14:女神の喝采よ、高らかに
14話、15話続けて投稿しております。
「嫌だわ、いつから貴方従僕を始めたのメールス公爵令息」
「聞けば驚くだろうが殿下の許可ありだ」
王城に着くと早々に顔を合わせたのがランハルトだとは何と幸先が悪い事か。
ギーゼラは淑女の仮面を付けなくてもその顔から感情を抜き、冷え冷えとした視線で男を睥睨する。
馬車の中まで差し出された手が周囲からは見えないのをいいことに、この男はギーゼラをおちょくっているのか、ふらふらと猫でも宥めんと揺らして遊んでみせてくるではないか。
行き交う人が少ないからか、彼がちちちと舌を鳴らす音まで聞こえてきた。
誰が警戒心丸出しの獣だ。
「そのツラ後でへしゃげてやるわ」
「このツラで哄笑してやろう」
今すぐに、それこそ獣のように己の爪が伸びる魔法でもないだろうか。
減らず口を叩いているとは全く見えない余所行きの面持ちで二人は優雅に王城内へと足を向けた。
ランハルトは殿下の指示でギーゼラを迎えに来たと告げた。
つまり逃がす気はない、という事だ。
早々に圧倒的武力による制圧で喉元を押さえに来るとはいよいよ只事ではない。
ギーゼラは、ローグの穏やかで無害な姿が恋しく思えた。
「学院では組が違うけれど健やかにお過ごしかしら?メールス公爵令息」
「それはもう恙無く、殿下の御側で尽くす喜びを噛み締めております」
「まぁ!貴方の力があれば御身はさぞ穏やかでしょう」
「シュタット公爵令嬢のお力には及びませんよ」
主教室が異なるのは仕方が無い事だが、ローグを通してでも大して情報を寄越さないとは何事だと詰るギーゼラを、ランハルトは忙しいの一言で跳ね退けた。
しかも忙しいのはギーゼラ、お前のせいだとまでも言い連ねてきた。
何とも失礼なと内心、少女は憤慨する。
彼女としては当初不安視していた聖女ともしっかりと縁を繋ぎ見守り、更に可及的速やかに事案を鎮静化した功労者だと己を高く評価している。
例え、対処の骨組みとなった情報を迅速に集め纏めたのがランハルトだとしても、エカードを動員するような策を採れるのはギーゼラだけだという自負もあるのに、この言い様は頂けない。
それとも何か、殿下達が起こそうとした行動を阻害したとでも言うのだろうか。
だったら黙っていないでさっさと情報を寄越せば良いだけだったのだ。
人を除け者にしておいてその言い草は無いだろう。
漏れ出しそうになる怒りを笑顔でしっかりと蓋をして、ランハルトを見上げる。
彼は前を見ていた視線をちらりとギーゼラに寄越してすぐに戻した。
「嫌味な考え方をするな、うざったい」
「お顔が怖いわ、メールス公爵令息。
レイチェルが見たらきっと怯えてしまう」
「こういう顔だ失礼だなやめろ想像しただけで今心が折れそうになった」
軽やかな会話を挟みながら殴り合う二人の周囲は、王族や高位貴族が使用する執務室の並ぶ空間に入ったからか人影は殆どない。
だからか、ランハルトは少し溜息を吐いて小さく呟いた。
「お前らがごちゃごちゃしてると俺の計画に支障が出るんだよ」
「任せなさい、期待に応えてみせるわ」
「言ったな?確かに聞いたぞ?」
目的地前で彼はわざわざ足を止め、ギーゼラと対面してしかと確認をする。
期待に応えるとは、ランハルトの計画を掻き乱す方向でなのだが、分かっていてわざと揚げ足を取りにきて念を押すとは何事だろうか。
思わずギーゼラは虚を突かれて目を瞬かせている間に、彼は執務室に到着を告げ取っ手に手を掛け押し開く。
「敵前逃亡など言語道断、行け、死んで来い」
「貴方本当…その口の悪さどうにかしなさいよ」
「人は選んでいる」
光栄に思え、と一言添えた悪辣な笑顔が閉じられた扉に遮られる。
