2章:20-1話「ねずみ返し洞窟の戦いⅡ【火入れの罠】」
「――やられた」
黒と銀を半分に分けたような、特徴的な髪色の少女は苛立ちを含めた声で呟いた。
それを聞いていたのか、黒衣の男は少女に向けて口を開く。
「⋯⋯どうした?」
「死霊兵がやられた。洞窟内の方も、砦に送った方も」
「⋯⋯想定の範囲内ではないか。そう驚くような事でもあるまい」
「⋯⋯砦の方。“聖竜“の力を感じた。不愉快」
「⋯⋯!!」
“聖竜“という言葉に、強く身体を震わせて反応する黒衣の男。
男は手に持った杖を何度も岩に叩きつける。洞窟内に音が反響する中、不愉快さを隠さずに続けた。
「⋯⋯エレオスめ⋯⋯! どこまでも、我々の邪魔をしおって⋯⋯!!」
「死霊兵は砦に送った分で最後。もう手元にはいないよ。どうする?」
「⋯⋯洞窟内には、あとどれくらいおる」
「二十人、くらいかな。そのままぶつけても、やられるだろうけど」
淡々と状況を告げる少女。その瞳には焦りも動揺も無い。全く興味を持たないその様子は人形のようにも見える。
男は落ち着きを取り戻すように、顎を撫でながら続けた。
「⋯⋯よし、よし。十分だ。死霊兵をここに集めろ。戦う事しか能が無い連中に、本当の戦いというものを見せてやる」
「はいはい⋯⋯。全く、人使いが荒いね」
少女は面倒くさそうに溜息を一つ。
それを見ていた男も、少女の反応を意にも返さないように続ける。
「⋯⋯それと、貴様は“門“を繋げるのだ。ここから砦だ。場所は任せる」
「やだよ。疲れちゃうもん。あなたがやれば?」
「⋯⋯ワシは“故郷“へと繋げる。どれだけ魔力があろうと、“門“は一つしか繋げられん。開く際に魔力を流したままになるからな」
「! じゃあ、本当にやるの? “同族“でしょ? 悲しくないの?」
少女は少し驚いたように目を大きくすると、声をかけられた男は一瞬、逡巡するように目を伏せる。
しかし、再度少女に向き合うと、ゆっくりと口を開いた。
「⋯⋯大義のためだ。それを言うなら、貴様だって同じようなものだろう。“人“が“人“を弄ぶのだから」
「それで言うなら、私はどちらでもないよ。“混じりもの“に、居場所なんてないから」
男の言葉に、少女は僅かに苛立ちを込めて言葉を返す。その様子は怒っているようにも――悲しんでいるようにも見える。
そんな少女の様子を気にも止めずに、男はさらに続けた。
「⋯⋯まあ、どうでもいいがな。とにかく、“門“は繋いでおけ。それと、“切り札“とやらも、呼び寄せておくんだな」
「はーい。⋯⋯別にいいけど、どうなっても知らないよー」
少女が返答し終えると、闇へとその姿を消した。
黒衣の男は舌打ちを一つ打つと、その視線を岩壁へと移し、手に持った杖で魔法陣を刻んでいく。
「⋯⋯全く。“はぐれ者“の分際で、生意気な小娘め」
男は苛立ちを溢しながらも、手に持った杖で幾何学を描き続ける。彼が作成していく魔法陣は緻密で、正確で、そして巨大であった。
「⋯⋯さて、同胞たちよ。もう一度、ワシに力を貸しておくれ」
完成した巨大な魔法陣。男がそれに杖を当てるとその幾何学模様は輝き、閃光とともに弾け飛ぶ。
激しい輝きが収まると、そこには魔力で覆われた“黒い穴“が現れたのだ。
「「「――ギギッ! ギギギッ!!」」」
その穴から現れる、夥しい数の“緑色の人影たち“。
――“ゴブリン“。
緑色の肌と尖った耳と鼻を持ち、小柄な体躯と毛の無い頭皮を持つ。だが、それはただの醜い亜人ではない。
