2章:11話「作戦会議」
「――相変わらず、静かだね。ここは」
シャルは静かに零す。彼女の言う通り、廊下を進むにつれて、中庭の石畳が砕ける轟音や、カニスの悲鳴が遠ざかっていく。
商館の喧騒を分かつ重厚な黒檀の扉が閉じられると、そこには外の騒ぎが嘘のような静謐さ、かつ張り詰めた空気が満ちていた。
潮の香りは消え去り、代わりに無機質な石と灯りに使われているであろう、独特な油脂の匂いが鼻を突く。
廊下の床には、深い海の色を思わせる藍色の絨毯が敷き詰められている。レオン達が足を踏み出すたびに、上質な羊毛がその音を吸い込み、周囲の静寂をより一層際立たせていた。
「すごい。外はあんなに賑やかだったのに、ここは別の世界みたいだ」
「本当、すごくきれいです⋯⋯!」
レオンとミーナは、知らず知らずのうちに歩幅を小さくしていた。
廊下を進むにつれて、石の香りは高価な香木と、古い羊皮紙が放つ特有の知的な匂いが漂い始める。
壁面には、かつてアルク達が荒波を越えて持ち帰ったであろう、異国の工芸品や、巨大な怪魚の剥製が、黄金の額縁に収められて飾られていた。
「へへ、驚いただろ! ここから先は、蒼海商会の“頭脳“に当たる場所だ。覚悟はできたか? レオン!」
「うん、きっと、大丈夫⋯⋯!」
「なんだよ、頼りねえなあ。まあ、大丈夫だろ。さ、ここだぜ?」
カルに案内されていたレオン達は、いつの間にかクジラの咆哮を模した緻密な彫刻が施された、巨大な二枚開きの黒檀の扉の前に辿り着く。
扉の前に立つ、重装備のドワーフ兵達が、彼らの姿を認めると、無言で、しかし一分の隙もない動作で扉を左右に押し開いた。
開かれた扉の向こう側から漏れ出てきたのは、冬の朝のような、張り詰めた鋭い気配。
――それを放っているのは、先ほどまで豪快に笑っていた“ドン・アルク“であった。
彼は、その大きな口をにやり、と大きく引き上げると、鋭い眼光のまま彼らに告げる。
「――さて、ガキども。お遊びはここまでだ。“商談“を、始めようじゃねえか」
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円卓には、フィデリア周辺の海域、陸路を精緻に描いた巨大な地図が開かれていた。
その円卓の最奥――会頭の席にどっしりと腰を下ろしたアルクが、太い葉巻に火を灯す。
先ほどまでカルと怒鳴りあっていた父親の顔はどこへやら、その瞳には海千山千の商人を束ねる“首領“としての冷徹な輝きが宿っていた。
その葉巻を一度、大きく燻らせると、アルクはゆっくりと喋り始めた。
「まずは、現状だ。奴ら――賊の規模は、予想以上にでけえ。未だに全貌が見えねえんだ」
「ドンが未だに把握しきらないなんて。⋯⋯そんなに、大きいの?」
アルクが地図に目を落としながら、吐き出すように話すと、シャルが彼に質問した。
「ああ。拠点は少しずつ潰しちゃいる。ギルドの連中や、カニスの調査では、ここら一帯の海賊やならず者達が件の首領の元に全て集まって、フィデリアを潰そうと考えてるらしい。だが、肝心の首領は尻尾さえ掴めねえ。難儀な話だ」
「賊の首領は"鬼のような大男"って聞いたけど⋯⋯」
「あれも噂話の一つだ。中には、急に巨人になったとか、角を生やしてたなんてのもあったぜ?」
「⋯⋯じゃあ、女性を攫っている、っていうのは⋯⋯」
「⋯⋯それは、残念ながら、本当だ」
「⋯⋯!」
アルクは、葉巻を深く燻らせながら、黙った。一瞬の静寂。――彼が僅かにその目を海へと向けると、怒りを吐き出すように続ける。
「それだけじゃねえ。“子供“も攫われてる」
「――!! 何だって!?」
「ああ、最悪、だな。金で買えるもんなら、奪われても構わなかった。取り返しゃいいだけの話だしな。だが――」
彼は、その目に怒りを込めて、なおも吐き捨てた。
「――今回奪われているのは、生きた女と子供。それも、大量に、だ。それが極端に多い、っていうのは引っ掛かるが。⋯⋯踏み躙られた人の尊厳はどうしようもねえ。奴らは道理を外れた。絶対に許しちゃなんねぇ」
「⋯⋯そう。許せないね」
アルクとシャルは、怒りを抑え切れないのか、その拳を強く握り締めている。
――特にシャルは悲痛な表情を浮かべている。その瞳には、まさに先日被害に遭った、自らの団員達が映っているかのようだ。
そんな二人に、レオンは気になった事を切り出した。
「⋯⋯それだけ大きい集団なら、補給はどうしているんでしょうか⋯⋯?」
レオンの言葉に驚いたのか、アルクとシャルが目を合わせ、そして彼へと視線を移した。
