、承知しないわ」
「はっ! 了解いたしました! 動けるものは私についてこい!」
副団長の指示を受けた数騎が、エリザたちに群がる死霊兵の波へと躊躇なく突っ込んでいく。
彼女たちは槍の切っ先を輝かせながら、少女たちを縛り付けていた無数の腕を瞬く間に細切れにし、次々と吹き飛ばしていった。
「無事か!? 君たち!!」
騎士の一人が、倒れていた三人の少女へ向けて、外套を外しながら声をかける。だが、両手で体を隠して目を伏せている三人の少女たちは、放心したかのように答えることが出来なかった。
――鎧をつけていたエリザでさえ、その衣服はボロボロになっている。軽装であるルナとノエルの衣服に至ってはすでに見る影もなくなっており、その美しい柔肌が曝け出されてしまっていたのだ。
それに遠くから気が付いていた馬上の騎士は、外した外套を涙目で体を隠す少女たちにかけると、馬に乗せてシルフやヒルダのいる拠点へと駆け出していった。
――それを遠目で見届けたクラリスはといえば、膝をついているドワーフの少年、カルッパの元へと悠然と馬を歩かせていた。
馬上の少女へ向けて、カルは膝をついたまま声をかける。
「――あんた達、助けて、くれたのか?」
「あら、やっぱり近くで見れば可愛い子ねぇ。食べちゃいたいくらい」
「⋯⋯はあ?」
肩で息をしていたカルの質問に答えず、クラリスは瞳に熱を込めながら告げた。
そんな彼女の反応にカルは呆れた声を出してしまったが、彼女は自分が先ほど溢した言葉を取り繕う事もせずにそのまま続ける。
「そうねぇ、助けに来たの。こっちの仕事も終わったし、いい退屈しのぎにはなったわぁ」
「⋯⋯まだ、終わってない⋯⋯! あいつら、斬っても死なないんだ⋯⋯!」
「そうみたいね。大丈夫よぉ。足を切り落とせば、動きは大分鈍くなるでしょう? 対処は、その後でいいわぁ」
クラリスは彼らの様子を気にする事なく告げた。――緩さと鋭さが覗く瞳には、死線をくぐり抜けて来た強者の色が含まれていた。




