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4:花の盛りは今まさに


 北の領地でも雪解けが進み新緑が芽吹き始める頃、王都では一足早く花の盛りを迎える。


奥に荘厳な王城を構えた王都では、あちらこちらが鮮やかな瑞々しい花で飾られ、日替わりで様々な通りに屋台が立ちひしめき毎日祭りのような賑わいだ。


そんな華々しい季節のとある日、晴天の下。

切り揃えた銀色の髪を揺らすは天使かと見間違うほどの麗人。

彼が淡色の唇をきゅっと結び、飴色の瞳を震わせ視線で深々と訴えるのを無視して、ギーゼラは感情を殺した顔で馬車へ歩みを進める。


馬車の前まで付いて来たその青年が音もなく差し出す掌を一瞥し、はぁと大袈裟な溜息を零して少女が指を乗せれば、まるで至宝を扱うかのように恭しく優美な仕草で彼は車内に少女を導く。

務めを果たした青年は、扉が閉まらないのをいいことに、懲りず呟いた。


「僕の愛しい夜海(やか)

 お兄様はね、キミはもっともっと春休みするべきだと思う」

「私を照らす月の道。

 妹は、お兄様そろそろ大聖堂に戻ればいいのにと思っております」


にこりと微笑みを浮かべれば、緻密精巧な人形かと思われた少女が一転、命の息吹を得た花のごとく瑞々しさを伴い、それは見る人に感嘆と微笑ましさを与える。

互いの相貌に刷くのは悲哀と愛嬌、なぞ異なるものだが、確かに顔を寄せた二人の見目は血の繋がりを強く感じた。


「やだよぉもっと遊ぼうよぉ!勝ち逃げ許さない!」

「ええい扉を閉めなさい挟んでも構わないわ!一人でババ抜きしてなさい!」

「イ゛ーーーーーっ!!」


一瞬見せた耽美な兄妹の姿は瞬く間に掻き消え、見るのも憚れる稚拙な吠え合いは、侍女イーダと執事の阿吽の呼吸によって制止され終わりを迎えた。

馬車が走りだせば清々したとギーゼラは背もたれに身を預ける。

朝から些事に付き合わされ車窓から態々振り返る気にもならないが、聞いた話だと兄は偶に泣いているらしい。

ドン引きである。


ギーゼラも普段であればいちいち突っかからないが、何とか引き留めようとしてくる兄エカードとこうしたやり取りをすると「ああ学院始まったなー」という気持ちになれるので相手をする。

妹が学院で過ごしている間、あの兄は兄で、父の手伝いや教会の依頼などを不備なく十全に勤めているのだから人間の精神思考構造とは謎深いものだ。

シュタット公爵家恒例になりつつあるこの茶番がどうか年の離れた弟妹に引き継がれない事を祈る。


(それにしても…お兄様はどこまで知っているのかしら)


進む馬車の中で流れゆく街並みを眺めつつ勘案するものの、まずは週末までに――兄と聖女が顔を合わせるらしい教育日までに――押さえておくべき点を脳内で上げ連ねておくのだった。




 数日前の週の初め、豪奢な造りの学院大講堂には約200名程の貴族子女が集められていた。

誰もが揃いの制服を身に纏い、据わりの悪く身動ぎする者もいれば、華やかな茶会会場かと夢想するような淑女たちの囀りが聞こえるのも面白い。


学院では全学年が一同に会するのが、この入学式と纏めて開催される新学期始業式くらいなものなので、学年と超えた縁を掴もうとする者はこの機を逃すものかと懸命に動き回る。

例に漏れず高位貴族令嬢であるヴィヴィカやレイチェル、ギーゼラの元にも入れ替わり立ち代わり子女が殺到するが、応対する側も慣れたもので、止まる事無く滑らかに人の波は絶えずに寄せては返す。


ただその中には、あの春の日にギーゼラが見た赤味を帯びた金髪の少女はいなかった。


「――えー諸君らには学院の生徒として、そして家名に恥じる事のない振る舞いに努め、日々研鑽を重ね…」


やがて式が進み、つらつらと綴られる学院長の高尚な時間潰しが、暖かな日差しを受ける席の学生にはどうやらあまりにも心地良いようで、早くもうつらうつらといくつかの頭が揺れ動いているのをギーゼラの瞳は見ていた。

