6:晴天よ霹靂を呼べ
「任された事だもの、やり遂げてみせるわ全力で。
ちょっと上手くいかないからってほんのり気を落としただけよ屁でもないのよ。
分かっているわ、何もかもが思い通りにいくと思ってたのがただ傲慢だったと。
そうよ小さい頃だっていくら練習してもアーディみたいに魔法が使えなくて悔しかったし。
あの時はどうやって発散したのだっけ?
ハンクおじ様が棒術を教えて下さって気を逸らさせた気がする。
やっぱりおじ様はお優しいわ、ああ素敵!なんだか会いたくなってきちゃった…おじ様ぁおじ様ぁ」
「聞かされている馬が気の毒過ぎる」
「ランハルト、貴様生きて帰れると思うな」
「ここは戦場だったか…認識票はレイチェルに届けてくれ」
「はーーー?本人に欠片渡す気概もない男が私の可愛いレイチェルの名前を呼ばないでくれる?」
「おい瞳孔開いた眼で此方を見るな黙れ人の気にしている事を言うな」
靴を履き替えてはいないからだろう、柵の中まで入って来ない男にギーゼラは鼻を鳴らし一瞥を向けた。
既に馬術の講義は終了しており現時刻は放課後である。
人気のない厩には少女一人だけで、馬丁の姿すらないのは彼女に気を使っているのかもしれない。
艶やかな栗毛の毛並みを愛おし気に細い指先で撫で、時折顔をうずめるのは微笑ましいのだが。
先程のようにぐちゃぐちゃ独り言を呟いている姿に恐れおののいたのではとランハルトは見た。
「音もなく淑女に忍び寄るとは紳士的じゃないわね」
「淑女…あの異様な姿が淑女?
先の儀礼講義で振る舞ったような姿なら分かるのだが」
態々殿下の傍を離れてまで喧嘩を売りに来たのかと思ったがやはり違ったようだ。
嘆息を零してギーゼラの掌はまるで己の心を宥めるよう、温かな馬の体をそっと何度もなぞった。
「ローグには申し訳ないことをしたわ」
「役不足だったのは奴だ、偶には鼻を折ってやれ」
「相変わらず手厳しいわねぇ」
「フン、自身の価値を随分と安く見ているお前も気に食わん」
濃茶の瞳は不動の自信を湛えギーゼラの細い背を見据えるが、彼女は振り返れずにいた。
馬が身動ぐ音と鳥の囀りだけが暫し厩を満たす。
「…言葉だけで払拭出来ないなら剣を取ってやらんこともないぞ?」
「いやよ、貴方私の事ボロクソにするのだもの」
この男は文官然としているが幼少の頃から才能豊かで、すわ剣聖の再来かと謳われる程の腕を持つ。
剣術の才覚もさることながら、機を見る嗅覚と場を読む頭脳が万人を凌駕していた。
必要とあれば粗悪な術も躊躇いなく使い戦う姿は、傍から見ていたギーゼラからすると剣聖ではなく悪鬼の類ではないかと何度も思ったものだ。
そんな彼が剣を置き、筆と書を手にしたのはアーデルヘルムの誘いあってだ。
当初は彼の才を惜しむ声が数多上がったが、今では流石現宰相の子息としての名声ばかり。
棒切れを振り回している姿を想像出来ないと答える者も多いだろう。
「俺が久し振りに剣を握るとなれば、レイチェルが見に来てくれるかもしれんし」
「人を出汁にしおってからに」
あまりにも明け透けにものを言うのだから、思わずギーゼラも笑い声を零した。
萎れ、気を落としている此方が馬鹿らしくなってきてしまう。
不敵に口角を上げ、振り返った彼女にランハルトが軽く肩を竦めて答えた。
相変わらず彼の面持ちは不遜であった。
「侍女をあまり待たせて困らせるな」
「ええ、あと少しだけよ」
そう零してギーゼラは用具を手桶にまとめ始めた。
幾ら日が伸びたとは言え空は真っ赤に染まっている。
「騎士役は?」
「遠慮するわ、早く殿下の元に戻りたいのでしょう?」
「全くだ、用意していた言い訳では足りなくなってしまった」
「暴漢でも呼びましょうか」
ふ、とランハルトが顔を伏せて笑うのに満足してギーゼラは桶を抱え、用具室へと足を向けた。
「暴漢に襲われたら遠慮なく処して構わん、俺が許す」
「やだ、台詞が悪虐王」
「殿下でもそう言うだろうよ」
踵を返し颯爽と去って行く男の背を眺め、どちらの台詞をだろうかと考えてしまうのは夕暮れのせいか。
ぱちりと瞬きを一つ零し、ギーゼラも止めていた歩みを進めた。