大きな眼孔の中で蛇のように鋭く動き回る濁った瞳には、底知れない飢えと残虐性が宿っている。彼らが吐き出す濁った息には、周囲の空気を腐らせてしまうような瘴気にも近い禍々しい“魔力”を帯びていた。
――かつて“聖竜エレオス“が人々と共に打ち倒し、闇に封じ込めた筈の魔族が、エレオスが眠りについてから一二七五年の時を経て再びこの大陸へと足を踏み入れたのだ。
くくっ、と。黒衣の男は思わず笑みが漏れ出るように、低く声を上げる。
「⋯⋯くくく。奴ら、腰を抜かすであろうな。⋯⋯なにせ、“魔族の軍隊“なんて、初めて見るであろうからな」
男は堪え切れなくなったのか、低い笑みから徐々に高笑いへと変わっていく。その口からは、唾と共に、周囲の空気を腐らせるような“魔力“が含まれていた。
――そんな中で、男が開いた“黒い門“からは、アエテルナに戻った喜びか、これからの“暴力“に心を震わせているような凶悪な笑みを浮かべるゴブリン達が、止まる事なく現れるのであった。
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「――あちいな」
シンは麻でできている特徴的な衣服――“ジンベエ“をバサバサと振りながら、頬に伝う汗を拭う。
現在はシン率いる名無しの傭兵団四人とシャル率いる蒼穹の盾五人、そしてアランの計十人で洞窟を進んでいた。
――先ほどの戦いで救出した人質を地上へと送り届けるのに、赤浪団と蒼穹の盾の団員達が護衛についたのだ。
そして、要所を抑えるために人員を配置していった事で、現在はこの人数となっている。
「確かに。少し暑くなってきましたね、シャルお姉様」
「そうだね、イレーネ。洞窟の中だし、僕たちは重装備だからね」
鎧の中に風を送り込むように手をパタパタと振っていた団員――イレーネは、シャルに向けて声をかける。
それに答えるシャルも、額には汗が滲んでいた。そんな少女たちの姿を確認するやいなや、アランは子犬のように元気よく駆け寄って来た。
「あっ、暑かったら、いつでもボクを頼ってください! シャルさんや蒼穹の盾の皆さん全員を、冷やしてあげます!!」
「⋯⋯アラン君。助かるけど、無理はしないでね?」
「大丈夫です! ボクはこの“グラシアリス“を使いこなしているので!!」
アランは瞳を輝かせてシャルに告げる。シャルは少し苦笑いしながらも、彼の気遣いに感謝していた。
揺れる尻尾が幻視出来るかのようなアランに向けて、今度はシンが声をかける。
「そりゃありがてえ。俺たちも頼むわ」
「⋯⋯ふざけるな、軟弱者。勝手に蒸し焼きにでもなってろ」
揶揄うように声をかけたシンに対して、視線すら送らずに態度を反転させて答えるアラン。
そんな彼の様子に肩を竦めながら、シンは耳と尻尾をだらりと下げ、舌を出しているフォルクに向けて続けた。
「だとよ、フォルク。俺たちみてえな軟弱者は、男らしく我慢するとしますか」
「⋯⋯あつい、あつい⋯⋯。⋯⋯それに、変な、匂い⋯⋯」
声をかけられたフォルクは、まるでシンの言葉が聞こえていないような様子で、呻くように“あつい“と連呼していた。
――無理もない。“純徴種“と呼ばれる、毛皮だらけの彼にとっては、この洞窟内のじめじめと湿った空気とそれに込められた熱は天敵であるようだ。
シンたちは軽口を叩きながら、シャルたち蒼穹の盾はアランが送る冷風に冷やされながら進んでいくと、少し大きい空間へと辿りつく。