その視界の端で、出番を呼ばれたのであろう、講師陣に近い席を用意されていた殿下と次代の生徒会長が共に舞台袖へ向かってゆくのが分かった。


学院の生徒会は、学生の主体性と問題解決及び統率力を育む事を目的と謳っている。

まぁ大体はその時期に在学する高位貴族が頭となり、学生からのあれこれに応えたり講師陣からのそこどこを手伝ったりするのが多い。

アーデルヘルムも王太子という立場から昨年は務めたが、伝統に則り今年は次代の学生に任せるようだ。


長い裾を引きずりながら学院長が舞台を降り、代わりに壇上へ上がってきた姿に講堂内が色めき立つ。


黒檀色の艶やかな髪が微かに揺れ、均整な体がしなやかに動く様は貫禄ある上等な獣を彷彿とさせる。

彼が講壇に立ち、その黄金の瞳をさっと全体に走らせれば波が引くように音が消えてゆくのが面白い。

口元を端然と緩めて語る声色は低くも張りがあり、良く講堂に響いた。


小さい頃はこうした舞台がある度、始まる前に幼馴染が寄って集って背を叩き激励していたのが懐かしい。

堂に入った彼の姿に舟をこいでいた者もいつの間にか顔を上げ舞台を見ている様子は、自分の事のように誇らしい気持ちでギーゼラの胸を温かくした。


やがて次の生徒会長を迎え並び、力強く交わす握手を湛えるように拍手が舞う。

二人が揃って学生達を見やればその音は更に膨れ上がり、木漏れ日注ぐ講堂を満たした。



「今年は組が分かれてしまったのね、残念だわ」


式が終わり各組への移動の際、そっと傍に来たレイチェルがギーゼラに囁く。

「昨年が特殊だったのよ」と殊勝な事を言いつつも口を曲げているヴィヴィカの姿に思わず笑みが零れた。


「そうね。

 昨年は殿下が生徒会長として務めていらっしゃったから、警備上、私達は纏められておりましたけど」

「今年も纏めて下さってよろしいのに…人件費の無駄だわ」

「早く講義割を見せてくださいましね、ギーゼラ」

「ええ、人件費の削減に貢献致しましょう」


組が分かたれようとなんのその、仲の良い三人は勝手に互いで纏まろうとする。

アーデルヘルムにもその時間帯を情報共有するのは学院に入ってから常となっているし、差配もしやすいと鷹揚にしているのだから、分けた側の意図を多少袖にしても構わないだろう。


「アムライン侯爵令嬢」


と、ヴィヴィカを呼び止める声に三人で振り返れば、喜色を浮かべた面持ちで駆け寄る姿があった。

頭一つ群衆から抜けた体躯はそれに劣らない堅牢さを備えており、伸びた背筋や才気溢れる身の熟しのそれは、誰もが彼に日頃から武に関わっている者だと感じさせる。


切れ長の黒眼を遮る事無く上げられた前髪。

凛々しい眉がその瞳と共に柔らかく弧を描くと彼は随分、穏やかな空気を纏うようになる。


「今年は御一緒の組ですね、嬉しいです」

「ごきげんようボルトロップ辺境伯令息」


小さな背をすっと伸ばし対面するヴィヴィカがさも愛らしいと笑みを深めるホーバートに、レイチェルは呆れを浮かべた瞳を、堪え切れず口元を指先で隠すギーゼラへと密かに向けた。

白魚のような指先の下では、もにょもにょと柔らかそうな唇が微動していた。


「ホーバート、私も同じ組よ」

「ああ知っているよレイチェル。

 シュタット公爵令嬢は組が分かれてしまって残念です」

「そうなの…私もお三方と同じ組が良かったわ」


とても面白そうなので、とは口にせずギーゼラは悲しそうに眉を下げてみせれば、ホーバートが同情するように小さく何度も頷く。

しかしその気配りもすぐさま外され、嫋やかな淑女の微笑みを浮かべるヴィヴィカへと視線が戻される。

何時見てもこの直情的な姿はなんと微笑ましいものだ。


後で詳しくやり取りを聞き出そうと内心で決めつつ、では後ほどと言葉を紡ぎ、ギーゼラは侍女イーダを伴い一人で自身の組へと向かった。


(ボルトロップ辺境伯令息がヴィヴィカと同じ組なら、メールス公爵令息もかしら?)


