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2:過ぎし夏の碌でもない話

 

伏せた視界の端で衛兵とイーダの慣れたやりとりを認めながらそっとギーゼラは息を吐き出す。

そのどこか憂いを帯びた横顔に、扉を開きつつ衛兵は目を瞬かせるも、声を掛ける前に銀の髪がふわりと揺れて離れていった。


「――拝謁賜り光栄に御座います、アーデルヘルム王太子殿下。

 シュタット公爵家が長女、ギーゼラが参りました」

「……新学期前に足を運ばせてすまない」

「とんでも御座いません」


未だに頭を上げず礼を尽くすギーゼラを見やり、アーデルヘルムが短く嘆息を漏らす。

傍らに控えたブラッツ卿が苦笑している空気がすれどギーゼラは未だに顔を上げない。


「顔を上げてくれギーゼラ嬢」


許しを得て面を上げれば、予想通り、剣呑とした黄金の瞳がギーゼラには向けられていた。

対して見つめ返す夜の海を思い起こさせる瞳は静かなものだ。


「可能な限り早い時期に打診をしたつもりだったが、予定が?」

「いえ、特には」

「ふむ」


豪奢な背もたれに身を預けながらアーデルヘルムは指先を軽く組み、さわりと動かす。

母親から継いだ黄金の瞳は佇む少女へとなお向けられたままだが、先ほどの訴えるような視線とは打って変わって些細な変化も逃さぬよう探るものへと切り替えられている。


「――『新緑の季節』」


ぽつりと零した言葉に水面が微かに揺らめいたのを認め、アーデルヘルムは姿勢を戻した。


「珍しいな、あれは冬に出た本だろう?」


言外に「まだ読み終わっていないのか」と告げる主に共感するようにブラッツ卿が瞬くのを、ギーゼラは悲し気な溜息を添えて一瞥する。

内心では口先を曲げているところだ。


「ええ、ええ。冬は大聖堂から兄が戻ってきていましたので」

「…………」

「光栄な事に我が兄エカードは大事なお役目を賜ったようで、冬の屋敷は随分と賑わいました」

「そうかぁ」


再びアーデルヘルムの背から力が抜けた。

どうやらしっかりとそちらにも情報が共有されているようだ。

安心していいのやら不安やら、気持ちはどっちつかずなのは、この執務室に居る誰もが同じだろう。


長く溜息を吐きながらアーデルヘルムの視線が天井へと移ると共に、ギーゼラも肩から力を抜いた。


「――夏に殿下から賜った件に変更は御座いますか?」

「いや、それが残念ながら」

「殿下」

「すまんつい」


思わず出てしまったと言わんばかりに口元を抑える主を、仕方なしと見やるブラッツ卿の濃紺から光が失われているのを不思議に思い、ギーゼラが首を傾げた。


「ブラッツ卿はお会いになりましたの?

 その、『聖女』という方に」

「ええ、ええ。先程庭園にて()()にも」


わざと先ほどのギーゼラの真似をして、何かを思い出すような嘆息と共に彼は告げた。




 * * *


 夏の盛りが過ぎたある日の事だった。

講義が終わるや否やアーデルヘルムに呼び出されたギーゼラは侍女のイーダを伴い、学院内の王族専用執務室へ向かっていた。


「断言するわ、きっと碌でもない話よ」

「お嬢様」


囁くように呟かれた愚痴であろうと、聞こえてしまったイーダとしては諫めずにはいられない。

何故なら今は二人だけではない。

先触れとして訪れ、かつ引率として前を赤髪の騎士が歩いているからだ。


「なんという事だ、ギーゼラ嬢は預言者でしたか」

「ブラッツ卿は相変わらず私を落として上げるのが上手ね。

 それはそれは、きっと、私にも視えない喜びがこの先に待っているのでしょう」

「私が貴女に捧げてもよろしいと?」

「まずアーデルヘルム王太子殿下に伺って頂戴」

「俺に死ねって言ってます?」


幾分か口調を崩し、ハハハと軽やかな笑い声を上げる背中にギーゼラは不満気な視線を刺す。


「――ヴィヴィカもレイチェルも呼ぶならまだしも、私だけって時点でクサいわ」

「そうケンケンしつつも、ちゃーんと来るのがギーゼラ嬢の良いとこだよ」

「ブラッツ卿が態々お迎えに来て下さって、嬉しいし、頼もしいですからね!」


最初から断らせる気も逃がす気も一切無い癖に!と、恨みを込めたからか思いの外声が大きくなり慌てて周囲を気を配るが、既に立ち入りが制限されている区域であったため人気は無かった。