呆れた溜息を落として振り返ったギーゼラの瞳には、執務机の重厚な椅子から立ち上がるアーデルヘルム殿下の姿が映った。
「来てくれてありがとう、ギーゼラ」
「初めから随分なおもてなしをありがとう、アーデルヘルム」
気安い声掛けを受けギーゼラも態度を崩して応えた。
あの日のようにわざと慇懃な態度をとることも出来たが、ランハルトにしてやられたようだ。
きっと迎えに来たのがブラッツやローグでは、ギーゼラの意地をここまで強引に圧し折れない。
此処まで考えていたのなら、いよいよ恐ろしくなってきた。
「こうも悪辣な手を使えるようになったと知れば陛下もお喜びになるでしょう」
「君の差配を聞いて母上も手を叩いて笑っていたよ」
「いじわる」
言外に、父親に言いつけるぞと脅したところで、学院での案件についてまで王妃も知るところだと示され、むっとギーゼラが口を尖らせるとアーデルヘルムは苦笑を浮かべた。
「とにかく座ってくれ、長くなる」
「短くして頂戴、来客を待たせているの」
「来客?ああ、聖女か」
ソファーを指し示すが徐に下ろされ、彼は何かを思い出すように頷く。
平然としているその様子がなんだか気に食わなくて、ギーゼラは口を開いた。
「彼女から聞いているのなら、猶更何故こんな急に呼び出しを?」
「私が気を揉んだだけだ」
「何に?私が彼女に何かすると思って?」
「どうしてそうなる…。
いい、いい。とりあえず座ろう」
座るよう促さんと伸ばされた手を払い退け、キッと少女は男を睨み上げた。
「立ったままでも話は出来るわ」
「座ってくれ、すまないが此方が持たないんだ」
互いに引かずじっと視線をぶつけ合う。
何時だって穏やかな彼の金色の眼が、どこかぎらついて見えて、ギーゼラは唾を飲み込んだ。
やがて盛大な溜息を吐いて、エスコートもなしにソファーへ腰掛ける。
それを見届けると打ち合わせたかのようにブラッツが扉へと向かう。
「ギーゼラ、侍女を下げるぞ」
「なりません」
「ギーゼラ」
「私は婚約者候補よ」
人払いをし二人きりでの会話を望まれても、受け入れる事は出来ない。
遊びで、テーブルの下に一緒に隠れられた幼い頃とは違うのだ。
普段の茶会も、遠乗りでさえも誰かしらの眼があるようにするのは当然だし、ずっとそれを彼も守ってきてくれた筈なのに。
何故ブラッツまでアーデルヘルムの暴挙に従っているのか。
悔しさでギーゼラの唇が微かに震えた。
「ブラッツ、私の心を護って」
強くも潤んだ眼差しで、扉の傍で立ち止まっていた男を見つめる。
近衛騎士としてではなく幼馴染として希うその言葉に、彼はぐっと奥歯を噛み締め拳を握った。
「…扉を開き、そのすぐ傍に立つ。
そこまでしか俺は譲歩出来ない」
「ブラッツ」
「殿下、私は侍女を下げるまでは伺っていませんよ」
「…すまない、ありがとう」
どうやらイーダを下げる事までは、ブラッツも聞いて無かったようだ。
はぁと溜息を零してアーデルヘルムは額を押さえ俯く。
「ギーゼラ、侍女をブラッツと同じように扉の外、すぐ傍に置く。
それでも受け入れてくれないか?」
「…イーダ」
「畏まりました、お嬢様」
一礼し、イーダもブラッツと同じく扉へと向かい、その身体が見えなくなった。
扉は開いているとは雖も半分以上は閉じられており中の様子は窺えないし、中に残された二人からも外で待つ彼らの姿は見えなかった。
俯いたまま、何度か手を握っては解くアーデルヘルムはといえば、ソファーに腰掛けず緩慢な動きでギーゼラの前に跪いた。
少女の膝の上で硬く閉ざされたままの手をそっと掬い上げ、あやすように両手で優しく握りこむ。
