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13:舞台袖から猫


「私の為に、その身、尽くして下さる?」


金糸で編まれた繊細な刺繍の一つ一つが光り輝くように煌めき、深い血と愛で紡いだ布が艶やかに厳かに彼女の身体を抱き他を控えさせる。

重なる裾が生む影は深淵のように蠢いては、覗き込まんと人を奥へ怪しげに誘う。

細く小さな爪先にも衣と同じ紅を伴い、一層肌の白さに目が眩む。

結い上げた銀髪は冠無くともそこに神威を授かったかのように燦然と威光を放つ。

その小さくも威厳ある頭を撫で愛でるように金の草木が這い護り、賛美するように揺れてはしゃらと喜び讃えた。


眼前に降り立った女王に、エカードは万感の思いで言葉が出なかった。

そんな自分を恥じるように恭しく膝をつき、差し出された華奢な手を取る。


「この肉も骨も血も、魂も差し出しましょう。

 矮小な僕で足りるだろうか?奇跡のように美しい夜海の女王よ」


眩しいものを見るように煌めきを湛える蜂蜜色の瞳を睥睨し、青もとろりと色味を増す。


「貴方で足りないならば私もその身を差し出すまで」

「ならば僕は神をも引き摺り下ろしそれを防ぎましょう」


嫣然な仕草で跪く男の頬を撫ぜるかと思った指先は、軽やかにその銀髪を揺らすに留まる。

熱を追い求め焦がれる様を艶やかに笑う女王に、増々男は身体を喜びに打ち震わす。


「さぁ、供をなさい私の聖者」

「至上の命を賜らん」


こうして、シュタット公爵家の麗しい兄妹は美しく着飾り、身を寄せて馬車に乗り込んだ。

向かう先は王都の中でも広大な土地を持ち、荘厳と清廉を纏い佇む大聖堂。


つまり太陽の高い時間から正面敵地に殴り込みをかけたのだ。


まぁそこでの一方的な殴殺については概況に留めるが、それは見事なものだった。

出会い頭、まさかシュタット公爵家の深窓の珠が随行しているとは知らされていなかった枢機卿と司教が転がる様に出迎えをする場でエカードが放つ。


「キミが訪れた先ではその眩さを受け、すわ新たな女神の降臨かと民草が惑おう。

 どうか堅牢な屋敷で隠されていてくれと言い募ったのですが…。

 どうしても我が最愛は優しすぎるもので。

 学友の過ごされた場が如何なるものか気になって、日々萎れてしまうのだよ」


まず顔を右から殴打。

態々お前らなんかに見せたくない最愛の珠玉を連れてきてやったのは何故だか分かるか愚か者。


そしてその勢いのまま左からの殴打。

この優しい妹は、お前らが聖女に何吹き込んだのか心砕いてるんだよ。

何してくれてやがる兄の面目潰す気か、と。


「敬愛するお兄様が、彼女を慈しみ日々をお守りしていらっしゃったのは存じ上げております。

 如何に心安らかで学びある時であったのか彼女からも聞き及んでおりますの。

 しかし、その慈愛は濃くも傍でこそ香しいものだったご様子」


すかさず妹が顎を砕く。

権威ある兄が教育していたのも勿論把握しているし、私ちゃんと聖女と交流あるからな?

教会は後援も勢力統制もまともに出来ないのか?