薄暗い用務室に、光量の弱い陽が差す。
棚へと桶を戻し終えると、首から下げていた鍵で用務室の扉を外から閉ざした。
馬術用の濃い色をした手袋の指先にほんのりと、彼の髪色のような赤褐色の粉が残る。
仔細を知るローグではなく、ましてやアーデルヘルムでもなく、此処に来たのがあの無粋なランハルトだったのは、恐らく彼が言外に告げた通りなのだろう。
今日の儀礼講義でのやりとりについては一部内容を濁し概況のみをこれから殿下に上げるようだ。
ギーゼラに聖女が怯えて見せたことも。
その姿を見て、ギーゼラが落ち込んだことも、恐らく殿下は知り得ない。
気を揉ませ失態に失望されるのが怖い訳じゃない。
彼の黄金は、然程のことで揺るぎはしない。
頭ではそう分かっているのに、ギーゼラの心は何故、伏せられることに安堵しているのだろうか。
己の情動の在り処に彷徨うまま、その身もどこか頼り無げにふらふらと足の赴くままに進む。
生き物の匂いはやがて消え、踏みしめられた若草から立ち昇る青臭さが愛おしい。
木漏れ日をたっぷりと浴びたのであろう木々は艶やかな色味を湛え、眠りつく前の揺り籠のようにさわさわと互いの艶やかな葉を撫で合っていた。
庭園の花々も舟をこぐように頭を下し、ゆらゆらと風にその身を預けている。
昼間の賑わいとは違う嫋やかでどこか濃密な時間が東屋の辺りには漂い、その睦の終わりを、影を溶かして示す。
黄昏が彼らの面差しを隠すも、気配を覆うことはない。
歩くたびに揺れ動く高く結い上げた銀髪を見追う視線を知ってか知らずか、彼女の表情は無色だ。
身体に沿った造りの乗馬服を纏い、しなやかに木立を遊歩する様は気品溢れる神馬のよう。
(……あ)
すわ嘶くのかと思わせる動きでくっと少女はその顔を上げた。
青い瞳の先には、薄ぼけた枝影にか細くしがみつく子猫の姿があった。
みぃと鳴き掠れた声は悲哀を帯びて眼下のギーゼラを呼び止める。
(ああ、なんだか覚えのある状況だわ)
あの、記憶に新しい春の日。
きっと聖女も同じような場面に出くわしたのであろう。
暖かな木漏れ日降り注ぎ、晴天を飾る緑が光り煌めく中、あの愛らしい少女が枝に腰かけていたのなら随分と絵になっただろうに。
それこそ落ちてきたとなれば、天使に出会ったと評するのも吝かではないだろう。
彼は不可解な話と一笑していたが、実に場面を想像するともっと何か感じるものがあったのではないかとその感性を疑ってしまう。
(殿下は冷静過ぎるし、俯瞰的過ぎる)
子猫を、木を仰ぎ見る殿下の視点と心持ちを徒に想像したところで、ギーゼラは聞いた事がすべてだ。
小さく頭を振って意識を払い、彼女は手頃な枝に手を掛け慣れた様子でするすると木を登ってゆく。
淑女が木登りだなどと顰蹙を買いそうだが、幸い今は乗馬服だ。
薄暗さも味方して、赤い衣服は補色となりその身の形を曖昧にし、ともすれば長髪の男性に見えるだろう。
瞬く間に子猫の蹲る枝の付近に到達するとギーゼラは徐に視線を下ろした。
(…ああ、それは懐くわ)
今、彼女の意識は、あの日のエミリアを追体験していた。
宝石が輝くようにちらちらとした光を受けた艶やかな黒檀の髪、まっすぐに見上げる黄金色は、その落ち着いた色味の中だとより一層際立って美しいのだ。
すっと通った鼻筋と染み一つない肌理細やかな肌は健康的で、芯の通った体躯の安定感は一目で分かる。
王妃様に似たのは瞳だけでなくその面持ちもであるのを少し気にしている彼が、王子然とした気品ある笑みではなく、幼い頃からよく見ている男臭い笑みでも浮かべていたのだろう。
それだけでぐっと彼に親しみやすさを覚える心地がいかほどのものか、ギーゼラは痛いほど知っている。
いつしかエミリアの視点は、幼い頃のギーゼラへと移り変わっていた。
「――おいで」
手袋を外して子猫の鼻先に指を差し出す。
まだ馬の匂いが付いているからかやや警戒する相手を、静かに伏せて待つ時間が心地よかった。
無聊の慰めにやはり動物は、良い。
そろりと自然に距離を縮め触れることを許されてはその温もりを指で梳く。
「もしかしてこの前も登って降りれなくなっていた間抜けはお前?