「まずは先日の傷害事件について、迅速に動いてくれてありがとう」
揺蕩うような声色は穏やかで優しい。
先程の、妙に剣呑とした空気は既に霧散していた。
「見事だった、君だけが採れる手とはいえあれだけ早く思いつき行動出来るのは流石だ」
苦笑しているのは、彼が思うように動かせない兄の事でも考えているのだろうか。
一つ何かを飲み込んだ後再びアーデルヘルムは口を開く。
「正直助かったよ、私はもう…いっそ全て薙ぎ払ってやろうかと自暴自棄になっていたから」
穏やかで理知的な彼がそう思うのは余程の事だ。
そこまで理性を綯い交ぜる激情を抱いたのは、彼女の為なのだろうか。
握られた手の大きさが、自分と全然違うなと今更ギーゼラは思った。
「情けなくも全て君のお陰だ」
「…そう、私、貴方の力になれたのね」
ぽつりと零れた言葉が、ギーゼラの心に波紋を広げる。
何故だか涙が溢れてきた。
それを散らすように瞬きを繰り返すのを、彼が見ているのが分かる。
「でも、ごめんなさい…私、一番大事なところで貴方の力になれそうにないの」
「…すまない、どういう意味だ?」
落ちた涙を拭う事すら許さないと、硬く手が握られる。
熱いのは、自分か、彼か、分からないくらいに隔たり無く溶け合う心地に眩暈がするのに、身体の芯は凍えるように震えているのだ。
「貴方が想う方の、心を、私ではどうにも出来ない」
王城に来る直前、エミリアがギーゼラに告げた本音を偽る事が出来る筈も無かった。
あんなに真っすぐに懸命に生きる彼女を、ギーゼラは慈しみたい。
例え、長い時間を共にした幼馴染の為とは言え、あの笑顔を曇らせる事など考えたくない。
「ごめんなさい…ごめんね、アーディ…!」
ぽろぽろと大粒の涙が赤らんだ頬を滑り落ちる。
それを、彼は黄金の眼を細め、じっと見つめていた。
「私じゃ、恋が…分からなくて…貴方に幸せに、なって欲しいのに!」
「うん」
「ごめんなさい、ごめんなさい…!」
「ギィ、どうして君が泣く?」
頬の中がぎゅっと痺れる心地を堪えるギーゼラは未だ止まらない涙を、重ねた手の上にぽたぽたと落としたまま弱く頭を振った。
「だって、私じゃ…貴方の力になれない!」
「君はいつだって私に力をくれるのに、何を恐れている?
教えてくれないか?」
「…っき」
「き?」
「きら、いに…ならないで」
彼はずっと、幼馴染のギーゼラを大事にしてきてくれた。
温かく、慮ってくれた。
だからギーゼラもそれに応えようとしたのに、結局、優先したのは幼馴染の彼よりも日の浅い友情。
「わたし、わたし…!アーディの力になれなかったのに、ほっと、してるの」
慈愛に満ちた子だと褒められたりした。
けど、結局己の心の浅ましさに負けてしまう程度の、思いやりなのだ。
「あの子が別の人を、好きになって…良かったって…!」
思い返せば、ずっと、彼の隣に一人の女性が居るのは見た事が無かった。
婚約者候補の二人だってそんな姿をギーゼラには見せた事はない。
だから、エミリアと並んで腰かけ、笑い合っている姿がやけに網膜に残ったのだ。
人が誰かを好きになって、恋をして、結ばれる様子なんてたくさん、見てきたのに。
アーデルヘルムに置き換わった瞬間に世界が揺れたのだ。
自分がずっと見ていた世界を、自分以外の他の誰かが得るのかと思うと目の前が暗くなった。
寂しい、寂しい。
どんなに他の人が愛情で包んでくれても、その寂しさは心の中でずっと燻ぶった。
「それなのに、知られれば呆れて、嫌われるって、それが嫌で、自分勝手で」
「うん」
「嫌わないでアーディ…!」
「うん」
「な、なんで、ちゃんと顔、見せなさいよ!」
「うん」
相槌を打つ声が適当だ。