ホッと内心で息を吐いてるのを分かっているのか、前の男が喉を鳴らしているのが更に心を逆撫でる。


ブラッツ・レーヴァクーゼン侯爵子息。

この男は会話の空気と言うか、人の調子を狂わせるのが上手いのだ。


アーデルヘルム殿下の幼少のみぎりから友人として傍に在る彼は、同じく友人として呼ばれたギーゼラにも親しい態度を見せる。

所謂幼馴染、腐れ縁というやつでもある。

因みに、ブラッツと同い年のエカード、つまりギーゼラの兄もそこに含まれる。


気の置けない間柄とあって、こうしたふとした時、先に態度を緩めて見せるのはいつだってブラッツだ。

ただそれは、アーデルヘルムが居る時には潜めているのが小癪である。


「だって聞いてよ?まーた、殿下と婚約者候補のお茶会を欠席したの私だけよ?」

「だって聞いてよ?まーた、俺は止めたんだ『その日はギーゼラ嬢が敬愛するウチの父がシュタット公爵家に行く日だから恨まれるよ』って」

「期待通りに恨むわ、ブラッツ卿」

「わぁ!振り返れない!」


最早ちょっとした不満から恨みと化した瞳でブラッツの背中を睨む。

わざと怯えて肩を竦めて見せる彼のふざけた姿は、それこそ自宅であったり、通い慣れたレーヴァクーゼン侯爵邸であれば引っ叩いていたところだ。

言わずもがな、ブラッツの父、ギーゼラが敬愛するハンクおじ様が見ていないところで、である。



ヴィヴィカもレイチェルもギーゼラと同じく、アーデルヘルム王太子殿下の婚約者候補である。

にも拘わらず時折、ギーゼラ不在で交流がもたれているのが何となく腹立たしい。


勿論各々の家都合や体調もあり、王太子妃教育でさえ必ず三人同時で行われている訳ではない。

故に、授業後に行われる王妃様とのお茶会は、席を頂くのがギーゼラだけであったり、ヴィヴィカかレイチェルのどちらかが一緒だったりと、人数はまちまちで変動する。


しかし、だ。

殿下とギーゼラとの婚約者候補として開くお茶会は、ギーゼラ一人か、ヴィヴィカとレイチェルの二人も一緒だ。

席が奇数になることは無い。


この事に気づいたのは、誠に遺憾ながら学院に通い出してからだった。




 この国の貴族階級の子女は誰もが15歳から20歳までのどこかで、三年間学院で学び過ごす。

自宅から通いの者も居れば、地方の者は隣接する寮を使用することもできる。

学院と銘打ってはいるが学業を修める志を持った者は半数を切るだろう。


歳の近い者たちが集まれば必然というか。

どちらかと言えば、今後の社交に向けての下地や婚姻前の短い交流を楽しまんとする者が多い。

ただそれは公然と掲げるべきものではなく、勿論学院の定期考査に落ちれば身も家名も共に恥を被る。


ギーゼラも、ヴィヴィカもレイチェルも足並みを揃え15歳の晩春、学院へ入学した。

なおこの時アーデルヘルムも入学したため学年としては同学年だが、彼は学院が始まる前に誕生日を迎えていたため16歳だった。


今まで以上に気軽に、頻繁に顔を合わせる事が叶うなど無かった婚約者候補達は浮足立った。

光り輝き見目整ったアーデルヘルム王太子殿下に、ではなく。


『はー!学院、最高だわ』

『私は二人のお部屋でお話するのも好きよ』

『それはそれ。学院は移動時間が段違いだもの』

『気兼ねさもあるでしょう?』

『そう!思い立ったらすぐ集まれるの、気楽すぎて癖になりそう』

『私とレイチェルはお屋敷も近いけれど、ギーゼラは少し離れているものね』


初夏の風に運ばれる爽やかな緑の香りに包まれながら、優雅に三人は思い思いに菓子へ手を伸ばす。

気安いのは言葉だけで仕草は流石に崩れはしない。

彼女たちが憩う東屋を遠巻きに見守る者の中には、見惚れ歩みを止める子女もいた。


『あら、またギーゼラはお茶の腕を上げたのね』

『ハンクおじ様の為にね!』

『そこはアーデルヘルム殿下って言って差し上げて』


思わずといった様子で亜麻色の髪を肩からさらりと滑らせ苦笑するレイチェルに、ギーゼラは軽く肩を竦めて見せる。


『それは私に任されたものではないもの』

『売り込みにいけばいいのよ』

『カフェに?』

『え~!なら私、出資するわ』


小ウサギのような赤い瞳をキュッと細め、嬉しそうにカップを揺らしながらヴィヴィカが語りだした『理想のカフェ』の話に、レイチェルが流通についての意見を加え交えつつ、それならばとギーゼラが営業体制を計画し、いつしか王都1号店から各々の領地への支店まで話が進んだ頃。


『――そういえば、最終公演どうだった?ギーゼラ』


ふと、ヴィヴィカが思い出したのはつい先日の事だ。


入学して一段落ついた頃だろうと、アーデルヘルム殿下から声掛けがあったのだ。

長くはならないからと形式ばったものではなく、ただ殿下の執務室傍の応接室でお茶を頂く程度のものだったが。

そこには主であるアーデルヘルム殿下とレイチェルの姿はあったが、ギーゼラはいなかった。

様式美となっているような気がするが、ヴィヴィカは口にしたのだ。


『ギーゼラ嬢の本日のご都合は?』と。


黄金の瞳をゆるりと弛ませ、彼は泰然とヴィヴィカを席へエスコートしながらこう返した。


『今日は憧れの女性に(はなむけ)を贈るらしい』と。


珍しい理由に興味をそそられ詳しく聞けば、どうやらギーゼラには二人と出会う前から憧れていた女優がいたものの、彼女は病に倒れ舞台から遠のいていたらしい。

根気ある治療と女優自身の努力のかいあって、数年振りに観客の前に舞い戻ったという訳だ。

ただ、年齢の事も考慮し、今回の興行を最後に引退するとのこともああってか、ギーゼラは『這い蹲ってでもどうやってでも最終公演絶対行く』と、妨げるもの全てを呪わんという氣を漂わせ息まいていたそうだ。


