2章:10-1話「蒼海商会、通称“青きクジラ“」
「――おい! 見えてきたぜ。あれが俺の家⋯⋯“蒼海商会“の本部だ!」
天使達との邂逅とノエルとの追いかけっこのお陰で、未だ疲れを隠し切らないレオンは、カルの弾んだ声を聞き、馬車の窓から顔を出した。
「すごい! あれが、カルのお屋敷?」
レオンは、窓の外から入り込んでくる、感じたことが無いほどの濃厚な塩と多様な生命の香りを、その小さな体で受け止めながら溢した。
その広大な“海“を抱くように建てられた港の最も深く、波の穏やかな一等地。
そこに鎮座する、巨大な港を睥睨するように建つ巨大な石造りの建築物は、“商館“と呼ぶにはあまりにも堅牢であった。
その壮観な建物を見ながら、レオンは感嘆のまま溢す。
「⋯⋯すごく、大きい! これ、本当にお家なの? お城じゃなくて?」
「ははっ! 驚いたか! 俺たちドワーフの美学は、“頑丈“で“デカくて“、“強い“事だからな! 中も退屈はさせねぇぜ!?」
カルは慣れた手つきで馬を御し、商館の巨大な鉄門の前で止まった。
門の両脇に立つ、重厚な板金鎧を纏った、犬の耳と猫の耳を持った――“犬人“と、“猫人“の衛兵が、カルの姿を見るなり一斉に長い槍を掲げて敬礼する。
「カルッパ様、おかえりなさいませ! 旦那様が奥でお待ちです!」
「おう。客人を連れてきた。馬車を中に入れろ!」
カルがそう言い放つと、門の奥にもいた衛兵達からも、はい! と大きな返事が聞こえ、重々しい音を立てながら巨大な鉄門が開かれていく。
その先には、外の喧騒が嘘のように整えられた石畳の中庭と、さらに豪奢な装飾が施された本館が姿を現す。
馬車が止まり、レオン達がゆっくりと降り立つと、そこにはすでに一人の“山“のような男が立っていた。
その男は、カルの姿を見るなり、胸板まで伸びた髭を撫でながら、塩で焼かれたかのような強烈なしゃがれ声で彼に叫び始めた。
「よお! 帰ったか、バカ息子!! ちゃんと“おつかい“は出来たんだろうな!?」
「うっせえ、クソ親父!! 酒の飲み過ぎで目まで潰れたのか!? 馬車があるだろうが!!」
「あれ、そこにいたのか? 小さすぎて見えなかったぜ!! ガッハッハ!!」
「黙れデカブツ!! そのパンパンに中身の詰まった腹を掻き切って、その血を少しは分けやがれ!!」
「ガッハッハ!! おめえは母親似なんだよ!! 俺の選んだ女だ!! そのツラで生まれた事を母ちゃんに感謝するんだな!!」
騎士学校ではあまり聞くことがないような、罵詈雑言の応酬。
にも関わらず、周りの衛兵達は見慣れているように平然としており、中には笑いながらそれを見ている兵もいた。
レオン達の後ろに付いていた馬車からは、ノエルが飛び出し、それを止めるようにエリザとクロラが追いかけている。次いで他の彼女達もゆっくりと降りていた。
レオンはといえば、カルと大男の応酬に呆気に取られながら、彼と一緒に降りたシャルに向かって囁く。
「シャル団長⋯⋯。もしかして、あの大きな人が⋯⋯?」
「そう。僕たちの依頼人にして、蒼海商会――通称、“青きクジラ“の首領。“ドン・アルク“だよ」
――蒼海商会御頭、ドン・アルク。
ただの船乗りであった彼は、その腕っぷしと強引な交渉術。
そして、どんな物品でもどんな荒波の中でも滞る事なく送り届ける信頼から、僅か一代で五大ギルドの一角にまで急成長したギルドの首領である。
そんな豪胆な彼には、もう一つ、大きな特徴があった。
「⋯⋯カルのお父さん、ってことは、ドワーフ、なんですよね⋯⋯」
「そうだよ?」
「⋯⋯なのに、あんな大きい。縦にも、⋯⋯横にも。二メルはありそうですね」
「そうだね。⋯⋯たまに、ある事らしいけどね」
本来、小柄であるとされるドワーフではあるが、ドン・アルクのその体は、メンティですら見かけない程の巨躯であったのだ。
息子と未だ舌戦を繰り広げる彼は、騎士の中に見知った顔――シャルの姿を確認すると、大きな傷のある鋭い目を彼女に向けて、変わらぬ大声で声を上げ始めた。
「おっ! シャルの嬢ちゃんじゃねえか! 相変わらず、えれぇべっぴんさんだな!! また綺麗になったんじゃねえか!?」
「ご無沙汰しております。ドン・アルク。お目にかかれて光栄です」
「ガッハッハ! 相変わらず騎士様はかてぇ挨拶をするな!! 俺と嬢ちゃんの仲じゃねえか!!」
「ふふ、ありがとうございます。⋯⋯ですが、“親しき仲にも礼儀あり“とありますので。最初のご挨拶だけはご容赦ください」
「おうおう、好きにやってくれ!! “ベルケ“の奴も、うるせぇだろうからな!! ガッハッハ!!」
豪快に言い放つアルクに微笑みながら、丁寧に言葉を返していくシャル。
――やがて、アルクは視線を彼女から外し、その隣にいるレオンに目を向けた。
「見ねえ顔だな。嬢ちゃんの新しい団員かい?」
「いえ、彼は僕の助っ人。レオハルト・フォン・リヒトホーフェン。僕はレオン、って呼んでるよ。新しくできた小騎士団の団長にして、僕の伴侶♪」
「!! ちょ、ちょっと、シャル団長!!」
「⋯⋯五回目。だめだよ? 僕の言うこと、ちゃんと守らないと」
一瞬、毒蛇に睨まれたかのようにうっ、という呻き声を溢すレオン。
楽しそうに語る彼女とは対照的に、彼は眉をハの字にして、困ったような表情を浮かべていた。
――それを見ていたアルクは、レオンの華奢な体より太い腕を組みながら、訝しげな表情で口を開く。
「なるほど、えれぇ可愛い子じゃねえか!! よかったな、嬢ちゃん!! やっと、恋人ができたのか!!」
「ふふ♪ ありがとう、ドン。僕、とっても幸せなんだよ?」
「ガッハッハ!! こいつはめでてぇ!! 何か困ったら、いつでも俺を訪ねな!! "おかたい"聖都じゃ、偏見もあるだろうが、この“フィデリア“じゃあ珍しい事じゃねぇからな!!」
そう言って、豪快に笑い飛ばすアルクと、嬉しそうに頬に手を添えるシャル。
二人の会話を聞いていたレオンは、“伴侶“という言葉を訂正するより、別の事を考えていた。
(⋯⋯もしかして、僕の事、勘違いされてない⋯⋯?)
未だ続く二人の会話。漏れ聞こえてくる会話は、微妙に噛み合っていない。それを訂正しようと口を開く。
「⋯⋯あ、あの! ぼ、僕は――」
「――あれ? シャル団長? 久しぶり〜」
――だが、レオンが言い切る前に、屋敷の扉から別の男が喋りながら出てきたのだ。
肩まで伸びた黒髪の長髪と金色の瞳。
海の男らしく日に焼けた色黒の優男は、美形だったが、内側に宿る軽薄さを隠せていない。
そんな軽い雰囲気と違わない軽やかな声音で、ドンの横に並ぶように歩いていたのだった。