彼は、握ったギーゼラの手を額に当てて俯いたまま顔を上げてくれない。
その黒檀の髪に少女が顔をうずめ、いやいやと額を擦り付けるのにもされるがままだ。
「ギーゼラ、ギーゼラ…ギィ」
下から持ち上がらんとする力に、ギーゼラもゆっくりと顔を上げる。
滲んだ視界の中でもはっきりと分かる程近くに、アーデルヘルムの顔があった。
「ギィ、君は恋が分からないと言ったね」
「馬鹿にするの?」
「違うよ、何でそう喧嘩腰なんだ」
「だってアーディ、笑ってる」
「笑うよこんなの」
堪えられるわけないだろう、と頬を赤らめて答える彼の吐息がかかる。
「ギーゼラ、恋が知りたいのなら私としよう。
私以外と、しないでくれ」
握られた手の方が触れている面積は大きいのに、ふとぶつけられた鼻先の方が意識を奪う。
唇に掛かる吐息の熱さに、思わず息を止めた。
「随分と長く、私は、君に恋をしているから、きっと力になれるけれど、不安もあるんだ。
ねぇ私の一番大事な人、力を貸してくれないか?」
一緒に、恋をしよう。
その誘いの甘さが脳を、身体の芯を痺れさせた。
懊悩を讃えた黄金から目が離せず、薄く開いた唇に何度も、熱が吹きかかる。
もっと近くに、けれど堪えよと、寄せては返す波のように、切なげにアーデルヘルムの瞳が弛む。
「ギィ、好きだ」
肌に直接塗り込むような恋情にギーゼラは顔を覆いたくなった。
それなのに、未だ両手はしっかりとアーデルヘルムが握ったままで動かせない。
振り解こうとする意気込みすら、彼から匂い立つ気配に、皮膚一枚下で抑え込まれていた。
「好きだ、愛してる、私は君しか欲しくない。
そう告げるのに…どれだけ我慢させられた事か、何度分からせてやろうと思った事か」
「あ、アーディ」
「怖い?」
目線を外した少女を是と捉え、彼は堪らず赤く腫れた目元に唇を落とした。
一度だけでなく、何度も何度も繰り返されるその仕草は幼い頃以来だ。
「隣に座らせなくて正解だったろ?」
懐かしさにちょっと肩の力が抜けたのを見抜いたのか、彼が苦笑して言う。
緩んだのはギーゼラの硬直だけでなく、アーデルヘルムが纏う、息も出来ない程の激情もだったのがどこか寂しく思えた。
あの匂いが、彼から立ち昇る少女の知らなかった一面が、恋しくて。
そっと握りこまれた手を引き抜き、冷えたソファーを白い指先で撫でる。
「…きっと、怖いのは飛び降りる時だけ、よね」
ちらりとアーデルヘルムを見やり、呟く。
彼はその目を瞬かせたと思うと両手で顔を覆い天を仰いだ。
「やめろ、駄目だ、私は座らないぞ今日は」
「不安なの?」
「私の理性がな…ギィに嫌われたくない」
「私達お揃いね」
くすくすと笑うギーゼラの声音を聞きながら、アーデルヘルムは力なく座面に突っ伏す。
「好きだ…」
呻くように呟く男が随分と可愛く思えて、そっとその柔らかな髪を撫でる。
いつもより、ずっと心音が跳ねるのは何故だろう。
微かに指先が震えているのを彼が気付かない事を願うばかりだ。
「私も言った方が良い?」
「え」
思わず、と言った風にアーデルヘルムが腕の隙間から顔を向ける。
やっぱり彼が可愛くて、ギーゼラはむずむずする口元を噛み締めながら、努めて余裕のある面持ちを作る。
「こういうのは、きっと安売りしちゃいけないのよね」
「ギーゼラ、君、本当に恋を知らないのか?」
転がし方が熟練のそれな気がするぞ、とぼやく彼の目元に唇を寄せ、少女は囁く。
「エミリアへの嫉妬も、アーディと離れる苦しさも、知らなかった。
それを教えてくれたのが貴方よ、私の一番大事…かもしれない人」
嬉しいと、悔しい、を綯い交ぜにした黄金が、赤くなった目元には良く映えた。