『その女優さんのお話も少し伺ったわ。

 彼女にご挨拶できたの?コネはこういう時に振り回さなければ』

『ん?二人にそのお話したかしら私?』

『え?』

『あら』


暫しの無音が流れ、誰よりも先にそっと茶器を傾けたのはギーゼラだった。


『気にしないで。

 劇場って言っても下町のものだったから、誘うも語るも自分で狭めていただけなのよ』


つまり、ギーゼラが誰に話したのか。

話せると認めた範囲の中に誰がいるのかをギーゼラ自身はよくよく分かっているという意味でもある。


『腹立たしいわ…あの御方が引退して、その素晴らしさを現に共有できなくなった途端にコレよ』

『そ、そう言われてしまえば、頷いてしまう私がいる…』

『ええそうよ!もう現物支給はないのよ?!私の語彙力じゃあの御方の気高さを語れない!』

『再販されない幻のお菓子みたいね』

『口にした者だけが味わいを知る至高の甘露よ、人生そうありたいわね』

『誰だってそうよ、ただ自分の味を知らないだけ』

『やだ大人』


少女達の軽やかな笑い声が、先ほどの無音など無かったかのように東屋を満たす。


『次から数えてやるから事後報告で構わないわ、教えて』

『『…………』』




 こうした流れがあり、ギーゼラは殊更に一人で呼び出される事に警戒心があった。

まぁ、偶然出席者がギーゼルだけだった日の王太子妃教育後に声が掛かったり、アーデルヘルム殿下がシュタット公爵家に来る時は別に良いのだ。

急遽二人を召喚するほど、顔を見るのも嫌ではないし二人で話すのが気まずい訳でもない。

なんたって腐れ縁だし、幼馴染だ。

場合によってはブラッツとエカードも混ざって遊び、こいつ今イカサマしやがった!とカードをばら撒き喚く時もあるのでちょっと二人には見せられない。


そうこうしている間に見慣れた執務室の扉が目前に迫っていた。

普段は誰何する側のブラッツがノックしていると、何となく学院内ではないような気がしてしまう。

今この瞬間も真面目に仕事をしている筈なのだが何故こんなに彼の傍は気が抜けてしまうのか。

腐れ縁のせいだな、と一秒も経たずに出した結論を右から左に流し、淑女の仮面を着けたギーゼラが歩みを進める。


「ギーゼラ・シュタット、御前に参りました」

「ん」


そこへ座れとばかりに顎で向かいのソファーを示すこの部屋の主は、開いていた書面を閉じ、護衛はブラッツだけを残して退出するように指示を出した。

まだ暑い日が続くというのに窓は閉められたままだが、贅沢なことに空調の魔法具が使用されているのか居心地は悪くない。

ただ日当たりのよい執務席は座っているとやはり応えるのだろう、アーデルヘルムは制服の上着を脱ぎ、シャツの袖を捲っていた。


「あれ?ギーゼラ嬢前髪切った?」

「切ってません、切ったのは殿下でしょう」

「お、気付いたか」


悪戯に成功した悪ガキのように、くしゃりと顔を崩してアーデルヘルムが嗤う。


「見てみ、後ろも夏仕様」

「刈り上げすぎでは?」

「襟足長いと暑いんだよ流石にこの時期は」

「まぁ顔が良ければ髪なんかあっても無くても変わらないわよ」

「変わるわ流石に」


打って響く軽口を投げ合っている間にイーダがテーブルの上に茶器を手早く整えてゆく。

心地良い香りが部屋を満たした頃、そっと一通の封書がギーゼラの前に押し出された。

一口、淹れてくれた侍女に変わらぬ感謝を零し、視線を封書からアーデルヘルムへと向けた。


「目を通す許可は、ギーゼラ嬢だけだ」

「…イーダ」


音もなく一礼と共にイーダが退出する。

部屋の中に残されたのは、王太子殿下と、その婚約者候補の一人と、近衛騎士だけだ。


「何だと思う?」

「さぁ、お兄様の逮捕状とか?」

「やめてさしあげろ」


冷えた面持ちのまま封書を指がなぞるのをじっとアーデルヘルムの眼が追うのが分かる。

紙の掠れる音は小さくも、どこか大きく聞こえる。

こうも沈黙されるととんでもない内容を知らされるのでは?と茶化して口に出したい気持ちを、顔にも、勿論実の言葉にもせず、ギーゼラは書類を取り出す。


封書から取り出された書面の上を、微かに青い瞳が追い動くのはきっとアーデルヘルムの背後に立つブラッツにも見えていることだろう。

その色に、驚愕も困惑も混ざらないことも分かっていることだろう。


ギーゼラが読み込むのは、とある長閑な田舎に住む平民の少女が保護された件の調書だった。

そこに記された内容を考えれば、『婚約者候補』よりも『シュタット公爵家の者』として呼び出された面が強い気配がする。

それにしても、だ。


「――私に知らせるのは、いささか性急では?」

「そう、かもしれない」


思いの外掠れた声のアーデルヘルムが不思議で、また煮え切らぬ判断をするなど珍しいとも思い、ギーゼラがぱちぱちと目を瞬く。

その様子があまりにも間抜けだったのか、彼は彼で、なんだか笑えてきたのを誤魔化すように、苦笑いを浮かべ背もたれに身を預けた。


「この度発見された、光の魔力が特段に強い少女――『聖女』が、早ければ今年の冬の社交で披露目となる」

「言い出しっぺは?」

「教会主義に決まってるだろう」


この大陸では生きとし生けるものに魔力という力が宿っており、それを行使する術を魔法と呼ぶ。

属性や力の大小の差はあれど、殆どは体外へ影響するものだ。

しかし光の魔力だけは()()へ影響する力であり、また、人へ施せるほどの魔力量を持つ者となればそう数は多くない。


また、魔力は生命力と直結している。

故に光の魔法を使う者はその献身的な姿から人々から崇められると共に、教会という集団を形成し、個々の力を保護するようになった。

教会主義とはその呼び名の通り教会の権威を謳う一派だ。


光の魔力は治癒や育成の力。

この唯一無二の特性はどの時代になろうとも変わらず、歴代の聖人聖女となった人物の名は今もなお大事に残されていることを考えれば、この書類に記された『聖女』の未来図もおのずと見えてくる。

