8:尊容を憂いて空を掻く
「やだ、私ったら忘れるところだったわ」
「何が?」
目元を冷やしながら髪を梳かされる隣へ顔を向け、ギーゼラはさも重要だと真面目な顔で口を開いた。
「エミリアは殿下とブラッツ、どっちが好みなの?」
「は?」
唐突な質問に、思わずエミリアが顔を動かし、手入れをしていた侍女がすっと指先でその顔を窘める。
慌てて彼女は向きを改め化粧を施され始めた。
「えー…殿下は、分かりますよ?黒髪の方でしょ?」
「そう、ご存じでしょう?」
「うんまぁ、やっぱスペック高いよね」
「すぺっく」
「高性能、あー…不敬でした、お顔の作りも美しいですし見目だけでなく御心も優しい、隙がない」
すらすらと淀みなく高評価を挙げて見せるが、どうも熱がない。
あんなに仲が良さそうなのに恋心とはやはり良く分からないものだ。
「ブラッツは?
昨晩の近衛騎士よ、あなた見惚れていたでしょう」
「えっ昨晩の騎士って…ああ~あのお色気担当」
「お色気担当」
「いやそれは分かるでしょ!昨日話したでしょ、テンプレなんですって!」
「ああ…物語の配役ね」
昨夜の女子会の中で、『異世界転生モノ』の特に『乙ゲー』にはよく似た配役が展開されると説明された。
地位としては、王族・宰相の息子・高位貴族令息・騎士・隣国の権力者、等と豪奢な並びを見せる。
エミリア曰く『ありえない、を楽しむための物語なんで贅沢三昧選り取り見取り!』だそうだ。
そして更にそこに性格や過去などの人格設定が加えられ、細分化されるようだ。
ギーゼラが読んでいた幼児向けの童話ではそこまで詳細な設定などされていなかったし、随分な英才教育だと感心したものだ。
前世の記憶とはいえ、あれこれと覚えているエミリアの地頭が如何に優れているのかは言うまでもない。
ただ、その細分化された設定が多過ぎる上に耳馴染みのない言葉が多く、解説に追われるエミリアも大変そうだったため都度聞こうとなったのだが。
「お色気…まぁ、ブラッツは殿下やお兄様に比べたら体格が良いけど」
「そうそうそうそう!!エカード様とニコイチ過ぎない?!!」
「にこいち」
「二人で一つ!ユニゾン…えっと、一蓮托生じゃなくて!鏡合わせっていうか?!
相反する組み合わせの場合もあるんですけど!類似した存在が並び立つ様!天才と秀才とか!!
つまりあの顔面国宝の物腰柔らかい天使みたいな人と、体躯の良い色気あるチャラ顔が並んでるのが!
すごく良いなって!!ね!そう思いますよねっ!?ねっ!!」
突沸した興奮を抑えられないのか周囲の侍女にまで同意を得ようとする彼女の様子から察するに、あの恍惚とした様子はブラッツ本人に向けられたのではなく、兄との並んでいる絵面が好きなのかと理解する。
「色素薄い聖職者と濃い色味の男の並びとか本当、絵面良~~~!ってなります!!
アレってレア…偶にしか見れない光景なんですか?!」
「二人が並んでると絵になるのは良く分かるわ。
ブラッツも殿下も、私達と幼馴染だから我が屋敷では見慣れた光景よ」
「はぁ~~~流石公爵家、美的感覚強制ギプス填められていますね…。
まさかその好みって恋愛的な意味じゃないですよね?」
「婚姻するならどちらがいい?」
「ギャーーーーー!むりむりむりですって!それこそ不遜!不敬!」
「まぁ」
自身の立場についても言い含められているだろうに。
今度は頭を固定されて身支度されるエミリアに、ギーゼラは溜息を抑えられない。
「何も今すぐにしろってお話ではないのよ。
ただ今後の視野に入れておかなければならないの、貴女の立場として」
「うう…ハイ、何となくは…」
「賢い子。
安心なさいな、幸い今の王室は個人の意思を無碍にはなさらないから」
「ううん…やっぱ出会って数日でのトキメキってのは、ねぇ」
好みかぁ、と独り呟く姿は落ち着いていれば淑女であるし、彼女の華やかで愛らしい容姿は十分どちらの隣に立っても似合いであろうに。
急いでも仕方ない問題かと、話題を切り替えようとした意識を、ふとある言葉が掠めた。
「ところでエミリア」
「はい!」
「『ちゃら』顔って?」
「チャラチャラ…数多の女を狂わし弄んできた、浮ついた男の顔です」
言い切ったエミリア以外、部屋の中の女達が一斉に声を上げて笑い出した。
まさかのギーゼラまで隠すことなく口を開いて笑うとは思っていなかった少女が唖然としているが、どうしたって可笑しくて堪らないのだ。