兄じゃないと庇護すら務まらないとは能無しの集まりめ、潰すぞ。

お前らが掲げたい少女を我が公爵家に引き入れるなど容易いんだよ馬鹿、権力舐めるな、と。


涼やかな笑みを浮かべながらも、まるでその手には重量級の鈍器を持った少女が言葉で嬲る、嬲る。

こうも直に物申された側は震えあがり胃の辺りをぎゅっと掴んで背を歪めた。

それは奇しくも、女王の威厳に屈服し礼をするようだった。


さて、耳ざとい貴族たちはこの白昼の一幕を知り、すっ飛んで学院の情報を集めた。

そうして自家の者が如何に関わっているのかによって青くもなり、安堵に胸を下ろすものも居た。


こちとら学院を休んでまで朝から仕度をし、足を運んでいるのだ。

多少の糸は撒いたものの、教会を叩くだけで益を満足するようなギーゼラではない。


更に態々彼女自らの手で、教会に力ある兄という手札を切ったのだ。

無傷でこの策を取れるのは後にも先にも溺愛された妹だけで、王太子ですら条件付きで動かさざるを得ない人物であるのは百も承知だ。


故に効力は抜群で、数日も掛からず魚群は散った。


要は、ギーゼラは学生の身で幾ら騒ごうと有象無象、彼等は所詮家の付属品と見做し、華麗に無視した。

ご丁寧に実行犯に高説を垂れるなぞしてやる訳がない、学院など狭い劇場の幕に誰がなろうか。


家の意向を受けて動く者も、家への余波を恐れる者も、一纏めに上からとっ捕まえて締め上げる。

それが教会主義の末端であろうが、公爵家に媚び売る家であろうが関係なしに、だ。

権力を振り回す時は振り回す、それはもう豪快に。

容易い策に乗るような軽率な輩程よく飛んだことであろう。


正しく黒幕は、その美しさを毅然と誇り、群衆の前に姿を現したのだった。


「ああ、流石、僕の至上の女王は美しい!

 魅惑の唇から零れる吐息の一つ一つが箴言となろう!」


帰路の馬車の中でエカードがそれはそれは嬉しそうに哄笑する。

隣に掛けたギーゼラもその肩に頭を乗せ、のんびりと頷いた。


「ありがとう存じます、私のお兄様。

 傍で支えて下さる腕が如何に心強かったのか、この胸を開いてお見せ出来れば良いのに」

「その、深く静かで嫋やかな夜海が十二分に語ってくれるよ。

 キミの為に生きて死んで、僕はまた新たな命を得るんだ。

 この喜びの産声こそキミの耳に届いているのかな?」

「ええ、ええ、何度でも。

 確かに私の心を歓喜で震わせてくださっているわ」

「フフンあのクソガキが臍を嚙むのが目に浮かぶ」


ここのところ、エカードはアーデルヘルムをこき下ろすのに嵌っているようだ。

悪いお口と彼の頬を撫でれば蜂蜜色の瞳は溶け零れ、一瞬でも意識が他の者に移った事を悔やむように小さく細い指先に唇を寄せる。


「お兄様だったらもっと上手に進めたのでしょうね」


此度の件は結局、アーデルヘルムの意向を聞く機会を待たなかった。

ギーゼラはエミリアへの次の被害を防ぐため電光石火で片付ける事を目的として動いた。

しかし、兄であれば更に何か足したり差配して、妹が思いもよらなかった結果を得たのだろう。


何処か悔し気な妹を覗き込み、兄は清廉な笑みを浮かべた。


「評価は嬉しいが、ギィはギィで考えたじゃないか。

 僕は、僕がその為に何か出来る事があり、僕の存在を欲してくれるのが至高の喜びなのだよ」


基本的にエカードはギーゼラのやる事を否定しない。

助言や誘導はするも、根本的には好き勝手にさせる。


幼い時、アーデルヘルムと手を挙げ合う喧嘩した時も、妹を抱えて守ることはあっても一国の王子を叩く事は止めなかったし何なら声援を送っていた。

ともすれば傲慢不遜な娘に育ちそうだが、仲裁にブラッツが入ったのが良かったのだろう。

彼女自身、兄の甘やかしにずぶりと浸かったままではいけないと、己を早々に律するようになった。


かといって彼の性根が変わる訳ではなく、歳を重ねても甘やかしてくるのだから堪らない。

ギーゼラはその親愛を歓喜するように兄の鼻先へ口づけを贈り、微笑む。


「私はお兄様のその愛を受けてこそ輝くのです。

 だから、ねぇもっと、可愛がってくださる?」

「その美しい水面の果て先までも、僕の愛で満たしてみせるとも!」

「嬉しい、週末が楽しみ」

「ええ…またアレ呼ぶの?僕と遠乗りに行こうよぉ…」


勇んでおねだりを聞いた癖に、週末にまたエミリア招こうとする妹の願いが己の思ったところと違うのかちょっとつまらなそうに口を曲げる。

それでも腕を組み、どんなお話が聞けるのかしらと楽し気なギーゼラを見れば言葉尻も小さくなった。


きっとギーゼラのその笑顔の奥には、暴挙に晒されたエミリアの事が心配だろうに。

面に出せば、兄が「根本はあの女なのでは」と排除する可能性まで見越しているのだろう、わざと堪えて前向きな表情を繕うそのいじらしさに免じて、エカードはそっと腕の温もりを愛おしむのだった。