高い魔力、つまり貴族階級であり、それを揮う才能がある者の一部は、ギーゼラの兄エカードのように教会に腰を据えず勤めることが叶うとも聞く。


まぁ、情報源がそのエカードであり、彼は招集を三度に一度はお布施でブン殴って黙らせているような男でもあるため話半分で聞いていたが。

『聖女』という大層な御方の名前が出ると成程その話にも現実味が出てくるものだ。


「本当にお兄様の逮捕状を出して頂こうかしら」

「教育担当者予定なんだ、断固拒否する」

「そうでしたら、今私にお知らせ下さったのはありがたいですね」


どう考えたって悪天候が予想される界隈に、幾ら多少雑に扱っても大丈夫な兄といえど投げ出しておくのは気が引けるのというのが家族心だろう。

回収へと引きかけた兄の手綱を、どうしたものかと脳内で玩ぶ。


ただ、この話にも彼は金貨の袋を振り回しそうなのだが、こうして王家の人間が語るところを考えるとどうやら流石に今回は手を下げたのであろう。

そしてアーデルヘルムが予定の段階にも関わらず情報開示をしたのなら、我が公爵家がその責を担うことを父が受け入れたとも察する。

これにはギーゼラも背を正すしかあるまい。


それにしてもエカードの為人を良く知るこの二人が、この計画を見て、代案を出さなかったとは思えないのだが。


(半年もないのに教会主義を殴り黙らせる棒は手に入るのかしら?

 ああ、だからこそのお兄様なのね)