階段状の講義室に足を踏み入れ、さっと視線を泳がせるが彼の赤褐色の髪は見当たらなかった。

ギーゼラの姿を認めた同じ組の子女達が挨拶に来るのを丁寧に応え、軽やかな会話を挟みつつ、寄子である伯爵家令嬢の誘いを受け空いている席へ腰かける。


そこでもやはり話題となるのは、先程の式でのアーデルヘルム王太子殿下が如何に立派だったかとか、昨年は同じ組であった婚約者候補の二人と離れてしまったギーゼラに心を配るものばかりだった。

まぁ心得た者は、他の組に誰が居るのかを交えて話してくれたので、相槌を打ちながら内心で評価を付けておく。


(メールス公爵令息は殿下と今年も離れられなかったのね…気の毒に)


側近候補ならば必然かもしれないが、彼の心の裡はまたか!と叫び出したいところだろう。

似たような境遇のボルトロップ辺境伯令息が幸運を得たのを知っているだけに憐れに思う。


「ランハルトは先への投資を惜しみませんからね」

「これから先の方が長いでしょうに、メールス公爵令息は何て献身的なのかしら」

「私もですよ、シュタット公爵令嬢?」

「ならジーゲン侯爵令息の組替えを講師に進言しなければいけないわ」

「おや、寂しいことを仰る」


下段に座すローグ・ジーゲン侯爵令息も殿下の側近候補だ。

二年続けて殿下と同じ組だったはずだが、どうやら今年はランハルトとは違う形で献身するらしい。

恐らく、彼もギーゼラと似たような命を受けているのかもしれない。


ランハルト・メールス公爵令息の有能さは誰しもが認めるものだが、同時に彼の厳格さも広く知れている。

対してローグはブラッツの縁者だからか人の間に入るのが上手い。

この組で予期される問題を解決する場合は、ギーゼラも遠慮なく彼を頼ろうと思うくらいに。


「全員揃っているようだな、静聴」


教壇に立つ背の高い講師が乾いた音を鳴り響かせる。

その傍らには、一人の清純な少女が佇んでいた。


「この組の担任講師は私、ミラン・フォン・メルゼブルグだ。

 去年に引き続き国史及び魔法理論の講義も担当する」


朗々と話すミランの華やかな姿に少女達が密やかに色めき立つ。

中性的ながらも同年代にはない落ち着きからか、どこか男性的な色香が漂う王弟殿下は学院でも人気者だ。

面立ちの割に低いあのお声が素敵、と講義の内容よりもまるで演奏会に来ましたと言わんばかりの令嬢が当初彼の講義には殺到したらしい。

それを分散させるために、必修の国史も担当させるようになったと風の噂で聞いた。


(か、過保護にも程がある…)


ミランの説明を聞き流しながらギーゼラは額を抑え俯きたい衝動を堪えていた。

如何に不規則な事例だとしても、王弟殿下を担任に据え置くなどやり過ぎではないだろうか。


それを知ってか知らずか、数多の視線に臆す事無く教壇脇で少女はにこやかな笑みを浮かべていた。


春の空を連想させる柔らかな水色の瞳を輝かせ、草原に咲く可憐な花のような色味の髪はゆるやかに波打ち艶を湛え楚々とした印象を与える。

長身のミランの隣にあるからか、その身はより華奢に、小さく愛らしく見えた。

何人かの令息が固唾を呑み魅入っているのは仕方ない事だろう。


「――そして君たちが気にしている彼女は、今年一年限り学友となるヘッセン男爵令嬢だ。

 挨拶を、ヘッセン嬢」

「はい」


こつりと軽やかな足取りで前に進み出で視線をくるりと一周、教室の端から端まで走らせた後、零れんばかりの親しみを込めた笑みを添えて小さな唇を開いた。


「初めまして!エミリア・ヘッセンと申します!

 一年限りの学院生活となりますが、皆様と一緒に充実した日々を学び過ごせれば幸いです!

 どうかよろしくお願いいたしまひゅ…いたします!」


意気込み過ぎたのかたどたどしくなった語尾を誤魔化すように礼を取る彼女へ、学生からは小さな笑い声と歓迎の拍手が送られた。

エミリアははにかみながら顔を上げ、嬉しそうに隣のミランを見ては着席を促され最前の席に座る。

改めて挨拶を交わしているのだろう左右の子女と話す横顔は明るいものだ。


ギーゼラがさっと視線を走らせた中には何人か冷めた顔をして彼女を見ている者がいた。


幾らかは、何故彼女がめったにない学年転入者なのか邪推しているだけなのかもしれないし、エミリアが平民出身の聖女という背景を掴んでいる子女も中にはいるだろう。

それが家からどのように言い含められているのかはこれから精査する段階ではあるが、概ね彼女が受け入れられたこの空気にギーゼラは一人安堵に胸を下した。


そうして始まるのは例年通りの説明だ。

組の担当講師が、学院での一日の流れから始まり、学院施設の使用方や、共通の必須講義や個々に選択する専門講義の組み立てについての概要と留意点に及ぶ数多の事項をすらすら淀みなく述べてゆく。