 数日前から学院ではエミリアの傍にブラッツの姿があるのをギーゼラは目にするようになった。

豪奢な武装を解き制服に身を包んだ彼女とは違い、青年の腰には武具が下げられたままで、殿下の護衛であると示しつつも其処に主の影はない。


陽の差す暖かな庭で二人横並びに腰掛け、何やら笑顔で話している。

特に表情が明るいのはエミリアだ。

最初は随分な印象をブラッツに持っていたようだが、先日の事件で身を挺し庇ってくれたからだろうか、彼女の面持ちは柔らかで、弾む笑顔は誰もが慕う心を察するのに余りあった。


(あらまぁ、随分楽しそうで可愛らしいお顔だわ)


見ている此方も嬉しくなってしまうその姿に、ギーゼラは控室へ向かう廊下へ進む歩みを止めた。

淑女然とした面持ちに浮かぶ慈愛の色を目にできたのは侍女のイーダだけだ。


ふと、階下の渡り廊下の影で女子が纏まっているのが目に留まった。

そういえばと脳裏に過るのは、また新しい噂だ。

囁いて来たのが、寄子でもない淑女だったのがとても意外だったので覚えている。


なんでも、最近急速にエミリア・ヘッセン男爵令嬢と、近衛騎士のブラッツ・レーヴァクーゼン侯爵令息の距離が縮まっているのだ、と。


これは意外な事ではないが、ブラッツはその見目や例年の剣舞を知る年頃の淑女から人気がある。

誰にでも等しく穏やかな人柄も相まって学院でも密かに秋波が送られているものの、特定の人と話し込む姿が見られる事は無かった。

だからこそ界隈が軋んだ悲鳴を上げているようなのだが、それを本人は知ってか知らずか、今も穏やかにエミリアとの時間を楽しんでいる。


(ハンクおじ様に見繕ってもらうでなく、ちゃんと自ら選べる、審美眼のある人だものブラッツは)


まるで自分の家族を誇るような心地でブラッツを見ていると、視線に気づいたのか彼がふと顔を上げた。

見開かれる濃紺に、楚々とした笑顔を返せば何故か彼は怪訝な顔をしてみせた。

その様子にエミリアも視線を上階のギーゼラへと向ける。


彼女ははっと息を呑み慌てて立ち上がるも、あまりに勢いがついたのか身体が傾いだ。

咄嗟の出来事であっても、咄嗟に庇い抱き留められるブラッツは流石だ。

渡り廊下からはいよいよ悲鳴が上がっていたが。


(暗いお顔をしているようではないし、週末のお話がより楽しみだわ)


エミリアから話をじっくりと聞いたらブラッツからも是非、話を聞かなければ。

そう、ギーゼラはもにょもにょと緩む口元を指先で隠しながら着替えのため控室へ向かった。


妬みの声はするも、以前のような埃臭い下種な噂は立ち消え穏やかさを取り戻した学院の週末。

一通の命がギーゼラの手元に届いた。


(先週に続き、今度は殿下…!)


王太子の朱印が押された手紙に書かれた日時を何度も目で追う。

見間違いでなく、今日、今すぐの登城を命ずる書状だった。


「お嬢様、お仕度を」

「ええ」


今日は兄がエミリアとの面談の日であり、それこそ今まさに大聖堂で彼女と話している事だろう。

それが終わり次第、そのまま彼女を伴い公爵家に招くつもりでギーゼラは準備を進めていたのだ。


にも関わらず、差し込まれた殿下からの呼び出し。

登城するにも今の装いのままでは無礼に当たるため、身形の仕度を改めなくてはならない。

慌てながらも確実にギーゼラの部屋には衣装や小物が集められ、侍女達が足早に行き交う。


「お兄様への連絡は?」

「もう大聖堂を発たれた頃合いでしょう、如何なさいますか?」


言外に、エミリアの来訪を改めるよう請うには間に合わない、と侍女が答える。

ギーゼラは溜息を隠せず、衣装替えを終え、下ろしていた髪を結われながら額を押さえた。


「仕方が無いわ、彼女が到着次第事情をお伝えし、意向を問いなさい。

 求められれば私の帰宅までどうか丁重におもてなしを」

「畏まりました」


(全く!この権力の使い方、誰に学んだのかしら!)


