2章:16-2話「"氷剣"のアラン」
天幕に声が響いた瞬間、その場の温度が酷く下がったように感じる。生暖かい潮風すら、真冬の北風のように刺すような冷たさに変わったと思えるほどであった。
その空気に、氷漬けにされたように静まり返る天幕。それを切り裂いたのはシャルの言葉であった。
「――アラン君!?」
「お久しぶりです! シャルさん!!」
アランと呼ばれた少年はシャルに声をかけられた瞬間、その冷たく鋭い瞳を輝かせて子犬のように近付いて来た。
「ご無事で何よりです! シャルさん!」
「アラン君も、元気そうで何よりだよ。それにしても、早かったね?」
「もちろんです!! ボクの団員たちは他の砦の制圧に向かわせて、ここには一番に参りました! ――“落ちこぼれ“が一緒だと、色々と負担も多いと思いましたので!!」
シャル以外の者には言葉の棘を隠すこともせず、まるで彼はその場にいるのがシャルのみ、といった様子で言葉を続けていた。
そんな中、アランは視線をシャルから、彼の言う“落ちこぼれ“――レオンに視線を移す。
――その鋭い眼光に、レオンは思わず身体を震わせてしまった。その様子を見ていたアランは、少年を軽蔑するように切り出していく。
「――貴様が、リヒトホーフェンだな?」
「⋯⋯は、はい」
「“落ちこぼれ“の卑怯者が、どうしてここにいる?」
「っ!!」
アランから放たれた、冷たく、鋭い言葉に、レオンは一瞬身体を震わせた。
――だが、少年は目を逸らす事まではしなかった。どれだけ“落ちこぼれ“と罵られようとも、今の少年には大好きな“団員“たちがいる。そんな少女たちの“団長“として、レオンは変わり始めていたのだ。
「外で待っている貴様の団員を見たぞ。――全員、覇気が無いな。邪魔だから、騎士ごっこは他でやれ」
「――!! 何だって!?」
しかし、次のアランの標的は、少年ではなく、その少年の大好きな“団員たち“に向けられたものだった。
それに眉を吊り上げ、語気を荒げるレオン。そんな彼の様子に構わず、アランは続けていく。
「大方、顔だけで雇ったんだろ? 騎士の恥晒しめ。丁度いい、フィデリアで娼館でも経営したらどうだ? 団長自ら、客でも取ってな」
「⋯⋯僕の事はいい。でも、僕の団員を馬鹿にするな!」
「よく言う。馬鹿にされるのが嫌なら、ここに来るまでに何か一つでも役に立ったのか?」
「⋯⋯!! そ、それは⋯⋯」
「ほら、見たことか。シャルさんにおんぶに抱っこで、何一つ自分ではしてこなかったくせに。どうせお前は――」
「――アラン君。言い過ぎだよ」
アランの肩に手を置きながら、静かに告げるシャル。
――その瞳は感情が消え失せていたが、凄まじい怒りを含めているのが僅かに見える。
「――!! しゃ、シャルさん! 貴女は騙されているんです! こんな、こんな軟弱者に付き合っている時間は無いはずです!!」
「アラン君。それ以上はダメだよ? ⋯⋯慕ってくれてるのは嬉しいけど、レオン君は僕にとって返しきれない程の恩がある大切な人なんだ。いくらアラン君でも、それ以上は許さない」
「⋯⋯そ、そんな! シャルさん! ダメだよ⋯⋯!」
シャルの言葉に、叱られた子犬のように小さくなるアラン。だが、アランはシャルの説得を止めようとはしなかった。
「シャルさん! 目を覚ましてください! こんな“落ちこぼれ“が貴女の恩人だなんて、騙されているに違いないんだ!!」
「アラン君、聞いて。レオン君は――」
「大体、こいつが恩人だなんておかしいじゃないですか! 騎士学校ではダントツの最下位で武芸もからっきし! 騎士の誉を捨てて魔法専攻に逃げ込んだ臆病者ですよ!?」
「アラン君、聞いて――」
「魔剣に選ばれたくせに、やっている事は女を侍らせて遊び呆けていると! それに一人じゃない! 今では“七人“もですよ!? 魔法を学んでいるのだって、きっと禁じられた“魔術“でも使う為に違いない!! それで、女性の心を操って楽しんでいる下衆野郎なんだ!!」
「アラン君――」
「“小騎士団失踪事件“だって、本当はこいつの仕業でしょう! きっと、こいつが蒼穹の盾の団員の心を操って、非道な事をさせていたに違いない! あまつさえ、シャルさんまでその毒牙にかけようとは!!」
大声で捲し立てるアランは、その瞳を再度レオンに移し、腰の魔剣に手をかける。
「――許さない。絶対に、許さない!」
アランが魔剣の柄を握った瞬間、天幕内の空気が急に凍てついた。
「外道め! 小騎士団を設立したのだって、大きな屋敷に居を移したのだって、そうやって色々な人の心を操って自分の良いようにしてきただけなんだろう!? 人の心を弄んで、楽しいか!? このクズめ!!」
「おいっ! 誰かこいつを止めろよ!」
「つめたっ! 氷!? 嘘でしょ!?」
アランの全身から迸る異常な冷気に、シンとカニスは堪らず声を上げた。
