5:歳月が織った衣を纏い
新学期の一月目までは、選択講義の変更が許可されている。
あらかじめ提出していた希望表通りに取得しても構わないが、各日興味のある講義に出席し、変更をすることも叶うという形をとっている。
ミラン講師の魔法理論講義のように希望が集中し抽選になる場合もあるが、皆結局概ね希望表通りに受講する。
ギーゼラの今年の選択授業は、馬術から始まり、棒術に経営学と魔法技師学の予定だ。
魔法技師学とは、魔法を物体に留めた魔法具を扱う専門職に関するもので源流は隣国の技術にある。
これが意外と不人気ながらもギーゼラの性には合っていたようで毎回楽しく試行錯誤しているのだが、生憎才能はないようで、レイチェルからは「下手の横好き」と酷評されたこともある。
そんな楽しい魔法技師学を横に置き、彼女が向かったのは魔法理論の講義教室だ。
本日は初日とあって立ち見も出るほどの賑わいである。
公爵令嬢の姿を見て、席を譲ろうと立ち上がった子息の動きを制して遠慮し、講義室の最上段で警護についている男の傍らへ向かった。
「お勤めの邪魔をしにきたわ」
「私のですか?殿下のですか?」
「ミラン講師のよ」
「ええ?怖いもの知らずな…」
密やかなやりとりだったのにまさか聞こえたのだろうか、教壇に立つミランと目が合うと向こうは片眉を上げた。
なんてことだ本当に邪魔扱いされている気持ちになるではないかとギーゼラは内心憤慨する。
「聞きましたよローグから」
「何を?」
「昨日の国史講義ですよ、途中から戦術論史にされたって」
「令息の皆さんは随分楽しそうでしたけれどね」
「このご時世でも廃れていない事を喜ぶべきなのでしょうけれど」
「机上でならいくらでも出来るのに、ねぇ」
「ねぇ、じゃありませんよ槍は出さないでください」
騎士団長であったブラッツの父親、ハンク・レーヴァクーゼン卿を慕い過ぎてか、ギーゼラは馬上で槍を揮わせると中々の手練れとなる。
その細身のどこから出してくるんだという力技は、機と相手の力に乗る柔の扱いが上手いのだろう。
なお得意な氷の魔法と合わせると折っても折っても槍を生み出すし、逃げても逃げても氷槍が襲い掛かるというただの邪悪と化すのだが。
因みに魔法理論は、属性の体系や相互の影響力、公表されている合成魔法やそこに至るまでの歴史などを学ぶ。
魔法実践はこの理論を修学または同時期に受講していないと選択ができない。
実践では個々の属性を伸ばし、様々な使い方、それこそ対戦技術から文化発展寄与を考慮した内容まで、幅広い意味合いで能力を育む講義となっている。
黒板には一年を通して学ぶ内容が書き記されているだけだというのに、学生達は随分熱心に話を聞いていた。
というのも後方に王太子殿下が座っているからだろう。
そしてその隣には、聖女エミリア・ヘッセン男爵令嬢がちょこんと座っていた。
彼女はふんふんと時折相槌を打ちつつ、隣の殿下へも何やら話しかけている。
講義で一緒になるのは今日が初日だと思ったが成程随分打ち解けているものだ。
「あれは猫の力?殿下の力?」
「どちらを選んでも殿下の叱責がありそうなのがなんとも」
「羨ましいわ」
「え?」
護衛対象から目を離したブラッツをギーゼラが窘めるように睨むと、慌てて彼は視線を殿下へ戻した。
「私は昨日昼休憩に声を掛けたら逃げられてしまったのに」
「ああ…それもローグから聞いていますよ。
ギーゼラ嬢のような令嬢らしい令嬢と接する機会が少なかったから気が動転したそうです」
「それは他の令嬢に失礼ではなくて?」
「うーん、聞かなかった事にしてくれません?」
「簡単に借りを作り過ぎよ、ブラッツ卿」
それでもこちらは聞かなかった事にしてしまうのだから、つくづく要領のいい男だ。
堪らず口元を緩め視線を向ければ、相手もその空気が伝わっているのか嬉しそうな横顔をしていた。
「まぁいいわ…彼女が楽しく過ごせるのなら」
「貴女も楽しくお過ごしください、学生なのだから」
魔法理論の基礎となる属性の解説に講義は進み、各主属性の紹介として数人が教壇で簡単な魔法を展開する。
更に今年はエミリアがいるためか、光の魔力を特別に見られるとのことで学生達が沸いていた。
少女の掌には白色の、離れているのにどこか温かみを覚える光球が浮かんでいた。
そっと上に放てばきらきらと虹色の輝きを放ちながら教室に広がり、やがて静かに消えた。
幻想的な光景に誰しもが魅入り感嘆の息を零す。
エミリアは上手に出来たことに安堵したのかはにかみながら、やや速足でアーデルヘルムの元へ駆け寄り席に着いた。
迎え入れた殿下も褒めるように頷き、言葉を交わしているようだ。
なんともまぁ、微笑ましい学生達の姿なのだろうと老婆心が沸いてしまうものだろう。
教室の最後尾でそっと立ち見をしていると、自分が学生であることを忘れてしまうものなのかという三年目の気付きを得て、ギーゼラは踵を返しその場を後にした。
(私も、楽しく…か)
学生である前に、ギーゼラはシュタット公爵令嬢で、アーデルヘルム王太子殿下の婚約者候補だ。
