2章:21話「拠点防衛戦Ⅲ【女戦士と隻腕の猿(シーミア)】」
――夢を、見ていた。
今からは遥か遠く、戻る事のないあの日々の夢を。
“隻腕の猿“と呼ばれた、圧倒的な力を振るい、暴れ回っていた獣人の男。
その男は、魔法という魔法を使用することは無かった。
効率を求めていった結果、編み出したとされる“強大な魔力をそのままぶつける“魔法。
魔法陣を刻む事すらせず、効力や属性すら付与しない。
単純に“力“のみで押し切る、路地裏の喧嘩のような戦い方。
されど、瞬く間に何度も放たれるその魔力は防ぐ事すら難しく、
――多くの者たちが彼の者に挑み、そして返り討ちにされたのだ。
『――ヒルデガルダよ。あの男を殺せ』
そうやって、偉そうに指図する者が、"女戦士"は嫌いであった。
いつもは自分にビクビクと怯えているくせに、都合の良い時だけ“お願い事“をしてくる、卑怯で、卑屈で、偉そうな俗物が。
『――嫌よ。“隻腕の猿“と言ったって、実際大した事ないのでしょう?』
『⋯⋯あの男が現れて、十日は経った。その間、幹部が八人殺された。あの男の手によってな』
『その八人が、大した事なかっただけではなくて?』
ヒルデガルダは、さも興味なさそうに続けた。
――だが、彼が発した次の言葉に、目を見開くことになる。
『⋯⋯それならよかったのだがな。だが、その中の一人に“ラグナル“がいる』
『!! あいつが!? やられたの!?』
『ああ。それも、その時の戦いは、ラグナルを含めた三人で挑んだのだ。そして、返り討ちにされた』
ラグナル。ヒルデガルダも知る、有数の武人。
彼とはよく戦い合い、互いの能力を競い、高め合っていた。
――ヒルデガルダが強く“なりすぎて“からは、戦うことはなくなっていたが。
『⋯⋯ふぅん。少しは、楽しめるのかもね。いいわ。乗ってあげる』
『⋯⋯貴様に、任せた。くれぐれも、油断するなよ?』
『誰に物を言っているの? あまり調子に乗らないでもらえるかしら。その"猿"や貴方の首跳ねる事なんて、造作もない事なのよ?』
――ヒルデガルダは、自信に満ちた自身の発言を深く後悔していた。
慢心、油断。強くなりすぎたが故のそれを、その男は的確について来たのだ。
品性の欠片も無いような、魔力をぶつけるだけの、魔法とは到底呼べない“魔法“。
泥水に顔を押し付けられ、視界を奪われた隙に放たれた死の閃光。
こちらの刃をあえて己の肉体で受け止め、血反吐を吐きながら嗤って放つ零距離の魔力。
その男は手段を選ばず、的確に、明確で圧倒的な“殺意“を持ってヒルデガルダの喉元を喰いちぎろうとして来たのだ。
結果として、ヒルデガルダはその男に惨敗した。
“最強“と称された誇りを粉々に打ち砕かれた怒りと屈辱を噛み締めながら、惨めにも敗走する事になったのだ。
それから、ヒルデガルダはその男に執着するように、何度も戦いを挑むことになる。
――何度も、何度も。何度でも。何度も挑み、そして敗走する。
そんな日々が続くうちに、ヒルデガルダはその男に奇妙な感情を芽生えさせていた。
彼が何故そんな魔法を使い、
何故それ程までに強くなったのか。
彼は何の為に戦い、
誰の為に、そこまでして戦うのか。
片腕の彼が何故、
失った“左腕“に魔力で作り上げた“竜のような腕“を生やしてまで戦うのか。
その理由は、戦い続けるうちにわかってきた。
その男が、何を思い、何を考え、何を悩んでいるのか。
時には剣を合わせ、時には拳を交える。
そんな歪んだ交流を経て、ヒルデガルダと彼の間には奇妙な友情さえ芽生えているような気がしていたのだ。
自分の考えている事は、彼に伝わる。同じく、彼の想いも、ヒルデガルダには伝わっていた。
戦いに明け暮れる日々の中で、自らに幸せや思慕、恋慕にも近い感情を与えてくれた、名も知らぬその男。
