2章:10-2話「フィデリアの“軽薄男“」
「やあやあ、シャル団長。久しぶり〜」
「⋯⋯カニスさん。お久しぶりです」
"カニス"と呼ばれた優男は、軽薄そうな声を響かせながら、手をひらひらと振ってドンの横に立つ。
――その様子は軽いが、視線は時折屋敷の隅々まで見渡すように動き、ドンを守るように全く隙のない立ち振る舞いであった。
彼は声色を変えずに、シャルに向かって続けた。
「団長が来てくれたって事は、もしかして、俺に会いに来てくれたって事!?」
「ふふ、生憎だけど、僕にはもう“お相手“がいるんだ。ごめんね?」
「ガーン! ショックだよ〜! 君を幸せにできのは、俺しかいないって思っていたのに〜」
「大丈夫だよ。⋯⋯きっと、君は明日には別の女の子と一緒にいるんだから」
「そんな事は無い! この“フィデリア一の伊達男“、カニスは、一途な男さ⭐︎」
カニスは、大袈裟に頭を抱えたかと思えば、自らの白い歯を煌めかせて自身を親指で差し、ウインクしながら言い放つ。
――彼が動く度に振りまかれる、庶民向けの香草を使用した香水の香り。それを感じながら聞いているシャルは、ジト目で煩わしそうに眺めていたのだった。
シャルの目線を気にも留めない彼は、先ほどのドン・アルクと同じように視線をレオンに移すと、その両目が溢れ落ちそうなほど見開く。
一瞬の静寂。レオンは、さすがに刺すような視線に耐えきれなかったのか、その小さな口を開いた。
「⋯⋯? あ、あの⋯⋯。⋯⋯僕に、何か⋯⋯?」
「――麗しい、お嬢さん」
レオンがおずおずと言葉を溢す。
それを聞いたカニスは一瞬でレオンの目の前へと移動し、膝を突き、仰々しい振る舞いで彼の右手をとり、甲に口付けをした。
「ひっ!!」
「私の名は、カニスと申します。麗しいお嬢さん、お名前は?」
「え、えっと⋯⋯、ぼ、僕は⋯⋯」
急に手の甲に口付けを交わされ、酷く怯えるレオン。
しかし、カニスはそんな様子に微塵も動じることなく、先ほど一途という言葉を吐いた口で、レオンに向かって歯の浮くような言葉を続ける。
「貴女のように美しく、儚い少女は初めて見た。⋯⋯いや、このアエテルナ中を探しても、貴女の美しさに勝るものは砂粒一つとして存在しないでしょう。正直に言えば、私はもう貴女の瞳から目が離せません。どうか、お名前をお教え頂くことは叶いませんか?」
「そ、その⋯⋯! ぼ、僕は――」
「どうか、お名前を。貴女の為ならこのカニス、命さえ惜しくはありません」
「――奇遇だね。僕もだよ」
え? というカニスが声の方を振り向くと、そこにいたのは、いつの間にか大槌を持ち、さらにそれを大きく振りかぶっていたシャルの姿だった。
それは、先ほどまでレオン達にクッキーを食べさせていた聖女のような姿では無かった。戦場で数多の敵を屠ってきた、冷酷な“騎士団長“の姿。
彼女の全身からは、目に見えるほどの蒼い魔力が立ち上り、周囲の気温を数度下げているかのようだった。
――一瞬、時間が止まる。やがて時が動き出すと共に、その大槌がカニスに向かって振り下ろされる。
――グジャ、という空気が震える重低音。
それと同時に大地が震え、石畳が悲鳴をあげる。その振り下ろされた大槌で石畳は粉砕し、捲りあがり、その下にある土にまで大穴を開けていた。
間一髪で避けたカニスは、半分泣きながらシャルに叫んだ。
「うわぁぁ!! 死んじゃう! 死んじゃうよ!!」
「大丈夫だよ。僕の槌では中々死なない。⋯⋯ちょっと、壊すだけだから」
「怖い怖い怖い! シャレにならないって!!」
「僕のレオン君を、よくも汚してくれたね? あの世で僕に謝る準備は出来てる?」