侍女達は一足先に自制し、何とか失礼を隠そうと、口元をひくつかせながら手を動かしだす。
最後まで笑っていたのは勿論、この中で一番ブラッツの為人を知るギーゼラだった。
「ご、ごめんなさいねエミリア…その、あまりにもブラッツの性格と違うのに、そ、その…ふ。
チャラ顔…チャラ顔の印象が、分かってしまったから…なるほどね、そうねチャラ顔ね」
「お嬢様、言葉にしてはなりません」
「失礼」
笑い過ぎて溢れた涙を拭いつつ、姿勢を正すもどこかまだ収まらないようだ。
両親が不在で良かった。
朝からこんな騒いでいたら何事かと心配されるだろう。
それに今日はエミリアも一緒に支度しているからか、兄の突撃もない平和な朝だ。
やはり彼女はおもしれー奴だった、毎日居て欲しい。
きっとエミリアは神に愛されているのだろう。
笑いを司るのはどの神か存じ上げないが。
でなければ、こんな奇跡が起きたりしないのだ。
「おはようギーゼラ嬢、ヘッセン男爵令嬢」
自室から出てた途端、廊下でばったりブラッツに出くわしたギーゼラは年季の入った淑女の仮面を保てなかった。
ぴるぴると目元が痙攣するのが分かる。
何か口にしなければ不審なのに、開いた途端に笑ってしまいそうだ。
エミリアが平然としているのは分かるが、何故イーダも静かに控えていられるのかが分からない。
貴女もさっき声を上げて笑っていたでしょう!と内心怒りたい気持ちでぐっと込み上げるものを飲み込もうとしているのが不可解だったのか、ブラッツが一歩、ギーゼラに近づく。
(いけない、チャラ顔が…!)
心の中で言葉にしてしまったら、決壊してしまった。
「ブラ…ふ、はっ!あははははっ!」
「?!」
突如笑い出した少女に、ブラッツが目を見開き固まる。
しかし異常時に強いのは職業柄か、状況を把握しようと後の二人を見るも彼女達は何食わぬ顔をしていた。
笑っているのはギーゼラだけだ。
「おい、ギーゼラ」
「ははははっ、あはっ、ごめ、ふふっやだ!」
迫る顔と手から逃げるように、ギーゼラはひらりとブラッツの後ろへと回ろうと隠れた。
それをさせるものかと身体を捻り伸ばした指先が空を切る。
子犬が自分の尻尾を追い回す様かと見間違う、悪戯な動きでくるくる、くるくると二人が回る。
それ以上離れて行かないよう、逃げ遅れたギーゼラの片手はブラッツの肩へと押さえつけられたままだ。
「おい!何故人の顔を見てそんなに笑う!」
「んははっ、ちが、違うのよ!違わなくないけど!」
「埒が明かない!」
捕まえるのを諦めたのか男が回るのを止めれば、背後の少女はまだ笑いを噛み締めているのか、肩に手を乗せたままその背中にぐりぐりと額を押し付けている。
むっつりとした顔のブラッツを見て、エミリアは「玩ばれたチャラ男の顔だ…」と密かに思った。
「ごめん、ごめんなさいブラッツ、許して?」
「…………」
ちろりと後ろを振り返ったブラッツの濃紺の瞳へ、懸命に媚びを売る。
ね、と念を押してみるも彼は押し黙ったままじっと少女を諫め続けていた。
「おはようブラッツ、僕の血の涙が見えるかい?ん?」
片手はブラッツの肩に乗る小さな白い手をきゅっと握りしめ、もう片手はブラッツの下顎を鷲掴みその視線を正面に戻した男の声が、やけに軋んで聞こえたのは気のせいでは無かろう。
エカードの怨嗟の副音声を正しく捉えた男は、もごもごと挨拶らしき声を漏らしその手を退かした。
「素敵な朝を過ごしているようだね、可愛い妹」
「ええ、今日も愛しているわお兄様」
「さぁ朝食にしよう」
恭しくギーゼラの手を取り食堂へエスコートし始めるエカードに呆気をとられているのだろう。
固まったままの少女に、顎を撫でさすっていた青年がそっと手を差し伸べる。
「失礼した、ヘッセン男爵令嬢」
「あ…いえ、卿も昨晩はこちらに?」
「重ねて失礼、ブラッツ・レーヴァクーゼンと申します。
私も昨晩あのままエカードの誘いで公爵家のお世話になりました。
ヘッセン男爵令嬢は、随分ギーゼラ嬢と仲が良いのですね?それもエカードの誼ですか」
「エカード卿にもお世話になっておりますが、ギーゼラ様とは学院で」
「成程、学院が楽しいご様子で嬉しく思います」
にこりと微笑みを湛えるブラッツは気安さが増す。
昨晩のような着崩しの気配ば微塵も見当たらない、清廉と近衛騎士服を纏った様は凛ともしている。
