2章:閑話4「子供の誓いと日常と」
――一方その頃、“自由への秤門“を潜ったばかりのエリザたちの乗る馬車では、
「――わあぁー! みんな! すっごいよ! みてみて!!」
――ノエルが、大騒ぎをしていた。
あまりの声の大きさに、横に座っていたルナは両耳を抑えながらノエルに告げた。
「〜〜! の、ノエル! 急に、大声を出さないでください」
「だって、ルナ! あ! あれ見て! お店がいっぱい!!」
「ノエル、窓から手を出しちゃ駄目です! エリザに怒られますよ!」
馬車の窓から身を乗り出す勢いで指差すノエル。
そんなノエルの腕を馬車内に戻そうと抑えるルナは、彼女に注意しつつも見た事のない景色に心を踊らせていた。
――賑やかな喧騒と、聞きなれない鳥の鳴き声。潮の香りを掻き消す、様々な料理の匂い。
外を見れば、道路を埋め尽くさんばかりに並ぶ屋台。鳥の串焼きや魚を丸々一匹焼いた見慣れた食材もあれば、グリズリーの内臓を吊るしている屋台や、虹色の魚を並べている店。緑色の棒を串で突き刺したものや、うねうねと蠢く触手に大量の“丸“がついた悍ましいものまで焼かれている。
食べ物(と思われるもの)を売っているお店だけでも数えきれない。その他にも弓で的当てをするような屋台や、水晶の置かれた怪しいお店、変わった衣服や装飾品を並べた店を加えれば、その数は何日もかけなければ回りきれない程であった。
「ねね! 犬さんや猫さんの耳と尻尾がついてる人がいるよ! あれがレオンの話してた“ゆーちょーしゅ“っていう人たちかな?」
「ふふ、そのようですね。ノエルさん。それにしても、すごい人数ですね⋯⋯」
ノエルの言葉に、シルフが感心しながら返す。
道ゆく人々の姿は実に多彩だ。シルフが何度か騎士学校の方に買い物に出かけていた時でも、歩いている気配は無徴種である人々のそれであった。
だが、フィデリアはそうでは無い。毛皮や耳、尻尾などを持つ“ファーレ“の方が、無徴種である“メンティ“よりも多いように見える。――半裸の男性や、シルフからすれば“下着姿“のようにも見える、露出度の高い服装をした女性の数も驚く程多かった。
(⋯⋯レオン様の心拍数は、平常。よし、“目移り“はしていないようですね⋯⋯。)
シルフは目の前の馬車に乗るレオン――その少年が付けている首飾りの気配に集中していた。
――以前、シルフが少年に“プレゼント“した、小さな魔石で作られた首飾り。彼女はこれを通して、レオンが何処にいるのか、どんな状況なのか、心臓の音や体調の良し悪し、その全てが伝わるようになっている。少年のプライバシーを著しく損ねる、文字通り“呪いの首飾り“であった
いくらレオンがシルフを含めた少女たちに囲まれた生活を送っているとはいえ、元来女性に免疫の無さそうなあの少年であれば、道ゆく“女性“の姿を見れば心拍数は増大する筈である。
それが平常であるという事は、少年が“見て“いないか、そもそも気が付いていないのであろう。
その事実に胸を撫で下ろすシルフ。その様子に気が付かないノエルはその“薄着“の少女たちを見ながら疑問を投げかける。
「ねえ! あの人たちは、なんであんな薄着をしているの?」
「あれはねぇ〜、“水着“っていうんだよぉ〜? 泳ぐ時とかに着るんだぁ〜。えっちだよねぇ〜? ぐふふ!」
「泳ぐ時? 泳ぐ時って、服を着ないんじゃないの?」
「⋯⋯ノエルちゃんの方が、えっちだったかぁ〜」
ノエルの疑問に、クロラが答える。――純粋な顔を浮かべて告げたノエルに、クロラは謎の敗北感を感じるのであった。
「それに、ここで泳ぐ所なんてあるの?」
「目の前。砂浜の向こう側に“海“があるでしょう?」
「うみ?」
ノエルの言葉を、今度はヒルダが返す。ノエルはヒルダの指差す先を見つけると、その大きな瞳をさらに大きく輝かせて声を上げた。
「!! なにあれ! すっごい大きい水たまり! 端っこが見えない!!」
「⋯⋯本当、すごいですね。それに、なんかベタベタします」
「海には“潮“があるからな。川と違って、べたつくんだ」
ノエルに続くように、ルナも眉一つ動かさずにその夜色の瞳を輝かせていた。エリザはベタついた髪を整えながら、そんな二人に言葉を返す。
「ねえ、エリザ! あの向こうには何かあるのかな!?」
「海の向こうか? 確かこの方角だと、“海洋国家オラニオス“があるな」
「なんかすごそう! 行ってみたいな!」
「⋯⋯それは、多分無理かな。船が必要だし、あの国は交易こそするが、友好的ともいえない微妙な国だからな」
「? どういうこと?」