シャルは先ほどの険しい貌から一変、微笑みながらレオンを褒める。
「いいところに目をつけたね、レオン君。後でいっぱい、褒めてあげるね?」
「⋯⋯あ、いや、それは⋯⋯」
「その“嬢ちゃん“の言う通りだ。これだけ規模がデカければ、いくら海があるとはいえ、まず食料が先に尽きるはずだ。⋯⋯なのに、奴らの力は日に日に伸びてきている。なぜか?」
「協力者が、いるね」
言いづらそうに話すアルクに、返答をするシャル。彼女は、その美しい瞳を暗く沈めながら、続けた。
「⋯⋯ブリガンティアの、改革派でしょ?」
「シャルの嬢ちゃんにとっては、耳のいてぇ話だろうがな」
「大丈夫、だよ」
「シャル⋯⋯?」
レオンが心配そうな表情でシャルに言葉をかけると、彼女は少し悲しそうに笑いながら、なおも続ける。
「ブリガンティアの先王が崩御されてから、即位した今の国王。⋯⋯凡夫のくせに、国をさらに大きくしようと野心を持っているそうだよ?」
「⋯⋯! シャル団長! さすがに、それは⋯⋯!!」
シャルの言葉を、慌てて遮るミーナ。だが、シャルはそれに構わず続ける。
「ミーナちゃんも正直、聞いたことがあるでしょう? 今の国王と、中央に暮らす貴族達の腐敗ぶりを。それによって、そこに住む民が苦しんでいると。王都と王宮では、今やそんな奴らが跋扈している。そして、僕やミーナちゃんが暮らす海岸側。つまり、西側と中央側で反目しあっているのを」
「⋯⋯はい」
不敬な言動をするシャルに、そんな彼女を諌めようとするミーナだったが、彼女にも心当たりがあるのか、静かに頷いた。
「シャルは、国が嫌いなの⋯⋯?」
「――違うよ、レオン君。愛しているからこそ、僕は民を苦しめる腐敗が許せないの」
レオンの心配そうな声に、シャルは悲しく微笑みながら答える。
「そんな中で、ここ最近、ブリガンティア最南端を統治するガーランド卿には、妙な噂話があるそうだよ。なんでも、裏でソルンと繋がりがあるのではないか、と」
「⋯⋯! あの辺境伯であるガーランド卿が、ですか? 先王の信頼も厚かった、誠実なお方だと伺っていたのですが⋯⋯」
「さすが、レオン君。博識だね。そう、にわかには信じられないけど⋯⋯」
「――ソルンはいつでも、他の国へ侵略する機会を伺っているのさ」
シャルとレオンの会話を遮るように、軽薄な声が会議室に響いた。
その声の主は――カニス。端正な顔と服装はボロボロになり、片方の目が腫れて潰れ、輝くような貌は見る影も無い彼だったが、言動だけは先ほどと同じく軽かった。
「よお、カニス。男前になったじゃねえか!」
「笑ってないで、助けてよ、ドン⋯⋯」
笑いながら話すアルクに、心底疲れたように息を吐くカニス。カニスは、両手をあげてやれやれ、と振ると、気を取り直すように続けた。
「ソルン連合は広大だが、一つしかないオアシスを取り合って、長い間同族同士で殺し合っていた野蛮人だからね。⋯⋯そんなバカな連中なら、後先考えずに侵攻もするだろうさ。その中の頭の切れるやつが、ブリガンティアを快く思わない奴と手を組もうとするなら、自然な話だよ」
「⋯⋯でも、ここはフィデリアです。なぜ、ブリガンティアとソルンの話になるんですか?」
「海だよ。繋がっているだろう?」
「⋯⋯?」
レオンは不思議そうに首を傾げる。彼は未だに海の事を理解しづらいのか、そんな彼にシャルは地図を指差しながら、優しく教える。
「ほら、ここ。ソルンにも、海に繋がる地域はあるの。そこからこのブリガンティアの海域を抜ければ、フィデリアに辿り着くんだよ」
「⋯⋯!」
「いくら統一されたからといって、みんなが急に仲良くなったわけじゃない。国から海に逃れた奴らが、ここまで辿り着いてもおかしく無い、って話さ⭐︎」
「そのツラで真面目な話をすると、調子が狂うな⋯⋯」
シャルに続けて、カニスがレオンにウインクしながら告げた。
――片方の目が潰れているため、両目を閉じているように見える彼を、アルクは微妙な表情で見ていたが。
そんなカニスを無視して、レオンは続けた。
「⋯⋯ソルンから逃れてきた者と、元々この辺りにいた海賊が、手を組んでいる⋯⋯? ⋯⋯そうか!」
「そう。本来であれば、ブリガンティア最南端を守護するガーランド卿が、領海に侵入する奴らを見逃す筈もない。だけど⋯⋯」
「そのガーランド卿が噂通り、ソルンと手を組んでいたとしたら、船にガーランド卿の旗やブリガンティアの国旗を掲げて、違和感無くここへ辿り着く⋯⋯!」
「そう。⋯⋯さすがに他の領主も、"怪しい"と言うだけでガーランド卿の船を止めるわけにはいかないからね」