数日前に権力を振り回した自分の事を棚上げし、憤慨する。

丁度化粧を施している侍女が、より儚げになるよう施すのに苦労したのは言うまでもない。


仕度が整うと、手間はさっさと片付けるに限ると早足で玄関へと向かう。

その姿が、仕事に向かう兄君によく似ているな、と公爵家の使用人は思ったことだろう。


回された馬車にいざ向かわんとした時だった。

敷地の門が開き、一台の馬車が滑らかに滑り込む。

ギーゼラは神の采配を心より喜んだ。


「お兄様!」


すわ未だ動く馬車にでも飛びつかん勢いの主を、イーダと護衛が慌てて引き留める。

逸るのを抑えきれない、とそわつく妹の姿を目にした兄が転がる様に馬車から出てくる。


「危ないじゃないかギィ!出迎えは嬉しいけど!

 その身に何かあったらと想像しただけで死にそうだ!!」

「ごめんなさいお兄様、あまりにお会いしたくて我慢が出来なかったの!」

「えっ何?やっぱり僕は死ぬの?妹が今日も愛らしくて最高!

 ただいま帰ったよ愛する妹よ!そんなに美しく着飾って僕を待っていてくれたのかい!

 さぁ暖かい屋敷の中で存分に愛でさせておくれ」

「私、王城に参りませんと」

「何なのあのクソガキ!?用事があるならアッチが来いよ!

 望みどおりボロクソにしてやる!」

「お、おう…不敬此処に極まり…」


ひょこりと顔を出したエミリアがぽつりと呟くも、憤怒で聞こえていないのかエカードはまだ喚いている。


「エミリア、今日はようこそ。

 でもごめんなさい…私、急遽王城に参上しなければならなくて」

「だからエカード様がこんなに荒れているのですね…」

「先週と連続して予定が狂ったのがお気に召さないのよ」

「あ、いや…それだけでは、多分、なくてですね…」

「エミリア?」


何か言いたげに口ごもり目線を泳がせるエミリアをギーゼラが不思議そうに見る。

彼女は、彷徨わせた瞳を凛と整えると、真っすぐに相手を見つめ、口を開いた。


「お急ぎのところ申し訳ございません、ギーゼラ様。

 私、貴女にお伝えしたいことがあるのです…将来の事、で」


決意に満ちた眼差しに、ギーゼラは息を呑んだ。

いつの間にか、騒いでいた兄ですら黙っていた。


ああ、遂に彼女は心を決めたか。

そう頭の片隅は冷静に受け止めているものの、指先にまで鼓動が震えをもたらすのを隠すよう握り締めた。


「教えて、でもこんな場所で良いの?」

「今言わないと、絶対に後悔するのですギーゼラ様」


シュタット公爵家の者ばかりとは言え、淑女の秘めた心裡など衆目に晒すものではない。

戸惑うのは聞かされる側のギーゼラばかりで、エミリアは引く気がないようだ。


意志を固めた少女は小さな両手を胸の前できゅっと握り締め、じわじわと顔を赤らめる。

まるで眼前の人に、想いを告げるかの様子はギーゼラでさえ抱きしめたくなるほど可愛らしい。

微かに桜色の唇を震わせ、彼女は言い放つ。


「私、…っエカード様と、結婚、したいです!!」


「………」

「何言ってんのキミ」


唖然とするギーゼラの横で、顔面国宝が普段通りの声色で呆れを返す。

はっと意識を取り戻した妹が兄を咎めるようにその口を押えた。


「お、お兄様!エミリアの気持ちを何だと思っていらっしゃるの!」

「いや、いやほんとエカード様の言う通りなので!」

「こんな言葉っ聞くに値しないわ!やっぱりここで話す内容じゃないのよエミリア!」

「んえええだって!だって!この勢いが無かったら!一生言えそうになかったんですもん!」

「可愛らしくしたって許しません!やり直しなさい!」

「ちょっと絆されてくれちゃってるギーゼラ様が可愛いいい」

「エミリア!」


てしてしと指を撫でさする感触に、やっとギーゼラが婚姻を乞われた当人エカードを見上げる。

彼はやはり冷静で、見ていると色恋の渦中とは全く思えないのが不思議だ。


「愛しい妹、キミはとりあえず王城に顔を出してきなさい。

 コレとは僕が話をつけておくから」

「心を寄せて下さる愛らしい人をそのように呼ぶお兄様は意地悪です」

「そう愛らしい口に諫められたくてわざと言ったからね」

「もう!」


でれでれと顔を崩す兄の眼には、いつも通りギーゼラしか映っていない。

それでも本気でエミリアはこの男を求めるのだろうか。

予想外の展開にこの場で一番混乱していたのはギーゼラだった。


適当に宥めすかされ、放り込まれるように馬車に押し込められた後。

揺れる車内でもずっと一人彼女は頭を抱え、困惑から抜け出せずにいた。



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