先を進んでいたシンは片手を上げ、洞窟の通路から広間の様子を確認している。――見晴らしの良い空間。そこは賊からすれば、罠を仕掛けるのに打ってつけの場所であったからだ。
「おい、フォルク。だらけてねえで、仕事しろ仕事!」
「⋯⋯あ、ああ。何? あ、ついたのか⋯⋯」
「⋯⋯頼むぜ、フォルク。暑いのに弱いのはわかるが、もう少し我慢してくれ」
「す、すまない。⋯⋯敵の気配は無いが、この広場、やけに熱くないか?」
「大分深いところまで来たからな。空気が淀んでいるんだろうぜ?」
そう話しながら、広場へと足を踏み入れる救出隊。
ふとシンは、岩肌から垂れた雫の行方を視界に入れた。
岩肌を伝う水滴は重力に従い、地面でもある岩へと落ち、
――じゅ、と。
岩に吸い込まれるように、音を立てて水滴は跡形もなく消え去った。
「――罠だ!! 気をつけろ!!」
明暗を繰り返す洞窟の中で目を慣らし切らない彼らは、気が付かなかったのだ。
――床から微かに立ち上る“陽炎“に。
床が熱くなっている事に最初に気が付いたシンは叫ぶ。
――が、一手遅かった。
「――今だ! やれぇっ!!」
広場の上段――岩の影から、十個の“樽“が投げ込まれる。
重力に従い、地面に落ちた樽は激しい音を立てて粉砕され、中に入っていた液体――水を床に打ち付ける。
瞬間、音を立てて岩に水が吸い込まれていくと、同時に大量の水蒸気が発生したのだ。
「ったく! 今は“蒸し風呂“って気分じゃねえってのに!!」
「――下がっていろ、軟弱者」
水蒸気による煙幕の中で、酷く冷たい声が響き渡る。
その声の主の影は、ゆっくりと腰に下げたサーベルを引き抜き、叫んだ。
「――やれ! 『グラシアリス』!!」
アランは叫ぶと、彼を中心にしてその広場は氷漬けとなる。
水蒸気ですら凍り、ダイヤモンドダストとなって僅かな光を反射する中、訪れた静寂。
樽を投げ入れられた岩影から覗かせるのは、氷像と化した賊たちの姿。
精巧な彫刻のように、今にも襲いかかるような格好をした男たちは、皆一様に音が奪われたように静まり返っていた。
「――どうだ? 軟弱者。これがボクの力だ。恐れ入ったか!」
「へえへえ、よくわかりましたよ。⋯⋯へっきし!!」
「⋯⋯丁度いい」
「おで、ざむい。うえ、はだか」
「おい、トール! 大丈夫だ! 筋肉があれば――ぶえっきしゅっ!!」
勝ち誇った笑みを浮かべるアランに、各々答えていく名無しの傭兵団の面々。
「――みんな! 大丈夫!? アラン君、シンさん!!」
「シャルさん! もちろんです!! 何でもかんでも、ボクに任せてくだ――」
アランやシンの元へ駆け寄ってくる、シャルと蒼穹の盾の面々。
彼女たちが彼らの元へたどり着く瞬間。
――ぴし、と。
シャルたち蒼穹の盾が立っていた床から、破砕音が響き渡った。
水が触れた瞬間に蒸発する程、熱された岩。それを急激に冷やしたらどうなるか。
――答えは、脆く、割れやすくなる。古来より鉱山を切り開く事にも使用された、伝統的な手法である。
「――きゃあ!!」
「――シャルさん!!」
「――おい、危ねえ! こっちだ!!」
――悲鳴を上げながら、崩れた岩盤から落ちていくシャルたち蒼穹の盾。
床の崩落は終わらず、アランやシンが立っていた場所さえも、止まることを知らずに崩れていく。
そんな中、シャルを追おうとしていたアランを担ぎ上げ、シンたちは通路へと逃げ込むのであった。