だが、やはりエミリアは思ったのだ、「チャれぇな」と。
そんな事実無根、いっそ名誉棄損な印象を持たれていると知らぬ男は、さて殿下にどう話しておくかと一人算段を立てていた。
今朝は流石に、シュタット公爵家恒例馬車止まりでの茶番は繰り広げられなかった。
聖女様様だと満ち足りた心地を抱いているのだが、どうやらエミリアにはそう見えないらしい。
屋敷の敷地外に出た途端、すっと温度を失くしたギーゼラの様子をおずおずと伺っている。
その困惑をしっかり肌で感じてはいるので普段より声音を柔らかく、視線は向けずに少女は口だけを動かした。
「愛想を撒くのはお兄様の特権なの、慣れて頂戴」
「はい、シュタット公爵令嬢」
「我儘が過ぎるわね。
ヘッセン男爵令嬢に口調を改められると寂しいだなんて…対面では指も繋げやしない」
「ぃ゛ん…愛想の代わりにいじらしさを振り撒くのですね…」
すわ、求められるままに隣へと移動しようとするエミリアを、青い瞳が制す。
「学院では如何したい?」
「…暫くは、シュタット公爵令嬢のご考慮に従いたく存じます」
本当に、優しく賢い子だ。
彼女の思うように学院はまだ始まって一週間も経過していない。
多少は騒音があろうけれど、結局まだ学生の多くは自身のことで手一杯。
それに講義は立ち代わり入れ替わりで人の流れもある。
選択講義が決まる前にこうしてエミリアと過ごせたのは幸甚と言えよう。
「分かりました。
ヘッセン男爵令嬢は、選択講義は何を希望されてて?」
「魔法理論と実践、あとは家政と薬学です」
「そう…家政と薬学それぞれに、私と同じ、王太子の婚約候補者がいらっしゃる筈。
私よりうんと人当たりが優しい方々だから安心してね」
「シュタット公爵令嬢はお優しいです!」
「貴女にだけよ」
「ぐぅ…そうやって玩ぶのですね…」
「本気にしたの?ダメよ、信じては」
「ころころされるぅ」
いちいち反応が可愛らしい。
玩んでいるのはエミリアの方だろうに、分かっていないとは末恐ろしい。
「組では今までの通り私は見守るだけ。
表立っては今朝限りね、お兄様の名前をお借りしましょう。
貴女は貴女で自由に皆と交流を楽しんで頂戴」
「ありがとう存じます…あの、シュタット公爵令嬢」
「なぁに?」
姿勢を正し、真っすぐにギーゼラを見つめる瞳は何かを決意した輝きを伴っていた。
その視線の強さに相手もおのずと顎を引いた。
「恐縮ですが、私のこれからについてご相談させて頂くお時間を…また、施していただけますか」
ガラガラと車輪が回り、揺れる、のは車内だろうか。
年頃の少女達の心の在り様であるかもしれない。
数度、長い睫毛を揺らした後、ゆるりと玲瓏な面立ちに柔らかな笑顔が浮かんだ。
「早い方が良い?
私はいつでも、貴女のために」
任されたからだけではないと伝えるのには、どう言葉を尽くせばいいのだろう。
軽やかに平素は零れ落ちる筈のものが、今は自分のものではないようで形が覚束なかった。
互いに口ごもる間がいやに長く感じられた。
エミリアは自ら考えることの出来る頭の良い少女だ。
だからこそ、何故、折角こうして自家の馬車で共に登校し、庇護を公知する機会があるにも関わらず、ギーゼラが態々兄の名前を借りるのかその意味を考えてしまうのだろう。
そう思案するよう試し、指さしているのは、眼前のギーゼラだというのに。
きっと、長閑な故郷での守られ方は、ギーゼラの取るようなものではないと分かっている。
それこそ自らの兄が昨日、自室で与えてくれたあの温もりのような柔らかなものだったのだろうに。
エミリアの艶やかな唇が微かに開かれるも、そこから声は出ない。
先程まで、何度も漏らしていた面白い呻き声が懐かしいなとギーゼラは窓の外を見やった。
昨晩は考えずにいられた事が頭を過る。
一人じゃなくて彼女もいる空間なのに。
心の機微を示し誘う言葉は相変わらず姿が見えず、ただふらふらと彷徨いどこかへ溶けて消えた。
「今日も、いい天気ね」
憎らしいほど良く晴れた水色の広い空を背負い聳え立つ王城が、日を浴びて厳かに輝く。
行き交う人々の忙しい雑踏さえも、今日は歓迎出来た。
(ああ、そういえば)
本当は昨日、馬具が届いたと彼に声を掛けようとした事を思い出す。
しかし忘れていたとして、今更、果たして言う必要もあるのかどうかとギーゼラは自問する。
躊躇っている事自体が答えだった。