「うわあぁぁぁ!! ごめんて!! 君の彼女とは、し、知らなかったんだ〜!!」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
鬼の形相でカニスを追いかけるシャル。
レオンは、そんな様子を見ながら訂正するチャンスを見つけようとしていたのだが、中々そんな隙はなく、カニスによって口付けされた手の甲を眉を寄せて眺めていたのだった。
(⋯⋯さすがに、手の甲にキスされた事は無かったな。どうしよう、早く洗いたい⋯⋯。)
「――待ちなさい、カニス! 僕は知っているんだよ! 君が声をかける子は、みんな貴方が一番可愛いと思った子から話しかけるって!!」
「そそそそそんなことないよ! 僕は平等に女性を愛しているんだ!!」
「じゃあ!! 僕たちの後ろにいた“彼女達“の姿は見た!?」
「⋯⋯え?」
シャルにそう言われて、馬車の後方を見るカニス。――そこにいたのは、彼からすると『なんて綺麗な方々だ! 天界から、この世界に舞い降りたのですか!? お名前! お名前を!!』とでものたまう筈の、とても美しい“七人の少女達“だった。
――だが、カニスは口を開く事はなかった。出来なかったのだ。
なぜなら、その七人の少女達は、皆一様に、彼に向けて殺意を込めた視線を送っていたから。
「――丁度良かった。新調したこの“ハルバード“の使い心地を、確かめたかったんだ」
そうエリザが口を開くと、ルナ、ヒルダ、シルフ、クロラもつられたように口々に溢す。
「手伝います、エリザ。ルナも、丁度試し切りをしようと思ったので」
「後始末は任せてちょうだい。片付けやすく、細切れにしてあげるわ」
「それでは、その破片は私が頂きますね。⋯⋯お魚さんの餌にするので」
「シルフ〜、それはさすがに“お魚さん“が可哀想だよ〜」
「み、みんな! 初対面なのに辛辣すぎない!?」
慌てた様子で、それぞれ攻撃の準備に取り掛かる彼女達に語りかけるカニス。
――だが、彼に向かって飛び出して行ったのは、声を上げなかった黄金の風であった。
「――レオンに触っちゃ、ダメーーー!!!!」
「うわあぁぁぁ!! 綺麗な剣!! 絶対死ぬ!!」
ノエルが光る剣を顕現させると、そのままカニスに切り掛かり、かろうじて彼は避けたのだった。
それを合図にして、彼女たちはカニスを追い詰めていく。
――まるで、狼が群れをなして獲物を仕留めるように。
その群れに参加できなかったミーナは、人知れず頬を膨らませていたのだった。
「――ガッハッハ!! あれをかわすとは、さすがはカニスだな!! ガッハッハ!!」
そんな様子を見ていたアルクは、自分の豪邸が破壊されていくのを、豪快に笑い飛ばしていた。
「言ってる場合かクソ親父!! カニスが死ぬぞ!?」
「ガッハッハ!! 女に殺されんなら、あいつも本望だろ!! ガーッハッハ!!」
「ドン! ドン!! そんな事言ってないで、助けて! 助けてよ〜!!」
「慣れたもんだろ! カニス!! おい、シャルの嬢ちゃんに、そっちの嬢ちゃん! 中へ入んな! 仕事の話をしようじゃあねぇか!!」
アルクは、潮風で傷んだ白髪をボリボリと掻き、大声で二人を呼びながら屋敷の中へ入っていく。
シャルは未だ彼女達に追われているカニスを一瞥するが、興味無さそうに視線を外して、その豪邸へと足を踏み入れたのであった。
「⋯⋯みんな。ほどほどにね⋯⋯」
レオンが、誰も聞こえないように小さく零すと、未だカニスを追いかける彼女達から「はーい!」という声が返ってきた。
(この距離で、僕の小さな声を聞き取れるなんて。さっきの団長との言葉を聞かれてたら、まずいんじゃ⋯⋯。)
――とっても嫌な気がするレオンだったが、雑念を振り払うように首を振ると、彼も豪邸へと入っていった。