いけない子ね、連れ去ってしまおうかしら」
細い体を抱き上げて小さな顎を何度も撫でれば、ギーゼラの気も知らずに心地良さそうな顔を見せる。
愛らしさに小憎たらしくなって自然と口元が緩むのをきゅっと正し、薄暗い木下に視線を投げ、少女は軽やかに木から飛び降りた。
ばさりと衣と葉が揺れる音に、小さな悲鳴が混じったのを聞き留めギーゼラが無言の視線を向ける。
「…………」
「……にゃ、な…」
そこには、あの日の幻でもなく、確かにエミリア・ヘッセン男爵令嬢が佇んでいた。
わなわなとか細く震える様はどことなく初日の挨拶の時を思い起こさせる呆然としたもので、数時間前に見せた怯えよりも困惑が強いのがまだ救いだろう。
腕に抱いた子猫がにぃと鳴くのも気に留めず、ギーゼラは姿勢を正し毅然とした面持ちを刷いた。
「ヘッセン男爵令嬢、貴女」
一人なの?
もう、供を付けずに歩き回る身分ではないはずだと窘めようと口を開くも、勢いよく両手で頭を抱えて天を仰ぐ相手の挙動に言葉が途切れた。
「あ、悪役令嬢が!めちゃくちゃ似合う男装して?!
子猫ちゃん抱えて夕暮れ空バックに降ってくる展開とか覚えありませんけどぉ??!
そんな乙ゲーも小説も二次創作もっ!わたし!!未履修ですけどぉ!!?これマジでどれよ!」
霹靂轟くが如く叫び、ばさばさと両腕を上下に振って感情を爆発させるエミリアに、流石のギーゼラといえど淑女の仮面が剥がれ落ちるというもの。
ぱしぱしと目を瞬かせ押し黙るギーゼラに、ずいと顔を寄せて更に彼女は言い募った。
「貴族家に引き取られた平民聖女ってテンプレ踏んで?!顔面国宝にマンツーレッスンされりゃあ、『おっとこれは今までに読んだ話のどれかかな?』とか思うじゃん?!!思うじゃぁん??」
「てんぷれ、がんめんこくほう、まんつーれっすん」
「急な学園展開も、何擦りしたか分からない『猫を助けようと木に登ったが降りれなくなったヒロインとそれを助ける王子様』展開も!そりゃあ内心笑いだしたいのを堪えてこなしましたよぉ?!!
