2章:幕間1「氷の剣士」
陽が落ちきる前の薄暗い森に、季節外れの冷気が漂っている。
賊の根城となっていた石造の古い砦は、本来であれば略奪の宴で騒がしいはずだった。あるいは、襲撃を受けて燃え盛る炎に包まれる。そのどちらか。
だが、現実はそのどちらでもない。
――そこにあったのは、蒼白く凍りついた“静寂“だけであったのだ。
見張り台に立つ男は、角笛を口に当てたまま氷像と化している。門を守る大男たちは、恐怖に歪んだ表情を浮かべたまま、白銀の霜に全身を覆われていた。
それは、血の赤すら許さない絶対零度の蹂躙であった。
その死の世界の中心を、一人の騎士が歩いている。
カツン、カツンと。硬質なブーツの音だけが、凍てついた石畳に冷たく響く。
黒い髪に、氷河のように冷徹な瞳。
――その騎士は、汚れひとつない黒いマントを翻すと、氷漬けになった砦の主に一瞥もくれずに、仄かに輝く“水晶“を取り出した。
「三つ目の砦、沈黙。生存者は無し。退屈な“仕事“だったよ。どうぞ」
『――ご苦労さん、アラン。相変わらず仕事が早ぇな。急かされてるみてえで、気が気じゃねえや』
黒髪の騎士――アランが水晶に向かって呟く。その外見に違わず、凍えるほど冷たい声音。
その声に応えるように、水晶からぶっきらぼうな声が響いた。
『だが、あんま根を詰めすぎんなよ? “身体“に障るぜ? どうぞ』
「余計なお世話だ、ゲルダ。そっちこそ、早く仕事を終わらせろ」
『言ってくれるじゃねえか。たまんねえな、こりゃ。⋯⋯こっちはお前と違って、簡単に“魔剣“を抜くわけにはいかねー、ってぇのによぉ』
水晶の声の主――ゲルダと呼ばれた声は、嘆息しながら吐き捨てた。
アランは、血のついた決闘剣の刀身を見つめると、みるみると血が凍り始め、硬質な音を立てて真紅の宝石に変貌していく。
それはやがて砕け散り、地に落ちていった。汚れが落ちたサーベルは、まるで氷でできているかのように透き通り、僅かな光を取り込み反射させている。
「実の“父親“だろう。⋯⋯心配じゃないのか?」
『あの“親父殿“なら、きっと殺したって死なねぇよ。⋯⋯誰にやられたのかは知らねーが、由緒正しき“ガーランド家“の恥だぜ、ありゃ』
「⋯⋯君という人は、全く⋯⋯」
ゲルダは皮肉を込めたように、サバサバとアランに返答する。そんなアランは、少し眉を顰めながらもゲルダに返した。
ゲルダは、再度アランを揶揄うような声音で、さらに続ける。
『そっちこそ、新たに騎士学校から小騎士団が派遣されたそうじゃねえか。確か、シャルの蒼穹の盾だろ? 嬉しいんじゃねぇか?』
「ああ。シャルさんが来ている。それだけで、百人力だよ。いいところを見せなきゃ⋯⋯!」
『⋯⋯相変わらずだな、お前は』
その瞬間、極寒の死の世界に、そこだけ春が訪れたような暖かな空気が流れた。アランは、氷で出来た仮面が溶け出すように、年相応の少年みたいに頬を緩める。
――しかし、ゲルダの言葉にハッとするように引き締めると、咳払いを一つし、気を取り直すように続けた。
「こほん。⋯⋯今回のフィデリアの騒動は、ブリガンティアの落ち度もある。その出身者であるボク達で対処に当たらなければ、今後の外交に関わるからね」
『アラン一人じゃ、心配だった、て事だ。⋯⋯ははっ!』
「笑うな! ボク一人だって、対処できる! シャルさんの力になれるんだ!! シャルさんが来たのも、ブリガンティアは協力的だというアピールに違いない!」
アランは、激昂したように話していたが、やがて平静を取り戻したのか、途中から冷たい声音に戻っていた。
――だが、次のゲルダの質問には、アランはさらに眉を顰めることになった。
『はいはい、わかったよ⋯⋯。⋯⋯でも、シャルのところには、もう一つ小騎士団がついて行ってる、って話だぜ?』
「ああ⋯⋯」
冷たい、軽蔑するような声音でゲルダに答える。そんなアランの様子に構わず、ゲルダは続けた。
『最近設立された、退寮処分を受けた“落ちこぼれ“の不良学生が、団長を務めているそうだ。イングリッドが話してたぜ? 確か、アランと同じ学年で、歳も同じだったはずだ。同期だろ?』
「⋯⋯あんな奴と一緒にするな」
アランの声音は、さらに軽蔑するように冷えていく。
「なんで騎士学校に入れたのかもわからない、あの“落ちこぼれ“。女々しい顔で、へにゃへにゃした自分を変えようとしないどころか、女性を連れ込んで退寮処分? 笑わせる。騎士の風上にもおけない」
『お、おい⋯⋯』
「退学にすればよかったんだ、あんな奴。努力もせず、落ちこぼれに甘んじているかと思えば、まさかの女遊び。⋯⋯それも“五人“だぞ!?」
『ちょ、ちょっと待てよ⋯⋯』
「不埒にして不潔。挙句の果てには、正規騎士の命令を無視して、脱走騒ぎだ。⋯⋯落ちこぼれでも、自分の命は惜しいようだな」
『き、聞けって⋯⋯』
「あいつが無様に逃げ出した先に、偶然、賊から逃げることに成功したシャルさんの団員さんたちがいたんだ! それでシャルさんは、あいつが団員さんたちを助けたと勘違いして、あいつを気にするようになった。⋯⋯シャルさんは騙されているんだ!!」
『⋯⋯⋯⋯⋯⋯』
「許さない。シャルさんを騙して⋯⋯! 絶対に許さない!!」
アランの激情に呼応するように、周囲の空気がピキピキと悲鳴を上げる。手にした水晶の表面すらも、彼の放つ殺気のような冷気によって、白く霜が降り始めていた。
彼は、変わらずに軽蔑を燃やすように言葉を荒げていく。ゲルダは、そんな剣幕のアランに何も言う事ができず、あるいは彼の冷気で水晶が凍り始めたからか、彼に返答することは無かった。
「シャルさんは、ボクが必ず守る。そして、あんな可憐で知的で崇高なシャルさんを騙した“レオハルト・フォン・リヒトホーフェン“を絶対に許さない!」
彼は、その激情を込めるように、右手に持ったサーベル――氷の魔剣“グラシアリス“の柄を握り潰すほどの力を込めて、宣言した。
「――あの軟弱者は、このアキュラン・“グラシアリス“・ド・エールラー=フォンクが、絶対に断罪する!!」
――アキュラン・“グラシアリス“・ド・エールラー=フォンク。
ブリガンティア王家に纏わる血筋の“エールラー家“と、騎士王国エスペリアの有力貴族“フォンク家“二家の由緒正しき血を引き継いだ、通称“アラン“と呼ばれるブリガンティア貴族の少年。
そして、騎士学校三年生、わずか十五歳という年齢で、小騎士団序列第五位“黒の軍勢“の団長を任された、騎士学校きってのエリートでもある。
そんな彼は、高度な魔法陣が刻まれた、恐らくは高価であるだろう凍りついた水晶をぞんざいに仕舞うと、自ら創り上げたその“氷の砦“を静かに立ち去ったのだった。




