2章:8-1話「自由貿易都市フィデリア」
数日の旅路を経て、レオン達の乗る馬車は長い坂道を登り切った。
視界が一気に開け、馬車の窓から吹き込んできたのは、独特の――少し生臭くも、どこか心を躍らせるような潮の香りが訪れた。
「おい、みんな! あれが俺たちの街、“自由貿易都市フィデリア“だ!」
馬と並走していたカルが、レオンやシャル達の乗る馬車の窓を叩きながら、誇らしげに声を響かせる。
ミーナと、――この旅の間、“様々な女性たち“から抱き枕代わりに可愛いがられ、げっそりとしたレオンが窓から身を乗り出すと、そこには思わず息を飲むような美しい光景が広がっていた。
「――すごい! あれが、海⋯⋯! そして、“自由貿易都市フィデリア“⋯⋯!」
レオンは初めて見る海――そして、フィデリアの活気に目が釘付けになっていた。
眼下に広がるのは、太陽の光を浴びて宝石のように煌めく広大な海。それを抱きかかえるようにして広がる巨大な扇形の都市。
フィデリアの外壁は、聖都や騎士学校のような白亜のような美しさではなく、むしろ黒く、無骨であった。それは潮風と荒波、そして外敵から富を守るための堅牢な鎧のようだった。
港には数えきれない程の大小様々な船が停泊しており、林立するマストはまるで枯れ木の森のように見える。
空を埋め尽くす様な白い鳥――カモメの鳴き声や、市場の喧騒はまだ距離のあるレオン達の馬車にまで届いていた。
「私も、久々に見ましたが、相変わらず賑やかです。⋯⋯あっ、飛竜さん達が港を行き交ってます!」
「あれは空輸便だね。フィデリアの外、つまり聖都や西の“騎士王国エスペリア“。⋯⋯あるいは“ベルクト“に向けた荷物を運ぶんだよ」
「お! 団長、よく知ってるじゃねえか! フィデリアは金さえ払えば客は選ばない“完全な中立地域“だからな! 客がいればどこにでも運ぶのさ!」
カルは甲高い元気な声で、フィデリアを誇るように語る。
――"ベルクト"という言葉に少し反応するレオン。そんな少年にシャルは少し心配そうに目を向けると、レオンは察したのか、首を振りながら口を開いた。
「⋯⋯すみません。シャル、団長。僕の事は気にしないでください。それにしても、海って、こんなに大きいのですね!」
「そう。レオン君は、海を見るのは初めてなのかな?」
「はい! 大きい事は本を読んで知っていたのですが、まさか地の果てが見えない程とは思いませんでした。しかも、しょっぱいんですよね?」
「ふふ、そうだよ。辛いくらい、しょっぱいんだよ」
「あ、レオン様! 海、初めてなんですね! 髪が長いと、潮風でカピカピになっちゃいますから、しっかり洗わないとですよ!」
「⋯⋯え? そんな事が起こるの? 不思議だね⋯⋯」
レオンは頬に手を当てて真剣に悩んでいる。
その様子は、広大な海を前にした少年というより、初めて外の世界を知った深窓の令嬢そのものだった。
――シャルはその様子をうっとりとした貌で見ていたのを、少年は気付かない。
いつもより興奮しているレオンは、言葉をさらに続ける。
「街も、すごく賑やか。まだ距離はあるのに、ここまで賑わいの声が聞こえてくるね」
「そうだろ? 驚いたか? 聖都や騎士学校はお上品な貴族の庭って感じだけど、ここは欲望と活気が渦巻く商人の戦場だからな!」
レオンの言葉に、カルは馬に乗りながら馬車へ近付いて行き、返答していく。
「だから、着いたら俺たちから離れるなよ! 何かにつけてボッタくられるからな! 特にレオンは、お人好しそうだからいいカモだぜ!」
「⋯⋯それは、気をつけるよ⋯⋯。頼りにしてるよ、カル」
「おうよ! 任せとけ!」
カルの話を聞いて、少し不安になったレオンは縋るように頼み込み、カルは胸を張って返答した。
そんな様子を、シャルとミーナは微笑ましそうに眺めていた。
フィデリアに近付くにつれ、潮と磯の香りが一層強くなっていく。
そんな中、潮風に靡くように掲げられた色とりどりの旗が、レオンの目に入る。
「あの旗は、何かの印なのかな⋯⋯? 青地にくじら? それと、金地に天秤、紫地に薬品の入れ物、赤地に狼のシンボル⋯⋯。あと、灰色の下地に剣かな?」
「ああ、あれはフィデリアを実質的に支配する“五大ギルド“の象徴だ。俺たちが向かうのは、“青“の旗の場所だから、覚えておけよ!」
「うん、わかった」
カルから話を聞いたレオンは、もう一度旗を見る。
――よく見れば、五つの色の旗はそれぞれの縄張りを主張するように翻っているようだった。
「ふふふ、レオン君。今回は任務だから、ゆっくりは出来ないけど、今度二人で旅行に来ようか♪」
「えっ!? ふ、二人で、ですか?」
「うん♪ 勿論、新婚旅行としてね?」
そう話すシャルは、任務に向かう騎士団長の顔ではなく、恋人との旅行を楽しみにしている少女のようだった。
彼女にとっては、後ろの馬車に乗る"五人(エリザを入れれば六人)の猛獣たち"がいない今こそが、千載一遇のチャンスなのだ。
それを見極める様に、レオンとの距離を物理的に詰めてくるシャル。
――そんな彼女の様子を、胃が痛そうにミーナは見つめていた。
あたふたするレオンが返答に窮していると、窓の外からカルに声をかけられた。
「さあ、行くぞ! 入り口でモタモタしてたら、日が暮れちまうからな!」
カルの号令と共に、レオン達の馬車列は坂を下り、多くの人や馬車でごった返すフィデリアの正門へと進んでいった。