何故ならそれがお約束だから!!」
「何のお約束ですの」
「異世界転生モノだよぉ!!!!!」
ふんぞり返ってエミリアが言い切る熱量は、まるでごうと風を呼び出したかのようにギーゼラの自失を吹き飛ばした。
何かを吹っ切った少女の堂々とした態度に沸々とギーゼラの心の中には熱が湧き上がる。
それを普段だったら当然抑えられるのに、どうしてだか今は堪えられず、口角が歪んでしまう。
(こいつ、おもしれー奴ですわ)
微かに震えているのに気付かないのかエミリアがまだ言い足りないと息を吸い込んだのを見逃さず、さっとギーゼラは不敵な笑みのまま片手を上げ動きを制した。
「貴女の可愛らしいお声、とても魅力的だわヘッセン男爵令嬢」
「おん」
言外に声を潜めよと窘めたのは伝わったのだろう。
途端ぷっつりと勢いを失くしたのは些か惜しくも思うが、降ろされ不安げに揺れるその手を取る。
「私、もっと聞かせて欲しいのだけれどよろしくて?」
「で…、出た、お嬢様言葉」
「丁度着替えるのに控室へ向かう途中だったの」
成程、兄はしっかりとエスコートされる側の意識を教育していたらしい。
男性さながらにギーゼラがエミリアの手を引けば、呆然としつつも静々と歩き出した。
エミリアの声を聞きつけたのか、野次馬も居たが数は多くない。
目礼と楚々とした笑みを見せれば手を繋ぎ歩く二人から周囲はさっと無粋な視線を外し立ち去っていく。
「え、やっぱこれ悪役令嬢モノ?私がぎゃふんするの?」
「悪役令嬢は何となく想像がつくのだけれど、『ぎゃふん』とは?」
「悪役が懲らしめられた時の鳴き声?」
予想外の返答に思わずギーゼラが唇を嚙み締めた。
「ン゛ッ…悪役令嬢役は大役なのね」
「えあー…そのぉ、私が言いますので大丈夫です」
「ヘッセン男爵令嬢が悪役令嬢役をするの?聖女なのに?」
「最近はそういうのが多いんですよ」
「寡聞にして知らなかったわ…」
そうこうしているうちに、学院内の公爵家専用控室に到着する。
扉を開いて出迎えた侍女イーダは一瞬驚嘆を見せるが、すぐに目を伏せ主とその供へ礼を尽くした。
「お帰りなさいませ、ギーゼラお嬢様」
「お待たせイーダ。
まずは寮へ外泊の申請をお願い、その後に着替えるわ」
「承りました」
さっと身を翻し、イーダは外の衛兵に言付けをせんと向かった。
部屋の主は戸惑う少女に席を進め、徐に茶器を手に取る。
「あ、あのぉ…外泊とは、もしや」
「お気づきでしょうけれど、大聖堂での貴女の教育係は私のお兄様なの。
暫くお顔を見ていなかったでしょうからお誘いするわ」
「え!あ!?はぁ~…いわれてみれば系統同じですもんね」
「お兄様の方が柔和な印象でしょうけれど、似ているのなら嬉しいわ」
ゆっくりと琥珀色を注ぐ仕草を空色の瞳がまじまじと見ているのをくすぐったく思いながら、より気を配り洗練された動きはするように努めた。
彼女の見本になるよう、伏せた目元にすら気配を添えてみせれば相手の喉が上下した。
「よくお話は伺っていたの」
「…エカード様は私の事を何と言ってました?」
カップに口元に寄せたまま視線だけ上げ、ギーゼラを窺い見る姿は小さい子どものようだ。
まるで何か叱られるのではないかと内心の動揺が彼女の瞳には浮かんでいる。
それを撫で鎮めるよう、殊更ゆっくり言葉を紡ぐ。
「とても勉強熱心な方で、秘めたる力も大変稀である、と。
与えられた時間は魔法だけでなく、礼儀作法まで学ぶには余りにも短く大変でしたでしょうに」
「うっ…エカード様…」
「支え尽くす甲斐があるとお兄様も楽しそうでしたよ。
ありがとう存じます、ヘッセン男爵令嬢」
「こ、こちらこそですぅ…エカード様の人柄と顔の良さが無ければ頑張れなかったですぅ…」
師からの言葉、随分角をギーゼラが削ったものであるが、聞いた教え子にしか分からないものがあるのだろう。
肩も声も震わせ今にも泣きだしそうな様子に微笑ましく思っていたら、急に顔の良さを褒めるとは。
余りの脈略のなさに声を上げて笑いそうになる。
表情筋を必死に抑える代わりに心の声が多少崩れるのも仕方あるまい。
(お、おもしれー)
それに、どうやら大聖堂での教育中もやはり兄エカードは猫を被っているようだ。
でなければこの言葉を素直に受け入れるなど到底できないだろう。
さて前触れも無しに屋敷で鉢合わせたら、更に面白い場となるだろうと内心ほくそ笑むものの、この少女が師へと抱く敬愛を蔑ろにするのは無情という話。
エミリアの外泊届を出させるついでに恐らく屋敷への先触れも、頼れるイーダが出している。
敢えて伏せるように指示しなかったのだからそうに違いない。
「大聖堂から戻ったお兄様も寂しがっていたの。
今夜はどうか誘いを受けてくださいな」
「っはい、喜んでお言葉に甘えさせて頂きます…!」
こうして急遽、シュタット公爵家に聖女の外泊が決まった。
やっとあらすじに届きました。