手元に配布された用紙を見て真剣に学ぶ者もいれば、相変わらずミランに見惚れている者もいた。


説明が落ち着く都度、「質問がある場合は挙手を」とは声をかけるが、その間二秒も待たずに話しだすところを見るに、不慣れな学生への仔細説明は学生同士でするようにと任せたいのであろう。

例年の講義ではミランにもっと丁寧な印象を持っていただけに、話が進むにつれて緊張を帯びた学生がちらほら居た。


「説明は以上となる。

 質問がある場合は挙手を、なければ昼休憩を挟み午後は講義を始める」


手を挙げてくれるなと言外に示す視線に勿論誰もが微動だにせず、丁度鐘が鳴り響くと共に学生達の硬直は解かれた。

徐に立ち上がるのはギーゼラも同じで、差し出されたローグの手を取り教壇側へと階段を下りてゆく。

その視線の先には数人に囲われたエミリアの姿があった。


「エミリア・ヘッセン男爵令嬢」


ギーゼラが声を上げると、人の輪がさっと開かれる。

それに驚いたのか着座したままのエミリアは大きな水色の瞳を限界まで見開き、先程まで刷いていた愛らしい笑顔は瞬く間に消え失せていた。


いくら社交に未だ立たせていないとは言えちょっと無防備過ぎやしないかと内心首を傾げるも、それをおくびにも出さず、ギーゼラは敢えて表情には感情を乗せず、しかし言葉は親しみやすいものを投げかけた。


「私はギーゼラ・シュタット、一年間どうぞよろしくね」

「は…」

「ミラン講師の説明は最低限でしたけれど不安はなくて?

 聞きたいことがあれば私でも、他の子女でも気軽に尋ねてくださいまし」

「をん…」

「ヘッセン男爵令嬢?」


呆然から抜けきらない様子のエミリアを心配して他の令嬢がそっと呼べど、彼女の意識は戻らない。

そろそろ見開かれた目玉が零れ落ちるのではないかとギーゼラが小首を傾げれば、エミリアもはっと瞬きを思い出すと共に呼気を乱して肩を震わせた。


「シュタット公爵令嬢の美しさは性別を選ばないですから。

 ヘッセン男爵令嬢が呼吸を忘れる気持ちは僕も良く分かりますよ」

「やめて頂戴、ジーゲン侯爵令息」

「どこぽじぃ」

「…?」


場を和ませようと冗談を挟むローグを窘めるギーゼラだけでなく、他の者にも蚊の鳴くようなエミリアの呻き声が聞こえたのだろう。

いよいよ具合を心配する気配を周囲が持ち始めた。


「…もし?どこか痛むの?」

「い、痛くも痒くもございません!失礼します!」


彼女はピンクブロンドをサラサラと振りながら慌てて立ち上がると、そんな隙間あったのかという程見事に人の波を抜け出して教室を駆け出していった。

今度は残された者たちが呆然と硬直し、そっと互いの顔を見合わせた。


「…大丈夫、かしら?