そうと察すれば次は意識の擦り合わせだ。

封書を開いてからというもの、アーデルヘルムが何を歯痒そうにしているのかは未だ推察が及ばないけれど、そこもこれから解いてゆけばよい。


「お兄様なら冬と言わず、秋の半ばと言いつけても十分でしょうに」

「再来年の?と返したいところだが流石に報復されそうだ」

「多少は手綱を取りますけど、正直私にもどうなるか見当がつかないわ」


流石に再来年まで時間を稼げというのは冗談であろうが、遅い程良いと言外に示すのは、教会主義の切り崩しに手間取るという彼の見立てだろうか。

生憎ギーゼラには教会主義の表面的な情報しかないし、相手も敢えて語ろうとする気配はない。


現陛下の治世は他国との武力的軋轢も無く、内政も落ち着いている。

それもあって教会主義はこれ一つ頭を出せないと考えているようだが、実際は冒険者ギルドの連携やエカードのような貴族の出入りが大きな動きを阻害しているのだ。


だからこそ教会主義は旗頭を早々に求め、立てるからには上辺だけでもそれなりにしようと、内部は上へ下への大騒ぎをしていることだろう。


夏の終わりには王都へ到着する予定の『聖女』は、ギーゼラと同い年の、権謀術数とは程遠いだろう平民の少女だ。

思想を染めるには育ちすぎで、単純な駒として売り込むには程よい年頃とも見える。

調書から得られる情報を見て教会主義のやりそうな手をいくつかの脳裏に浮かべるが、ただまずその第一関門が中々に越えがたい。


「それにしても養子縁組先がヘッセン男爵家とは、よく教会主義を抑えましたね」


ヘッセン男爵は名の通った敬虔な教会信者だ。

彼の人柄は広く尊敬されており、野心を宿した単純な輩は容易に近づけないだろう。

教会上層部としてはもっと高い爵位持ちのところに入れたかったであろうに、よくこの話を呑ませたものだ。


「エカードの推薦だと話したらヘッセン男爵は涙して喜んでいた。

 いやぁ、男の涙も使う場によってはあれ程の武器になるとは、寡聞にして知らなかった」


カラリと笑う姿を見れば、その結果を引き寄せたことに目の前の人が尽力し、納得もしている様子が分かる。

ほぼ歳が変わらぬ無辜の民が徒に腹黒共の手に落ちぬよう、アーデルヘルムなりに心を配っているのだろうと思うと、こちらまで気持ちが温かくなる。

改めて良い統治者の治世に生まれたものだと、ギーゼラの口元は自然と柔らかく緩まった。


「殿下方の心配りが彼女に余すことなく届くよう、シュタット公爵家も尽力いたしましょう」

「ありがとう、ギーゼラ嬢がそう言ってくれるのが何よりも心強い」


言葉だけを聞くと穏やかなのだが。

不穏な気配を感じギーゼラが早々に笑みを引っ込めると、黄金の瞳がぐっと身を乗り出し、その色の中に自分が映っているのも分かるほど少女に差し迫った。


「殿下」

「春を穏やかに迎えたいと願うのは、何だったら教会主義の大半もそうだ」


何だったらとか言っているが、恐らく彼が手を回し教会主義の中でも過激な派閥が孤立するようにでも仕組んだのだろうに。

その程度は、路肩のズタ袋に砂でも詰めて振りますごとく気軽に用意する男だ。


「しかし春の後は光の魔力が最も高まる夏が訪れる。

 今年は先延ばしを後押しする要素も多くどうにかできたが、来年の披露目を退けるのは難しいだろう」