シャルは、地図を指していた指を自分の顎に当てると、複雑そうに表情を歪めながらも話し終えた。
アルクも、その顔を僅かに歪めながら、零すように続ける。
「ガーランドの奴とは、昔から取引している。そんな事をする奴には見えなかった。帳簿を確認しても、齟齬はない。奴に何かあったとしか思えねぇ」
「人は外見じゃあ判断出来ないからね。いくらガーランド卿の船に乗っているとはいえ、それがガーランド卿の領民とは限らない」
アルクの呟きに答えるように口を開いたカニスの言葉を聞くと、アルクの葉巻を燻らせるジジ、といった音だけが会議室に響き渡る。――やがて、アルクも再度、その大きな口を開く。
「それだけじゃねえ。フィデリアだって一枚岩じゃあねえのさ。俺の寝首を掻こうとする奴らなんざいくらでもいる。今のフィデリアが気に食わねえ奴だってな」
「⋯⋯そんな⋯⋯!」
「蒼海商会は、ドン一代でのし上がった最近のギルドなんだ。それを、他のギルドは妬んでいるのさ。そいつらの話は、よく聞くよ?」
「詳しいじゃねぇか、カニス」
「女の子達が、教えてくれたんだー⭐︎」
「"黒猫の館"。娼館の連中か」
「ちっ、違うよー!!」
娼館、という言葉に慌てて訂正するカニス。――それをシャルは、忌々しそうに表情を歪めながら見ていた。
「⋯⋯"黒猫の館"?」
「! あ、ああ! フィデリアじゃ有名な酒場だよ。船乗りは港に着くと、まず酒場か女のところへ行く。船の上じゃ、長旅な上に娯楽も少ないからね。そこでつい口を滑らせた"いつもと違う訛りの客"や"見慣れない金貨"の話とかを、俺に教えてくれるのさ⭐︎」
レオンが首を傾げながら溢した疑問に、カニスが慌てたように答える。――本来、娼館であるという事実を伏せて。
カニスは、レオンの後ろにいるシャルからの『レオン君に余計な事を喋るなよ』という無言の圧を受けていたのだ。レオンは知る由も無かったが。
気を取りなおすように、アルクが続ける。その眼光は、より鋭くなっていく。
「フィデリアは、この大陸でほぼ唯一、どこの国にも所属してねえ都市。言い換えりゃ、無法地帯、ってやつだ。通商の要となる、この土地を狙う奴らは昔からいる。その度に、ここの連中と協力し、叩き潰してきたんだ!」
「今回もそれと同じだ。だが、明らかに様子が違う。賊の数だって、国が関わっていたとしても明らかに多く、にも関わらず不明な点が不可解な"噂"が多すぎる。だから今回、友好関係にある聖都に協力要請をしたってわけだ。⋯⋯金にものを言わせて、な」
「⋯⋯ブリガンティアの横暴を、同盟は許さないのではないですか?」
レオンの言葉に、シャルが返す。
「だから、今回は僕達にお声がかかったんだと思うよ? 僕みたいな保守派の人間を」
「シャルの嬢ちゃんだけじゃねえ。もう一つ、小騎士団が来ている。奴らはもう出発して、フィデリアの東側から対応にあたってる」
「⋯⋯? 僕たちだけじゃ、なかったんですか?」
「ああ。小騎士団、“黒の軍勢“、つったかな? 生意気な小僧が団長だったな」
「! “黒の軍勢“⋯⋯!」
「⋯⋯シャル、知っているんですか?」
「小騎士団序列第五位。最近急激に成績を伸ばしている、今一番勢いのある小騎士団だよ。⋯⋯それに」
「⋯⋯それに?」
「団長は、君やエリザと同じ“三年生“なんだ。負けないように、頑張らないとね?」
え? とレオンが口を開く前に、アルクは手を叩き、話を締めた。
「そう言うわけだ! 悪いが俺たちにとっては、ブリガンティアだろうがソルンだろうが関係ねぇ! 協力してくれ。こちらでも他に傭兵を雇っているが、奴らと協力する必要なねえ。俺たちで指示した場所を潰してまわりゃいい。簡単な仕事だろ?」
「はい!」
「うん! わかったよ、ドン」
アルクの大きな声に負けないよう、レオンは声を張り上げる。
それを微笑ましく見つめながら、シャルも続いた。
「案内役にはカルとカニスを付ける。⋯⋯お前ら! 嬢ちゃん達が道に迷わねえように案内してやりな!」
「おう! 任せとけ!!」
「はいよ〜。よろしくね? お嬢さんたち」
カルはいつも通り元気な声で、カニスはウインク――のつもりが、相変わらず腫れた顔で両目を閉じながら声を上げる。
「嬢ちゃん達は西から、俺たちは中央。東はさっきの小騎士団が潰していく。頼むぞ!」
「「「「「はい!!」」」」」
アルクの声に、そこにいた全員が返事をする。その後、全員は地図と睨めっこをしながら、具体的な作戦を詰めていくのであった。