何枚も重ねられた立場を上手く着こなしてきたつもりだったのに、ふいに今何を纏っているのかも分からなくなった。
そして、何が着たいのかも。
昼食を挟んだ後、本日は主教室で儀礼の講義だ。
一二年で学んだ高位貴族への儀礼や、夜会や茶会における参加者としての作法一通りを復習する。
また、三年では主催側として必要な知識の補填や実技も執り行わるのだ。
「――ではまず男女で一組となり、高位の組への挨拶の練習を行います。
公爵位の方は講師を王族に見立てて挨拶して頂きます」
講師の言葉が終わるよりも早く学生達は組の誘いをすべく動き出した。
あぶれたくないのは男も女も同じなのかあちらこちらで声掛けが行われる。
中には婚約を結んだ仲の者たちもいれば、初々しい恋人同士で組むところもあるようだ。
例に漏れずギーゼラの眼前にはすぐさま手が差し出された。
「シュタット公爵令嬢、貴女の手を取る栄誉をお与え頂けますか?」
「よろしくてよ、ジーゲン侯爵令息」
わざとらしい恭しさと高慢さを演じれば互いの口元には不敵な笑みが浮かぶ。
公爵令嬢であるギーゼラは、王族へのお目通りにも慣れている王太子側近候補のローグが相棒をしてくれるのは心強いし、片やローグとしては公爵以上の爵位がこの組に居ないため、ギーゼラと組めばほぼ他から挨拶を受けるだけで済むので自利利他である。
ローグの腕に手をかけ、こんなもんサッサと終わらすわよと視線を投げれば、心得たとばかりに微笑みを浮かべ進路を講師の方へ向けた。
あっという間に礼を尽くし合格を頂戴すれば、あとは突っ立って「許します」と言っていればいい。
実際はそれまでの目配り気配りからその姿勢までと様々注視されてはいるのだが、何年も王宮へ足を運んでいる二人にはなんてこともない。
「…凄いですね、無双ってこういう心地なのかもしれません」
「味を占めてしまったのね、悪い人」
「貴女の隣だからですよ」
「まぁそんな言葉、殿下にも言われたことがないわ」
声を潜め悪戯に笑い合う姿があまりにも自然で毅然としていたからか、立ち止まる組の中、エミリアがぽかんと口を開いていたるのがふと目に留まった。
途端、目が合ってしまったとおろつくパートナーを誤魔化すように、遠慮がちな歩みで子息がギーゼラ達の元へと近づいて来た。
「シュタット公爵令嬢、彼を紹介しても?」
「許します」
気を聞かせてローグは殊更優しく声音を発する。
鷹揚にギーゼラが応えれば、子息が丁寧に頭を下げて名を名乗る。
その流れで次はとエミリアへ視線を向けるが、彼女は頭を下げたまま微動だにしない。
「…ヘッセン男爵令嬢?」
「ぁ…ぇ、と」
子息がそっと彼女の肩に手を添え、顔を覗き込み様子を案じるも彼女は細く吐息を漏らすばかりで、やはり顔を上げることは出来なかった。
その様子に周囲からも怪訝な、そしてどこか諫めるような視線が寄せられる。
「可哀そうに、震えてらっしゃるわ。
どうか無理はなさらずご自愛下さい、人手は足りて?」
「は、いえ、私が連れてゆきますので何卒失礼をお許しください。
お気遣いありがとう存じます」
「気になさらないで、お大事に」
ギーゼラが静かに掛けた声に子息が懸命に応え、頭を下げて踵を返して教室の端へ向かった。
その後を追うように講師が足早にギーゼラ達の横を過ぎてゆく。
ざわざわと衆目が、青い顔をしたエミリアと困惑のひとかけらも感じさせない真顔のギーゼラを見比べていた。
何が起きた、何をした。
あんなに血の気が引いてる、尋常ではない。
寄せて返す囁きなど聞きなれている筈なのに、何故か今は耳鳴りのように鼓膜にこびり付いていた。
自分の心臓が肥大したように唇までが鼓動で震えるのが分かる。
「…シュタット公爵令嬢」
そっと腕にかけた指先にローグの指が重なる。
感触に引き戻された意識を手繰り寄せるように、彼の案じる瞳がギーゼラを覗き込んだ。
きっと自分の青い瞳に映る彼自身が見えていることだろう。
だからか、彼は殊更に微笑み、子どもに言い聞かせるよう頷いてみせた。
大丈夫、貴女が恐れる必要はない。
そう語るような空気にふっと詰めていた息を吐き出す。
ぱちりと、意識して瞬きを一つしてから視線をローグから外し、退室してゆくエミリアの背に向けた。
弱弱しい後ろ姿はより儚げに震えていて、確かに、小動物のようだった。
「殿下は猫語も話せたのかしら」
「は?」
「いえ、何でもないわ…ジーゲン侯爵令息、ありがとう存じます。
あなたが隣で幸運だわ」
ローグがこちらを見て、はくりと何度か口を開け閉めしているのを視界の端で捉えていたが、ギーゼラはそちらを振り返ることなく軽く彼の腕を引き、講師が戻るまでの間、皆に練習を続けるよう声を掛けた。
王族への拝礼を練習したい者が居れば王族役を引き受け、時には空の教壇を見立てて手本を示した。
また他の組が求めれば講師のように改善点や良く出来ているところを丁寧な言葉で伝える。
己の経験を恥じる事も謗る事もしない。
その有様は、これがまさしく王太子妃教育を受けた令嬢であるという稔侍を感じさせるものだった。
隣立つローグが自分の力不足を強く噛み締める程に、それはそれは、立派な姿だった。