「⋯⋯あの国は、ブリガンティア王国の“仮想敵“なんだ。彼らが侵攻して来ないように、ブリガンティアは海岸沿いに強力な騎士団を配置しているからな」
エリザの言葉に、目を回し始めるノエル。ルナによる“猫騙し“のおかげで正気を取り戻したノエルは、エリザに向かってさらに疑問を投げかけた。
「⋯⋯なんで騎士団があるのに、レオンやエリザは戦うの?」
――ノエルによる、屈託の無い純粋な質問。
その言葉を受けたエリザは、口元に拳を当てながら、言葉を選ぶように答えた。
「――そうだな。色々あるが、一番は“人材の確保“だろうな」
「じんざい?」
「ああ。どこの国も、自国を魔獣や賊、他国の軍隊から守る為の戦力を欲している。騎士学校は、そういった人を育てる事を一手に引き受けているんだ。それに、兵を分散させたくない時に起きる任務を我々学生が行うことで、国はリスクと負担の軽減、騎士学校には運営資金となる収入が得られるんだ」
「⋯⋯恐くは、ないのですか?」
エリザは、ノエルが分かるように、彼女なりに分かりやすく噛み砕いて説明している。それを聞いているノエルは懸命に首をふんふんと振っていた。
二人の会話を聞いていたルナは、疑問に思っていた事をエリザに告げたのだ。
「⋯⋯ああ、恐いよ。どんな任務でも、命を落とす危険がある。⋯⋯先の戦いだって、私は命を、⋯⋯尊厳を、奪われそうになった」
「だったら、何故――」
「――『エレオス様の御名において、来たる“仇“を討ち払わん』」
「⋯⋯!」
「⋯⋯騎士学校に入学する時に行う、誓いの儀式の言葉だ。この言葉を呟くと、勇気が湧いてくるような気がする。この言葉の通り、来たる外敵を討ち払い、民を守るために我々は日々精進するんだ」
――たとえ、“人を殺す“事になっても。そう小さく呟くエリザの瞳が、一瞬凍りついたように冷たくなったのを、ルナは見ていた。あまりにも一瞬だったため、彼女は気のせいと感じたが。
そんな少女の様子を気にも留めず、普段の様子でエリザは続ける。
「それに、貴族の名誉のためでもあるな。恵まれた家柄なら、幼くとも民を守るべし、とされるからな。勿論、我が"バルクホルン家"もそうだ」
「ふむ、めいよ!」
「ああ。それに、我々は“希望の象徴“でもあるみたいだからな。騎士学校で年に一度行われる“聖竜祭“という大運動会は、たくさんの人が遠方から見に来るくらいだ」
ふむふむと頷くノエル。――御者台で馬を引くエリザは、ノエルの頭から煙が出始めたのに気が付いていない。
「後は、“魔力の強化“かな。魔力の上限は二十から二十五歳までで大体育ちきるそうだ。早くから増えた魔力の上限というのは、一生身につく――」
――ぼん、と。音が聞こえた。
その音に振り返るエリザは、ふにゃ〜、と顔を真っ赤にして目をぐるぐるとさせているノエルの姿を捉えた。
「お、おい、ノエル! 誰か、ノエルを介抱してやってくれ!」
「あらあら、ノエルさん、大丈夫ですか?」
「ありゃ〜、駄目だよ、エリザ。ノエルちゃんに難しい話をしちゃ〜」
「い、今の、私のせいか!?」
クロラの理不尽な責めに狼狽するエリザ。そんな彼女の様子をよそに、倒れたノエルをシルフとクロラが介抱する。
隣に座っていたルナもノエルの背中をさすっていたが、馬車の窓から覗く自身と同じ年頃の少女たちの様子に目を奪われた。
――片手に甘味を持ちながら、楽しそうに衣服を選んで、笑顔ではしゃいでいる、“可愛い格好“をした三人の少女たち。
武器を持つことも、戦うこともないであろう。危険を知らず、平穏で豊かな日常を送る少女たちの姿を。
(⋯⋯ルナも、剣を持たなければ、あのように可愛い服を着て、可愛く笑えたのでしょうか⋯⋯?)
ルナはそう思いながら、自分の衣装を見つめる。――黒いローブに、動きやすいよう深いスリットの入った黒い服。戦う事しか考えていない、可愛さの欠片も無いような自身の衣服。
彼女は、少女たちが着ている服を自分が身に着ける姿を想像した。――フリルのついたスカートにシャツ。白いワンピースに、麦で編まれた大きな帽子。柔肌をさらけ出す袖なしの肌着に、丈の短いパンツ。普段の自分からかけ離れた服を身に付けて、レオンは可愛いと言ってくれるだろうか、と。
(――でも、ルナから剣を取ってしまったら、一体何が残るのでしょう⋯⋯。)
不意に湧き上がる疑問。それはルナの胸の奥をチクリと刺した。
なぜそんな痛みが走ったのか。それに気が付かぬまま、ルナはノエルの背中をさすり続ける。
――復活したノエルが、窓から“天使“の姿を見つけ、馬車から飛び出して行ったのはその直後であった。