アランが感情を込めれば込めるほど、天幕の中は恐ろしく冷えていく。霜が降り、机に置かれた飲み物さえ凍る異常の中で、アランは凄まじい剣幕でレオンへと詰め寄っていく。
アランから目を離さずにじりじりと離れていたレオンは、ついに天幕の端に追い詰められる。少年はそんな中で、彼に返していった。
「⋯⋯そんな事、してない! それに、人の心を操るなんて、出来るわけないじゃないか!」
「ハッ、どうだか! どちらにせよ、お前を斬れば分かる事だ! 人を誑かして楽しむゴミ一人いなくなったところで、悲しむ人なんか誰もいない!!」
「っ! 言ったな⋯⋯!!」
「図星か? いいだろう! お前は人じゃない! 人の形をした“悪魔“だ! 魔族と言ってもいい!! 貴様みたいな悪党は、この“氷剣のアラン“が成敗してくれる!!」
アランはそう言って、レオンに斬りかかろうとした――その時であった。
彼の小柄な身体が浮いたのだ。
「――っ!!」
それだけではない。アランの細い首に走る激痛。彼は、その首を万力のようにシャルに掴み上げられ、持ち上げられていたのだ。
「っ! シャルさん! 離してください!!」
「――謝って」
「⋯⋯え?」
「謝って。レオン君に。⋯⋯聞こえなかった?」
「⋯⋯い、いや! こんな奴――」
「謝って」
「⋯⋯うう」
シャルに持ち上げられたまま詰められるアランは、その激情に水をかけられたかのように、どんどんと小さくなっていく。――まるで飼い主に叱られている子犬。そんな様子で。
だが、それでも彼は止まらなかった。アランの非難の言葉は止まらない。
「レオン君は、僕の恩人だよ。間違いなくね。⋯⋯それに、彼が本当にみんなの“心を操った“証拠でもあるの?」
「状況証拠です! こんな“落ちこぼれ“を、みんなが気にかけている! ベルケ校長や、イングリッドさんまで! おかしいじゃないですか!! エリザやこいつの団員だって、こいつの何が良くて付いていくのかわかりますか!?」
「君がレオン君を知らないだけじゃない? 僕にとっては、とっても素敵な子に見えるよ?」
「それが騙されている証拠です! こいつの事は、同学年のボクの方がよく知っています! いつも俯いて、自分一人が世界で一番不幸だと言わんばかりに日々を生きている! 人影に隠れ、自らを正す努力すらしない! 騎士になる資格のない、文字通りの“落ちこぼれ“だ!!」
シャルに掴まれたままの状態でも、言葉でレオンを突き刺し続けるアラン。
そんな彼の言葉に、レオンはアランの目を見たまま返し始める。
「⋯⋯確かに、君の言うとおり僕は“落ちこぼれ“だよ。騎士の誉である剣を振る事は出来ず、武芸はからきし、運動だって苦手。いろんな人から悪口を言われるのが怖くて、いつも逃げていた臆病者だ」
「! ほら、見たことか!! やっぱりお前は――」
「――だけど、それは“過去“の話。今の僕は違う」
レオンの予想だにしない言葉に、アランは思わず目を丸くした。そんな彼に構わず、レオンはアランの瞳を見据えながら続けていく。
「僕は、この名前のない“小騎士団“の団長だよ。僕なんかより圧倒的に優秀な団員たちに囲まれて、正直、僕なんかいらないんじゃないかと思っている」
「⋯⋯でも、みんなは僕を慕ってくれる。僕もそうだ。だから、これからはみんなの力を借りて、変わっていくつもり」
「“落ちこぼれのレオン“から、この小騎士団の"団長レオン"として。時には団員たちの力を借りて、時にはイングリッドさんやシャルさんのような先輩の導きに従って」
「――僕は、もう逃げない。もう、絶対に負けない。みんなの力を借りて、いつか絶対に“落ちこぼれ“の名を返上するよ」
――レオンは、静かに、しかし力強く宣言した。
ひゅー、と。高い口笛の音。シンが少年の言葉に感心したように吹いたのだ。カニスも、そんな少年の姿を口角を上げて見ていた。へへ、と笑いながら鼻を擦るカル。
少年の紫色の瞳には、今までのような気弱さは無い。その代わり、その意思――覚悟の炎が煌々と輝いていた。
――少年の姿を見ていたシャルは、嬉しそうに、どこか熱を帯びた様子で目を細めていた。
「⋯⋯ふ、ふんっ! 口でなら、何とでも言えるものな!!」
アランは、力を弱めたシャルの怪力から何とか離れると、負け惜しみのように続ける。
「いいだろう! 貴様がこの後の戦いで活躍したら! その時には謝ってやる!! ボクに頭を下げさせたいなら、言葉ではなく行動で示すんだな!!」
「⋯⋯望むところだよ。シャル団長とも約束したんだ」
レオンは、顔を背けながら叫ぶアランを真っ直ぐに捉えながら、さらに続けた。
「“二度と負けない“。“必ず勝つ“って。⋯⋯そして、“みんなと必ず一緒に帰る“って!!」
レオンは、アラン――だけでなく、その場にいる全員に向けて。
そして、他ならぬ自分に向けて、力強く宣言したのだった。