 本当に具合が悪いようでしたら大変だわ、医務室も存じ上げないでしょうに」

「私が後を追っておきます。

 ギーゼラ様は昼食をいつもの御二方と過ごされるのでしょう?まずは食堂まで…」


流石にローグも多少動転しているのだろう、執務室内でのような迅速さを優先させる口調になっている。

そんな惑う空気を切り裂いたのは颯爽と現れたミラン講師だった。


「ローグ、私が変わろう。

 シュタット嬢に話もあるしな」

「承りました」

「行こうシュタット嬢」

「ありがとう存じます」


さっとローグからギーゼラの手を引き受けたミランに促され、食堂へやっと歩みを進めた。

教室を出れば、珍しい組み合わせに廊下の学生たちがざわめくのが鬱陶しいと言わんばかりに、ミランの眉間に一瞬皺が寄ったのをギーゼラは見なかったことにした。

自然と開かれる道を悠然と二人は進んでゆく。


「ミラン講師、お話とは?」

「エカードから聞いていないのか?アレは忠告したと話していたが」


兄エカードの忠告、と聞けばすぐさまギーゼラの耳をある言葉が過ぎる。

成程、過保護に見守られているのはどうやら聖女だけでなく自分自身も含まれていたようだ。

アーデルヘルムが叔父であるミランを陣営に引き込んでいたと見ていたのに予想が外れた。

それとも兄の名を出したのは建前だろうか。


「同じ組の学生と言葉を交わすのに、お兄様の許しが必要ですの?」

「キミの信が無い、と嘆くぞ」

「年頃の娘の好奇心をミラン講師は抑える術をご存じというのね」

「その好奇心を知的方向へ変える気は?」

「昼食を挟んだ後、存分に」

「小悪魔め、キミに話したい事で私の頭はいっぱいだろうよ」


ミランはさも楽しいと低く喉を鳴らし、腕に掛かった少女の指先を軽く叩いた。

青色の瞳はちらりとその横顔を見上げるもすぐに前を向き、大きく扉が開かれた食堂へと注がれる。


壁一面がガラス窓となった食堂内は燦々と陽が降り注ぎ暖かな空気に満ち溢れ、気兼ねなく笑い合う声があちこちから聞こえる。

今日は天気が良いからだろう、テラス席の先に広がる庭園の端々にも食事を楽しむ学生の姿が、段違いに組まれた上階に向かう階段から目に留まった。


いつもの席では既に王弟を迎えるため恭しく二人が頭を下げていた。

それをミランは軽く手を払い礼を解かせギーゼラを席へと誘うと特に言葉もなく踵を返し去って行った。

予定外の訪れに気を張っていたのも束の間で、すぐにヴィヴィカがギーゼラへと顔を寄せる。


「何があったのギーゼラ」

「午後の国史で捻り潰す宣言をされただけよ」

「嫌だわ、組が違うから骨も拾いにいけないじゃない」


軽い冗談を飛ばし合える程周囲から離れている席ではあるが、人が見ていない訳ではない。

レイチェルが居住まいを正したまま、視線を投げた先は食堂の入り口だった。

そこには件の少女と、同じ組の子女数名が丁度纏まって何やら話していた。

ギーゼラへは背を向けた位置にあったが、恐らくローグと思われる姿もそこにあった。


「エカード様から何か聞いていたのではなくて?」

「才能豊かな努力家のようよ」

「ヘッセン男爵家の庇護は、欲して得られるものではないでしょうに」


レイチェルのこうした冷静な視点は流石だ。

故に、崇拝者を持つような兄エカードが何か絡んだのではないかと気を揉んでいるのだろう。

グラスをゆったりと傾けながら、さて二人にどう切り出そうとギーゼラは思案する。


「お兄様も目を掛けていらっしゃるもの、当然だわ」

「まぁあの愛らしさなら分かるわ」

「ええ、小動物のよう」


どこかで耳にした評価だ、と笑いそうになるのを誤魔化そうと食事を運ぶ口元の緩みをどう見たのか、ヴィヴィカが肩を落として溜息を零す。


「ギーゼラはそんなに午後の国史が恐ろしいのかしら?」


まるで聖女の存在を気にしていないじゃないかと咎められるのは少し違う気がして。

曖昧に浮かべた微笑みは苦笑に見えるのだろう。

今度はレイチェルも嘆息を漏らしては、苦言を呈する。


「後宮侍女の噂話を哄笑していた人に怖いものなどないでしょう、違う?」

「私ったら二人にどう思われているのかしら」

「愛しているわ」

「ええ、誰よりも」

「私もよ、相思相愛ね私達」


鈴の音のような笑い声を奏でながら微笑み合う。

この二人が居れば怖いものなど何もないと、改めてギーゼラは誼のありがたみを噛み締めた。


だからこそ、と思う反面、だとすれば、と目を背けたくもある。


「でも私は小悪魔だそうだから、二人の気持ちを玩ぶわ」


軽く手を挙げ、イーダに持たせておいた封書をそれぞれ二人の侍女へ渡させた。

そこには貴族社会に疎い聖女の助力を希う旨と、彼女本人の意思をそれとなく調べるよう記してある。


「まぁなんてお人」

「追い縋って引き留められるのかしら」


今の治世は平穏だ。

自由恋愛が貴族でも受け入れられ、『王太子妃の婚約者候補』にも許されてしまうほどに。


だからきっと、故郷から離された娘が望むのならばその道があって良いだろうと、ギーゼラは考えたのだ。



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