ある時、“隻腕の猿“としか呼ばれることの無いその男の名前を、女戦士は戦いの最中に尋ねたのだ。
――その男が、答えることは無かった。
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「――ルダ! ヒルダ!!」
一瞬、意識を失っていたヒルダの耳に、自らが愛するレオンの美しい声が届く。
瞼を開けたヒルダの瞳に最初に映ったのは、泣き出しそうに眉を寄せて紫色の瞳を潤わせているレオンの姿であった。
「――レオン?」
「ヒルダ! よかった⋯⋯。目が覚めたんだね?」
少年は心底安心したように肩の力を抜き、その表情を僅かに緩める。彼は彼女よりずっと華奢な体でヒルダを抱きかかえ、必死に呼びかけ続けていたのだ。
彼越しに見える空の下では、レオンを慕う他の少女たちもまた、安堵の息を吐いてヒルダを見つめていた。
「⋯⋯ごめんなさい。心配かけたわね」
「ヒルダ、無理しないで。君は休んでいて」
「そういう訳にはいかないわ。⋯⋯敵が、まだこちらに向かっているのでしょう?」
「⋯⋯僕たちでなんとかする。だから、ヒルダはこれ以上戦わなくていい」
レオンは再度、涙が溢れそうなほど潤わせた大きな瞳をヒルダに向けて、懇願するように告げた。
そんな少年に言葉を返そうとするヒルダだったが、その前にエリザの声が響く。
「――レオン、作戦は大成功だった。⋯⋯だが、敵の第二波、第三波が近付いてきているようだ。どうする?」
「⋯⋯多分、奥側の二つの砦からだ。彼らが同時に向かってくるとしても、自然と波状攻撃になるように仕向けたのか」
「そのようだ。敵の数は、単純に計算すれば先ほどの二倍。また足場を崩すか?」
「⋯⋯さっきみたいに上手くはいかないだろうけど、もう一度やろう。多分、こちらを挟み込むように迫ってくるはずだ。次は僕も出る。混戦だけは避けたいからね」
レオンはエリザと話しながら、ヒルダをそっと柔らかな草原の上に優しく横たえる。
――少年の脳裏には、最悪のシナリオが浮かんでいた。
先ほどの敵の数は約百人ほど。それが、それぞれの砦から向かってきているとすれば、単純計算で二百人ということになる。
改めて数字にすればとんでもない数だ。ちょっとした軍団規模の人数。対して、こちらはレオンと、彼が率いる団員――エリザ、ミーナ、ルナ、ノエル、シルフ、クロラ。それにカル、リリィ、ライサ。戦えないヒルダを含めても十一人しかいない状況で接敵し混戦となれば、いくら彼女たちが強かろうと瞬く間に飲み込まれてしまうであろう。
頬に一粒の汗を垂らしながら考えを巡らすレオンに、ヒルダが声をかけた。
「⋯⋯それじゃあ、私はレオンの反対側をやるわ。奴らが近付く前に、八つ裂きにしてあげる」
「ヒルダ! 無理しないで!」
「ヒルダさん! 起き上がらないでください!」
ヒルダは、彼女を介抱していたクロラとシルフの制止を無視して、起き上がろうとしていた。
そんな彼女に向けて、レオンは落ち着かせるように優しく告げる。
「ダメだよ、ヒルダ。君は休んでて。大丈夫。僕たちがなんとかするから」
「私の“糸“なら、奴らがこちらに近付く前に対処できる。それは貴方も良く知っているのではなくて?」
「⋯⋯ヒルダ。魔力が、ないんでしょ?」
「!!」
悲しそうに目を伏せるレオンの言葉に、ヒルダは目を見開いて驚愕していた。――少年の瞳は、紫色に淡く輝いている。
少年は、哀しそうに、されど、優しい眼差しを彼女へと向けながら力なく続けていく。
「⋯⋯それも、きっと、僕のせいで。思えば、あの戦いから毎日ヒルダは僕に際限なく魔力を与え続けてくれたよね。今までもそうだし、さっき、僕を抱き締めて眠っていた時でさえ、君の魔力が僕の体に流れているのを感じた」