「心中お察しいたします。

 しかし私のような浅学の身では、殿下が思案する程問題を先送りにする理由まで思い至りません。

 力ある者、『聖女』が見つかる事は慶事でございましょうに」

「…そうだな、才ある者が正しく評価されるのは喜ばしい事だ」


『聖女』が正しく力の使い方を修めるのは勿論のこと、平民である彼女が今後貴族と関わるに際し、礼節を学び一定水準まで身の振り方を得るには相応の時間を要するのは分かる。

ただギーゼラが言うように、『聖女』と称されるに値する術者が世に出るのは事実喜ばしい事であり、乱世であれば冬を待たずに披露目だけはされていただろう。


故に、これほどまでアーデルヘルム殿下が苦心する理由がギーゼラには分かりかねる。

それでも長い付き合いなだけあって、彼が彼女に意見を求めている訳ではない事は分かってしまう。

黄金の瞳に映る姿から視野を広げれば見慣れた精悍な顔がそこにはあった。


「殿下?」

「ああ、今日は色が違うのか」

「色?」


急に何をと小首を傾げれば、アーデルヘルムはゆるりと笑みを浮かべ乗り出していた身を下げた。

遠くなった視線は未だギーゼラへと向けられ、今度は全体をじっくりと眺めては静かに頷いている。


「瞼の化粧だ。いつもは寒色が多いだろう?

 目元が明るいから、前髪を切ったと思ったのだが今日は柔らかい色味なんだな」

「最近部屋付きに上げた侍女が選んだのです、良い色でしょう」

「うん」

「その子と一緒に選んだ、同じブランドで少し色味違いをあの二人にもお渡ししたの。

 見かけたら是非褒めて差し上げてね」

「渡した色味のヒントをくれる訳じゃあないんだな」


くっと喉を低く鳴らし目を伏せるこの人ならヒントを与えずにも、今、ギーゼラの些細な変化に気付いたように目敏く見逃しはしないだろうに。

冷め切った紅茶を入れ替えようとした視線はアーデルヘルムが首を振って止め遮った。


「――『聖女』を、来年一年限りで学院に在学させる」


黄金は未だ茶器から視線を上げないまま、彼はそう告げた。


「右も左も分からぬ少女を庇えるのも夏の祭事までだ。

 それまでに学院で貴族社会に慣れさせ、彼女自身に同年代との縁を与えたい」


学院に居るのは同年代と言えど社交界デビューを終えた子女ばかりだ。

大人達に混ざる前の予行練習にも丁度良いし、良い縁も悪い縁も、選別が容易いだろう。

調書では分からない『聖女』本人の為人に触れられるのもギーゼラとしては助かる。


が、些かアーデルヘルムが担い過ぎにも思えた。

それこそ次の治世を任される王太子としては主体的に関わるべき問題であるのは確かであれど、今まで婚約者候補として共に解決してきた事案とは何かが違う気がするのだ。


「ギーゼラ・シュタット公爵令嬢」

「はい」

「君が筆頭となり、学院内での『聖女』の補佐を頼む」

「家名に掛けて命を遂行致しましょう」


恭しく下げた顔の脇をさらりと髪が滑り落ちる暗い視界の中、ああやっぱり碌でもない話だったと脳裏で一人愚痴る。


こうして密やかに、王太子婚約者候補が突如転入してきた少女との関わりは命じられたのだ。



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