「そんな事ないわ! 貴方のせいだなんて、そんな!」
「⋯⋯よく考えれば、すぐに気付くべきだった。いくらヒルダの魔力量が恐ろしいくらいに多いからって、人の魔力が、そんな無尽蔵にある訳無いのに⋯⋯」
「レオン! 聞きなさい! 私は――!」
「――聞くのは、ヒルダの方だ。大切なヒルダを、僕は絶対に失いたく無いんだ――」
――レオンの言葉に、ヒルダが反応する直前。
彼らの立つ草原――大地が、轟音と共に激しく揺れた。
「――きゃっ!」
「ヒルダ!!」
反射的に、ヒルダを庇うように覆い被さるレオン。
「――なんです!?」
「地面が、揺れてる⋯⋯!!」
大地が揺れるという、あまりにも異常な現象に、驚きが隠せない声を上げるシルフとクロラ。
「――急に暗く――」
「――みんな!!」
彼らを照らす暖かな日差しを遮るように、巨大な影が包み込んだのをルナが気付いた。
この異常に視線を上げたノエルは、彼らに告げるように叫ぶ瞬間――
「――なんだ。女子と、子供しかおらんではないか」
――彼らの“頭上“より遥か高く。威厳すら感じるほど重厚な“声“が降り注ぐ。
「――ひっ!!」
「⋯⋯なんだ、これは⋯⋯!?」
怯えた声を出すミーナに、状況に唖然とするエリザ。
地響きと共に舞い上がった土煙。彼らが見上げたその奥から、文字通り“山のような“巨躯が姿を現した。
「⋯⋯なに、アレ⋯⋯。トールより、でかいじゃん⋯⋯!」
「まさか、あれは⋯⋯! いや、でも、そんな筈は⋯⋯!!」
危機を察知して上空に飛び上がったリリィが、震える声で零す。ライサもまた、信じられないようなものを見るように目を剥いていた。
土煙が晴れるにつれ、その威容が露わになる。
――灰色の肌。豚のような鼻に、口から上に大きく伸びた猪の牙。
破裂しそうなほど筋肉の詰まった丸太のように太い両腕に、それを支える城壁のような腹筋と巨躯を支える大木の根のような脚。
「――嘘だろ!? その姿⋯⋯、まるで“オーク“じゃねえか!!」
その光景に目を見開いたカルは腹の底から叫んだ。
――“オーク“。
かつて人々が聖竜エレオスと共に打ち倒した魔族の中の一つ。
森の木々よりも巨大なその体躯で暴れまわったその種族は、人々を軽々と握り潰し、易々と踏みならし、蹂躙と暴虐――破壊の限りを尽くしたという。
眉のない凶悪な瞳を下ろし、ヒルダに被さるレオンを見据えると、そのオークは静かに声を落とす。
「――ふん。子供であろうと、“男“である事に変わりはあるまい。鎧の童、剣を抜け」
「――シルフ!! ヒルダを!!」
レオンはその言葉に全身の毛を逆立たせる。それと同時に一瞬で全身に魔力を巡らせ、力一杯ヒルダをシルフの元へと放り投げ――そして、彼女たちのいる方向とは逆に向けて駆け出す。
――彼は魔導管に走る痛みに顔を歪めながら魔剣を引き抜く。刀身を覆った布を引き剥がし露わになった魔剣は、その樋に刻まれた文字を激しく明滅させていた。
(――狙いは、“僕“か⋯⋯!?)
少年の“意図“――少女たちを巻き込まんとするその行動に、巨人は僅かに笑みを浮かべながら、巨大な牙のある口をゆっくりと動かして重厚な声を落とす。
「――面白い。一端の“戦士“ではあるようだ」
オークは駆けるレオンの姿を視線だけで追いながら、その丸太の様な腕を掲げあげ――その手に握られた巨大な鉄の塊にしか見えない大剣を彼に向けて振り下ろした。
再びこの地に訪れる轟音――地を揺らす衝撃に、草原にはヒビが入り、岩盤は割れ、木々は倒れていく。
「――!!」
その大剣は、レオンに当たる事なく大地を崩し――地面は大穴を開けて崩落していく。
「――うわあぁああ!!」
――その大穴はレオンと“オーク“の元まで届き、
二人は、大穴の中へと落ちて行った。




